カーキの鳩

楠丸

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3章 サクリファイス

サクリファイス

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 黒手、とは、ミレニアムから十年を三回と少し数えた時代に、フィリピントラフを震源とし、東アジアのほぼ全土を襲った、異常なマグニチュード数値を持つ超巨大地震と、その沿岸部をことごとく吞み込んだ巨大津波、その後に加えられた主要都市、軍需工場、基地のある市への飽和的核攻撃により、人口の3分の2強が死滅する「ダブル・デストラクション」を経、世界中の多くの国同様の無政府状態となった日本で、国策右傾化によって有り余った兵器で武装し、武器商や麻薬商、人身の売買取引、機動力を駆っての略奪などを生業とし、日本各地に拠点を構えて活動する暴力組織の総称である。そこに所属する者達は、自らを「黒土の徒」と称する。

 その徒らの出自の多くが、デストラクションによって水を得た魚となった、社会に背く生き方を元々していた者が大多数だが、それなりの事情を有する者もいる。

 それはデストラクション後に新築された、坪数100ほどの黒いテラスハウスだった。窓部分には赤い鉄板が貼られ、門柱前には、腕章を着け、自動小銃を構えた、額に蜘蛛を彫った男が二人、立哨している。

 その眺めは、遠くにバラックがまばらに建つ、周辺の荒涼たる景色の中で、一層に禍とした存在感を放っている。

「篠の与野だ。会長の明座さんはいるか」

 表情に殺意を刻み、解放軍流れの自動歩槍銃を向けてきた二人の兵徒に、賢は旧日本名を名乗り、訊ねた。この日の彼の服装は、ノーネクタイの黒スーツ姿だった。その後ろには、アルピノの釈と、リックという名を通す、ケニア人だという黒人の若者がおり、二人とも同じく軽いカジュアルをまとっている。しかし、三人とも腕章を巻くことは忘れてはいない。

 衛兵当番の兵徒が自動歩槍銃を下げ、三人の衣類のポケットを検め、あとはズボンの裾を叩くボディチェックになった。

「入れよ。会長はいるよ」衛兵当番の男が言い、賢らは中へ案内された。兵徒の男にチェーンリールで繋がれた、灰色の体毛を持つピットブルが唸った。賢はそのピットブルを一瞥して、鉄製ドアの玄関を、二人の部下を従えて潜った。

 
 一人の若い男が、一振りのフルーツナイフを腹に構え、あとずさっていた。頭部が大きく、短躯で、同じく短い四肢を持つ、生まれの理由を持つことが見た目で分かる若者だった。それを、髪の薄い、長身で、長い四肢を持つ男がじりじりと追い詰めていた。この男は、寸鉄も帯びていない素手だった。短躯の若者の表情は必死で、薄い髪の長身男は、顔、躰恰好ともに余裕に満ち、口許には微笑さえ浮いている。

 その男の後ろには、二人の男が立ち、周囲に立つ、皆、顔の形や体つきに特徴のある十人前後の男女は、ある者は動揺を顔に刻み、またある者は呆然とし、それを見ている。

 短体躯の若者が、わあ、と聞こえる声を発し、Xの字を描くようにナイフを振り回した。薄髪の男は、小さなステップバックのみでそれをかわし、ナイフの手首を掴み、若者の腕を、彼の頭上高くまで捩じり上げた。そこへすかさず、若者の鳩尾に膝を入れると、彼は床に崩れ、ナイフはたちまち薄髪の男の手に渡った。

「無駄な真似をすることは、ためにならねえぜ」薄髪男の背後から、鎧のような体つきをした男が迫り寄り、低い声を落とした。

 そこへもう一人の男が、しゃしゃるように歩み出、やがてその口が開いた。

「荒れた冷てえ土の上で、飯を求めて泣きながら骨になってくお前らの仲間は、今の日本じゃ、星の数だろう。そのお前らに仕事をくれてやって、三食きっちり食わせてやってんのは誰だと思う。それはこの鹿尾さんと、この工場のけつを持ってくれてる篠総業さんなんだよ。それが分かってりゃ、こんな恩知らずな真似は出来ねえはずだよな。おい、11番」

 それは下膨れの河豚を思わせる輪郭に、恨みがましい眼をした、身長のあまりない男だった。短い躰をした若者の頸部には、「11」という数字が焼印されている。

 成す術なく立ち果てる男女全員の頸にも、同じく二桁数字の印がある。なお、これは逃亡対策の一環だった。

 この工場では、生まれの理由を持つ若者達が十人と少し、二階で蛸部屋同然に寝泊りさせられ、リリガル、ヘロインの製造、加工、出荷準備に使用されているのだ。

 河豚顔の男に髪を握られた若者は、コンクリートの床に膝を着く形で座らされ、それを鹿尾と呼ばれた男、体格の良い男が囲んだ。鹿尾の持つナイフの先端が、若者の鼻孔に当てられ、ゆっくりとブレードが挿入された。

 ぱちっと小さな音が立ち、鼻翼が裂かれた。灰色塗炭の壁に、泣き叫びが反響した。

 「仕事に戻れ」横幅体格をした男が全体に圧すと、顔に諦念を刻んだ二桁番号焼印の従業員達は、それぞれがそろそろと持ち場へ戻った。その顔、顔、顔は、例えれば、断頭台の仔羊という表現が当て嵌まる。

 その中に、唯の一人だけ、ぶれのない信念の表情をした若者がいた。彼は足取りも比較的しっかりと、台の前に戻り、リリガルの錠剤をスプーンで砕く作業を再開した。一見のところ、誰もが性別を見紛うような顔をしたその若者の頸には、19という印がある。

 鼻翼を切り裂かれた若者は、両手で顔を覆って座り込み、号咽を響かせていた。


 2メーターに迫る身丈に横幅持ちの躰は、袈裟の僧侶服に包まれていた。この僧侶の衣は、痛く気に入っている略奪品のようだ。髪は肩口までの蓬髪で、それをメンズカチューシャでまとめている。眉はなく、厚い瞼に潰されたような三白眼、鼻孔の変形した鼻、唇の薄い下顎前突の筌口から、千枚通しを思わせる、細く尖った歯列を覗かせている。

 動物に例えれば、顔部はピラニア、躰は樋熊。

 傷の走る拳には、異形の胼胝が膨れ上がっている。第二関節にも胼胝の盛り上がる指には、高級宝石の指輪が光る。

 その男は、前代には数百万円の価格が付いていたものと思われる応接セットに反り返り、洋煙草を燻らせている。その宝石指輪も、応接セットも、皆、略奪品だ。

 シャワーの音が止み、乳房の張り、陰毛の豊かさ、肌の艶具合で栄養状態の恵みが分かる全裸の女が出てきたが、賢ら三人は、それを視界の隅に掃いただけだった。

「てめえ、専務にも当たらねえ人間だろうが。社長の篠に言っとけよ。社長が直接、折物の土産を持って、てめえの足で来いってな。俺が教えてやるからよ。正しい挨拶のしかたってもんを」「この用件持ち自体が、それなりに正しい挨拶ですが、明座さん」マガボニーを挟んだ真向いから、地を這うような肚からのバスを放つ、明座商会の会長に、賢は飄々と返した。

「俺達、黒土は、情報屋の要素も併せ持つ稼業じゃないですか。そちらの仕業に見せかけて、うちの島に棲む人間と、うちの兵隊が複数人、殺られてます。そちらの兵徒さんも持ってかれてますよね。俺の見立てじゃ、そいつは」
「旅団、か」明座のふん反るソファの隣に立つ男が、やり取りに口を挟んだ。

 黒のネクタースーツ越しにも、強靭かつ、しないの良い筋肉の張りが良く分かるその男は、狼の体毛のように立ち乱れた、気持ち長めの髪をし、頸許、また、右目下から顎下にかけて、長い刃傷が落ちている。

 その傷は、形容すれば、涙のようにも見える。

「この男は、五日前にうちの兵頭に昇った砂山だ。うちで、もう四年叩き上げてる」

 明座が言い、砂山と紹介された男は、賢の目を見て、軽く頷いた。賢は静かに、彼の目を見返すだけに留めた。組織の第二長同士の挨拶は、これで済んだ。遠く、旧い、燻の仁義の初めの一文が、無言のうちに交わされたとも言える、言葉なきやり取り。

 黒土の兵徒を束ねる人間としては優しいほうの眼をしており、壮絶な戦歴を表す目下の疵が涙滴のように見えることも、それを際立てている。

「これをよく拝んどいてくれよ」砂山は、優しい抑揚だが、ぴんとした迫力の籠る声で言い、奥の棚から出した一枚の写真をテーブルに置いた。

 ハーレーダビッドソンと思われる大型二輪に跨った男が、顔を上げて空を睨んでいる。被ったフードから出た顔は、齢の頃は砂山、賢よりは少し若く、細く鋭利な眼に、黒黄色の顔肌をし、上衣の背中からは、長得物の柄が覗いている。

「名前は、鹵(ろ)、というらしい。東北から南下して、最近、常総の集落を荒らし回って、この頃、北総まで出張始めた旅団の頭目だ。最近、こいつの手の者が、ここいらに侵入して、ここらの勢力を探ってるらしい」「じゃ、先週、こっちの島の親父と子供、斬り捨てたのも」砂山の説明に、賢が問い返した。

「刃(や)を遣う奴が揃ってるって話だ。その線は充分に考えられる。つまり、こっちとそちらをぶつけて、喰らいっ子を仕掛けることが目的だ。その先は、言わなくても分かるよな」「なるほど」賢が納得の合いの手を入れた時、明座がソファから身を乗り出した。

「おい。そいつはおめえらが裏から手え回して糸引いてんのと違えのか」「まあ、会長」瞳孔を光らせて顎を突き出し、袈裟の巨躯を乗り出した明座を、砂山がなだめた。

「今日はちょうど、質的にまずまずな、出荷前の在庫があるじゃないですか。ここはいっちょ、親睦と題して」砂山が言い、賢達の背中側に立ち控えている兵徒四人に、眼で指示を出した。

 そのうち二人が奥の部屋へ行き、一人がもう一人に先導され、一台の錆びた鉄の台車を押して出てきた。

 台車には、手足を括られた全裸の女が三人積まれていた。年齢は、皆、若く、その中に、幼さを留める女もいた。
その女達の頸には、蜘蛛の図柄が筋彫りされている。

 この三人の女は、明座商会の商品なのだ。

 明座商会は、女をかどわかし、または親や夫、恋人から、その身柄を引き離して嚇し取り、凌辱した上で、経営する春販宿で躰を売らせ、その行為を撮影、ROMに焼いたものを販売することを主な鎬としている。

 三人の女のうち一人は、眦の決まった気の強い貌をし、もう一人もいくらか気丈さを保った表情をしており、最も幼く見える女は、嫌だ、嫌だ、と繰り返しながら、呻き泣いている。悲しみに歪んだその顔は、大粒の涙に濡れていた。

「春菜ちゃん、厭なのは分かるよ。でも、やらなきゃ、私達、死ぬんだよ。私が手本見せるからね。そうすれば、これからもご飯が食べられて、生きていけるんだよ」気丈な女が、心底悲しく、辛く泣く娘に声を掛けた。

「もうやだよ。死んだほうがましだよ」娘は言い、泣き声を大きくした。その場にいる砂山、賢を始めとする男達の表情は、一切動かない。

「ちょうど三と三、賽の目は揃ってるだろう。部屋は案内する。先にも言ったように、これは俺達の間の睦みだ」「いや、ありがてえけど、今日、俺達はここらでお暇するわ」砂山の勧めに賢が返し、彼がソファを立つと、賢、リックも腰を上げた。

「今日来たのは、まず第一に、互いの島には干渉しねえって話し合いで、もう一丁は、旅団を狩り込む協定を結びましょうって用件だったんですよ。俺は明座さんが、その辺りの筋が分かる人だって見込んでますんで」

 賢の述べに、明座は頷くことも、言葉を返すこともなかった。

 砂山の表情持ちは、それを承諾も否定もしないという冷えを漂わせていた。

「お前らの命も、そう遠くないうちに飛ぶよ」それは明座に向けて発せられた言葉だった。その言葉は、台車の女だった。眦の決まった、鼻柱の強い顔をした女だ。

「何百倍にもなって帰ってくるよ。お前らみたいな奴らがこれまでやってきたこと、今、やってること、これからも、その命がある限り、繰り返そうとしてることがね。惨めに死んでく時になって、お前はやっと勉強するんだ。お前みたいな奴が虫けら呼ばわりする人間が、命懸けて牙剥く時の怖さってもんを。弱い生き物が、強い生き物噛むことだってあるんだ!」

 賢、釈、リックは、その啖呵に振り返ることなく、明座の邸宅兼商会本部を後にしかけた。その時、刃が肉を割り、骨を断つ音がし、賢が振り返った先にあったものは、丸い錐刀を手に立つ兵徒と、カーペットの上に落ちた女の頭部、台車から半身を崩れさせた、首のない骸だった。

「次は代表取締役をよこせ。さもねえと、俺達が俺達の島だけに収まってる保証はねえ」砂山を伴い、門柱前まで出できた明座の警告に、邸の中から響く、お母さん、と繰り返す、娘の泣き叫びが重なった。賢達は表情を動かすことなく、カーキのジープに乗り込み、リックがハンドルを取るその車は、旧本町方面へと走り出した。

 
 項垂れるように、または反り返るように、前、後ろへ曲がり、中階が老人の口許のように潰れた団地の棟群。焼けた壁に、軽排気のエンジンコールと、連射、単射の銃声、悲鳴、絶望の鳴咽が反響していた。

 川の支流に沿って建つ、県都のあった市の公団だった。デストラクション後に、別の土地から流れてきた人々が集まり、洛部を形成していた。

 群れを成した軽排気のコールを聞いた時は、子供、女、老人、障害者を先に避難させろという旅団対策が策定されていた。

 今回は、何割かの弱者を、軽バスで川辺まで運んだ。だが、その2便を出す前に、逆L字型のチョッパーハンドルをした軽二輪の群れに外周を取り囲まれた。

 旅団は、計三百台前後の軽排気二輪、骨組だけの四輪で、人々が固まる団地の中央部まで迫った。

 この洛部には、自衛装置はなかった。それは洛部長の立場にある男とその周辺者が、デストラクション前に「非武装中立」「人権」「対話」の考えをバックボーンとした左派野党の党員であったことによるものだった。

 食料、薬品などにお困りでしょうか。。二輪、四輪の先頭にハーレーダビッドソンを停めた、獣革のフードウエアをまとい、フードと、顔半分を隠す雑布の間から鋭い眼を覗かせた男に、洛長は歩み寄り、訊ねた。

 噂の杵で、同じ内容の言葉を、友愛のスキルとして学んでいた大陸語、次に半島語で話しかけた。

 私が、こちらの代表を務め、自給的物々交換業で、こちらのコミューンの生活の営みを主導させていただいている者です。あのデストラクションを経ても、人権というものは、全ての人に普く存在するという信念をぶれずに持っております。もしよろしければ、食料をお分けついでに、対話でも、と半島語で述べた時、中華刀が一閃し、その洛長の頭部が落ちた。やがて、首を失った躰が痙攣し、地割れを走らせたアスファルトの路上に這った。

 ハーレーダビッドソンの男はその青龍刀の血振りをし、軽排気に跨る、同じく獣革の服を着、濃黄の肌に針のような、または黒色の太陽を思わせる瞳孔の大きな眼をフードと雑布の間から覗かせた手勢達に、無言で目配せをした。

 今、この男、鹵の視界にあるもの。下衣だけを剥かれた男が、海老のように躰を丸め、股間を押さえ、指の間から多量の血を噴出させ、うえ、ぐえ、と聞こえる異様な呻きを発している。

 やめて! 何でもするから! 口をもごつかせて懇願する全裸の男は、髪、両腕を掴まれ、やがてその腹が牛刀で割られ、白い大腸が力任せに引き出された。声帯が潰れんばかりの号が、他の随所から交わり響く銃声、悲鳴、泣き声、二輪のコールに掻き消された。

 全裸に剥かれた、未成長の乳房と陰毛をした娘が、三台の二輪に追われ、助けを求めながら裸足で走っている。その娘を二輪が取り囲み、獣革服の男達がたちまちその躰を組み敷き、乳房と陰部に手が掛けられた。

 辺り一面に、老若男女の頭部、腸、肺臓、心臓、肝臓、腎臓などの臓腑、肉片、骨片、切断された男根が撒かれ、遠い天まで裂するような悲しみの叫びが上がる。

 それを為す者達は、言葉を一切発することなく、頭目である若者から下される眼光、眼の動きのみからの司令で、これらの凌辱、殺戮、略奪を行っている。

 洛長の壮年男の首を切り落とした青龍刀を片手にした鹵は、顔の下半分を覆う雑布の下で、口端を吊り上げた。

 これはこの俺と、俺の司令で動いている者達一人一人の復讐なのだ。

 母親を呼ぶ子供の泣き声が聞こえていた。上空に輪舞する鴉の大群の啼く声は、デストラクション前の日本人の履き違えた右派政策が引き寄せた地獄、とばかりに嘲笑っているような聞こえをしている。

 鹵は、足許に落ちている男の生首を、ばん、と軽く蹴った。首は、ボッチャのボールのように、ころころと転がり、見開かれたままの眼を、厚雲の下を鴉が舞う天に向けて、はたりと止まった。




  

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