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波乱の週末を終え、無事に帰宅した翌朝。
「オル! オル!」
「あぁ? なんだ。そんなに叫ばなくても、すぐ横にいるだろう」
「だって! ほら見て!」
言いながら両手でそっと、触れないようそっと包み込んだのは、開花を待ち望んでいたイブ・ピアッチェ様だ。
「ほう、咲いたか」
幾重にも重なる華やかな花弁。ショッキングピンクと呼んでも良いほどの、濃いピンク色のその姿。他のバラよりも強い香りは、甘く、それでいて華やかだ。香りを華やかだと感じたのは、初めてかもしれない。女王様! と額ずきたくなる美しさは、妖精王も惚れてしまうかもしれないな。
「さすがは気位が高いイブ・ピアッチェだ。美しいな」
片眉をあげて、腕を組みながら花と同じ高さに飛ぶオルは、微塵も惚れている様子はなかった。妖精の世界では、美しい花がたくさんいるからだろうか。
「さて、弥生。他にも庭をしっかりと見回せよ。観察しろ。人も植物も、自分の目で見て判断することが大切だ。余計な妄想を膨らませるより先に、観察した結果を基にして、考えるんだ」
「それって想像と何が違うの」
まるで私が庭仕事に手を抜いているように言うから、思わず文句を返す。私のその反応がおかしかったのか、オルは笑いながら私の右肩に乗った。
「すまんすまん。弥生の仕事に不満があるわけじゃないさ。ただ、少々妄想を膨らませ過ぎる嫌いがあるからな」
首を傾げながら、トマトの茎をチェックする。
「あっ、ブツブツしてる。これ気根だなぁ」
水が足りていないのかな、と土に触れると妙に固い。
「水はけか」
小さなシャベルを持ってきて、土にぶっさす。土が固まっていて少々難儀したけれど、それなりに掘り起こすことができた。そこに腐葉土を混ぜ込んでもう一度埋める。成育中のトマトの根を傷付けないように気を付けたが、大丈夫だったろうか。
「……なにニヤニヤしてんのよ」
「そういうのが大事、ってさっき言いたかったんだ」
「どういうこと」
「妄想と想像は違うってことさ。弥生は庭をきちんと観察できているんだ。同じことを、今日会社でもしてみろよ」
「訳わかんない──あ! 会社!」
うっかり土を掘り起こすのに夢中になっていたけれど、今日は月曜日だ。大急ぎで準備をして、時間がないので今朝はご飯ではなく、豆乳とプロテインを混ぜたものを胃に放り込む。お弁当用のおにぎりを鞄に突っ込み、ドアを開けた。
「弥生、眉毛がない」
「嘘でしょ! メイクし忘れてた」
適当にファンデーションを塗って、とりあえず眉毛だけを描く。人間らしく見えれば、とりあえずそれで良い。化粧なんて会社ですれば良いし、考えたらどうせ会うのは職場の人だけだ。このままでも別に構わないのかもしれない。
いつものように電車に揺られ、いつものように会社に到着する。
「おはようございます」
「おっはよ! あれ、葉月ちゃん今日なんか違うねぇ。メイク? メイクかな! ノーメイクかわいい!」
うるさいなぁ。ほぼノーメイクの状態の女にそんなこと言うなんて、デリカシーがないの? 女性の顔のことを言うの、今じゃセクハラだってのに。なんで私が安川にこんなことを言われないといけないんだろ。
……あれ私、なんで安川に言われたこと、我慢してるんだろうか。
急に、そんなことを思ってしまった。嫌なこと言われて、どうして言われた方が我慢しないといけないのか。そうだ。私はもう我慢するのをやめたんだった。
「安川さん、それセクハラですよ」
「えっ」
思わず口から零れ落ちた言葉に、ちゃら男安川は驚いたのか、固まっている。私の左上でパタパタと羽を羽ばたかせているオルは、何故か満足そうな顔をしていた。
「安川くん、葉月さんの言うとおりよ」
「いや、あの……その、すんません。以後気を付けます」
いつも、赤尾さんのいないところでセクハラ発言をする安川だけど、今朝はどうやら聞かれてしまったらしい。赤尾さんは手にしたコンビニのコーヒーを机に置くと、私に笑いかけた。
「葉月さん、よく言った! 勇気いったでしょ? もしまた安川くんが変なこと言ったら、バンバン言い返しなね。聞かなかったら、私も加勢するわ」
腹の中で思っていたことが、するりと口から零れた。安川の様子を見てみるが、別に落ち込んでいる様子はなかった。いや、そこは少しは落ち込めよ! なんて思ってしまう。
始業のベルが鳴り、仕事は特に支障もなく進む。
「あーっ! もう数式のセルに値貼り付けしたの、誰っ!」
赤尾さんの叫びが隣から聞こえる。控えめに言って、地獄の展開だ。
そんな叫びを聞きながら、私も思わずつぶやく。
「なんで明細切り取ってんのよ。切り取った方に、インボイスの登録番号載ってんの」
「おっ、この入金なんだ?」
今度は向かいの部長から声が聞こえる。
「それ、もしかしたらマーケ部の武知さんかも。こないだうちの振込先聞いてきた」
「おい安川。その場合は用途まで確認しとけ。ったく」
言いながら部長が内線をかける。業務が始まると、経理部は皆、口が悪くなるのかもしれない。でも仕方ない、と思ってしまう私もいるのだ。
「弥生。俺は屋上の庭園で昼寝してる」
相変わらずのオルに、私は小さく手を振った。
「オル! オル!」
「あぁ? なんだ。そんなに叫ばなくても、すぐ横にいるだろう」
「だって! ほら見て!」
言いながら両手でそっと、触れないようそっと包み込んだのは、開花を待ち望んでいたイブ・ピアッチェ様だ。
「ほう、咲いたか」
幾重にも重なる華やかな花弁。ショッキングピンクと呼んでも良いほどの、濃いピンク色のその姿。他のバラよりも強い香りは、甘く、それでいて華やかだ。香りを華やかだと感じたのは、初めてかもしれない。女王様! と額ずきたくなる美しさは、妖精王も惚れてしまうかもしれないな。
「さすがは気位が高いイブ・ピアッチェだ。美しいな」
片眉をあげて、腕を組みながら花と同じ高さに飛ぶオルは、微塵も惚れている様子はなかった。妖精の世界では、美しい花がたくさんいるからだろうか。
「さて、弥生。他にも庭をしっかりと見回せよ。観察しろ。人も植物も、自分の目で見て判断することが大切だ。余計な妄想を膨らませるより先に、観察した結果を基にして、考えるんだ」
「それって想像と何が違うの」
まるで私が庭仕事に手を抜いているように言うから、思わず文句を返す。私のその反応がおかしかったのか、オルは笑いながら私の右肩に乗った。
「すまんすまん。弥生の仕事に不満があるわけじゃないさ。ただ、少々妄想を膨らませ過ぎる嫌いがあるからな」
首を傾げながら、トマトの茎をチェックする。
「あっ、ブツブツしてる。これ気根だなぁ」
水が足りていないのかな、と土に触れると妙に固い。
「水はけか」
小さなシャベルを持ってきて、土にぶっさす。土が固まっていて少々難儀したけれど、それなりに掘り起こすことができた。そこに腐葉土を混ぜ込んでもう一度埋める。成育中のトマトの根を傷付けないように気を付けたが、大丈夫だったろうか。
「……なにニヤニヤしてんのよ」
「そういうのが大事、ってさっき言いたかったんだ」
「どういうこと」
「妄想と想像は違うってことさ。弥生は庭をきちんと観察できているんだ。同じことを、今日会社でもしてみろよ」
「訳わかんない──あ! 会社!」
うっかり土を掘り起こすのに夢中になっていたけれど、今日は月曜日だ。大急ぎで準備をして、時間がないので今朝はご飯ではなく、豆乳とプロテインを混ぜたものを胃に放り込む。お弁当用のおにぎりを鞄に突っ込み、ドアを開けた。
「弥生、眉毛がない」
「嘘でしょ! メイクし忘れてた」
適当にファンデーションを塗って、とりあえず眉毛だけを描く。人間らしく見えれば、とりあえずそれで良い。化粧なんて会社ですれば良いし、考えたらどうせ会うのは職場の人だけだ。このままでも別に構わないのかもしれない。
いつものように電車に揺られ、いつものように会社に到着する。
「おはようございます」
「おっはよ! あれ、葉月ちゃん今日なんか違うねぇ。メイク? メイクかな! ノーメイクかわいい!」
うるさいなぁ。ほぼノーメイクの状態の女にそんなこと言うなんて、デリカシーがないの? 女性の顔のことを言うの、今じゃセクハラだってのに。なんで私が安川にこんなことを言われないといけないんだろ。
……あれ私、なんで安川に言われたこと、我慢してるんだろうか。
急に、そんなことを思ってしまった。嫌なこと言われて、どうして言われた方が我慢しないといけないのか。そうだ。私はもう我慢するのをやめたんだった。
「安川さん、それセクハラですよ」
「えっ」
思わず口から零れ落ちた言葉に、ちゃら男安川は驚いたのか、固まっている。私の左上でパタパタと羽を羽ばたかせているオルは、何故か満足そうな顔をしていた。
「安川くん、葉月さんの言うとおりよ」
「いや、あの……その、すんません。以後気を付けます」
いつも、赤尾さんのいないところでセクハラ発言をする安川だけど、今朝はどうやら聞かれてしまったらしい。赤尾さんは手にしたコンビニのコーヒーを机に置くと、私に笑いかけた。
「葉月さん、よく言った! 勇気いったでしょ? もしまた安川くんが変なこと言ったら、バンバン言い返しなね。聞かなかったら、私も加勢するわ」
腹の中で思っていたことが、するりと口から零れた。安川の様子を見てみるが、別に落ち込んでいる様子はなかった。いや、そこは少しは落ち込めよ! なんて思ってしまう。
始業のベルが鳴り、仕事は特に支障もなく進む。
「あーっ! もう数式のセルに値貼り付けしたの、誰っ!」
赤尾さんの叫びが隣から聞こえる。控えめに言って、地獄の展開だ。
そんな叫びを聞きながら、私も思わずつぶやく。
「なんで明細切り取ってんのよ。切り取った方に、インボイスの登録番号載ってんの」
「おっ、この入金なんだ?」
今度は向かいの部長から声が聞こえる。
「それ、もしかしたらマーケ部の武知さんかも。こないだうちの振込先聞いてきた」
「おい安川。その場合は用途まで確認しとけ。ったく」
言いながら部長が内線をかける。業務が始まると、経理部は皆、口が悪くなるのかもしれない。でも仕方ない、と思ってしまう私もいるのだ。
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