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第19話

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 戻ったはいいがカウントダウンがゼロになる夜九時まで薫はやることもなく、仕方がないので夕食のデザートにブルーベリープディングケーキでも作ろうとキッチンに立つ。
 梅谷組でも誰かの誕生日には皆で四苦八苦しながらも必ずケーキを作っていたのだが、徐々に一人、二人と脱落し、結局はレシピを記憶した薫の担当になってしまったのだった。

 冷凍ブルーベリーを解凍しながらリビングに目をやると、恭介はずっと咥え煙草で携帯を弄っている。

「ねえ。結局のところ恭介の復讐戦は、どんな幕切れを望んでる訳?」
「決まっている、今里の破滅だ。最低な形での、な」
「うーん、今ひとつビジョンが掴めないんですけど」

「野垂れ死んだ方がマシだと思わせるか、本当に野垂れ死にさせるかだ」
「ふうん。あんたって敵に回したら一番いやなタイプかも。でもその方法は?」

 チラリとこちらを見た恭介はウィスキー瓶とグラスを出してきて飲み始めた。

「まさか、脅し続ける以外に何も考えてないの?」
「悪いか? 兵糧ひょうろう攻めもできない籠城戦をこっちは取っている。いつか今里はボロを出す。例えば今晩二十一時のイヴェントなんかでな」

 にわかに信じがたい言葉を聞いて薫は天井を仰いだ。もし今晩九時に何も起こらなければ、あの今里がメールでの脅しに屈するか、更なる自らの脅しに溺れるかするのを待つというのだ。
 果たしてそれは何ヶ月後か、何年後か。それまでずっとこの部屋に籠城するというのだから、幾ら遺産生活者の思考でも呆れる。

「二週間でこっちが破綻する方に全財産を賭けるよ」
「相手はヤクザだ、そう気は長くない」
「僕も一応ヤクザなんだけどね。でも、だからって……」

「それに俺の名を今里が知れば必ず動く。刑事殺しの件で俺の名前は知っている筈だからな」
「そう、それ。どうして関係ないチンピラが逮捕されちゃったのさ?」

「出頭してきたチンピラの持っていたトカレフのライフルマークと、俺たちを撃って貫通した弾のライフルマークが一致した。暗い中での銃撃で俺の証言を盾に争うのは不利だと検察は判断した。警察も身内をられてホシを挙げなければ立つ瀬がなかった。以上」

 銃の銃身バレルの内側にはライフリングという溝が刻まれている。四条右転や六条左転などといったように数本の溝が螺旋状になっているのが一般的だ。撃ち出された弾頭、いわゆる弾丸本体に回転力を与え、真っ直ぐ飛ばすための工夫である。

 そして発射された弾丸がバレル内を通過する際に、その溝が弾丸の表面に傷をつける。これがライフルマークと呼ばれる傷である。日本語では施条痕せじょうこんだ。ライフルマークは銃によってそれぞれ違う。故に発射後の弾丸のライフルマークにより発射した銃を特定できるのだ。

「へえ、大人の理由って訳だね」
「まあ、そういうことだ」

 軽く返してきた恭介だったが、その思考は復讐心に煮えたぎっているに違いなく、飲みながらも切れ長の目は宙を見据えて暗い光を発しているようだった。ケーキのスポンジ台にするために卵白を泡立てながら、薫は昨日の恭介の笑顔が見たいと痛切に思う。

 目を上げると遠目にリビングのTVボードに載った、遺影のようなフォトスタンドを見た。あれが象徴しているように恭介は生きた自分もバディと一緒に過去に封じてしまったのだろう。今なお復讐という過去に生きている恭介は昨日笑ったことを指摘したとき、酷く驚いた顔をしていた。

 まるで笑うことが罪であるかのように。
 それだけではなく薫が写真のことを口に出した途端に目を逸らしたのは、薫を抱こうとしながらも一瞬にして過去を遡った心を見透かされないよう防御したのだと薫は見抜いていた。

「三年と数ヶ月も過去に生きてきたんだもんね……さて、どうするか」

 口の中で呟きを呑み込みながら思案する。年齢的にも生来の気質的にも薫は前向きだった。このまま過去の亡霊に遠慮して恭介を取られっ放しでいる気などない。失くしたバディという紗を一枚通して恭介が自分を見ているのにも気付いていたが、それを引き剥がして今現在を未来に向かって生きる石動薫をちゃんと見て貰う。

 ちゃんと見て貰って……どうするのか自分でも分からないが、恭介にとってこの自分が誰かの影のままでいるのはプライドが許さなかった。

 野望に燃えて薫は力一杯、ボウルの卵白を泡立てる。そうしていると再び緊急音が近づいてきた。首を傾げて恭介を見るとグラスを置いた恭介はソファから身を起こして立ち、窓から階下を見下ろす。そこで恭介の携帯に電話が入った。

「はい、こちら時宮探偵事務所――」

 やや堅い口調のまま短い通話で恭介は電話を切る。何事かと薫は目で訊いた。

「事務所の窓に『ガラス割り』だ」
「えっ、そんな……もう直接攻撃なんて!」

 ガラス割りとは一般的にヤクザが敵の本拠地ヤサに拳銃弾を撃ち込むことである。

「騒ぐほどのことじゃない、想定内だ。向こうも焦っている証拠、いい兆候だ。ただ警察が実況見分だけしたいらしい。立ち会いが必要だそうだ、行ってくる」
「ちょっと待って、僕も行くよ」
「腹にグロック差して、か?」

 揶揄するように言われ少々怯む。そこでジャケットを羽織った恭介が畳み掛けた。

「ブルーベリーのケーキとやら、期待してるからな。三十分で戻る」
「ちょっ、恭介! せめてその髪!」
「ふっさふさだから構わん、ふっさふさ」

 そのままするりと恭介は出て行ってしまう。外から鍵まで掛けられて軟禁状態で薫は取り残された。しんと静まり返った室内で薫は一人立ち尽くしたのち毒づいた。

「ああ、もう! 人の話を聞かないんだから、恭介の馬鹿! もしものことがあったら最期の言葉が『ふっさふさ』ってマヌケすぎるだろ!!」

 そうして更に勢い良くボウルの中身を掻き混ぜ始めた。そんな薫は恭介と出会って以来、初めて独りになってみて、ようやくヤクザとしての思考回路を起動させ始めていた。

◇◇◇◇

 三十分と言ったが恭介が戻ってきたのは約三時間と三十分後のことだった。

 当然のことながら薫は心配しすぎて猛烈に腹を立てており、その間の行動を逐一追求した挙げ句、県警本部にまで出頭していた事実を恭介に吐かせる。

「僕の携帯ナンバーもメアドも知ってるのに、何で連絡のひとつくらい入れられないのさ!」
「嫁さんでも貰ったみたいだな……」
「何か仰いましたか?」

「謝っただけだ、すまん」
「誤魔化されないからね。大体外を出歩くなら銃の一丁くらい持っててくれないと」

 手許に銃のある生活をして六日間、薫の常識も随分と世間様からずれてきてしまっているようだった。対して恭介は県警本部で元同僚から得てきた情報を開陳してご機嫌取りである。

「滝本組系列で近く大きな取引があるらしい。ブツが何かは確定できていないらしいが、麻取まとりが色めき立っている」

 麻取とは厚生局の麻薬取締官のことだ。勿論司法警察員で、警察とは県警組対の薬物銃器対策課と連携して行動を起こすことが多いので縁が深い。

「既に滝本系の何処かにシャブは流れ込んでいる。少量でルートを作り上げ、今度は大量のブツを仕入れるらしいというのが麻取の見方だ」
「今夜九時のイヴェントもクスリの取引関係なのかな?」
「そこまでは分からん。警察も麻取も例のURLを掴んでいる訳じゃないからな」

「そうだよね。けど滝本組系は二次団体の樫原も、その下の梅谷も表立ってクスリは御法度だよ。それでも樫原で僕が使われたように多少は流れてるみたいだけどね、所詮はヤクザだし」
「無論、滝本としては認めないだろう。だがこの辺りのヤクザのシマに今までもシャブが流れていたのは事実だ。そのルートだけでなく県外にでも流せば一気に稼げる。上納金を一桁上げれば滝本だって可能性には目を瞑るだろう」

 少し考えた薫はポケットからUSBメモリを取り出して見せた。

「恭介は大々的にシャブを取引するのは樫原組で、今晩九時のURLのサイトが取引の窓口だと思ってるよね?」
「ブツが本当にシャブかどうかは分からんが、取引だとは思ってるさ。実際シャブの可能性は高い。その映像で使われたシャブは、いわゆる『パケ』だったが、後で映った袋はユーザー向けの小さなものじゃなかった。樫原はシャブのルートに於ける最末端ではないということだ」

「そう言われれば……でもそれが僕や恭介と何の関係があるのかな?」
「まだ麻取はターゲットを絞り切れていない。だが樫原が最末端のユーザーではない事実をリークすれば麻取と組対は必ず樫原を叩く。今里は逮捕、樫原組も滝本から切られて解散だ」

 だがそれはある程度の映像データを当局に提出することが前提だった。薫は俯いてしまう。それこそ『被害者不詳』を押し通せる程度に動画を加工し提出したとしても、そもそも樫原組にガサが入れば動画の元データまで押収されるのは一緒なのだ。

 ニュースで予告されたようなガサではなく、麻取が動くならまず間違いなく極秘計画に則って行われる急襲である。シャブだけでなくチャカなどと一緒に動画データも隠すヒマなく浚われて、全ては白日の下に晒されてしまうのだ。

 そうなれば薫は被害者として法廷に立たされる。内部抗争は避けられても薫個人が将来を失うのは同じことだった。
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