妖精王の住処

穴澤空

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「あれ、収穫できるはずの子がいない」

 平日の朝六時。水遣りを終えた私は、夕飯で使うための収穫を行っていた。所謂、朝採れ野菜というやつだ。

「ん? どうした」

 パタパタと飛んできたのは妖精王のオールベロン。先週我が家にやってきたこの男は、私の作った昼食を食べてからすっかり人間の食事を気に入ったようで、そこから我が家の食客となってしまった。普段はこうして小さな十センチ程度のサイズで過ごしているが、私の食事を食べるときだけは、身長一八五センチの大男に変化する。曰く、その方が食事を食べやすいというけれど、必要な食事量が増えるので小さいままでいて欲しい。とはいえ、小さなサイズのために食材を細かく切るのも面倒なので、悩ましいところだ。

「これ見てよ。今朝ちょうど収穫できるはずだった、スティックセニョールが、ぽっきりと消え去ってるの。それも一つや二つじゃないのよ!」

 スティックセニョールとは、スティック型のブロッコリーの品種名だ。脇芽からぽこぽこ生えてきてたくさん収穫できるので、食費の助けになっている。野菜、高いからね。

「はっ! もしや泥棒? うぅ、私のセニョールちゃん……」

 悲しむ私の肩に座り、オルは小さく首を傾げた。その後、ぐるりと周りを見渡すと、今度は収穫するはずだったスティックセニョールの近くをパタパタと飛ぶ。

「おい、泥棒なんかじゃないぞ」
「え、でも私は収穫してないし──まさか神隠し?」
「ブロッコリーを神隠しして、神も何が楽しいんだ」
「いや、マヨネーズと醤油で和えて食べたら美味しいから、神様も我慢できなかったとかさ」

「なんだそれ、旨そうだな。おい、今夜はそれを作れ」
「偉そうに」
「偉いからな」

 そうではなく、とオルは続ける。

「それ、その屋根の上を見ろ」

 オルの指す方向を見れば、明るい灰色が光を帯びて、まるでラブラドライトのように光る羽を持った小さな鳥が、屋根の縁に止まっていた。

「ヒヨドリ?」

 ヒヨドリは屋根を飛び立ち、二度三度と羽ばたきを繰り返し、波形を描いて去って行った。

「あれが食ったのだろう。本来、餌となる虫がいない時期に植物を食い荒らすが、弥生はこの庭でよく虫を捕獲しているからな」

 なるほど。おそらくアオムシの類いを食べる鳥なのだろう。我が庭であるこのミニガーデンでは、私はアオムシも毛虫も、バッタも全ての存在を許さない。絶許である。

「私が見つけきれないアオムシを、食べていっていただきたいわ」

 念のため習性を確認しよう、とスマートフォンで検索をかける。どうやら実や花、それに甘い物も好物らしい。
 仕方がないので、他に収穫できるチコリやサニーレタスなどをかごに入れていく。今夜のサラダの材料だ。

「おっ、ワイルドベリーちゃん、実をつけてるねぇ。いただきます」

 葉の奥に小さな赤い実をつけているのを発見した。ヒヨドリに見つからないで良かった。指でちぎって口に放り込むと、甘酸っぱい味が広がる。

「これこれ。朝のパトロールをしながら、見つけたのを食べる幸せ」

 思わず片手で頬を押さえてしまう。

「イブ・ピアッチェ様、すくすく育ってねぇ」

 今度はすぐ横にある、昨日移植したバラの前でしゃがむ。小さな蕾をツンツン、と人差し指で触れると、ふるりと揺れて、まるで返事をしてくれているようだ。まぁ触れたから揺れただけなんだけど。

「弥生はそうやって話しかけているのか」
「ん? だってかわいいじゃない」
「それは同意する。花たちも、弥生が話しかけてくるのが嬉しいみたいだぞ」

 妖精王が言うからには、本当なのだろう。私の独りよがりではなかったと、妙に嬉しくなってしまった。

「あ、やば。そろそろ支度しないと」

 残念ながら、今日は月曜日だ。会社に行かねばなるまい。非常に残念だけれど。
 部屋に上がり、鏡の前に座る。僅かに茶色がかった黒髪は鎖骨あたりまで伸び、それをぐるりとねじり、髪用のクリップでまとめる。ドラッグストアで買った、BBクリームを塗って、これまたドラッグストアで買った、安いお粉をはたく。二重ではあるけれど、睫毛が薄く印象のあまり強くない瞳には、当たり障りのない茶色系のアイシャドウをのせ、眉毛を描く。朝のぼんやりした顔が、少しだけマシな、ぼんやりした顔にアップデートした。

「そろそろ前髪切った方が良いな」

 鏡を見ながら、少し重くなった前髪に触れる。前髪のためだけに美容室に行くのはお金がかかるので、自分で切っているけれど、それがまた難しい。私の調子が良いときじゃないと、きれいに切れないのだ。

「そんなこと言ってる場合じゃないわ」
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