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第4話
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エレベーターホールから出て屋上面に踏み出してみると、そこには落下防止のフェンスさえなかった。案内板で確認したが一階下の最上階は全て空きテナント状態で、こんな場所をどうやって探し出したのか知らないが好条件が出揃っている。
必要な機材は既に屋上の隅に置かれていた。
近づくと京哉はゴルフバッグに似せたソフトケースのジッパーをためらいなく開けた。中には重々しい鋼の部品が幾つも入っていて、それらをひとつひとつ取り出し迷いのない手つきで組み上げる。
数分で出来上がったのは狙撃銃だった。それも通常のライフルとは桁違いの大きさでアンチ・マテリアル・ライフルと呼ばれる、戦場では装甲車までぶち抜く対物ライフルである。
こんな代物を扱う人種、そう、鳴海京哉の裏の貌はスナイパーだった。
「今回の得物はデカブツすぎ……よっこらせ、と」
まずはバイポッドという二脚を使って巨大狙撃銃をコンクリート面に立ててみる。
「ダネルのNTW二十ミリヴァージョンか。はるばる南アフリカからご苦労さまだなあ」
ボルトアクション・薬室一発マガジン三発の合計四連発で、直径二十ミリという巨大口径弾を撃ち出すこれは、重さがじつに二十六キロもある本格的兵器だった。
ちなみに通常の銃は『四十五口径』などと報道されても弾丸直径が四十五ミリな訳ではない。そこまでデカいと既に銃ではなくなる。この『四十五』という数字が表すのはコンマ以下のインチ数だ。例えば四十五オート・コルト・ピストル弾ならゼロ・コンマ以下四五インチで直径約十一.五ミリの弾丸が飛んでいくことになる。
機材と一緒に置いてあった通信機のイヤフォンを耳に突っ込み、襟に小型マイクを固定した。気象計とレーザースコープも引っ張り出して首から提げる。そうして巨大狙撃銃を移動させる段階になって自分はまたも失敗したのを知った。
「うーん、部品を運んでから組み立てれば良かったのか……」
デカ部屋でのファイルの山を思い浮かべながら、仕方なく二十六キロの重量物を引きずるようにして屋上のふちに移動した。
息を切らせながら次に自分の携帯を取り出し、弾道計算アプリケーションを起動する。気象計で観測した緯度・経度・標高・風向・風速・温度・湿度・気圧などを海外サイトからダウンロードしたアプリに入力し弾薬の種類や弾頭重量を打ち込んだ。
次にレーザースコープのアイピースに目を当ててターゲットポイントを確かめる。レーザー反射によって割り出された距離は千百二十メートルだった。それもアプリに入力し計算させる。
アプリの計算結果と自分の勘が一致して満足を得た。
狙撃はスコープを覗いてレティクルの十字に標的を重ね、トリガを引くだけでは決して当たらない。条件がひとつでも変わると火薬の燃焼速度が変わり、弾丸の飛び方が変化するため、結果として着弾位置が大きくずれる。何かが変われば、その都度スコープを調整しなければならない。
故に精確な観測と緻密な計算が必要で、なおかつ最終的にはスナイパーの腕とセンスに全てが委ねられる繊細な仕事なのだ。
そんなスナイパーにかかる多大なストレスを軽減するため、本来ならスナイパーもスポッタという観測手を伴ってバディで動くのが基本だ。スポッタはあらゆる雑事をこなしてスナイパーをアシストし、狙撃に集中させる役目を負う。
戦場ではスナイパーの護衛であり、スナイパーが負傷した際のスペアでもあった。
だが京哉は気楽さを選んで単独スナイプをこなす。それでも狙撃を失敗したことは一度もない。スナイパーになって約五年、ただの一度もだ。
伊達眼鏡を外して地面に置き、タイを緩めるとジャケットの前ボタンを開けた。再びレーザースコープでターゲットがやってくる筈の方向を注視する。集中し始めた今は、もう寒さなど感じていない。
そこでイヤフォンのノイズが途切れ、男の声が流れ出す。
《――おい、聞こえてるか?》
「ええ、問題ないですよ」
《ターゲット通過まで約二十五分。シルバーのリムジン、三列シートの最後部に一人だ》
「シルバーのリムジン最後部、と」
レーザースコープで眺めているのは都市内をうねっている高速道路の高架だ。今回狙うのは、何と走行中の車両だった。正確にはそれに乗った商社の会長である。
だがこうして狙われるような人物は己の背負うリスクも承知である。そんな人物が乗るリムジンは装甲車並みの頑丈さに防弾ガラスが常套だ。
それをぶち破るためにダネルNTWという特殊な得物が用意されたのだった。
自分で組み上げ何度も試射を繰り返した銃は、クセも躰で覚えている。
「あ、でも一般車両の巻き添えが出たらどうするんです?」
《多少のことは織り込み済み、時間的に五号線は交通量も少ない。それにあの爺さんはどうしても殺らなきゃならん。D国のダブルスパイの女にタラされやがって――》
「小難しいことも下世話なことも、僕は興味ないですよ」
歌うように言いながらも京哉は徐々に緊張感を高め、神経を研ぎ澄ませながら伏射姿勢をとった。腹這いになって両肘を地面につき上体を反らして起こす。
普通の狙撃銃と違い、このダネルNTWには銃の後端下部に取っ手が付いていた。その取っ手を左手で強く掴むと右胸に抱え込むようにして、しっかりと銃を肩付けする。重すぎる銃をバイポッドと左手で三点支持した形だ。
スコープのレンズカバーを跳ね上げて右手でグリップを握った。人差し指は勿論トリガへ。銃の全長は約百八十センチ、スコープは遠く接眼できない。数十センチも離れた位置から覗く。それきり京哉は動きを止めていた。
チャンスは一瞬だ。集中を途切れさせないよう、もうイヤフォンからもノイズだけしか聞こえてこない。そのまま二十分近くが経過する。
だが再び男の声が、今度は緊張を孕んで鼓膜を震わせた。
《ターゲットポイント変更、いけるか?》
「今更どうしたんです?」
《リムジンの前にタンクローリーだ。こいつは拙いぞ、追突すれば大惨事だ》
「ふ……ん、やってみますよ。距離、そっちで衛星から取れますか?」
《タンクロはたぶん六号線の精油所に向かう。ジャンクションで分岐したあと……そこからなら十一時方向、GPS上で距離は千四百九十五だ。チッ、やられたな》
吐き捨てた男の声は悔しげだった。それはそうだろう、ここに至るまで京哉には計り知れないほどのカネと人間を使い、ようやくチャンスを掴んだのだから。
《撤収だ、撤収! 次回に持ち越しだ、チクショウ!》
「どうしてですか? このNTWの有効射程距離は装甲車相手に千五百ですよ、カタログスペック通りならね」
暢気にも聞こえる京哉の声にイヤフォンの向こうの男は僅かに考えを巡らせる。
《じゃあ……もう残り約四分だ。ゴーサインは出てる、お前の勘に任せるぞ》
「はいはい」
極めて軽く返した京哉は一挙動でスコープのダイアルを微調整して伏射姿勢に戻る。同時に常人には分からないくらいの微妙な銃口角度の変更をした。
銃口角度の六十分の一度のぶれが百メートルで二十九ミリのずれになり、一キロメートルでは二十九センチものずれとなる。千五百メートルなら約四十四センチの致命的なずれだ。ターゲットは走行車両、このダネルなら他の一般車両を吹き飛ばしかねない。
飛んでいくのはたった直径二十ミリしかない弾丸だが、初速は秒速七百二十メートル、マッハ二以上にも及ぶのだ。
自分の身長より大きな銃を抱え、京哉は静かに呼吸を整え始めた。心音三回で一回ずつ吸っては吐く。呼吸を止めて心音に合わせトリガを引けるのは十秒間が限界、それ以上は脳が酸素不足に陥って精確な狙いが付けられなくなる。
《右方向からターゲットが現れた》
告げる声より早く京哉の手にした巨大ライフルは空気をビリビリと震わせ、銃口から派手な火炎を吐いていた。そのマズルフラッシュに二度はない。ボルトを引いて排莢し、次弾発射の構えを取ったが、もう二射目が不要だと悟っている。
《ヒット。ターゲットKILL。成功を確認した》
息を吐いて京哉は立ち上がり、イヤフォンの向こうの人物に確かめた。
「他の車は大丈夫でしたか?」
《ああ、接触していない。今回の仕事もパーフェクトだ――》
大仰に京哉の腕を褒め称える声を聞き流しながら空薬莢を回収し、巨大な銃をバラす。幾度か往復して分解した銃とその他の機材を元のソフトケースに収めた。これで京哉のやるべきことは終わり、あとは狙撃ポイントから迅速に立ち去るのみである。
そう思うと急に寒さが戻ってきた。急いでタイを締め直し、ジャケットのボタンを留める。地面に置いてあったメタルフレームの伊達眼鏡を拾って掛けると、忘れ物がないか辺りを見回してチェックした。
「うーっ、寒っ!」
声に出しながら身を固くして走る。このあとコンビニでありつく煙草と温かい缶コーヒーを愉しみにエレベーターホールへと駆け込んだ。そこで銃を向けられる。
怜悧さを感じさせる切れ長の目を見上げて呟いた。
「霧島警視、どうして……?」
必要な機材は既に屋上の隅に置かれていた。
近づくと京哉はゴルフバッグに似せたソフトケースのジッパーをためらいなく開けた。中には重々しい鋼の部品が幾つも入っていて、それらをひとつひとつ取り出し迷いのない手つきで組み上げる。
数分で出来上がったのは狙撃銃だった。それも通常のライフルとは桁違いの大きさでアンチ・マテリアル・ライフルと呼ばれる、戦場では装甲車までぶち抜く対物ライフルである。
こんな代物を扱う人種、そう、鳴海京哉の裏の貌はスナイパーだった。
「今回の得物はデカブツすぎ……よっこらせ、と」
まずはバイポッドという二脚を使って巨大狙撃銃をコンクリート面に立ててみる。
「ダネルのNTW二十ミリヴァージョンか。はるばる南アフリカからご苦労さまだなあ」
ボルトアクション・薬室一発マガジン三発の合計四連発で、直径二十ミリという巨大口径弾を撃ち出すこれは、重さがじつに二十六キロもある本格的兵器だった。
ちなみに通常の銃は『四十五口径』などと報道されても弾丸直径が四十五ミリな訳ではない。そこまでデカいと既に銃ではなくなる。この『四十五』という数字が表すのはコンマ以下のインチ数だ。例えば四十五オート・コルト・ピストル弾ならゼロ・コンマ以下四五インチで直径約十一.五ミリの弾丸が飛んでいくことになる。
機材と一緒に置いてあった通信機のイヤフォンを耳に突っ込み、襟に小型マイクを固定した。気象計とレーザースコープも引っ張り出して首から提げる。そうして巨大狙撃銃を移動させる段階になって自分はまたも失敗したのを知った。
「うーん、部品を運んでから組み立てれば良かったのか……」
デカ部屋でのファイルの山を思い浮かべながら、仕方なく二十六キロの重量物を引きずるようにして屋上のふちに移動した。
息を切らせながら次に自分の携帯を取り出し、弾道計算アプリケーションを起動する。気象計で観測した緯度・経度・標高・風向・風速・温度・湿度・気圧などを海外サイトからダウンロードしたアプリに入力し弾薬の種類や弾頭重量を打ち込んだ。
次にレーザースコープのアイピースに目を当ててターゲットポイントを確かめる。レーザー反射によって割り出された距離は千百二十メートルだった。それもアプリに入力し計算させる。
アプリの計算結果と自分の勘が一致して満足を得た。
狙撃はスコープを覗いてレティクルの十字に標的を重ね、トリガを引くだけでは決して当たらない。条件がひとつでも変わると火薬の燃焼速度が変わり、弾丸の飛び方が変化するため、結果として着弾位置が大きくずれる。何かが変われば、その都度スコープを調整しなければならない。
故に精確な観測と緻密な計算が必要で、なおかつ最終的にはスナイパーの腕とセンスに全てが委ねられる繊細な仕事なのだ。
そんなスナイパーにかかる多大なストレスを軽減するため、本来ならスナイパーもスポッタという観測手を伴ってバディで動くのが基本だ。スポッタはあらゆる雑事をこなしてスナイパーをアシストし、狙撃に集中させる役目を負う。
戦場ではスナイパーの護衛であり、スナイパーが負傷した際のスペアでもあった。
だが京哉は気楽さを選んで単独スナイプをこなす。それでも狙撃を失敗したことは一度もない。スナイパーになって約五年、ただの一度もだ。
伊達眼鏡を外して地面に置き、タイを緩めるとジャケットの前ボタンを開けた。再びレーザースコープでターゲットがやってくる筈の方向を注視する。集中し始めた今は、もう寒さなど感じていない。
そこでイヤフォンのノイズが途切れ、男の声が流れ出す。
《――おい、聞こえてるか?》
「ええ、問題ないですよ」
《ターゲット通過まで約二十五分。シルバーのリムジン、三列シートの最後部に一人だ》
「シルバーのリムジン最後部、と」
レーザースコープで眺めているのは都市内をうねっている高速道路の高架だ。今回狙うのは、何と走行中の車両だった。正確にはそれに乗った商社の会長である。
だがこうして狙われるような人物は己の背負うリスクも承知である。そんな人物が乗るリムジンは装甲車並みの頑丈さに防弾ガラスが常套だ。
それをぶち破るためにダネルNTWという特殊な得物が用意されたのだった。
自分で組み上げ何度も試射を繰り返した銃は、クセも躰で覚えている。
「あ、でも一般車両の巻き添えが出たらどうするんです?」
《多少のことは織り込み済み、時間的に五号線は交通量も少ない。それにあの爺さんはどうしても殺らなきゃならん。D国のダブルスパイの女にタラされやがって――》
「小難しいことも下世話なことも、僕は興味ないですよ」
歌うように言いながらも京哉は徐々に緊張感を高め、神経を研ぎ澄ませながら伏射姿勢をとった。腹這いになって両肘を地面につき上体を反らして起こす。
普通の狙撃銃と違い、このダネルNTWには銃の後端下部に取っ手が付いていた。その取っ手を左手で強く掴むと右胸に抱え込むようにして、しっかりと銃を肩付けする。重すぎる銃をバイポッドと左手で三点支持した形だ。
スコープのレンズカバーを跳ね上げて右手でグリップを握った。人差し指は勿論トリガへ。銃の全長は約百八十センチ、スコープは遠く接眼できない。数十センチも離れた位置から覗く。それきり京哉は動きを止めていた。
チャンスは一瞬だ。集中を途切れさせないよう、もうイヤフォンからもノイズだけしか聞こえてこない。そのまま二十分近くが経過する。
だが再び男の声が、今度は緊張を孕んで鼓膜を震わせた。
《ターゲットポイント変更、いけるか?》
「今更どうしたんです?」
《リムジンの前にタンクローリーだ。こいつは拙いぞ、追突すれば大惨事だ》
「ふ……ん、やってみますよ。距離、そっちで衛星から取れますか?」
《タンクロはたぶん六号線の精油所に向かう。ジャンクションで分岐したあと……そこからなら十一時方向、GPS上で距離は千四百九十五だ。チッ、やられたな》
吐き捨てた男の声は悔しげだった。それはそうだろう、ここに至るまで京哉には計り知れないほどのカネと人間を使い、ようやくチャンスを掴んだのだから。
《撤収だ、撤収! 次回に持ち越しだ、チクショウ!》
「どうしてですか? このNTWの有効射程距離は装甲車相手に千五百ですよ、カタログスペック通りならね」
暢気にも聞こえる京哉の声にイヤフォンの向こうの男は僅かに考えを巡らせる。
《じゃあ……もう残り約四分だ。ゴーサインは出てる、お前の勘に任せるぞ》
「はいはい」
極めて軽く返した京哉は一挙動でスコープのダイアルを微調整して伏射姿勢に戻る。同時に常人には分からないくらいの微妙な銃口角度の変更をした。
銃口角度の六十分の一度のぶれが百メートルで二十九ミリのずれになり、一キロメートルでは二十九センチものずれとなる。千五百メートルなら約四十四センチの致命的なずれだ。ターゲットは走行車両、このダネルなら他の一般車両を吹き飛ばしかねない。
飛んでいくのはたった直径二十ミリしかない弾丸だが、初速は秒速七百二十メートル、マッハ二以上にも及ぶのだ。
自分の身長より大きな銃を抱え、京哉は静かに呼吸を整え始めた。心音三回で一回ずつ吸っては吐く。呼吸を止めて心音に合わせトリガを引けるのは十秒間が限界、それ以上は脳が酸素不足に陥って精確な狙いが付けられなくなる。
《右方向からターゲットが現れた》
告げる声より早く京哉の手にした巨大ライフルは空気をビリビリと震わせ、銃口から派手な火炎を吐いていた。そのマズルフラッシュに二度はない。ボルトを引いて排莢し、次弾発射の構えを取ったが、もう二射目が不要だと悟っている。
《ヒット。ターゲットKILL。成功を確認した》
息を吐いて京哉は立ち上がり、イヤフォンの向こうの人物に確かめた。
「他の車は大丈夫でしたか?」
《ああ、接触していない。今回の仕事もパーフェクトだ――》
大仰に京哉の腕を褒め称える声を聞き流しながら空薬莢を回収し、巨大な銃をバラす。幾度か往復して分解した銃とその他の機材を元のソフトケースに収めた。これで京哉のやるべきことは終わり、あとは狙撃ポイントから迅速に立ち去るのみである。
そう思うと急に寒さが戻ってきた。急いでタイを締め直し、ジャケットのボタンを留める。地面に置いてあったメタルフレームの伊達眼鏡を拾って掛けると、忘れ物がないか辺りを見回してチェックした。
「うーっ、寒っ!」
声に出しながら身を固くして走る。このあとコンビニでありつく煙草と温かい缶コーヒーを愉しみにエレベーターホールへと駆け込んだ。そこで銃を向けられる。
怜悧さを感じさせる切れ長の目を見上げて呟いた。
「霧島警視、どうして……?」
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