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16話 元の世界へ(3)
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完全に終業の時間になり、私は6畳一間のアパートへ戻った。
そこは昨日も自分がいたように生活感に溢れ、自分が何日もここを離れて生活していたなんて信じられない。
(当然だよね、時間は1日だって経ってないんだから)
不思議な気分でお風呂を沸かし、小さな湯船に一人で入った。
お城の部屋に設置されていたお風呂はすごく広くて、アンリと二人で入っていても全く不自然はなかった。
洗ってもらった体には、まだ彼の指の感触が残っている気がする。
私を愛してると言った彼の声、必死にすがるように求めてくれた腕の強さ。全ての思い出が私の心を捉えて離してくれない。
「アンリ……っ」
お湯の中に涙がぽたりと落ちる音を聞いた途端、悲しみが次々に溢れてきた。この世界に戻っても何も心に変化がないのを実感する。
社長に優しくされても、それが上辺のものだと直感でわかってしまった。本気で私を心配するなら、体に触れるなんてしないはずだ。
アンリを失った自分は、すっかり心が欠けてしまった。もう何をしたってこの欠けた部分は埋まらないようにも思う。
(失恋というにはあまりにこの穴は大きいよ。一体どうやったら立ち直っていったらいいんだろう)
涙を拭いて、胸元に視線を下ろすと、見慣れないアザが浮かび上がるのが目に入る。一瞬驚くと共に一筋の光が見えた気がした。
「これはもしかして……紋章?」
それは、あちらへ行っていた時にいたるところで見たカリーナ王国の紋章だった。エリオが私の腕を確認して、解任したかどうかを確認したのを思い出す。
(腕じゃなく、胸に紋章が出るって、どういうことだろう。でも、何か意味があるからこうして浮かび上がってるんだよね?)
まさか自分は妊娠してしまったんだろうか。
お腹をさすってみるけれど、まだ特に何の兆候も見られない。
(今更子を宿したって、私はアンリから必要ないとされた女になったんだよ)
混乱した私は、急いでお風呂から上がり、着替えをすませるとベッドに横たわった。頭に血が上って、倒れてしまいそうだ。
「どうしよう……婦人科に行くべき?カリーナへ行ってから生理も来てないし……本当にどうなのか全然わからない」
ベッドの上で独り言をつぶやく。
アンリとの子が宿っているなら、一人で産んで育てたい気もする。お給料は多くないけれど、もっといい仕事を探してどうにか育てたい。
(簡単じゃないと思うけど、子どもがいるなら迷ってる場合じゃないよね)
決意を固めると、私は次の土曜日に婦人科へ行くことにした。
「特にそういった兆候はありませんよ」
医師が私に告げた言葉は、あっさりしたものだった。
検査薬でも何も反応せず、エコーで見ても何もないという。実際つわりがあるわけでもないし、単に生理が遅れているというだけだ。
「そうですか……」
気が抜けた私は、ホルモン療法などの説明も受けたが治療は希望していないと言って病院を出た。
(アンリとの子は、宿ってなかった)
自分でもどうしてこんなにがっかりしているのかわからない。子どもを育てるなんて、大変でしょうがないのは目に見えている。
よかったじゃないかと思う一方で、幼いアンリが泣いている姿も思い返されていた。ずっと寂しい幼少期だった彼の代わりに、子どもを精一杯愛したいという気持ちも芽生えていたのは間違いない。
「あは……私、すごく、すごく……アンリが好きだったんだな」
何も宿っていないお腹をさすりながら、また涙が溢れてくる。
私は怖がりだった。
自分から愛する人を探すことを諦め、負け組だと自分に言い聞かせてどこか傷つくのを避けて逃げていた。
自分を惨めにしておく方が楽だったから。
でも、思いがけずアンリに見つけられ、不本意だったけれど異世界へ連れて行かれた。エリオから受けた女性になるための準備などはかなり理不尽だったし、喜ばしいものではなかったけど……それでも、結果的にアンリは私と恋をしてもいいと言ってくれた。
『愛してる』という言葉を、抵抗なく口にできるほどに私たちは心も体も近づいていたと思う。何より、アンリは私を求め、私はアンリの渇望に応えたかった。
(依存的な愛だったかもしれない。でも、そこに確かな幸せを感じていた……だから私はあのまま彼と一緒にいたかったんだ)
そこは昨日も自分がいたように生活感に溢れ、自分が何日もここを離れて生活していたなんて信じられない。
(当然だよね、時間は1日だって経ってないんだから)
不思議な気分でお風呂を沸かし、小さな湯船に一人で入った。
お城の部屋に設置されていたお風呂はすごく広くて、アンリと二人で入っていても全く不自然はなかった。
洗ってもらった体には、まだ彼の指の感触が残っている気がする。
私を愛してると言った彼の声、必死にすがるように求めてくれた腕の強さ。全ての思い出が私の心を捉えて離してくれない。
「アンリ……っ」
お湯の中に涙がぽたりと落ちる音を聞いた途端、悲しみが次々に溢れてきた。この世界に戻っても何も心に変化がないのを実感する。
社長に優しくされても、それが上辺のものだと直感でわかってしまった。本気で私を心配するなら、体に触れるなんてしないはずだ。
アンリを失った自分は、すっかり心が欠けてしまった。もう何をしたってこの欠けた部分は埋まらないようにも思う。
(失恋というにはあまりにこの穴は大きいよ。一体どうやったら立ち直っていったらいいんだろう)
涙を拭いて、胸元に視線を下ろすと、見慣れないアザが浮かび上がるのが目に入る。一瞬驚くと共に一筋の光が見えた気がした。
「これはもしかして……紋章?」
それは、あちらへ行っていた時にいたるところで見たカリーナ王国の紋章だった。エリオが私の腕を確認して、解任したかどうかを確認したのを思い出す。
(腕じゃなく、胸に紋章が出るって、どういうことだろう。でも、何か意味があるからこうして浮かび上がってるんだよね?)
まさか自分は妊娠してしまったんだろうか。
お腹をさすってみるけれど、まだ特に何の兆候も見られない。
(今更子を宿したって、私はアンリから必要ないとされた女になったんだよ)
混乱した私は、急いでお風呂から上がり、着替えをすませるとベッドに横たわった。頭に血が上って、倒れてしまいそうだ。
「どうしよう……婦人科に行くべき?カリーナへ行ってから生理も来てないし……本当にどうなのか全然わからない」
ベッドの上で独り言をつぶやく。
アンリとの子が宿っているなら、一人で産んで育てたい気もする。お給料は多くないけれど、もっといい仕事を探してどうにか育てたい。
(簡単じゃないと思うけど、子どもがいるなら迷ってる場合じゃないよね)
決意を固めると、私は次の土曜日に婦人科へ行くことにした。
「特にそういった兆候はありませんよ」
医師が私に告げた言葉は、あっさりしたものだった。
検査薬でも何も反応せず、エコーで見ても何もないという。実際つわりがあるわけでもないし、単に生理が遅れているというだけだ。
「そうですか……」
気が抜けた私は、ホルモン療法などの説明も受けたが治療は希望していないと言って病院を出た。
(アンリとの子は、宿ってなかった)
自分でもどうしてこんなにがっかりしているのかわからない。子どもを育てるなんて、大変でしょうがないのは目に見えている。
よかったじゃないかと思う一方で、幼いアンリが泣いている姿も思い返されていた。ずっと寂しい幼少期だった彼の代わりに、子どもを精一杯愛したいという気持ちも芽生えていたのは間違いない。
「あは……私、すごく、すごく……アンリが好きだったんだな」
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私は怖がりだった。
自分から愛する人を探すことを諦め、負け組だと自分に言い聞かせてどこか傷つくのを避けて逃げていた。
自分を惨めにしておく方が楽だったから。
でも、思いがけずアンリに見つけられ、不本意だったけれど異世界へ連れて行かれた。エリオから受けた女性になるための準備などはかなり理不尽だったし、喜ばしいものではなかったけど……それでも、結果的にアンリは私と恋をしてもいいと言ってくれた。
『愛してる』という言葉を、抵抗なく口にできるほどに私たちは心も体も近づいていたと思う。何より、アンリは私を求め、私はアンリの渇望に応えたかった。
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