マトイマトワレ

クリオネ

文字の大きさ
5 / 26

♯5 「真相に直面する者」

しおりを挟む
[西唐野中学校・2ー3教室]

 クラスの一同は体前で小さく合掌し、食事の開始を示す号令を下した。机に並べられた給食に目を下ろし、初奈はにんまりと箸を取る。
「う~ん♪」
学校生活を目一杯元気に過ごすため、エネルギーになる物は大歓迎だ。レタスとパインの和物を味わって咀嚼している姿を、同じ班として食事をしている隼人が含み笑いで一瞥した。
「美味そうに食うよな、お前」
「もちろん!だってこんなに美味しいのだから!」
おめでたい奴だと心底思う。まあ、その底抜けのポジティブさが初奈の長所なのだけど。
「ってか、紡は?」
「はあ、みへらい(さあ、見てない)」
初奈はあつあつのご飯を頬張りながら返答した。「飲み込んでから答えろ」という隼人の説教を蚊帳の外に、初奈は視界にチラチラと映る空っぽの席を見た。紡の席だ。
 自由に座席を変えたり机をくっつける事で各々の班を作り、そこで仲の良い者同士で給食を摂る。普段は紡を含めた三人で班を作るため、必然的に三角形のフォーメーションを組む事が多い。だが今、その一辺はとうに欠けてしまっていた。
「ゴクンっ…どうしたんだろ。保健室かな。私、給食当番だったから知らないんだよね」
「俺も。あんな食事命みたいなやつが何やってんだか」
隼人は紙パックの牛乳をストロー越しに吸引した。目の前の料理を楽しむ初奈とは対照的に、親友を気に掛けるような落ち着いた雰囲気だ。


[西唐野中学校・校舎裏]

「やあ、青年。また出会ってしまったね」
「旭さん⁉︎。な、なんで?」
感情がぐちゃぐちゃと蠢いている。恐怖すれば良いのか、助けが来た事を安堵すればいいのか。多分両方だと気付いたのはその直後だ。
「驚いた。本当に裸眼でが見えるのか」
「は…はい?」
またよくわからないことをボソリと呟き、旭は化け物が掴んだ腕をブンと振り払った。美久が磔にされていたのと同じフェンスに衝突させる。
「話は後だ。まと…アレは私が対処する。君の課題タスクは、彼女の縄を取り、ゆっくり休める場所に連れて行く事だ」
旭は肩越しにこちらを向いた。よく見れば、今朝は額に掛けていたサングラスを今は目元に装着している。薄茶色のレンズを通して見えた目は、優しくもあり冷徹さをも感じさせた。
「はっ、はい!」
紡は慌てて立ち上がり、その場に落ちていた鋏をさっと拾い上げた。

 旭は相手が反撃しようと立ち上がるのを見てから、ポンと提案を持ちかけた。
「もう充分暴れただろう。そろそろご主人様のなかに帰った方が良い。さもないと——」
あくまでもやんわりと注告したつもりだったのに、強情な彼は荒んだ目で旭を見上げる。丸々と太った外見からするに、の方も相当闇を抱えているようだ。
 やむを得まい。旭は静かに舌を打ち、自分の胸元あたりの空気をギュッと掴んだ。まるで身に纏っているものを脱ぎ払うように、その握った手を大空へ振り上げる。
 その手の軌道状に現れたのは、紡が今朝目にしただ。深い紺の肌に開く肉食獣のような牙がよく目立つ。軽自動車ぐらいの大きさだ。
「ネイシャ。遊んであげな」
象の怪物は旭に「ネイシャ」と呼ばれ、待ってましたと言わんばかりに自慢の長鼻を掲げた。
「ボルゥン!」
「ギョアァァァッ!」
怪物はイキリ立って叫んだ。黒い瞳孔が獣目に開く。


 紡は旭等の傍を通り、硬く結ばれた美久の手首の縄をなんとか片方だけ断ち切った。思った以上にキツい結び方だ。さっきの男子複数名が無理やりにでも縛ったのだろう。
「えっと、怪我は無い?」
無い訳ないだろ、と心の中で自分を窘める。しかし彼女はふるふるっと首を振ると、胸元に巻きついた学校指定のリボンをギュッと握りしめた。
「怪我は…ないです。けど、なんだか体が熱くて…」
言われてみれば確かに、終春の穏やかなこの季節には考えられない量の発汗が目に入る。頬は風邪でも引いたかのようにほんのり赤く、楼のように冷たかった瞳は今や薄ぼんやりとしか開かれていない。
「まさか…!」
冷や汗が額を撫でる。彼女の体調不良は、さっきの化け物が原因なのだろうか。理屈はよく分からないが……とにかく、急いでこの場を離れなければ。
 バチンッ。苦節10秒、美久の自由を奪うもう片方の縄も切断する。拘束具が外れた途端、その華奢な体は地面に崩れ落ちた。全身を脱力しきって、直立する力も残っていないらしい。
「休める場所といったら、保健室かな」
幸い校舎裏ここからなら、裏口を通って校舎に入ればそのまま直で保健室に着く。紡は彼女の腕を自分の肩に回し、「せーの」の掛け声で立ち上がった。本人に千鳥足で歩かせるより、こちらの方が数万倍マシだ。
 彼女の方が若干身長が低く、必然的に頭が近付く。少しだけ花のような香りがした。
「澁谷さん、気を確かに持って!」
「は……はい…大……丈夫です」
明らかに声のトーンが大丈夫ではない。旭の方をチラリと見るが、緑の化け物と共に忽然と姿を消していた。
「……?」
まあいい。あの人の事は一旦無視だ。後で会った時に色々と聞いてみよう。
「あの…すみ…ません……やっぱり………」
気が遠くなるようなか細い声が耳を掠める。紡の目が前方から彼女は向いたその時、美久は「無理…みたいです…」と言い残して目を閉じた。ハッとして肩に回した手首に指を当てる。脈は正常に動いているようでホッとした。どうやら気絶してしまっただけらしい。
「ん?」
ふと、奇妙な事に気付いた。美久の背中の辺りから、細かな光の束がへその緒のように何処かへと続いていたのだ。白い光の筋を目で追うと、校舎の壁の中をまるまる貫通している。
掌をかざしてみるが、熱も、逆に冷たさもない。思い切って触ってみるが、これといった感触は無かった。謎が謎を呼んでいく。
「やめだやめ。頭を働かせるのは今じゃない」
紡は考えるのを一旦停止し、それからは黙って歩を進めた。

[西唐野中学校・保健室]

「しばらく安静にしておくべきだね」
ベッドルームを仕切る純白のカーテンを開き、一人の男性教諭がチラリと顔を見せる。その優しげな声は気絶中の美久ではなく、指定された椅子で待っていた紡に対してのものだった。
 横髪に刈り込みを入れた黒髪が、体格の良さをひしひしと際立たせる。引き締まったボディは白衣の外から見ても一目瞭然だ。個人的には保健室より、体育の先生としてびしばしとグラウンドに出てもらいたいものである。
「何があったのか、話せる?」
 滑車付きの椅子を端から移動させ、彼は紡の目の前に座った。何やら薄いボードと用紙を手にし、上部に日付と時刻を記入していく。
「ええっと…正直僕もよく分からなくて……」
ほんと意味不明の連続だ。決定的ないじめの現場を目撃したかと思えば、黒いモヤが美久の体を包んで…やがてそれは緑色に長腕の気味が悪い化け物を生み、その猛攻から旭か助けくれた。僕はただゴミを捨てようとしただけだぞ。
あ。そういえばゴミ、校舎裏に置きっぱなしだ。後で出しに行かなきゃ。
「僕はその——」
「ギョアアアアアッ!」
開いた口から臓物が飛び出しかける。その声は扉を挟んだ廊下の方から響いた。間違えようが無い。…さっきの怪物だ!。旭が取り逃がしたのか、まさか負けたのか。原因は不明だが、すぐ近くにがいる事は確かだ。
「マズいっ……」
咄嗟に出入口に目をやり、ぎりぎりと歯を食いしばる。男性教諭はそれを見て不可思議装置首を傾げた。
「白凪くんって言ったよね。どうかした?」
まるで何事もなかったような対応を取る。いや実際、彼には何事も無かったのだろう。校舎裏で美久に鋏を投げていた彼らも同じような反応だった。
「あいやその…あーっと…」
なんて言えば良い。なんて言えば説明がつく?。見えない脅威を信じてくださいって?。
などと永遠に思える時間を思案に有していると、やがてそれは杞憂に変わった。
コンコンッ「失礼します」
薄い横開きの扉が軽いリズムを奏でる。戸にはやや汚れた正方形の小窓が付いているため、来訪者の顔がよく見えた。誰だろうかとそちらを振り返れば、なんと行方知れずだった旭だ。
「(旭さん…?)」
少し声のトーンが高い気もしたが、多分気のせいだろう。
 丁度良い。聞きたいことは山のようにある。今朝の出会い頭の質問攻めといい、流石に早々に忘れられる問題ではない。説明責任とかいうんだっけか。
「はい、どうぞ」
教諭は椅子から立ち上がり、閉ざされていた扉へと近付いた。小窓越しに「どちら様だろう」と吟味するような顔をする。
「私、澁谷 美久の姉の澁谷 雪といいます」
「っ⁉︎」
思わぬ自己紹介に何かを吹き出しかける。若干声を変えているのも相まって、元の人間を知っている側からすれば滑稽で仕方ない。
「学校から美久が倒れたと連絡がありまして。なんでも男子生徒の方が発見して下さったのだとか」
旭が人差し指をこちらへ向ける。助けられた手前正直には言いにくいが、今朝のこともあって俺はこの人を完全には信頼出来ていない。よって、紡は少し躊躇するように目線を逸らした。
「そうだったんですか。おかしいな、親族様の迎えの連絡は必ず一報入るはずなんですけど…」
教諭は顎に手を当て、何やら考え事を始めた。どうや彼女が本当に姉かどうか怪しんでいるようだ。まあ実際のところ、多分その推理は当たっているんだけど。
 これまでは二の腕までしか着ていなかったオーバーサイズのジャケットを、今は首を覆うまでにビシッと決めて、旭は横開きの戸のノブに手をかける。立て付けの悪い戸がキリキリ鳴き、扉によって隠れていた彼女の全身が顕になる。
「(…はっ⁉︎)」
僕は小さく悲鳴を上げた。旭の白い服、その裾にべったりついているのは、真緑に濁った血液だ。まだ酸化しておらず、新鮮にてらてらと光っている部分も見られる。
何故それが塗装ではなく咄嗟に「血」だと思ったのか。それは、彼女の右手に掴まれた緑色の肉塊が目に入ったからだ。萎れたネギのように細くなった腕と、膨らませる前の水風船を想起させる身体。皮膚の所々は拳の形に凹んでおり、そこに深い緑の液体が溜まっていた。
(うわっ…)
一目でさっきの化け物だと分かった。
 二つの瞳はとちらもギュッと閉じられていて、瞼のわずかな振動が彼がまだ生きていることを証明する。
「…少し、そこの子とお話させてくれませんか。妹の事を聞きたいので」
「えっ、ああ。はい」
教諭はこちらを振り向き、にこやかに紡の名前を呼んだ。多分、僕以外には知られたくない話なんだろう。
まあいいさ。聞きたいことは山ほどある。

次回「そのことわりを話す者」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

​『イージス艦長、インパール最前線へ。――牟田口廉也に転生した俺は、地獄の餓死作戦を「鉄壁の兵站要塞」に変える』

月神世一
SF
​【あらすじ】 ​「補給がなければ、戦場に立つ資格すらない」 ​ 坂上真一(さかがみ しんいち)、50歳。  かつてイージス艦長として鉄壁の防空網を指揮し、現在は海上自衛隊で次世代艦の兵站システムを設計する男。  背中には若き日の過ちである「仁王」の刺青を隠し持ち、北辰一刀流の達人でもある彼は、ある日、勤務中に仮眠をとる。 ​ 目が覚めると、そこは湿気と熱気に満ちた1944年のビルマだった。  鏡に映っていたのは、小太りで口髭の男――歴史の教科書で見た、あの「牟田口廉也」。 ​ しかも時期は、日本陸軍史上最悪の汚点とされる「インパール作戦」決行の直前。  部下たちは「必勝の精神論」を叫び、無謀な突撃を今か今かと待っている。 ​ (……ふざけるな。俺に、部下を餓死させろと言うのか?) ​ 現代の知識と、冷徹な計算、そして海自仕込みのロジスティクス能力。  すべてを駆使して、坂上(中身)は歴史への介入を開始する。  精神論を振りかざすふりをして上層部を欺き、現地改修で兵器を強化し、密かに撤退路を整備する。 ​ これは、「史上最も無能な指揮官」の皮を被った「現代の有能な指揮官」が、確定した敗北の運命をねじ伏せ、数万の命を救うために戦う、逆転の戦記ドラマ。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

還暦の性 若い彼との恋愛模様

MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。 そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。 その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。 全7話

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

処理中です...