月は、冷たいスープの中の底

宇土為名

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エピローグ

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「りとー?」
 部屋の中を朔は探し回っていた。
 ソファの下には何もない。覗き込んでいた体を起こす。
 ちょっと目を離したすきにリトが見えなくなった。
 どこに行ってしまったのか。
 リビングの、寝室側の廊下に続くドアが薄く開いていて、朔はリトの名を呼びながら、寝室のほうへ向かった。
「リト?」
 ドアの閉まっている自分の使う部屋は、多分いない。前を通り過ぎて、斜め向かいの青桐の寝室を覗き込む。
「りとー」
 今朝整えたばかりのベッドに乱れはない。ベッドの下を覗き込み、布団を捲って見たが、リトはいなかった。
 おかしいな。
 この部屋にはベッドとサイドテーブルしかなく、リトが隠れそうな隙間は見当たらないのだ。
 朔は廊下に出て、向かいのドアに目をやった。青桐の仕事部屋だ。
 いつもはしっかり閉めてあるドアが、ほんの少し内側に向いていた。
 ここか?
 一瞬朔は躊躇ったが、そっとドアを押してみた。音も立てずにゆっくりとドアが開く。
「…リト?」
 部屋の中に足を踏み入れた。日曜日の今日、青桐は珍しく外出している。
 きっちりとカーテンが引かれた部屋の中はまだ昼だというのに少し薄暗かった。
 足下に散らばる紙、机の上のパソコン、椅子の背にかけられたカーディガン。奥に仮眠用のソファが置かれている。壁際の本棚の上段にはほとんど本がなく、代わりに床の上にいくつかの本の山が出来上がっていた。
 なんだか、懐かしい匂いがする。
 なんだろう…
 部屋の真ん中で朔がぼんやりしていると、奥のほうからかさかさと何かを引っ掻くような音がした。
 クローゼットの扉が開いたままだ。
 出る前に着替えを取った青桐が閉めるのを忘れたのだろう。
「りとー…」
 扉を引くと、暗がりの奥にリトの光る目があった。ほっと朔は息を吐く。
「駄目だろ、ここは仕事部屋だから、怒られるぞ?」
 クローゼットの中に仕舞われているスーツケースや積み重ねられた箱の隙間にリトは入り込んでいた。奥の方には束ねたままの本がそのままに放り込まれているようで、それによじ登ろうとリトは爪を立てているのだった。
「おいで。ご飯食べよう?」
 手を差し出すと、長い尻尾がぱた、と振られた。
 こちらに向きを変えた体を抱き上げようと手を伸ばし、体を入れたところで肩が積み上げられた箱の山にぶつかった。
「あ」
 どさ、といくつかが続けざまに床の上に落ちた。蓋は被せてあっただけのようで、中身が零れ出てしまった。
「あーあ…」
 にゃあ、とリトが手の中で鳴いた。しかたがないな、と朔はいったんリトをクローゼットから出して、散らばったものを片付け始めた。
 一番上に乗っていた箱の蓋が開いていた。朔はクローゼットの奥に滑りこんでしまった蓋を取り、ふと首を傾げた。
 どこか見覚えがある。
 小さな箱。
 菓子…
「──あ」
 朔は思い出して言葉を失くした。
 それは随分前、朔の母親が青桐にと買ってきた、お土産の菓子の箱だった。
「……」
 大事に、ずっと、持っていたのだろうか。
 こんな──何でもないものを。
「…ばかだなあ」
 渡したときの本当に嬉しそうにしていた青桐の顔を思い出す。
 そういえばまだ、朔は彼に自分のことを話していない。
 今月末には実家に帰らねばならない。その理由を、きちんと話さないと。
 今夜、帰って来たら話をしよう。
「…リト、駄目だよ」
 箱の中に前足を入れたリトが悪戯している。
 中には色褪せて小さく折りたたまれた紙と、金色の折り紙で作られたものが入っていた。
 たくさんの折り跡が残っている、丸い形。
 それをどこかで見たことがある気がした。
「……」
 どこでだっただろう?
 朔は折りたたまれた紙を指先でそっと開いた。

***

 最後の一枚にサインをすると、由生子がふっと気を緩めた気がした。
 青桐はペンを置き、顔を上げた。
「これでいいか?」
 由生子は頷いた。
「お疲れさま。これで全部、準備が整ったわ」
「年内いっぱいかかるんじゃなかったか?」
「早いほうがいいでしょ。私もなんだかんだと忙しいし、今日は──、それに、今度の週末はあんた無理だと思って」
「……」
 週末。
 ふと、由生子と目が合った。
「なに?」
 じっと、お互いに探り合うように見合う。
 まあいい。
 それで、と青桐は言った。
「あのマンションはどうなる? 出たほうがいいのか?」
「それはいいわ、あそこは由也のものだから」
「あの人の財産なんか俺は要らねえんだけど」
 青桐と目を合わせ、由生子は苦笑した。
「大丈夫、そんなことにはならないように手は打ってある」
 散らばった書類をひとつにまとめ、由生子は書類入れに仕舞った。鞄にそれを入れると、テーブルの上で手付かずになっていたカップを手に取った。
「来年の春には何もかもが変わって、あんたはやっと解放されるね」
「そうだな」
「長かったね」
 労わるような由生子の言葉に、青桐は肩を竦めた。
「別に、たまたまそういう巡り合わせだっただけだ」
「…そう?」
「もうそれでいいだろ」
 誰も恨んではいない。そういう親の元に生まれ、流れに揉まれながら生きていただけだ。実母はもとより、青桐の父も、辛い記憶しか残さなかった義母も、彼らは彼らなりに自分の人生を歩いていただけ。
 義母が真夜中に泣いていたことを知っている。
 広い家の中、誰にも慰められもせずに。
 青桐はその声を、押し込められた小さな部屋の中で聞いていた。
 その義母ももういない。青桐が十九の冬に病に罹り、あっという間に逝ってしまった。父親とは二十歳になるまえに由生子に跡を譲ることを半ば無理やり承諾させたが、その後彼もまた病に倒れ、あっけなく亡くなった。彼は多くのものを遺言で青桐に残したが、そのときにはもう青桐は小説家としてデビューしており、辞退宣言を覆すつもりはなかった。そして兼ねてからの予定通り、由生子が実父を後見人として跡を継いだのだった。
 弱冠二十一歳の若さで群がる親類縁者の老人どもの中に入り込み、その役目を担うことは、並大抵のことではなかっただろう。
「…おまえもよく踏み切ったよな」
 青桐の言葉に由生子は目を瞠り、そして目元を緩めた。窓の外にはハザードランプを点けた車がさっきから止まっている。由生子を迎えに来たのだろう。
「私は私のしたいようにしてるだけだよ」
「おまえのしたいことって?」
 由生子はカップの中身を飲み干すと、ゆっくりと立ち上がった。
 にこりと青桐に笑いかける。
「結婚したくないのよね、私」
「……」
「子供も嫌いだし、跡継ぎとか死んでも無理だから」
 へえ、と青桐は言った。
 由生子がそういう考えを持っているとは、青桐は知らなかった。
 勿論その本当の理由を青桐は知らない。由生子も言うつもりはなかった。秘密を知る人は、少ないほどいいからだ。
 朔を本気で好きになろうと思ったことはあったが、それは所詮逃げでしかなく、早々に由生子は自分の本質を受け入れていた。
 それもまた自分自身だ。
「それでこれか?」
 そうよ、と由生子は笑った。
「私の跡は、青桐の家以外の人がなればいい」
 来年の春には桐白は同族経営を辞め、上場することが決まっている。
 株式公開のための準備を、彼女はこの一年、ずっと取り仕切ってきた。一族の資産を集め、既得権を廃止し、青桐が相続したものを一から整理してくれた。
 抱えきれないものは手離せばいいと教えてくれたのは、彼女だ。
 それがあのときの賭けの答えなら、これ以上のことはない。
 由生子が帰ったあと、青桐はひとり店に残り、コーヒーのおかわりを頼んだ。
 頃合いを見計らって店を出る。その足で小林との待ち合わせ場所に向かった。今日は出版社で打ち合わせが入っている。日曜日だというのに、ゆっくり出来ない身が厭わしい。
 一緒にいられる時間は案外少ないものなのに。
 早く家に帰りたいと青桐は思った。
 
***

 せんせえ、と声が掛かって、安西は顔を上げた。
「なあにい? 今さあ、せんせーは忙しいんだけどー」
 ざわついた教室の隅で作業をしている背中に、生徒がぴたりと寄りかかってくる。
 だあってえ、と甘え切った声が返ってきた。
「さっきからず──っと鳴ってんよ、スマホ」
 ほらあ、と手の中で振っているのは、教卓に置きっぱなしにしていた安西のスマホだった。いつのまに持って来たのか。
「あーどうせマスターからだし、今日シフトだからさあ、買い出し連絡じゃない?」
 生徒が作った課題に目を戻し、添削しながら安西は言った。
「ええ、だって名前違うじゃん。マスターはあ、笹木でしょー。これ何て読むの、…さ、さくう?」
「えっ」
 がた、と安西は立ち上がって、生徒の手から自分のスマホをひったくった。
「もしもしっ」
「あーせんせいっ」
 ひどい、と不貞腐れる生徒に、安西は唇に指を当てた。
「もしもし、藤本?」
『うん』
 通話越しの朔の声が耳に気持ちいい。
『ごめん──、今仕事中だった?』
 周りの音が聞こえているのだろう。少し潜めた声に、安西は笑った。
「あーうん、今日は日曜教室の開放日」
『掛け直そうか』
「いいよ。待って──」
 安西は側で聞き耳を立てている生徒の頭を撫でて、教室を出た。
 廊下の端まで行き、小さな窓の横に寄りかかる。
「教室出たからもう大丈夫。どうした?」
『いや、なんかちょっと…声聞きたかっただけだよ』
「ふうん、そう?」
 窓の外はいい天気だ。
 冬の午後の晴天。空が高い。
「今日店にいるけど来る?」
『そっか、でも今日は行けないかな』
「あー、あいつが出してくれないか」
 朔が苦笑した。
『そうじゃないけど』
「残念だなあ、高瀬も来るのに」
 笑いを含んだ声で言うと、電話の向こうで息を呑む気配がした。
「今日会うんだよ。五年ぶりかな」
『…そう』
「うん。ああ、前村はねえ、明後日来るって」
 そうなんだ、と朔が静かな声で言った。
 安西は耳を澄ます。
 朔の声が安西は好きだった。
『出張?』
「いや、もうこっちに来るらしいよ。異動願い通ったって」
『え、そうなんだ』
「こないだの電話リプしなかっただろ」
『ああ…、うん──そう、ごめん。いろいろあって』
 忘れてた、と言いにくそうに口籠った朔に、安西は笑った。
「まあなんとなく察しはするけどなあ」
『心配かけてごめん』
「いいよ。藤本が元気ならさあ、私はそれでいいし」
 くすぐるような声で朔が笑う。
「藤本さあ…」
『ん?』
 数日前に掛かってきた由生子の電話を安西は思い出した。
 数年ぶりに聞いた声は、変わらないようでいて、少し違った。
「高瀬がさ、藤本が…、私が待ってるんじゃないかって、言ってたって聞いたから」
『ああ…、うん』
「ありがとうね、友達でいてくれて」
『…なに、どうしたの』
「うん」
 女なのに男の格好ばかりしてと、毎日のように言われていた。
 でも心を偽ることは出来ないから、出来る限りのことをして気持ちを紛らわせていた。
 ずっと秘めていた自分の複雑なセクシュアリティを打ち明けたのは、朔が最初だった。
 物心ついたときから自分は何かが違うと思っていた。
 矛盾して、複雑に折れ曲がっている心の内を朔にだけはなぜか話すことが出来た。
『──私ねえ、女なのに、男として男に抱かれたいんだよねえ。もうずっと、ずっとそうなんだよ』
 それは朔が高校からいなくなったあと、彼のほうから連絡をくれたときだ。なぜ話せたのだろうと不思議に思う。今でもまだ、あのときの自分の心境が分からない。
 けれどそう言った安西に、朔は怖がりも軽蔑もせず、ただ頷いてくれた。
 安西はその後、卒業式の日に高瀬に告白をされた。好意はずっと感じていた。期待をさせていることも。いつかきちんと話さなければならなかったことだった。
 安西は、由生子に包み隠さず打ち明けた。
 嘘、と由生子は言った。
 傷ついた顔にもっと早くに言うべきだったと後悔したけれど、遅すぎた。
 そしてその場面を偶然前村に見られてしまったのは、今となっては懐かしい思い出だ。
 思い出して苦笑していると、朔が言った。
『でも、待ってたのは本当だろ?』
「そうだねえ…、よく、自分でもよく分からないけど」
 友達だと口に出して言えるのは昔も今も、由生子だけだ。こんな自分を今でも好きだと言ってくれる。一緒にいても願いを叶えてやれることは出来ないのに、それでもいいと彼女は言っていた。
『いろいろ、話せるよ』
「そうだねえ」
 あの頃のような友達に戻れないことは、お互いによく分かっていた。
 これから先のことはどうなるのか正直分からない。
 それでも声を聞いたとき、会いたいと思った。
「それより」
 話の区切りにと息を吐き、安西は言った。
「そっちはさあ、うまくやってんの?」
『え、まあ、…うん』
 ふうん、と安西は相槌を打った。
「ああでもさあ、やっぱりあいつには言わせたかったなあ」
 喉の奥で朔が笑う。
『まだ言うの』
「ええー…、だって、そりゃそうでしょ。こんだけ引っ張って何やってんのって思うじゃん」
『引っ張るってなに』
「んもー…甘いねえ藤本お」
 不機嫌に返すと、朔がふふ、と笑った。
「まあいいけどさあ」
 青桐が少しだけ羨ましいと思う。
 失っているからこそ、朔を得られたのかもしれない。
「今度は藤本もおいで。まあ、出にくいってんなら、最悪あいつを連れて来てもいいよ」
『いいの?』
「まあいいよ。嫌いだけどね」
『ふふ、分かった』
 と笑いを堪えきれない声で朔が頷いた。
 教室の方から安西を呼ぶ声がした。

***

 おかえり、と言った朔の顔に、青桐は一瞬息を詰めた。
 キッチンに立つ朔は鍋から立ち上る湯気の向こうにいる。
「どうかした?」
 立ち尽くしたまま動かない青桐を怪訝に思ったのか、朔が心配そうな顔をした。
「いや…、なんでもないよ」
「そう?」
 頷くと、朔はほっとしたように表情を緩めた。
「適当にあるものでご飯だけど、いいかな」
「うん」
「もう少しだから」
 背を向けた朔を抱き締めたい衝動に、青桐はくらりとするが、足先を甘噛みされて我に帰った。
「おまえ…」
 下を見れば、リトが青桐の靴下を噛んで引っ張っている。
「やめろ、穴開くだろ」
 実際もう二足ほどリトにやられているのだ。
「遊んで欲しいんだよ」
「…遊ぶって、俺?」
 洗い物をしながら朔は笑った。
「青桐のこと好きだから、構って欲しいんだよ」
「──」
 青桐は朔を流しの前から引き剥がすと、冷蔵庫横の壁に押しつけて強引に唇を塞いだ。
 リトが鳴いている。
「ん、…っ」
 濡れた手に指を絡めて両手を上げさせ、片足を朔の脚の間に入れた。そのまま股間を潰すようにわざと揺すりあげる。
 あ、と朔が合わさったままの口の中で声を上げた。
 金曜の夜から散々貪った体はその熱をまだ覚えていたのか、朔の息が次第に甘くなっていく。
 もっと聞きたい。
 夢中で温かな口腔に舌を這わせていると、朔が首を振って唇が解けた。
「青桐、も…今日はだめ…っ」
「ん、分かってる」
「…あっ、や」
 明日は月曜日。朔は仕事に行かなければならない。体の負担がどうしても大きいから、これ以上は無理だった。
「朔──」
 青桐は力の抜けた朔の体をぎゅっと抱き締めた。
 首筋に顔を埋め、縋るように背中をきつく引き寄せると、朔の手が青桐の背をそろそろと撫ぜた。
 好きだ。
 好きだよ。
 このまま、どこにも行かせないで閉じ込めてしまいたい。
 明日も明後日も、その次も。
 離れたくない。
「朔…仕事楽しい?」
 え、と朔が言った。
「俺の知ってる図書館が、司書を募集してて…だから」
 だから?
 青桐は言葉を飲みこんだ。
 俺は何を言ってるんだろう。
 青桐、と呼ばれて、そろそろと顔を上げると、困ったような笑みを浮かべた朔が青桐を覗き込んでいた。
「仕事楽しいよ? 先は分からないけど、このまま続けられたらって思ってる。それに、また青桐の小説を俺が読むことになったんだ」
「…ん、それ今日聞いたよ」
「そっか」
 出版社での打ち合わせの終わりに、青桐は小林から聞かされていた。
 来年行われる朗読会の話は、朔の会社が主催するものだった。
「こないだのを聞きに来ていた人が、是非って。今度はもっと大きなところだから」
「うん」
「すごく楽しみだよ」
 青桐、と朔は言った。
「あのさ…、今度の週末、俺と一緒に来て欲しいところがあるんだけど」
 え、と青桐が目を瞠った。
「俺の実家…、父さんの七回忌なんだ」
 話さないといけないことがたくさんある。
 戻れなかった理由、会いに行ったのに怖くなって逃げ帰ったこと。
 本当はずっと会いたかったこと。
 そこにいて欲しくて、ただそれだけだった。
「朔、由生子から聞いて、もう知ってるかもしれないけど──俺も話したいから…」
「うん」
 聞いて欲しいと、泣きそうな顔で青桐が言った。


「……──」
 目覚めると、まだ真夜中だった。
 朔は抱き締める青桐の腕を抜け、そっと起こさないようにベッドを出た。
 月明かりがリビングを照らしている。
 夜の闇に半分の月が浮かんでいる。
 安西と由生子は今ごろどうしているのだろうか。
「…──」
 ケージの中で眠っているリトの耳がぴんと立つ。
 すぐに起き出す気配はないのを見て、朔はほっと息を吐いた。
 キッチンに向かい、水を飲もうと冷蔵庫を開けた。暗がりにオレンジ色の光が眩しい。朔は冷蔵庫からペットボトルを出した。
 ふと、小さな鍋に目をやった。
「……」
 朔は取り出して蓋を開けた。
 野菜のスープ。
 朔はキッチンの引き出しに入れていた、昼間青桐の部屋で見つけた小さな紙を取り出した。
 人参、玉葱、キャベツ…いろいろな野菜。
 これは青桐の字だ。刻んで、ミキサーにかけ、冷蔵庫に入れる、たったそれだけの冷たいスープの作り方。
 それは月のある晩に作ること。
 願いを込めるように唱えながら作ること。
 最後まで食べ切ること。
 そうしてスープの底に映した月が見えたなら──
「……」
 食べられないものを食べようとまでした青桐の願い。
 彼が野菜を食べられないのは、幼いころ義母に無理矢理に口の中に押し込められたせいだと、青桐は話してくれた。
 朔はスープを皿に注いだ。
 そっとスプーンで掬い、朔は願う。
 いつか、青桐の願いが叶いますように。
 薄青い月明かりの中で、そう祈りながら朔はゆっくりとスープを口に運んだ。




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