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♯16「己が力に溺れる者」
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[西唐野中学校・多目的教室]
創作物でよく使われる「波動」という表現が、いまいちよく分かっていなかった。青白い光が波のように動く様を一般的にそう表現するのだろうが、これまでに実感した事がないのであまりピンとこない。
だが実際にそれが身体を襲った時、真っ先に脳裏に浮かんだ言葉は「波動」の一言だった。リーダーを原点として、紅蓮の殺気が肌を斬り裂くように波紋を形成する。
「リーダー、目を覚ませ!」
「敵…敵敵敵敵敵ッ!みんな敵だアァァ‼︎」
半狂乱になって声帯を荒々しく揺らす。紡の声が通るはずもなく、逆に気圧されてその場に跪いてしまった。間違いない。これは予兆だ。心のリミッターが壊れたことにより、心を守っていた纏が暴走を始める予兆。かつて美久の纏を目の当たりにした時にも同じものを感じた事がある。
「カズ、逃げて!」
「…………っ」
彼は腰を抜かしてしまったらしく、すぐにはその場を離れられそうになかった。おそらくカズの目にリーダーの纏は見えないだろう。だとすればまず、見えない脅威から彼を逃す事が先決だ。
「カズ!」
リーダーと違い、幸いにも彼には紡の声がきちんと届いた。こちらを振り向くが、いやに手足が震えて上手く立ち上がれない。かくゆう紡もほぼ同じ状態で、僅かに症状は軽いもののパニック思考である事に変わりはなかった。
(ど、どうする?とにかく纏を出させないようにするしか……いやどうやって⁉︎)
まあ待て落ち着け。脳リソースは限られている。まずは状況整理だ。位置関係からはっきりさせよう。紡,リーダー,カズの三人は、教室の奥から順番に位置している。出入り口に一番近いのはカズだが、走り去るにはまだ時間がかかるだろうな。
視界をぐるりと見回しても、目に入るのは電灯の無い証明に、埃でくぐもった磨りガラス——ん、なんだあれ…一枚のガラスの向こう側に、見覚えのある黒っぽい人影が……
「手始めにお前から潰すッ!」
リーダーは金切り声を上げ、骨ばった首を回してこちらを見た。蛇に睨まれた蛙とはよく言ったもので、獲物に目をつけられたかのようにハッとすくみ上がる。その一瞬の隙が仇となった。
「……ウオォォボオォエェェェッ!」
憎しみの籠った低い唸り。空間すら揺るがすようなその声は、無論人間から発せられるものではない。「纏」のお出ましだ。
「近づくなッ!オレは…俺は…おれは………」
リーダーが純黒に淀んだ瞳をつねり上げた瞬間、白衣を揺らす纏が彼の心からふわりと浮上した。その造形はまるで…
「ご、幽霊⁉︎」
初見の印象は単純なイメージだ。曖昧だった美久の纏とは違い、ぼろぼろの白衣をゆらめかせるその姿ははっきりと「亡霊」や「妖怪」へと結びつく。長い黒髪に隠れた顔は頬骨が痩せこけ、口が引き攣って三日月型を作っている。手腕も肉の隙間から骨が見えており、白化粧でもしているのかというぐらい蒼白していた。
「?……なんだろうこの既視感。どこかで見たような…?」
霞の奥に映るような淡い記憶じゃない。覚えがあるのは比較的最近だ。というか、最早その人をモチーフにして作られたんじゃないかという程に、似ている。雰囲気が近いんだろうか。
大きく違う点があるとすれば、片手が深緑色に腐食しているという事だろう(そんな風になってた記憶ないし)。
そしてあの人はもっと……全体的に綺麗だ。手足はスラリと長く、淡い血のピンク色が指先まで通っている。服の上からでも分かるほど全身の肉付きも良い。冷淡且つ見通すような瞳が、端正な顔立ちをより強調させるような…ともかく、こんな化け物と比べるべきではない。
そう本気で思っていた。だが……
「青年、しゃがめ!」
ミシッ…ミシミシッ……
横開きの出入り扉が微かに湾曲する。激しい忠告の直後、バゴオォォンという豪快な音と共に教室のドアは遠く弾け飛んだ。一文でまとめるには破壊力のある言葉だが、事態はそんな事では収まらない。
「ボルウウゥンッ!」
突進でドアを吹っ飛ばしたのは、藍色の巨体を持つ象の「纏」だった。軽自動車サイズのソレは勢いよく多目的室を突っ切り、直線上に位置する幽霊の纏を壁際まで突き飛ばした。おまけにしゃがまなかったリーダーをも掠め、その場に躓かせる程だ。
「ひ、ひえええ⁉︎」
「大丈夫か?青年」
夕焼けを逆光に室内に入ってきたのは、言わずもがな旭だ。またとんでもなく派手なご登場だこと。
旭はリーダーとその纏を交互に見てから、安堵したように呟いた。
「どうやら間に合ったようだね」
「旭さん、なんでここに⁉︎」
今頃今朝出会った河原でダラダラしている事だろうと思っていたのに。旭はサングラスを指先で軽く下げ、両瞳を露にした。
「……少し気になることがあってね。それより君は?怪我とかしてない?」
驚いた事に、旭は紡の身を心配するような言葉を投げかけた。明日は霰でも降るんじゃなかろうか。
「貴様……貴様も俺の敵だな。みんなして俺を問題児扱いしやがる!許さねえ、今すぐブチ潰すッ!」
「オボォォォッ‼︎」
目眩を起こしながらもリーダーは立ち上がり、それに呼応して幽霊の纏も壁から体を起こす。服の周りを黒っぽい煙が再度巻き上がり、彼はプツンと意識を飛ばしてその場に崩れ落ちた。
「ボルル…」
ネイシャが不機嫌そうに歯軋りを返す。旭はその巨体を軽く撫でた。
「ふふっ。ああ、行っていいよ。いつも通り消えない程度に遊んでごらん」
ネイシャは「待て」から「良し」と命令された犬のように口角をあげ、未だ体勢を立て直せていない幽霊に噛みついた。その生々しさたるや、ちょっと目を逸らしたくなるレベルである。
「して青年。《一派》についての進捗は?」
「あ、はい」
紡はメモ帳とボールペンを内ポケットから取り出し、初めの数ページを開いて手渡した。ざっくり内容を撫で読みし、「分かった」と一言添えてから再び返す。
「旭さん。あの纏って…」
「ん?」
差した指の先には、恐ろしく大きな口で獲物に食いかかるネイシャと身を捩ることしか出来ない幽霊の纏が組み合っている。紡が示したのは後者の纏だ。
「なんだあれ。私にそっくりじゃないか」
「ですよね⁉︎やっぱりそうですよね⁉︎」
さっきまではおどろおどろしくて観察なんて無茶な話だったが、後手に回った今ではてんで全てが分かる。暗い雰囲気と張り詰める圧迫感…流石に本人すら気付くレベルのそっくりさんだった。
「あ、もしかしてさっきの「気になること」ってそういう——」
「いや違う。これは…あれだな。昨日保健室の前で会った時の私のイメージだ」
昨日の保健室?えっ、じゃあ二人は既に出会ってたってコト⁉︎。
「纏は本人の心が構成する事がほとんどだ。イメージ次第で姿形が変化したり、もしくは全く違う纏になる可能性だってある。おそらく、私の脅しがちょっと効きすぎたんだろうな」
「いや、絶対効きすぎたどころじゃないでしょ!」
旭が…この幽霊に見えた?最悪トラウマになっていてもおかしくない。夢にまでコレが出てきたりしたらさすがに不憫だ。
「纏にはそれだけ、変動性と再現性がある。実際こういうのも少なくはない」
「は、はあ」
一体どれだけの人間の心に恐怖を植え付けてきたのか。それを本人に問いただす勇気は持ち合わせていなかった。
ふと目を離していた隙に、纏同士のバトルはラストスパートを迎えていた。見ていればいるほど、どちらが正義で悪なのか分からなくなる。化け物は両者とも自身の血と相手の返り血で塗れてしまい、何者かの判別すらつかないほど汚れてしまっていたからだ。
「お前ら。一体何者なんだよ……?」
ガタガタと震える足をなんとか踏みしめながら、カズはキョロキョロと辺りを見渡した。彼の目には、この惨状がどう見えているんだろう。紡には二体の纏が暴れるたびに血痕が飛散し、壁だの床だのがひしゃげていくのが視認出来た。
「君、まだ逃げてなかったのかい?悪いけど上手く説明出来ないな」
「そりゃあ、俺にだって色々と説明してないんですからね」
紡がピシッとツッコミを入れる。いや別にボケでも無かったし、ましてやツッコミなんて高度な行動でもないんだけど。
「…それはそうと、カズ。早く逃げた方が良いよ。あれは俺ら纏素人に扱える相手じゃない」
正直な話、今すぐここから離れたい。紡の仕事はあくまでも潜入調査。ここからは旭さんの出番だ。そう思って震えるカズに肩を貸してやったが、彼はそれを優しく振り払った。
「………逃げるもんかよ。あいつは、俺の親友なんだ」
河原部 和の言葉は、身の安全を前提としたものではなかった。纏を体外へ放出し、骸のように床に寝転ぶリーダーの方を向いている。
「《一派》は俺のせいで暴走しちまった。今度は…俺が……」
「まさか。君のせいじゃないよ」
旭はカズを尻目にネイシャの方を向いた。
聞こえてくるのは象の纏がバリボリと骨を噛み砕く音と、幽霊の纏が痛みに悶えて助けを乞う声ぐらいである。ネイシャは敵の背中にのしかかり、両手を足で固定した上でその肉体を喰らっていた。戦いというより捕食だ。
「ほい。そこまでだネイシャ。後は休んでて」
「ボルゥッ」
体を動かせて満足したのか、纏はすんなり旭の言葉を聞くと彼女の心臓の辺りへ吸い込まれた。その情景は奇妙すぎて形容出来ない。紡の目からは、何処となく取り憑くかのような異様な印象すら覚えた。
「オォォォ……」
顎を砕かれて声が出ないらしく、幽霊の纏はぺしゃんこになった腕を少し動かすので精一杯のようだった。旭さんのネイシャが強いのか、リーダーの纏が弱かったのかはよく分からない。
次回「情けに気が付く者」
創作物でよく使われる「波動」という表現が、いまいちよく分かっていなかった。青白い光が波のように動く様を一般的にそう表現するのだろうが、これまでに実感した事がないのであまりピンとこない。
だが実際にそれが身体を襲った時、真っ先に脳裏に浮かんだ言葉は「波動」の一言だった。リーダーを原点として、紅蓮の殺気が肌を斬り裂くように波紋を形成する。
「リーダー、目を覚ませ!」
「敵…敵敵敵敵敵ッ!みんな敵だアァァ‼︎」
半狂乱になって声帯を荒々しく揺らす。紡の声が通るはずもなく、逆に気圧されてその場に跪いてしまった。間違いない。これは予兆だ。心のリミッターが壊れたことにより、心を守っていた纏が暴走を始める予兆。かつて美久の纏を目の当たりにした時にも同じものを感じた事がある。
「カズ、逃げて!」
「…………っ」
彼は腰を抜かしてしまったらしく、すぐにはその場を離れられそうになかった。おそらくカズの目にリーダーの纏は見えないだろう。だとすればまず、見えない脅威から彼を逃す事が先決だ。
「カズ!」
リーダーと違い、幸いにも彼には紡の声がきちんと届いた。こちらを振り向くが、いやに手足が震えて上手く立ち上がれない。かくゆう紡もほぼ同じ状態で、僅かに症状は軽いもののパニック思考である事に変わりはなかった。
(ど、どうする?とにかく纏を出させないようにするしか……いやどうやって⁉︎)
まあ待て落ち着け。脳リソースは限られている。まずは状況整理だ。位置関係からはっきりさせよう。紡,リーダー,カズの三人は、教室の奥から順番に位置している。出入り口に一番近いのはカズだが、走り去るにはまだ時間がかかるだろうな。
視界をぐるりと見回しても、目に入るのは電灯の無い証明に、埃でくぐもった磨りガラス——ん、なんだあれ…一枚のガラスの向こう側に、見覚えのある黒っぽい人影が……
「手始めにお前から潰すッ!」
リーダーは金切り声を上げ、骨ばった首を回してこちらを見た。蛇に睨まれた蛙とはよく言ったもので、獲物に目をつけられたかのようにハッとすくみ上がる。その一瞬の隙が仇となった。
「……ウオォォボオォエェェェッ!」
憎しみの籠った低い唸り。空間すら揺るがすようなその声は、無論人間から発せられるものではない。「纏」のお出ましだ。
「近づくなッ!オレは…俺は…おれは………」
リーダーが純黒に淀んだ瞳をつねり上げた瞬間、白衣を揺らす纏が彼の心からふわりと浮上した。その造形はまるで…
「ご、幽霊⁉︎」
初見の印象は単純なイメージだ。曖昧だった美久の纏とは違い、ぼろぼろの白衣をゆらめかせるその姿ははっきりと「亡霊」や「妖怪」へと結びつく。長い黒髪に隠れた顔は頬骨が痩せこけ、口が引き攣って三日月型を作っている。手腕も肉の隙間から骨が見えており、白化粧でもしているのかというぐらい蒼白していた。
「?……なんだろうこの既視感。どこかで見たような…?」
霞の奥に映るような淡い記憶じゃない。覚えがあるのは比較的最近だ。というか、最早その人をモチーフにして作られたんじゃないかという程に、似ている。雰囲気が近いんだろうか。
大きく違う点があるとすれば、片手が深緑色に腐食しているという事だろう(そんな風になってた記憶ないし)。
そしてあの人はもっと……全体的に綺麗だ。手足はスラリと長く、淡い血のピンク色が指先まで通っている。服の上からでも分かるほど全身の肉付きも良い。冷淡且つ見通すような瞳が、端正な顔立ちをより強調させるような…ともかく、こんな化け物と比べるべきではない。
そう本気で思っていた。だが……
「青年、しゃがめ!」
ミシッ…ミシミシッ……
横開きの出入り扉が微かに湾曲する。激しい忠告の直後、バゴオォォンという豪快な音と共に教室のドアは遠く弾け飛んだ。一文でまとめるには破壊力のある言葉だが、事態はそんな事では収まらない。
「ボルウウゥンッ!」
突進でドアを吹っ飛ばしたのは、藍色の巨体を持つ象の「纏」だった。軽自動車サイズのソレは勢いよく多目的室を突っ切り、直線上に位置する幽霊の纏を壁際まで突き飛ばした。おまけにしゃがまなかったリーダーをも掠め、その場に躓かせる程だ。
「ひ、ひえええ⁉︎」
「大丈夫か?青年」
夕焼けを逆光に室内に入ってきたのは、言わずもがな旭だ。またとんでもなく派手なご登場だこと。
旭はリーダーとその纏を交互に見てから、安堵したように呟いた。
「どうやら間に合ったようだね」
「旭さん、なんでここに⁉︎」
今頃今朝出会った河原でダラダラしている事だろうと思っていたのに。旭はサングラスを指先で軽く下げ、両瞳を露にした。
「……少し気になることがあってね。それより君は?怪我とかしてない?」
驚いた事に、旭は紡の身を心配するような言葉を投げかけた。明日は霰でも降るんじゃなかろうか。
「貴様……貴様も俺の敵だな。みんなして俺を問題児扱いしやがる!許さねえ、今すぐブチ潰すッ!」
「オボォォォッ‼︎」
目眩を起こしながらもリーダーは立ち上がり、それに呼応して幽霊の纏も壁から体を起こす。服の周りを黒っぽい煙が再度巻き上がり、彼はプツンと意識を飛ばしてその場に崩れ落ちた。
「ボルル…」
ネイシャが不機嫌そうに歯軋りを返す。旭はその巨体を軽く撫でた。
「ふふっ。ああ、行っていいよ。いつも通り消えない程度に遊んでごらん」
ネイシャは「待て」から「良し」と命令された犬のように口角をあげ、未だ体勢を立て直せていない幽霊に噛みついた。その生々しさたるや、ちょっと目を逸らしたくなるレベルである。
「して青年。《一派》についての進捗は?」
「あ、はい」
紡はメモ帳とボールペンを内ポケットから取り出し、初めの数ページを開いて手渡した。ざっくり内容を撫で読みし、「分かった」と一言添えてから再び返す。
「旭さん。あの纏って…」
「ん?」
差した指の先には、恐ろしく大きな口で獲物に食いかかるネイシャと身を捩ることしか出来ない幽霊の纏が組み合っている。紡が示したのは後者の纏だ。
「なんだあれ。私にそっくりじゃないか」
「ですよね⁉︎やっぱりそうですよね⁉︎」
さっきまではおどろおどろしくて観察なんて無茶な話だったが、後手に回った今ではてんで全てが分かる。暗い雰囲気と張り詰める圧迫感…流石に本人すら気付くレベルのそっくりさんだった。
「あ、もしかしてさっきの「気になること」ってそういう——」
「いや違う。これは…あれだな。昨日保健室の前で会った時の私のイメージだ」
昨日の保健室?えっ、じゃあ二人は既に出会ってたってコト⁉︎。
「纏は本人の心が構成する事がほとんどだ。イメージ次第で姿形が変化したり、もしくは全く違う纏になる可能性だってある。おそらく、私の脅しがちょっと効きすぎたんだろうな」
「いや、絶対効きすぎたどころじゃないでしょ!」
旭が…この幽霊に見えた?最悪トラウマになっていてもおかしくない。夢にまでコレが出てきたりしたらさすがに不憫だ。
「纏にはそれだけ、変動性と再現性がある。実際こういうのも少なくはない」
「は、はあ」
一体どれだけの人間の心に恐怖を植え付けてきたのか。それを本人に問いただす勇気は持ち合わせていなかった。
ふと目を離していた隙に、纏同士のバトルはラストスパートを迎えていた。見ていればいるほど、どちらが正義で悪なのか分からなくなる。化け物は両者とも自身の血と相手の返り血で塗れてしまい、何者かの判別すらつかないほど汚れてしまっていたからだ。
「お前ら。一体何者なんだよ……?」
ガタガタと震える足をなんとか踏みしめながら、カズはキョロキョロと辺りを見渡した。彼の目には、この惨状がどう見えているんだろう。紡には二体の纏が暴れるたびに血痕が飛散し、壁だの床だのがひしゃげていくのが視認出来た。
「君、まだ逃げてなかったのかい?悪いけど上手く説明出来ないな」
「そりゃあ、俺にだって色々と説明してないんですからね」
紡がピシッとツッコミを入れる。いや別にボケでも無かったし、ましてやツッコミなんて高度な行動でもないんだけど。
「…それはそうと、カズ。早く逃げた方が良いよ。あれは俺ら纏素人に扱える相手じゃない」
正直な話、今すぐここから離れたい。紡の仕事はあくまでも潜入調査。ここからは旭さんの出番だ。そう思って震えるカズに肩を貸してやったが、彼はそれを優しく振り払った。
「………逃げるもんかよ。あいつは、俺の親友なんだ」
河原部 和の言葉は、身の安全を前提としたものではなかった。纏を体外へ放出し、骸のように床に寝転ぶリーダーの方を向いている。
「《一派》は俺のせいで暴走しちまった。今度は…俺が……」
「まさか。君のせいじゃないよ」
旭はカズを尻目にネイシャの方を向いた。
聞こえてくるのは象の纏がバリボリと骨を噛み砕く音と、幽霊の纏が痛みに悶えて助けを乞う声ぐらいである。ネイシャは敵の背中にのしかかり、両手を足で固定した上でその肉体を喰らっていた。戦いというより捕食だ。
「ほい。そこまでだネイシャ。後は休んでて」
「ボルゥッ」
体を動かせて満足したのか、纏はすんなり旭の言葉を聞くと彼女の心臓の辺りへ吸い込まれた。その情景は奇妙すぎて形容出来ない。紡の目からは、何処となく取り憑くかのような異様な印象すら覚えた。
「オォォォ……」
顎を砕かれて声が出ないらしく、幽霊の纏はぺしゃんこになった腕を少し動かすので精一杯のようだった。旭さんのネイシャが強いのか、リーダーの纏が弱かったのかはよく分からない。
次回「情けに気が付く者」
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