交換条件~Barter.1~

志賀雅基

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第5話

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 喉元に突きつけられたのはシグ・ザウエルP230JP、機捜隊員に携帯許可が下りている拳銃である。フルロードなら九発の三十二ACP弾を発射可能なセミ・オートマチック・ピストルだが、貸与される弾薬は五発だけという代物だ。

 だからといってその五発に抵抗するガッツなど湧かず、京哉は非常に居心地の悪い思いをしながら低い声を聞く。

「鳴海巡査部長。昨日の件を謝ろうと思って、あとをつけさせて貰った」
「尾行、すごく上手いですね。で、それだけですか?」
「それだけのつもりだったが、思わぬ大魚を釣り上げたようだ」

 厳しい目をした霧島は本気、京哉は丸腰だ。顎の下によく冷えた銃口を食い込まされ、手振りで促された京哉は仕方なく両手を挙げて頭の後ろで組む。
 トリガに掛かった指を意識しながらゆっくりとした動きで長身を見上げてまた訊いた。

「見て……ましたよね?」
「ああ、全て見た。誰を撃ったんだ?」
「ええと……うわ、言います言います! あの、ほら、知ってますかね、アガサ商事の会長、あの人を。けど何で止めなかったんです?」
「私だって命は惜しいからな。あんな得物で撃たれたらミンチ以下だ」
「ですよね。当たれば一発で上半身と下半身が泣き別れですよ」
「あんなものの撃ち方、何処で覚えた?」

 これの説明は面倒すぎて京哉は肩を竦めた。だからといって全て諦めた訳でなく、超速で思考を巡らせている。だが霧島への貸しはたったひとつしか思いつかない。

「昨日のキスとバーターになりませんかね?」
「なる訳ないだろう! ふざけるのも大概にしろ!」

 エレベーターホールに大喝が反響して京哉は顔をしかめた。ふざけているとは心外である。行動から多々勘違いされるが案外京哉はジョークを言わない性分たちだ。
 しかし京哉以上に霧島は大真面目である。

 どうやらこれは押しても引いても無駄な相手、つまり自分は逮捕・勾留だ。今のうちにシャバの空気を存分に味わっておこうと思って胸いっぱいに何度も吸い込んだら当然ながら気管が冷えて余計に寒さが沁み、空しくなってダメ元で言ってみる。

「確か県警本部そっちの留置場、古くて寒いんですよね。真城署うちの方に入るのはアリですか?」

 思い切り冷たい目で睨まれて今度は首を竦めた。

 それにしても自分と同じサツカンが殺し屋稼業をやっているとは、霧島も想像を絶していたに違いない。けれどここで自分が言い訳に走っても、もっとややこしい事態に陥るような気がして、組んだ手を外すとそっと挙手して小声で提案する。

「あのう、上手く説明できそうな人を紹介するんで、それでどうでしょうか?」

 見下ろしてくる灰色の目がもっと冷たくなった。

 だが幸運の神はいるもので、その時エレベーターのチャイムが鳴ってドアが開き、男が一人現れた。早々に機材を回収するためダウンコートの下はゴルフシャツという偽装をしたその男は、京哉と霧島に気付いてギョッとしたようだった。

「あっ、桜木さくらぎさん!」

 京哉は見知った男を見て弾んだ声を上げる。下の名前は知らないので呼べない。しかし殆ど同時に霧島までが驚いた声を発し、お蔭で初めて下の名前も知った。

「あんた、霧島カンパニーうちの情報セキュリティ部門の桜木英和ひでかず主任じゃないか!」

 昨日本人が申告した通り、本当に霧島は他人の顔と名前を覚えるのが得意らしい。自社従業員を見て戸惑い顔だ。
 一方の京哉は助かったと胸をなで下ろし、なるべく朗らかに聞こえるように言う。

「それなら僕は釈放パイでいいですかね?」

 二人からじっと見られてやや退いたが、霧島を納得させる説明はどうしたって桜木にして貰うべきだった。
 何せ世界を股にかける霧島カンパニーと警察上層部、おまけに現政府与党の重鎮が深部で繋がり、持ちつ持たれつで政敵や産業スパイを暗殺しているなどと、京哉の口から出れば信じがたくも嘘臭く聞こえるだろうからだ。

 それなのにオーダーメイドスーツの懐に銃を収めた霧島は桜木に「あとで訊く」とだけ言い捨てると京哉の安物スーツの腕を掴み、半ば強引にエレベーターに乗り込んで閉ボタンを押してしまった。

 下降するエレベーターの中で京哉は襲い来る寒気に耐えながら、スナイプの緊張のあとで必ずやってくる過度の弛緩から脳ミソが緩み始めたのを自覚する。思考が散漫になり、官舎のシングルベッドが恋しくなった。
 ここにきて深夜番の徹夜も効き始めたようで、やけに躰を重たく感じる。

 喫煙欲求と戦いながら霧島を見上げ、この男とコーヒーを飲みながらしみじみ語り合うしかないのかと思うと、面倒臭さに生欠伸ばかり湧いて噛み殺すのに苦労した。
 喫煙可の喫茶店を選んで貰えるのか、そればかりが気になりだす。

 二回停止して客の増えたエレベーターが一階に着くと、またも霧島は京哉の腕を掴んでぐいぐいと歩き出した。せめて煙草を一本吸い、半日でいいから寝て、それから話をしたかったが雑居ビルを出ても霧島の指は腕に食い込むばかりで、『じゃあ、これで!』と逃げ出すこともできない。

 硬い表情をした横顔に新たな疑問をぶつけてみる。

「霧島警視。もしかしてワッパ掛けないだけで、現逮なんですかね?」
「そう思っていい。というより他に何があるんだ?」
「ええと、もう昼過ぎですし、意外にも一人飯ができないタイプとか……」

 それもジョークではなく可能性を述べたにすぎないのだが、シャープな横顔が余計に硬くなった気がして、もういい加減にした方が身のためだと悟り口を噤んだ。

 互いに黙って七、八分も歩く。すると冷たいものが京哉の頬に触れた。何かと思って天を仰ぐ。ふわふわと降り落ちてきたのは雪だった。異常なまでに寒いのに頬に載ってはすぐに融け消える大粒の綿雪が心地良い。

 そうして空を振り仰ぐ京哉の額に、これも冷たい霧島の手が当てられる。

「鳴海巡査部長。きみは自分が高熱を出していると知っているのか?」
「熱ですか? ああ、それならいつもなんで」
「いつも? 狙撃のあとは毎回ということか?」
「ええ、まあ。眠れば治る程度なんですけど、これがなかなか眠れないんですよね」

 何だかどうでもいいようなことしか喋れず、だが霧島はいちいち頷いてくれた。

「あれだけ神経を張り詰めていたら、そうだろうな。とにかくきみに必要なのは休養だ。眠れなくても横にならないと、こじらせたら拙いレヴェルの熱だぞ」
「じゃあ、やっぱり本部より真城署のブタ箱に……」
「本部には連行しない。きみを留置するのはここだ」

 言われて京哉は雪に曇るレンズ越しに目前の建物をまじまじ見る。
 それはウィークリーマンションだった。


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