30 / 38
30
しおりを挟む
「観光地だから余計目立つんだろうね。訪日外国人みたいな顔しておきな。インバウンド全盛の今なら、それで通るから」
「他国の言語でも話した方が良いか?」
「え、しゃべれるの?」
「弥生はつくづく俺には失礼だな。だいたいの言語はしゃべれるぞ」
「バベルはなかったのか」
「何のことだ」
「気にしないで。ただ日本語以外を話されても、私がわからないのよ。なので、日本語でオネシャス」
軽く手を合わせれば、オルは楽しそうにその手をつまんできた。
「ちょっと、持ち上げないで」
大きくなったオルは、思った以上に力持ちだった。
「あれ、こっち側は琵琶倶楽部じゃなくて、別の名前なんだ」
とみうらマートと書いてある。今回私たちが目指しているのは、その先だ。全部同じ敷地なので、移動は楽ちん。
「ここだ! ここのシェイクだってよ」
赤尾さんに大プッシュされたのはこの、牧場が運営しているという店のバナナシェイク。
ちょうどお客さんの切れ目だったので、急いで二人分購入する。
「はい、これオルの分。あっちの奥に散歩道があるみたいだし、飲みながら行ってみようよ」
透明のプラスチックカップを一つ手渡すと、オルは嬉しそうにすする。私もすぐにずるりとシェイクを飲み込んだ。
「あ」
「旨い」
二人の声が重なる。それほど、一口飲んだだけで、おいしさがわかったのだ。
「これは旨いなぁ。シェイクとやらは、どれもこんなに美味なるものなのか」
「ううん。これは特に美味しいと思う。赤尾さんによると、ここで使ってるバナナが、房総ではとっても有名なバナナ屋さんのバナナらしいよ」
「ほう。確かにこれまで弥生にもらったバナナは、ここまでの味ではなかった」
まぁスーパーマーケットのおつとめ品だからね。なんでも、室を持っていて、顧客の好みに合わせた熟成をそこでしているらしい。近所にあったら通い詰めるわ。いや、予算的に、通い詰めるは言い過ぎかもしれないけど。
琵琶倶楽部の建物の横の小道を入ると、きれいに花が植えられている庭に出る。オルの表情が柔らかになっていった。
「あ、このアリッサムの植え方かわいい!」
鉢植えから雪崩れて溢れ出たような演出の花を、写真に撮る。真似できるかはわからないけれど、いつかこういうおしゃれな植え方もしてみたい。
「弥生、川辺の芝生の上に座ろう」
「良いね」
目の前に流れる川沿いに、芝生の緩やかな坂が広がる。そこに二人で腰を下ろし、シェイクを飲む。
「あー、のんびりする」
「悪くないな。こういう場所には、妖精の気が溢れている」
「気が? 妖精がいるってこと?」
「言っただろう。妖精は花や木、草、水そのものであり、その意識でもあり、存在でもある。世界中のそれの総意でもあり、そこにいるようでそこにはいない、と」
あぁ、そういえばそうだった。そして私はそのときも同じように思ったのだった。
──哲学かよ。
「もう少しわかりやすく言ってくれない?」
あきれたような顔をするが、そもそも概念から違っているんだから、仕方がないじゃない。私が知っているのは、真夏の夜の夢のような、突拍子もない夫婦げんかをするようなオベロンと妻ティターニアとか、小さい頃に見ていたアニメのとんがり帽子を被ってる、病弱な美少女の前にだけ姿を現す小人さんとかだ。あぁ、あとは大人になりたくないっていうロンドンの少年や、彼にくっついてる、キラキラ光る鱗粉振りまいてる美少女妖精とかかしらね。
「簡単に言えば、妖精というものは決まった姿が、あるわけじゃないということだ」
「なるほど」
それならわかる。つまり、小さな粒子があちらこちらの同種に溢れていて、それが集まったら個体になるということか。砂粒が集まったら人形になる的な。
「想像したら微妙ね」
「なかなか失礼な発言だぞ」
「失礼」
ということは、この場所にはそうした粒子が溢れているということなのか。
「もしかして同じ花でも、場所によって妖精の粒子……気があるなしってのが」
「ああ、あるぞ。弥生の家はとても良い気に満ちている。他方、排気ガスの強い大通り沿いの木々には、あまり良い気はない。考えてもみろ。排気ガスにさらされている家と静かに暮らせる家、どちらが良い」
それは確かに。一日中排気ガス臭いところでは住むことはできないもんね。妖精なんて、きれいな場所の方が好きそうだし。イメージだから、口にしたらまた何か言われそうだけどさ。
「でもまぁわかったことはあるよ」
「ほう」
「ここが、気持ち良くてのんびりできる、ってこと」
「それは同意するな」
風が吹き、川の水に触れて少しだけひんやりとする。太陽の光が強いので、その空気が心地良い。
「あー、ヒヨドリ」
空を波形に飛ぶその鳥を、ぼんやりと見ていた。
どれくらい空を見上げていたのか。
「お腹空いた」
「奇遇だな、俺もだ」
「他国の言語でも話した方が良いか?」
「え、しゃべれるの?」
「弥生はつくづく俺には失礼だな。だいたいの言語はしゃべれるぞ」
「バベルはなかったのか」
「何のことだ」
「気にしないで。ただ日本語以外を話されても、私がわからないのよ。なので、日本語でオネシャス」
軽く手を合わせれば、オルは楽しそうにその手をつまんできた。
「ちょっと、持ち上げないで」
大きくなったオルは、思った以上に力持ちだった。
「あれ、こっち側は琵琶倶楽部じゃなくて、別の名前なんだ」
とみうらマートと書いてある。今回私たちが目指しているのは、その先だ。全部同じ敷地なので、移動は楽ちん。
「ここだ! ここのシェイクだってよ」
赤尾さんに大プッシュされたのはこの、牧場が運営しているという店のバナナシェイク。
ちょうどお客さんの切れ目だったので、急いで二人分購入する。
「はい、これオルの分。あっちの奥に散歩道があるみたいだし、飲みながら行ってみようよ」
透明のプラスチックカップを一つ手渡すと、オルは嬉しそうにすする。私もすぐにずるりとシェイクを飲み込んだ。
「あ」
「旨い」
二人の声が重なる。それほど、一口飲んだだけで、おいしさがわかったのだ。
「これは旨いなぁ。シェイクとやらは、どれもこんなに美味なるものなのか」
「ううん。これは特に美味しいと思う。赤尾さんによると、ここで使ってるバナナが、房総ではとっても有名なバナナ屋さんのバナナらしいよ」
「ほう。確かにこれまで弥生にもらったバナナは、ここまでの味ではなかった」
まぁスーパーマーケットのおつとめ品だからね。なんでも、室を持っていて、顧客の好みに合わせた熟成をそこでしているらしい。近所にあったら通い詰めるわ。いや、予算的に、通い詰めるは言い過ぎかもしれないけど。
琵琶倶楽部の建物の横の小道を入ると、きれいに花が植えられている庭に出る。オルの表情が柔らかになっていった。
「あ、このアリッサムの植え方かわいい!」
鉢植えから雪崩れて溢れ出たような演出の花を、写真に撮る。真似できるかはわからないけれど、いつかこういうおしゃれな植え方もしてみたい。
「弥生、川辺の芝生の上に座ろう」
「良いね」
目の前に流れる川沿いに、芝生の緩やかな坂が広がる。そこに二人で腰を下ろし、シェイクを飲む。
「あー、のんびりする」
「悪くないな。こういう場所には、妖精の気が溢れている」
「気が? 妖精がいるってこと?」
「言っただろう。妖精は花や木、草、水そのものであり、その意識でもあり、存在でもある。世界中のそれの総意でもあり、そこにいるようでそこにはいない、と」
あぁ、そういえばそうだった。そして私はそのときも同じように思ったのだった。
──哲学かよ。
「もう少しわかりやすく言ってくれない?」
あきれたような顔をするが、そもそも概念から違っているんだから、仕方がないじゃない。私が知っているのは、真夏の夜の夢のような、突拍子もない夫婦げんかをするようなオベロンと妻ティターニアとか、小さい頃に見ていたアニメのとんがり帽子を被ってる、病弱な美少女の前にだけ姿を現す小人さんとかだ。あぁ、あとは大人になりたくないっていうロンドンの少年や、彼にくっついてる、キラキラ光る鱗粉振りまいてる美少女妖精とかかしらね。
「簡単に言えば、妖精というものは決まった姿が、あるわけじゃないということだ」
「なるほど」
それならわかる。つまり、小さな粒子があちらこちらの同種に溢れていて、それが集まったら個体になるということか。砂粒が集まったら人形になる的な。
「想像したら微妙ね」
「なかなか失礼な発言だぞ」
「失礼」
ということは、この場所にはそうした粒子が溢れているということなのか。
「もしかして同じ花でも、場所によって妖精の粒子……気があるなしってのが」
「ああ、あるぞ。弥生の家はとても良い気に満ちている。他方、排気ガスの強い大通り沿いの木々には、あまり良い気はない。考えてもみろ。排気ガスにさらされている家と静かに暮らせる家、どちらが良い」
それは確かに。一日中排気ガス臭いところでは住むことはできないもんね。妖精なんて、きれいな場所の方が好きそうだし。イメージだから、口にしたらまた何か言われそうだけどさ。
「でもまぁわかったことはあるよ」
「ほう」
「ここが、気持ち良くてのんびりできる、ってこと」
「それは同意するな」
風が吹き、川の水に触れて少しだけひんやりとする。太陽の光が強いので、その空気が心地良い。
「あー、ヒヨドリ」
空を波形に飛ぶその鳥を、ぼんやりと見ていた。
どれくらい空を見上げていたのか。
「お腹空いた」
「奇遇だな、俺もだ」
0
あなたにおすすめの小説
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる