マトイマトワレ

クリオネ

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♯25「根拠なき噂を介す者」

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 「ドッペルゲンガー」という都市伝説を聞いた事があるだろう。
「この世界には自分と瓜二つの人間がもう一人存在し、そのと邂逅すれば最後、命を落とす」
あまりに有名な話だが、実際にその被害を受けたと断定される者は今の所いない。所詮は都市伝説、所詮は噂話だ。



[約一時間前 白凪家・自室]

……………………。
…………………………………。
…………………………………………………………暇だ。
 今日はゴールデンウィークの三日目。系六日間ある連休の折り返しにあたる地点だ。窓の外で近所の子供の駆け回る声が聞こえる。もうじきお昼時だ。春の暖かな陽気が部屋の隅々へと溶け込み、何かしなければと高ぶる思考を停止させる。
 「時間」という貴重な資源を贅沢に用い、敷布団の中で謳歌する惰眠こそが休日の正しい使い方だ。勿論これは現実から目を逸らすための言い訳ではなく、疲労回復によく効くという科学的根拠があっての事だ。いわば幾千の戦場を生き延びてきた勇敢な戦士への、ご褒美というか…そう、充電のようなものなのだ。
 とはいえ日頃の疲れなんてものはとっくに回復している。そもそもそんなに疲れていなかったというのはここだけの話だ。そろそろ起きて晩飯用に作り置きをしないと。
………………しかし、肝心のやる気が出てこない。何故だ?やらなきゃいけない事は思い浮かぶのに。いつものように立って行動を起こすだけで良い。鉛のように重くなった全身は、地面に吸い寄せられるように微動だにしない。
(布団か?布団の引力なのかっ⁉︎)
マズい…このままでは「猫は液体」以来の謎理論、「布団引力説」が提唱されてしまう!
ただ紡が怠惰が故に!と寝転がりながらも体勢を大きく逸らしたその時。
ジリリィィン、、ジリリィィン、、ジリリィィン、、‼︎
「おっ?」
甲高い固定電話の音がけたたましく鳴り響く。今の時間は母も仕事でいないため、紡は纏った布団を蹴るように飛び起きた。
ガチャッー「もしもし?」
{——あ、もしもし。青年かい?}
「青年」というその呼び方だけで、相手が誰かという想像は容易だ。電話口にいるであろう女性に向けて、紡は目をぱちくりさせた。
「どうも旭さん。えーっと、もしかして早速仕事ですか?」
先日和解と同時に正式な彼女の助手となった紡だったが、流石に1日たらずで依頼が舞い込んでくるとは思ってもいない。旭は姿は見えないが首を振った。
{うん。話が早いね。名刺に住所が書いてあるだろう?一時間以内に来たまえ。内容は後で話す}ガチャンッ。ツー、、ツー、、
き、切られてしまった…。まあ良いか。依頼内容は機密事項だろうし。ってかそれより、今一時間以内とか言ったか?これまたとんでもない要望を提示してくる上司様だよ。
「場所は…北唐野だっけ」
メモ帳に挟んでいた名刺を確認し、そのまま閉じて再度ポケットに入れる。早いとこ身支度を済ませないと。
北は峠を一つ越える必要があるため、アパートのある西唐野からではバスでも結構な時間がかかってしまうのだ。
「財布、鍵、ペンとメモ帳…」
昨日の天気予報曰く今日は快晴らしいし、雨傘はいいや。
「よし。着替えたら行きますか」
紡は微睡みも忘れ、清々しい気分で玄関の扉を開けた。暇を持て余すことこそが休日とは言ったが、それを越えるという楽しさも備えている事を忘れてはならない。
 鼠色の空を南の空に一瞥したが、紡は大した緊張も抱かず、目的の建物へと歩みを進めた。



[北唐野街・バス停付近]

 唐野市全体を東西南北に分けた時、ここ「北部」は一番他市への連絡網が発達している街だといえる。
 説明すれば長くなるが、紡達の住んでいる某市には大きめの山並みが東西へと走っており、その向こうは全く違う市が広がっている。何故山の向こう側までを「唐野市」と括ったのか、なんて事は当然知らない。まあとりあえず言えるとすれば、多方面へ頻繁に移動する人はこの辺りに居を構えた方が良いんだろう。
 紡は名刺を取り出し、ちらちら睨めっこをした。コピー用紙を貼った台紙を、カードゲーム用のスリーブに収めただけの名刺だ。
「?。んあれ、この辺だ」
怪奇現象相談室と銘打っているぐらいだし、相当禍々しい建物だと思うのだけど。今の所、それらしいシルエットは見られない。
 ようやく旭のものらしいバイクを発見し、紡はそちらね近づいた。外観はやや主張が見られるものの、街の情景に完全に溶け込んでいる。色味はレンガの朱色がベースに、クリーム色の材木が所々に見られた。
 見覚えのあるバイクを頼りに建物へと近付くと、玄関口近くに古い看板が置かれているのが目に入る。

 怪奇現象相談室 ——見えないものには、導きを——

 ここか。建物の名前の横に墨字で書かれた…ポエム?のような何かは一旦スルーしよう。旭から何度も話には聞いていたが、正直本当に実在するんだという気持ちがだいぶ大きかった。何故だか固唾を呑んでしまう。
呼び鈴と思われる押しボタンを押すと、鉄扉の向こうでインターホンが鳴る音が聞こえた。直後、くぐもった「いらっしゃい」という聞き慣れた声も続く。外気に晒されてひんやりしている金属製のドアノブをわしっと掴み、紡は勢いを込めてそれを引いた。
真っ先にタバコの臭いが鼻先を釘刺しにし、補うようにビターチョコの香水が存在感を露わにする。
 黒っぽい木の上に敷かれたシックなカーペットを辿り、部屋の中央に目を向ける。おそらく依頼人との話をするであろう、向かい合った椅子ソファと机の奥——壁際の特別大きな本棚の辺りに、彼女の姿はあった。
「……やあ青年。遅かったじゃないか」
「来ただけ感謝してください」
軽口には軽口を返す。旭は難なくその冗談を許容し、何かを含んだかのように微笑んだ。

***
紡は革製のソファにそっと腰掛け、ぐるりと部屋を見回した。壁一面の棚に敷き詰められた本、壁紙や装飾が織りなすシックな雰囲気……視覚的な情報もさることながら、謎に威厳を纏った流木などの細々した置物等から感じるのは「かっこいい」という本能的な部分だった。
 大きな窓から射す光がガラスの水鉢を照らし、悠々と泳ぐ二匹の金魚を浮かび上がらせる。旭が生き物を飼っていたのは衝撃だ。動物を愛護する考えがあったなんて。
「今、失礼なこと考えてる?」
「いやいやまさか!」
奇異な目で眺めていたのがバレたか。揶揄うような目を見て慌てて話題を逸らす。
「にしても…結構広いんですね」
「だろう?自分でも気に入っているよ。…まあ、全部が私の趣味ってわけでもないが」
旭はほんの少し悲しそうな顔をしたあと、発煙する紙煙草を口に咥えた。これ以上の詮索は無し、という意味だろう。
「……それで、依頼の内容は?」
「これから聞くところさ」
旭は器用に口を開き、タバコの隙間からはっきり聞こえる声で言った。これからって…と聞き尋ねるより先に彼女のレスポンスが飛んでくる。
「実のところ、依頼人との待ち合わせより君の方が早く着いちゃったんだよ。まあ君にもこの場所に慣れてもらいたかったし、結果オーライかな」
結果オーライって事は、予想外だったんですね。…まあでも、この空間にあるのは男心をくすぐるものばかりだ。
じっくり観察出来るのは、正直ありがたい。

 突如「ピンポーン」とインターホンが鳴り、紡はリアルな猫の置物から手を離した。ふわふわなだけではない、所々ゴワついた動物感のある毛並みより、今は呼び出しベルの鳴らし主の方が重要だ。
「入ってらっしゃい」
本棚をいたずらに整理しながら、旭は外にも聞こえるぐらいに声を張った。やがて先刻の紡と同じように扉を押し開け、依頼人がそっと入ってくる。
 黒髪のロングヘア、眼鏡の奥の冷たい視線…紡は驚いた。その風体には見覚えがあったからだ。
「こんにちは」
「こん…えっ、澁谷さん⁉︎」
扉から顔を覗かせたのは澁谷 美久だった。つい先日まで《一派》による嫌がらせの対象者だった少女だ。そういえばあの一件以降、ちゃんと会って話してはいなかった気がする。
「はれ、あの時の!」
美久は驚いた顔でこちらを見た。あの時の…そうか。たしかまだ名前言ってなかったっけ。…と、そんな事はどうだって良い。まずは旭に確認しないと。
「旭さん。彼女が依頼人なんですか?」
「ううん。彼女はここの存在を教えてあげただけ。依頼人は——」
「ちーっす!お邪魔しまーす!」
溌剌とした声は、美久の更に向こうから聞こえてきた。声からして初奈ではないが、なんとなく要素として近い気がした。
 数秒後、扉の影からぴょんと白兎が飛び出した。いや、動作がうっすら似ていただけだ。その正体は明らかに人間…それも美久より少し高い背丈の少女だ。
「彼女が依頼人。君と同じ西唐野中学校に通う…大川 奈津おおかわ なつさんだ」
「初めまして!こんちゃ!」
紡は何が何だか、といった顔で返事をした。白いパーカーのフードからひょこっと生えた装飾が、うさぎの長い耳に見間違えたのだとその時気付いた。

次回「噂にとらわれる者」
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