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2章 死窟にて
死窟にて
しおりを挟む帽子の幼い男児を抱いた少女のブロンズ胸像は、まだ、そのままの姿を留めて残っている。昔の賑わいは死に、昏い翳に覆われた駅のコンコースに、手勢二人を従えて足を踏み入れた賢には、キーゼルバッハを嬲る悪臭は馴染みのものだった。
国が定めた法律がまだ存在していた頃には、その法を違えたものであったものを、まだ成年に達しない齢の頃から扱ってきた。それに溺れた者達に、用足し場所の見当識はない。
賢は、フロアに点在する糞塊を踏まぬように避けながら、姉弟像前に立つ二人の男に向かって歩を進めた。
コンコースの東西南北の端には、襤褸と化した衣服をまとった男女が、数組に分かれて座り込み、フロアに敷いた段ボールに盛ったパウダーを鼻孔に当てて吸い込んでいたり、歯の抜け落ちた歯茎に注射針を刺している老人もいる。その老人は、若き日に入れたと思われる色鮮やかな彫物に覆われた上半身を露わにしている。その隣には、筋だけの半端な洋彫を入れた同じく半裸の男が、見開いた眼をぎらつかせ、きょろきょろと辺りを見回す挙動を繰り返している。
篠総業が扱う、その物には、扱わないものはないのだ。ブロンズ像前に立つ二人の男は、その物品の中間セルラーで、組織との契約の下に捌きを任せてきた人間達だった。
「呼び出しの用件は?」賢は、下ろしたてのネクタイスーツをまとい、髪を固めた二人の男に、静かな声を投げた。
「それはでんな‥」そのやり取りに、コンコースの端から響く女の叫喚が重なった。
襤褸になりかけた、元々赤であったものが黒ずんだホステスドレスを着た中年の女は、クラック吸引の煙管を取り落としてフロアに這いつくばり、お父さぁん、お母さぁん、お姉ちゃぁん! と、枯れた金切り声で叫んでいる。その顔には、死に瀕した人間の形相が刻まれている。
「契約先の変更を承諾していただきたいと思いましてん。この際、ばっさり言うてまうと、仕入れ先を変えた、ちゅうことです。その仕入れ元は、ハワイと取引のある所でしてん。私らも生きていかなあきまへん。どうぞ、理解のほどを頼んます」「そんなことを、始めから俺達が許可してたか」反り返る男に、賢は声を低めた。
「銅貨なら、払います。日本だけやのうて、世界中がこないなってまう前の営業かて、安いほうを取るもんやったやないですか。これには私らの生存権が懸かってはります。時計の銅貨を二百、後日、下の者に届けさせますさかいに」「俺達との手切れ金の話か。その取引先はどこだ」「柏南社でおます」もう一人の男が、嘲笑めいた笑いを唇に浮かべて言い、先まで賢と話していた男が、ふん、と鼻で嗤った。
「篠総業はんには、ごつう世話になりました。せやけどね、私らも契約先を、少しでも力のあるほうに厳選せんことには、自転の止まってもうた世界で生きていくことがでけんのですよ。ヒョンさん、先も言いましたが、ここはどうぞ、ご理解のほどをよろしく頼んます」セルラーの片割れがひゃらりと言った時、賢がホルスターから抜いた自動拳銃の口径が、静かに、男の膝へ向けられた。
重なった。湿った銃声、悲鳴、クラックに脳を冒された女の振り撒く叫びが。
膝の軟骨を砕かれたセルラーの片割れは、先までの堂々とした態度、口ぶりも跡形もなく、前のめりに転がり、悲鳴を撒いた。もう片方は、一寸、動揺を見せたのち、顔を汗に濡らして、おい! と発した。
「分かっとんか! 柏南社は、もうわしらの護衛も同じなんやぞ!」「そうか、それなら、その能書きを続けろ。この状況で、まだそれが垂れられんならな。周りを見ろよ」
賢が言った時、コンコースの南口、北口を、すでに数人づつ、カーキ色の戦闘服に腕章を巻いた男達が、抜身のナイフや長白刃をかざし、または自動小銃、マシンピストルを腰溜めにして挟んでいた。
「分相応に振る舞うことだけが、お前らみたいな立場の奴らが命を繋ぐ道だ。覚えとけ。これがこっちの最後の挨拶だ」賢は言い、自動拳銃の銃口を男の手に向け、トリガーを絞った。男の右手が四散し、飛んだ指、肉片と骨片が飛び散り、二人の男の泣き声混じりの悲鳴が不協和のハーモニーを奏でた。
二人のセルラーの号鳴と、襤褸ドレスを乱れさせた女の叫倒を背に、賢は部下二人を引いて、私鉄側へ歩き出した。
部下がハンドルを取るジープに乗り、篠総業本部への道をたどっている時、フォンが耳障りな着信音を立てた。通話口向こうの男は、詰所が急襲され、五人殺られたと伝えてきた。
昔に飯山満と呼ばれた区域の詰所に急行した。塗炭の仮設小屋の中で、銃で武装していた立哨が二人、一人が袈裟懸け、もう一人が腹を真一文字に割かれて臓腑を出し、骸となっていた。
塗炭小屋の中へ踏み込むと、鉄分の臭いが立つ紅い海の中に麻雀卓、椅子が転倒し、牌がばら撒かれ、頭蓋を断ち割られ、脳片と眼球、舌を垂らして倒れている者、離れた頭部を遠くに、蛙のように床に貼りついている者、皮一枚で繋がる首を垂らし、壁に背中を預けている者、両下腕を切り落とされて、辛うじて息のある者がいた。
賢は、この者から、襲撃者の特徴は訊き出せないと判断した。
それは、障害を持つ弟を養うという動機で、賢達「黒手」の篠総業に加わった、準兵徒の少年だった。左右一緒に肘から切断された彼の下腕は、咄嗟に抜いたマシンピストルを握ったまま、その2メーター先に落ちていた。その先に落ちている輪状の圧布を、賢は拾って検めた。蜘蛛が染め抜かれたそれは、「商会」の構成員腕章だった。
「逝かせてやれ」対立カルテルの腕章を手にした賢が命じた口調には、ごく若干の優しさが覗えた。
涙を流し、洟を啜り上げながら突っ伏している少年に、ナイフを手に歩み寄った兵徒は、白い髪を白い肌、灰色の瞳を持つアルピノの若者で、通り名を、釈、という。この男は、賢に直接的に仕える、補佐の一人だ。
釈は、後ろからナイフのブレードを、少年の喉元に当てた。そのブレードが食道、気管支、動脈血管を一文字に割った時、少年は末期の声も上げることなく、湧き出た血の上に頬を付けて事切れた。
脚を損傷した競走馬の薬殺と同じで、組織で構成員として使用出来なくなった者は、処理するしかない。そこに感傷の入り混じる余地はないのだ。
「示現流」死体を検めた賢は、血墨で汚れた壁、天井を睨みながら、小さく呟いた。
生きながら腐り、腐れ死ぬことが前提の生を送る者達が溜まる死窟となったコンコースでは、膝を粉砕された男と、右手を吹き飛ばされた男が呻き泣きながらのたうち回り、それをスーツベースの綺麗なウエアをまとった数人の男が囲んでいた。服装の小奇麗さに反して、全員が曲者の顔をしている。スーツの腕には、鎌首をもたげた蛇の図柄が染め抜かれた腕章が巻かれている。
蛇腕章の一人が、腰に提げていた鞘から、柄を含めて30センチほどの長さをした鉄の棒をするりと抜いた。それが半円を描いて振り上げられ、続けて二回、膝をやられた男の頭に打ち下ろされた。
弾けた頭蓋骨の間から脳漿がどろりと流れ出し、男は声を途絶えさせ、くたりと這った。
やがてその撲殺アイアンバーは、右手を失った男の脳天にも叩きつけられた。ぱんとスカルが割れ、ひしゃげた脳が飛び散り、眼球も飛び出した。
使用不可能となった人間は、足手まとい者として処分。その「自転しない世界」で勢力に属する者達の掟に従ったまでの男達は、二つの屍と、言葉を成さない声を上げ、意味を成さない言葉を吐き続ける生き死人達を背に、優雅に歩調を合わせてコンコースから退去した。
襤褸ドレスの女は、コンクリートのフロアに這いつくばりながら、涙と洟、涎をどろどろと流し、どこにいるとも知れぬ父親、母親、姉の名を、掠れた声で叫び続けていた。
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