マトイマトワレ

クリオネ

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♯18「吐き出す者」

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 [西唐野街・コンビニ前]

 出入り口の自動ドアが静かに開き、何やら色々と購入したらしい旭が出てくる。夕餉の会計を終わらせたようだ。
「遅くなって悪いね。ホットスナックのチキンがラスト一個でさ。大きな空っぽのケースにぽつんとしてたら、無性に買って助けたくならない?」
「助け……?。まあ、言いたい事ことはなんとなく分かりますけど」
 旭はコンビニのロゴがプリントされたほかほかのチキンを顔の高さに掲げた。田舎町このまち唯一のコンビニなだけあって、品揃えは微妙だが客はそこそこ訪れる。空調も効いているしバス停も近いので、遠方へ遊びに行く時の待ち合わせ場所として特に学生は重宝しているのだ。
 いずれ夕飯となるチキンをしまい、缶コーヒーに手を伸ばす。紡も通学バッグから今朝受け取った缶のジュースを取り出し、同時にカシュンッと上蓋の外れる甲高い音を響かせた。
「改めて。お疲れ、青年」
「お疲れ様です。旭さん」
 二つの缶が軽く擦れ、軽快な音色を奏でる。紡と旭はお互いの住まい(アパートと橋の下)へと並んで歩き出した。
「んん~。やっぱり夕飯はコンビニチキンに限るね」
 黄金色の衣を光らせる揚げ鶏に思うがまま齧り付く。秘められたジューシーな肉質の間を伝い、肉汁の大滝が喉を、歯茎を、舌を潤す。大口でガブリとチキンを貪るその姿は、どうにも旭越しの夕焼けとマッチしていた。
「……あの、旭さん」
「?」
 紡はふわりと鼻をくすぐる魅惑の鶏肉の薫りにギリギリ耐え、胸中の疑念を吐き出す決断をした。いまだ喉の奥に存在する小骨のような違和感とはまた違う、それ以前からずっとあった疑問だ。
「旭さんはその、纏を殺した事はあるんですか?」
 ———。明らかな沈黙。衝撃によって息を呑んだ、という解釈で間違い無いだろう。横顔を一瞥すれば、その視線はどこか遠くの虚空へと向いている。
 最初に疑念を抱いたのは、多分…美久の緑色のマトイに襲われた時だ。やけに纏との戦闘に慣れていた事、纏がなくなれば人間の心がどうなるか知っていた事、知っていて尚…最終手段として纏を殺めようと口にした事。
「……君がどんな答えを求めているのかはよく分かる。それを踏まえた上で、私は「肯定」を回答とさせてもらおう」
 旭は紡の予想(もしくは願望)に反し、突っぱねるような口調でそう告げた。この人は……初対面の印象通り、いやそれ以上に危ない人物だ。彼女は缶コーヒーを飲む手をぴたりと止める。
「もちろん、手が付けられなくなった場合に限ってね。出来れば穏便に解決したいと思ってるよ」
「——だからって、纏に手をかけていい理由にはならないでしょう!」
 両足をその場に固着させ、紡はカッとなって大声で言い返した。旭は数歩先まで歩いてからこちらを振り向いた。
「纏を殺したら、その人間の心すらも立ち所に破壊してしまう。一度完全に壊れた人間の心は、もう二度と復元する事は出来ない。それを教えてくれたのは旭さんじゃないですか」
 次々と口から吐き出る不満は一向に留まらない。ようやく息継ぎのために言葉を断ち切ると、彼女は白髪を揺らしてこちらを見た。
「ははっ。随分と月並みの反論だな」
 旭のそのせせら笑うような態度は、より紡の怒りを加速させた。腹私の辺りが微かに煮えるのを感じる。
「君はまだ何も知らない。纏の事も、私の事も。今はただの未知の怪物という認識だろうが、青年が考えているよりも纏は——」
「もう…良いです」
 また不明確な言葉の羅列…もううんざりだ。紡は繰り返す問答に辟易した表情を見せ、手中の缶ジュースをぐいっと思い切り飲み干した。空っぽになった缶を飲み口は上にして制服のポケットにねじ込む。
「ジュース、ありがとうございました」
「ああ。構わないよ」
 先行報酬はもう無い。旭との関わりは、これきりで終わりにしよう。下す手段として「結果的に人を殺す事になる方法」が選択肢にある以上、彼女とは距離を置いた方がいい。
「………さようなら」
「うん。それじゃ」
 旭は白々しく微笑んだ。傍らをすれ違う瞬間に交わしたそのセリフが、丹露すら沈んだ暮れ空にふわりと浮かんだ。


 その後帰宅してからも、旭の最後に見せた笑顔が脳裏から離れなかった。
布団に潜り、天井を見上げる。
街の灯りに埋もれた満点の星空の下で、紡は勘案を繰り返した。
何故、あんなにも悲しそうに眉を顰めていたのだろう。
何故、紡の質問に律儀に答えを返したのだろう。何故——





 [西唐野中学校・2ー3教室]

 翌日の昼。紡は冴えない眠気と戦っているかのような感覚を覚えた。実際は思考がまとまらずいるだけなのに、他責の念が自然と湧いて出てくるぐらいには気持ち的にまいっていたのだ。
「…………」
 不思議と味のしない給食を胃に収め、お盆上の空白のお椀をスッと見下ろす。今日のメニューは決して苦手な内容じゃなかった筈なんだけど。
「九、回、目」
 と、同班の初奈の甲高い声が稲妻のようにひた走る。区切った最後の言葉と同時に、彼女は右手に掴んだ箸の先をクルッとこちらへ向けた。
「初奈、箸を人に向けるな。行儀悪いぞ」と隼人。
「だってこいつ一日中変なんだもん。いつもは給食命のクセして、一丁前に落ち込んでさ」
「悪かった。今度は大袈裟に落ち込む事にするよ」
 苦笑い気味に軽口を返す。そのぐらいの気力はあるようで自分ごとながら一安心だ。
「……まあ、それに関しては同感だな。紡が何か真剣に考えてる時なんて無いし」
「悪かった。次からはもっと適当に悩むよ」
ってかそんなに悄然が似合わないのか?と続け様に尋ねる。見かねた初奈はその質問を突っぱねて聞き返した。
「何。なんかあったわけ?言いたくないなら無理には聞かないけど」
 パックの牛乳をストロー越しに飲み干し、ランチタイムに終止符を打つ。旭の事、纏の事、《一派》の事…どれを欠いても説明は難しいか。紡は一瞬悩んだが答えることは無く、首を振ってははっと笑って誤魔化した。
「別に何でもないよ。ほら、明日からゴールデンウィークだしさ」
悟られないよう口から飛び出したのは、せわしい学生待望のである。そう、ついにやって来るのだ。新学期初の大型連休……黄金の休暇週間ゴールデンウィークが!。
学舎という呪縛からしばし解き放たれ、自由という黄金以上に価値あるものを得る事が叶う。そんな毎年の伝説が、今年も普段通り催される事になった。こんなの悩んでいる場合じゃ——
「ああ。ほんと嫌になるよな」
隼人が思っていたのとは真逆のリアクションをとる。重ねて首肯した所を見るに、どうやら初奈もそちら側のようだ。
「表面上は休みの皮を被ってるけど、その実態は部員を部活に狩り出すための連休にすぎない。実際、ゴールデンウィークは一日中ずっっっと練習だしな」
バスケ部の隼人に続いて、陸上部の初奈も激しく首を振る。
「私もわたしも!練習が嫌な訳じゃないけど、ちょっとぐらい休みを満喫させてほしいよね~。せっかくの長期休暇なんだからさ」
……なるほど。そういう意見もあるのか。どうやら二人とも、部活動やクラブ活動等に精通してこなかった紡には到底理解出来ない次元にあるらしい。
「あ、でも連休初日は午前練だけだったかも」
初奈は自分の通学鞄を漁り、プリントが数枚挟まった桃色のクリアファイルを取り出した。表面には真っ白のマスキングテープが貼られており、大雑把な字体で「部活」と記されている。難なく目当てのモノは見つかったようで、空の給食を傍らに一枚の日程表のプリントを広げた。
「やっぱりそうだ。明日は午前までだね」
数年の歳月をかけて日に焼け続けた彼女の指先が、プリントの該当する文字にスッとエア下線を引く。隼人は
「嘘だろ……俺なんて一日練が五日だぞ。ありえねえ」
「いや私もそんな変わんないから。はあぁ、舞い込んだ貴重な休み、どうやって過ごそうかな」
紡はすぐさま思った。どうせ初奈のことだ。きっとGWの宿題が溜まり込んでいるに違いない(紡は配られたその日に終わらせた)。きっとそれの消化に当たるんだろう、と。だから彼女の口から
「そうだ。久々にどっか遊び行こうよ、みんなで!」なんて言葉が出た時は、かつてなく自分の耳を疑った。



[???:燃え盛る炎の中]

 気がつくと、私は紅蓮の火を前にして腰を抜かしていた。熱い。痛い。ここは何なのか、誰が何処にいるのかも分からない。……いや、前者の答えは簡単だ。
仄の黒い煙の向こうに、見覚えのある象のぬいぐるみが転がっているのが見える。ここは私の「家」だ。それを思い出した瞬間、凄まじい量の後悔のノイズに苛まれた。
どうして救えなかった?
どうして守れなかった?
どうして戦えなかった?
どうして死ねなかった?
奥歯を噛み締め、ハッと上を見る。炎の塊が大きな渦を成し、こちらへ直進してきていた。慌てて立ち上がり渦が来た方を見れば、黒髪の小学生ぐらいの少年がじっとこちらを見つめ返した。
「…………」
少年は何も言わない。ただ己の炎を操り、私の「家」を無惨にも破壊し続けるだけだ。前髪に走る青いメッシュの奥には、まるで人のものは思えないほど狂気に満ちた人間の瞳孔があった。

——刹那、机の上でハッと目が覚める。夢を……見ていたのか。上手く思い出せないが、何か大事なことだった気がする。
「…疲れているのか」
卓上にはペンやら紙やらが散らばっており、その上に覆い被さるようにして仮眠ねむっていたようだ。
 気分はあまり良くない。となれば、思い当たる節はたった一つだ。どうして今更……いや、そんな事もないか。
[ジリリリンッ。ジリリリンッ]
 その時、机の隅に置かれた黒電話がけたたましく鳴り出した。寝ぼけ眼を擦り、うんと手を伸ばして受話器を取る。
電話の向こうでは、やけに緊張を感じる声が何やら意を決していた。その必死さがどこかおかしく、ふふっと微笑みを漏らす。
「はい。では、集合は13時に」
そう告げて依頼の電話を切り、グッと背伸びをしてみる。今日は一日忙しくなるぞ、と心の中で気合を入れ、お気に入りの香水を幾度か服にまぶす。ビターなチョコレートの香りを僅かに纏いながら、彼女は建物の古びた扉を開いた。

次回「ショーウィンドウに企てる者」
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