妖精王の住処

穴澤空

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 気付けばもう七時を回っている。急いでご飯をレンチンし、冷凍庫からはおにぎりを出す。仕事用の鞄におにぎりを詰め込み、お茶を入れた水筒を用意したところでレンジが音を出した。

「弥生の家は、やたら音がするな」

 オル用にタオルハンカチを重ねたクッションを用意したら、彼はそこでだらしなく寝そべるようになった。今もそこで体を横たえながら、私の支度の様子を見ている。良いご身分だ。あ、王様だから、本当に良い身分なんだったわ。

「家電が音を立てると、わかりやすくて良いでしょ。音も立てずにそっと仕事を終えられたら、気付かないまま忘れちゃいそう」

 ただし、どの家電も似たような音を立てるので、判別が難しいのだけれど。最近では音楽が鳴る機種もあるみたいだけど、我が家の家電はどれも、十年選手。そんな親切な仕様は搭載されていない。

「やっぱり朝は納豆よね」
「その豆のにおいは、どうにも苦手だ」
「オルって、そういうところ外国人ぽいよねぇ」
「まあ、この国の者ではないからな」

 考えてみたら、日本の妖精──というか、妖怪か──は、納豆を食べられるのだろうか。河童はキュウリにもろみ味噌をつけて食べるのだろうか。いけない。どうでも良いことを考え出したら、止まらなくなりそうだわ。

「今日は? オル一緒に行く?」

 オルは私と一緒に職場に行くこともあれば、家で留守番という名の昼寝をしていることもある。うちに初めて来たときに、昼寝で数日寝ていたというので、一度眠ったらそのくらい起きないのかと思っていたけれど、そういう訳でもないらしい。

「今日は天気が良い。ここから移動するのも悪くないな」
「行くのね」

 わかりにくい言い回しはせずに、イエスかノーで答えて欲しいものだ。
 川崎にある我が家から職場の新橋までは、東海道線で一本。だいたい十五分程度で到着する。

「まぁ、駅までちょっと歩くけど」

 駅まで自転車で行ければ良いのだけれど、駐輪場が順番待ちで確保ができていないのだ。肩に乗るオルは、キョロキョロと周りを見回している。

「何か面白いものでも見つかった?」
「全てが面白いぞ。この国はこれだけ人が一斉に動いているのに、人と人がぶつからないのだな」

 駅の構内ですいすいと人をよけながら歩く私や周りを見ながら、不思議そうな顔をする。言われてみると確かに、無意識に人とぶつからないように歩いているな。あまりにも当たり前のこと過ぎて、考えたこともなかった。
 東海道線は朝のラッシュ。これがなければ、人生三割くらい幸福度が上がると思う。

「俺は移動するぞ」

 肩から頭の上にオルが移動する。ぎゅうぎゅうに詰められていても、別にオルが物理的にへしゃげることはないらしい。ただ、気分的に嫌だという。まぁそれもそうだろう。せめてもの逃げ場所ということで、私の頭の上にいることになった。

「ま、どこにいても重さはないから、かまわないけどね」
「人間っていうのは、どうしてこんな箱に詰め込まれてまでして、急いで移動したがるんだ」

 私に話しかけているんだろうけれど、オルの姿は他の人には見えないのだ。ここで返事をしたら、満員電車で独り言を話す女となってしまう。できればそれは避けたい。オルもわかっているのだろう。私が返事をしなくても、特に気にするそぶりはない。だったら話しかけるな、とは思うが、口にしたくなったのだろう。
 ようやく新橋に到着し、ほうほうの体で電車から転げ出る。

「それで、さっきの質問の答えは」
「質問? あぁ、どうして箱に詰め込まれて、ってやつね」
「そう、それだ」

 パタパタと私の前に移動してくるが、前が見えなくなるのでやめて欲しい。手で軽く払うと、不快な表情を浮かべる。いや、だったら目の前に飛んでくるなってば。

「歩いているときは、前に来ないで。先が見えなくて危ないでしょ」
「先行きが不安ということだな」
「面白いこと言った、みたいな顔しないでよ」
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