斜陽街

日生ななめ

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三章 パンスペルミアの担い手

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「なあ聞いたか? 実働班は今日も道場で格闘訓練だとよ。異能事件も起きてないとはいえ、訓練訓練と呑気なもんだよな」
「……私はそんな事よりも、お前の情報線の多さにびっくりしているよ。お前、そんなどうでもいいことどこで拾って来てるんだ」


微かに声が聞こえる。聞こえるはずもない誰かの雑談が、突き刺すように吹きすさぶすきま風と共に、無音と極低温の中で放置されて、凍えきった鼓膜をくすぐった。
──この間の、妙な威圧感のある金髪の声じゃない──


「……羨ましいって話がしてぇのさ。はいいよな。給金も多い、司令部うえから一目置かれてる。顔もいい、スタイルもいい。おまけに特権持ちの異能力者だ。人の目さえ気にしなければ自由自在に空さえ飛べる。それに比べて俺たち地下警備員地下警備員もぐらは何だ……」
「ほお……その口ぶりからすると、要班長の『定期健診』……どころか、班長の裸も見た事無いんだろう。情報通が聞いて呆れるな」「いかに奴さんの顔がいいからって、野郎の裸に興味がある訳じゃないしな……ああ、って事は要さんの噂は真実か……」
「……ああ。財団上層部、戦闘部隊のトップといえど、所詮あの人は異能力者。被験体としての宿命は逃れられなかったんだろうさ……」


手も目も縛られたまま、雑談に耳をそばだて、肌を撫でる風に神経を尖らせる。
間違いない。声は隔壁一枚で隔たれた向こう側から聞こえる。風も声と同じ方向から吹いている。
そして、何より、隔壁に隙間がある事実に二人は気付いていない。
今しかない。を使えば逃げられる。何か、何かないか?


「……文字通り、始まりの異能力者。十年の月日をパルクールと異能の修練に費やした「寒風のヤマカシ」。発足当初で被験者ちょうさもと戦闘要員てあしもまるで足りない財団の中では、まさに虎の子だった」
「内臓やら体組織やらの調査の為に、体中に針刺されまくった後で、地上の異能者相手に棒振り回す『活躍』を毎日、一年近くも繰り返してたって聞いたぞ。そうか、そりゃあそんな生活してりゃ、あんな何考えてんのか分かんないゆるふわボケ野郎にもなるわな……次カフェで見かけたら、ケーキの一つでも奢ってやるか」
「いや、あれは元かららしいぞ。課長が『あの子は昔から変わらない』と言うような事をぼやいていた」「……マジ?」

 誰の話をしてるんだ、何の話をしてるんだ? 聞き耳を立てながら、を発動するタイミングを伺う。
 目隠しで遮られた暗黒の世界の中で、何にも触れられないよう、指を一つづつ丁寧に椅子に固定された手を、凍えきった体ご と揺らして、必死に探り回る。文字通り空を掴むような気持ちで、手を回す。
 何でもいい、何でも──!!
 途端、ばちりと何かが敗れるような小さな音が鳴る。固定させられていた椅子のバランスが崩れ、体が一気に地面へと吸い寄せられる。バランスをそろえる間も、状況を判断する間もなく、床に叩きつけられる痛みにがぁっ、と声が漏れる。
 扉の向こうで話し合っていた声が、ぴたりと止んだ。


 扉の向こう側から、がぁっ、と獣のような唸り声が聞こえた。
 拘束椅子と異能力者以外は何もないと聞いていた部屋で、がたんがたんと何かが壊れる音も聞こえた。喋る事すら出来ないと聞いていた部屋の住民が、か細い悲鳴を上げるのが聞こえた。
 一瞬だけ、隣で警棒を弄っていたバディと顔を合わせる。
 
 それからの判断は速かった。
「……李人さん……茜総長でもいいな。判断早いお偉方に内線かけて来る。判断はそっちに従うから、区画封鎖で閉じ込められても恨むなよ……室内の確認頼めるか?」
「無論だ。封鎖判断になったら毒ガスでも爆弾でも、プロの殺し屋でもなんでも申請してくれ。対応しやすいように俺も多少なり手を加えておく。無事に済んだら報告書書くの手伝えよ。……無事に済まなかったら、私のロッカー掃除しといてくれ」
 腰に下げられている大型の拳銃へと手を伸ばす。非殺傷用のゴム弾が詰め込まれた弾倉を引き抜き、足元へと投げ捨てる。

『万が一の為、秘密裏に用意した。勝手に使ったら相応の処分がある』
 そんな脅し文句を聞かされて渡された、実弾が装填された弾倉と、太い筒状の消音器を、貸与されたポーチの中から引っ張り出す。ずしりとした重み、弾倉の先端で鈍く輝く初弾、装弾数は九発。大丈夫。いつも通りだ。
 いくらでも色々なゲームでやってる。週一で練習もしている。何も怖がることは無い、焦る必要も無い。後輩の斎藤君だって、大先輩の要さんだってやっている事だ。
 ただ、今日、唐突に、俺の順番が回ってきただけだ。

「状態確認前に一つ。囚われのSM男、名をなんと言ったか?」
。身長6メートルで悪臭を放つ単眼の化け物とかだ、奴が死んで困るような事はないさ。バイオハザードとか、モンハンとかなら、殺されて当然のクリーチャーが居るだけだ。お前が手にかけて、それで気に病むような事なんかないさ」
「本当に、そうだといいんだがな……」
 隔壁の端へと駆け寄り、通常の壁との境目付近に設置されたカバーをこじ開け、暗記している十二桁の番号を、操作用のパネルに入力する。隔壁の端、緊急事態に備えて用意された小さなドアが、かちりと小さな音を上げた。
 拳銃を構え直し、背後に向けてハンドサインを送る。詳細は聞こえなかったが、ぼそぼそと電話の向こうへ何かを伝える声が耳に届く。ここまでは台本通り。後は部屋の中の異能力者バケモノがどう出るかだ。

 ノブに触れた瞬間、腕から脳へと電気を通されるような、軽い刺激が体内を迸る。
 この感触を味わった事がある。だ。要班長がして見せた技術だ。
 瞬間、身を翻し、バックステップの要領でその場から離れる。
 一秒程間を開けて、手をかけていた硬く分厚いドアが、内側から膨張したかのようにはじけ飛んだ。

 冷たく硬い鉄塊が、伸ばしていた腕を歪ませ、顎骨を叩き、勢いそのままに自分自身を巻き込んで後方へと吹き飛んで行く。
 勢いに任せて宙へと投げ出された体、痛みと衝撃と混乱でうまく回らない頭をよそに、様々な光景がスローモーションで目に飛び込んできた。
 吹き飛ばされる身体とドアに驚愕する相棒。鈍く光り続ける隔壁の向こう側。着の身着のまま幽鬼のように立ち上がる部屋の主。その傍らで、──
──なんだ、あれは──
 
 部屋の主と、地下の秘密収容所には余りにも不釣り合いな異物に気が付いた所で、背中が地面に叩きつけられた。ほんの数秒前までドアだった金属板が、数秒遅れてのしかかるように襲い掛かる。
 叩きつけられた衝撃で上手く動かない体で、奇妙な方向へ曲がったままの腕を引きずるように、素早く体を横にずらす。さっきとは比較にならないほど強い電流が腕に迸る。不格好に転がしたままだった足を、質量の暴力が掠めた。ずしん、ぐらりと軽い地響きが起きる。

「無事か⁉」「俺はいいから! 逃げた異能者を殺せっ!」軽く体を揺らしただけで、身体の節々に太く長い針を突き刺すような痛みが走る。痛みに、恐怖に、歯を食いしばって耐える。満身の力を込めて踏ん張り、を為すために、異能者を睨み付ける。
 痛みからか、恐怖からか、ともかくかたかたと震える手を振って、出口に向けて銃を構える。腕を伸ばした先には怪物が二体。
透けるような白い肌に、かちこちに固まった不衛生な長い髪。防寒着で着ぶくれしたみすぼらしい風体の男と、見たこともない謎の生物。
 大型犬程の大きさに、犀のような角ばった顔、歩けば折れてしまいそうな細くひょろ長い手足に、体躯に見合わない、胴の太さの倍はあろうかという、鋭く太い角を備えた、古い図鑑の『絶滅したいきもの』の欄に出て来そうな奇怪な生命体。

「……長い服の二人は殺していいよ」がさがさに乾ききった声で、青年が隣の化け物の角を撫で、静かに、確かに命令を下す。
化け物がふぁるる、と唸り、後ろ足で床を擦るように蹴るのが見えた。突進する気だ。
 拳銃を素早く、僅かにずらして、生まれた生物に向けて三発、連続で発泡する。
 がん、がん、がん。指先が爆発したかのような、短絡的で強烈な衝撃が腕全体を襲う。地下の巨大な密閉空間で、がんがんがん、がんがんがんがんと反響し続ける発砲音を聞きながら、念の為もう二発、弾丸を叩きこむ。
 獣がびぃぃぃ、と古い換気扇が震えるような、低く響く唸り声を上げる。死んだか? 死んでてくれ。
浅い息で小刻みに胴体を揺らす化け物を、冷たい表情で見つめ下ろす青年の眉間に向けて再び照準を合わせる。
「動くな! 横の……恐竜? のようになりたくなければ!」「……さっきから聞いてりゃ、人型だの、化け物だの……異能者は人間扱いもしてくれないんだね」
 辛うじてそのように聞き取れる声で、男が呟いた。ゆっくりと、全開に開いた左手を突き出す。肩が大きく上下するほど、深く強く息を吐いているのが見えた。
 その掌で防ぐ気か? 化け物も殺せた大口径の銃弾を? 避けられそうな異能者なら何人も知っているが、こいつもそうなのか?
 一瞬で思考が逡巡する。判断力を鈍る。撃って、いいのか?  
 掌越しに、覗き込むように表情をじっと見据えている異能力者の瞳が、嘲笑うかのように赤く脈動した。

「何やってんだ! 千歳ッ!」向けられた銃口と、照準越しの硬い表情に釘付けになっていた脱走者の背後で、警棒を構えた相棒──三澤が突進してくるのが見えた。
 両手で握りしめ、右肩近くに背負い込むようにして構えていた 警棒を、勢いに任せて異能者の首筋へと振り下ろす。
 細く長く硬いアルミ製の棒が、男の鎖骨の辺りへと食い込んだ。正面からは、やつれた男の表情の推移が、くっきりと分かった。目を剥き、歯を食いしばり、苦悶の表情を浮かべた異能者が、振り返って三澤に向けて吠えたてるような声を上げる。
「ッ……ってぇだろうがァ!!」僅かに膝を曲げた、不自然な姿勢から、異能力者は伸ばしていた掌を握りしめ、上体をぐるりと回して三澤の脇腹に拳を叩きこむ。
異能力者の肩越しに、相棒が見た事もない、痛みに歪んだ苦痛の表情を浮かべているのが見えた。
「ぐッ……汚い手で触んじゃねぇよクソカス野郎が!」
 怯みながら、ガラの悪い喚き声を上げながら、殴られた異能力者が、三澤の脇腹を横なぎに蹴り飛ばす。流石に姿勢を崩して異能力者も床に転がり、三澤も同時に殴られた脇腹を抑えてその場に崩れ落ちる。
 数メートルの間隔を開けて、直線状に三人が並ぶ。
 先頭には殴られた三澤、中段には蹴られた異能者。そして、最後尾には拳銃を構えて迷い続ける自分。
 よろめいた青年は無防備だった。みっともなく四つん這いになって、震える手で上体を起こそうと、躍起になっているように見えた。
 一方で、反撃を喰らった三澤も悶えていた。やせ細った青年にどれほどの力があったのかは分からないが、殴られた脇腹を抑えたまま、警棒を杖のように突き立て、動けないでいた。
 引き金に添えた指が震えた。胃の底を揺さぶれるような、不愉快な感覚が駆け巡る。打てば当たる。狙いが正確なら異能者に。そうでない場合は、後ろの三澤に。
異能力の状態を見てか、その向こうにいる俺の表情を見据えてか、苦しみながらもは覚悟を決めたようだった。
 がらがらにひび割れた声で、地下に絶叫が響く。「撃て、構うな、撃てェーッ!!」
 叫びが耳に届いたところ、悩みが迷いが、晴れる事は無かった。それでものしかかった使命感は倒れ伏す犠牲者の頭に照準を合わせ、確かに引き金を引かせた。
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