マトイマトワレ

クリオネ

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♯4「塵を切り刻む者」

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[西唐野中学校・2ー3教室]

 昼休み。給食当番じゃなかった事にうかれていたのもあって、紡は担任教諭にゴミ出しを命じられた。渡された大袋のビニールの中には、ティッシュだのプリントだのの塊が無造作に包まっている。
(うげっ…ダメだよ。こんなの食事前に見ちゃ)
 できるだけ表面を体に当てないよう、校舎外のゴミ捨て場まで袋を持ち運ぶ。玄関を通る際にチラッと今朝の鋏が散乱していた現場を一瞥するが、見間違いかと思うぐらい綺麗に片されていた。
「(何にも無いならまあ、それで良いか)」
無意味に考えるのはやめよう。今すべきミッションは、ゴミ袋を迅速に捨てた後で手を洗う事だ。
 上履きから下足に履き替え、校舎の入り口を踏み出す。ゴミ捨て場はたしか、建物の角を回った先—いわゆる校舎裏の奥にあった筈だ。
「…ニヒニヒ」
 一直線にそちらへ向かっていると、目先の角の向こうから下劣な笑い声と「カシャーンッ」という甲高い音が聞こえてきた。
「——はははっ!おい避けんなよぉ!」
「ちゃんとまとしろよなぁ!」
「……………」
 何だ…この嫌な声。悪い予感がしてならない。紡は気配をなるべく殺し、ゴミ袋を傍に置いてからそっと角を覗いた。
「!。…は?」
 その光景を理解するまでに、彼は十五秒を有した。
 校舎裏の大部分は大きな森になっていて、敷地の境界を区切るように錆色の菱形金網が建物と並行に建てられている。
 そんな金網に、一人の女子生徒が無抵抗な状態で固定されていた。両手を紐だかなんだかでフェンスに括り付けられており、上体を僅かに揺する事しか出来ないようだ。地面を向いた顔をよく見れば、今朝下足箱の辺りで見掛けた人物だ。
 だらんと脱力した彼女を囲むように立っているのは、紡が着ているのと同じ制服に身を包んだ4~5人の男子生徒たちである。どの顔にも見覚えはない。
「(背丈からして…一年生か)」
 十中八九ヤバい場面ではあるのだが、何をしようとしているのかだけが分からない。集団リンチにでもしようというのか?。多勢の男子生徒が、無抵抗の女子生徒一人相手を?
「おいおい澁谷ァ。大事ななポーチが懸かってんだぜ?もっと観衆ギャラリーを楽しませろよぉ」
取り巻きの一人が笑いながらもヤジを飛ばす。「ポーチ」と聞いた途端、女子生徒の顔は打って変わって一気に青ざめた。というか今…確かに彼女のことを「澁谷」と呼んだ。
(って事はやっぱり……)
「ニヒニヒ…じゃ、今度は「顔」いってみっか!」
「うわっ。マジか、いけいけ!」
 笑い声の数が一層増す。俯いて垂れた長い前髪の奥で、唇が微かに震えていた。
「(なんだ、顔って…)」
 喉の奥で苦い何かが鼓動する。美久を取り囲むように立つ生徒達のうち、一番目つきの悪い男が何かを掌中にしながら前に出た。どうやらそいつらのリーダー的な立ち位置らしい。のらりくらりと進む動作が、ひん曲がった猫背をより強調する。
「いくぞぉ。ニヒニヒっ」
 半笑いで美久の前に立つそいつがブンッと空に振り上げたのは、使い古されたボロボロのだった。
「せえぇぇのっ!」
「(は…はァッ⁉︎)」
思わず小声すら裏返る。まるで道楽の一種のように、その男は鋏の照準を彼女の顔に当てた。あんな物が肌に当たれば、最悪怪我どころでは済まされない。それを分かっていないのか?
 よく見れば、辺りにも数個の鋏が転がっている。既にその道楽が数回行われた証だ。
 「助けなきゃ」など、ヒーローじみた思考は生憎持ち合わせていない。僕はただの中学生だ。身を挺して他人を守れるようなほど強くない。
紡はただ目を見張っていた。人に鋭利な凶器を笑いながら振りかぶるような人物は、たとえ一歳歳下であっても恐ろしい。自分にできるのは、目にした現状を早急に大人に伝える事だけだ。
(………っ)ヒュッ、バシンッ
空を切って飛んでいった鋏は、彼女の顔に当たる寸前で何らかに弾かれた。まるで…白い光壁が彼女自身を守るかのように。
「(えっ…⁉︎)」
「…はあ?」
取り巻きの男達と同じく、紡はハッと目を丸める。見間違いだろうか。いや、この場には紡を含めた大勢の人間がいる。その全ての者が視ているのだから、見間違いだと割り切るのはさすがに厳しい。
「………」
美久はゆっくり顔を上げ、冷たい目で周りを囲む男達を睨みつけた。
「…ッチ。クソが。つまんねえ」
リーダー格らしい男は磔状態の彼女に近づくと、ため息混じりに夏服の胸ぐらを掴んだ。
「何したかは知んねえが、的は的らしくスコアボードやってろよ」
端の尖った鋭い眼光が彼女を捉える。いよいよ「手」が出て来そうな剣幕だ。美久の方はスンと落ち着いた表情を見せ、眼前に立つ敵との睨み合いにじっと応戦した。
 あまりの気迫に負けを悟ったのか、男は尖った目を飽き飽きと閉じ、それはそれは面白そうなものをポケットから引っ張り出した。臙脂色の太い紐と、それに繋がった甘いブラウン色の巾着袋である。
「はい。これな~んだ?」
「ッ‼︎」
さっきまで冷静沈着だった彼女がキッと噛みつく。
今にも枷を取っ払って掴みかかりそうな雰囲気だ。
「触るなッ‼︎」
(……?)
紡の目には、ほんの一瞬彼女の体を赤黒い何かが映った。幻覚か見間違いだろうと、その時は簡単に割り切った。
「うおっと‼︎」
 急に感情を乱すものだから、男達は総じて一瞬飛び上がる。が、あんなに何をしても無関心だった奴がとうとうキレたのだ。こんなに楽しい事はない、男は口角を上げた。
「ニヒ…ニハハハハ!」
男は先ほど投げた鋏を拾い上げ、紐と下がった袋を乱暴に振って見せた。
「離せ!触れるなっ!離せっ!」
「あっはっは!。やっぱこれなんだな!」
「このキレ方は傑作だわ。はっはは!」
決死の抵抗を嘲笑いながら、観衆共は待ってましたと言わんばかりにそれを囃し立てた。両手両足を引っ張るたび、固く結ばれた手首の紐がギュッと皮膚に食い込む。
「離せ………離…して!」
とうとう目尻に涙すら浮かべ、少女限界の所で反抗の意を示した。またひと笑いの種にしかならなかったが。
「まあまあそう怒んなって。良い袋だと思ってさ」
男はまじまじと嘘くさい笑顔を吐き、手にしていた鋏の刃をジャキンと開いた。紡は先の展開を読んで生唾を飲んだ。
「ニヒニヒ、そうだ。俺がアレンジしてやるよ!」
中に入っているハンカチやらティッシュやらをバラバラと地面に放り、男は布袋を空っぽにする。取り巻き共は彼女が更に怒る所を期待したが、持ち主である少女は地に落ちる中身よりも袋そのものを気にかけていた。
 男は鋏を大きく開き、巾着袋の中央辺りを目掛けて刃を当てた。その時。
「やめろォッ‼︎」ジジッ……ブワッッッ
その瞬間、紡は言葉を失った。拘束された少女の体から、黒く禍々しいものが蒸気のように吹き出たからだ。所々に稲光のようなものを走らせながら、黒いモヤは一種の「実態」を形成していく。
(あ…あれは……?)
ただならぬ邪気のようなものは、やがて楕円の形に留まった。両端から短い「手」のようなものが生え、その片側が彼女の頭を掴む事で相手は自立した。楕円の頂点同士を繋ぐようにざっくりと口が開く。口に沿って現れた歪な両瞳が、呆然とする男達の方を向いた。
「な、なんだよ……」
男は虚勢を張ったつもりが、に気圧されたのか鋏とポーチを取り落とした。
「ックソ…舐めやがって!」
男は理性の働いた声でそう叫ぶと、転がっている鋏を幾つか拾うなり彼女へと放り投げた。が——
「ギョウアアアアアアアアッ‼︎」
(……っ!)
異形な怪物は美久の頭からぴょんと飛び上がり、飛来する鋏を片腕で弾いた。彼女を守った…ということだろうか。
「う、うわあああ⁉︎」
っ!弾きやがった!」
五人いるうちの二人が半狂乱になって喚く。一方が我先にとゴミ捨て場の方へ逃げ出したのを見て、片割れも追うように背中を見せた。
 紡は息を顰めながら、そんな彼らの言動を読み取っていた。
(「また弾いた」というセリフなら分かる。彼女に向けられた鋏が弾かれるのは、おそらくこれで二度目だ。けど、前と今回とでは大きく違う点がある。弾いた正体が、今度ははっきりと見えているという事だ)
少なくとも紡の目には、おどろおどろしい化け物が鋏を殴り飛ばすのも、残った三人のグループをギョロりと観察しているのも見えている。それを「化け物」でも「怪物」でもない言葉で表したのは……
(まさか、彼らには見えていない…?)

因果は不明だが、今朝方とある女性に尋ねられた言葉が脳裏に浮かぶ。
「お、おい。これマジでヤバいんじゃねえか…?」
「そうだよ。こいつ、なんか危ねえ気がする…」
後方の二人はやっとまともになったのか、リーダーの男の腕を両側から引っ張る。が、またそいつはニヒニヒと笑って彼らの提案を振り切った。
「へ…へへっ!ビビって逃げた奴は後で容赦しねえ。仲良く地獄に落としてやるよ。この女と共になッ!」
(は…はあっ⁉︎)危うく「そんなの無謀だ」と叫びかける。
仲間の彼らも同様の思いのようで、仕方なく先程の奴らと同じ道を遁走した。
「……馬鹿が」
「ギョヒヒヒヒヒッ!」
異形の怪物が再び奇妙な声を浴びせる。だがやはり、その切り刻むような笑い声も彼には聞こえていなかった。
「どうした澁谷ァ。言っとくが、今の俺はマジだぞ。謝ったって許さ———」ザクッ
………………は?
怪物は何を思ったが、唐突に美久の頭から跳ね飛んだ。両腕に生やした鋭い爪を天高く掲げ、男の細い両腕をかっ裂いた。
「あぁ、ああああぁぁぁぁぁぁっ⁉︎」
男は皮膚に走る痛みに悶絶し、その場に滑るように倒れ伏した。開いた傷口からどろりとした真紅の液体が流れ出す。反抗的な目で美久の方を見上げたその時、彼は初めて顔を蒼白させた。
(あ……あぁ…)
言葉が出ない。震える足では中腰を保ちきれず、その場に尻餅を突いてしまった。その微かにぬかるんだ土を凹ませる音が、あの化け物の耳を刺激した。
「ギョロォル?」
「…ッ‼︎」
気付かれた。奴の黒ずんだ目が紡の怯えた瞳を捕まえる。
 分かっていたんだ。もっと早く、大人に知らすべきだったと。どうなっていたのかは知らないし、こうなった今では後の祭りだが。
「貴方は…」
「あ、いや、僕はあの……」
美久も時間差でこちらを見る。僕は湧き上がった固唾の苦さに顔を顰めた。繋がらない文言を頭で練っていると、視界の端で例の男が情けなく退却していく姿が見えた。身代わりにしたつもりだろう。というか身代わりか。
「ギョヒィ……」
怪物は牙を見せて唸った。次はお前だと言う音のないセリフが聞こえてくる。それに反し、美久の表情からはまるで敵意など感じない。どちらかといえば、少しやつれているようにも見える程に。
「ギョアァァッ‼︎」
怪物は再び爪を立て、紡を目掛けてガバッと飛び上がった。開かれた口から濁った涎液が噴き出る。咄嗟に紡を喰うつもりなのだと悟り、最後の瞬間を奇跡に託して瞼を閉じた。と。
「———標的ターゲット発見」
ビターチョコレートの甘苦い匂い。ほんのりと鼻を刺す副流煙の残り香。そして、砕けつつも芯の通った声。
「旭……さん⁉︎」
「やあ、青年。また出会ってしまったね」
颯爽と眼前に立つ彼女の瞳は、かつてない程に頼もしい光を放っていた。

次回「真相に直面する者」
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