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第7話
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「『通勤はスカイチューブ』って課長命令じゃなかったっけ?」
「『出勤』って聞いたぞ。今は退勤だろ」
署を出て右手に向けて歩く。二人が仰ぎ見ると超高層ビル同士を串刺しして繋ぐスカイチューブに、今まさに衝突防止の航空灯が灯った。夕暮れ近い空に色分けされて輝くそれは、周囲のビルの明かりと共にクリスマスイルミネーションのように騒々しい。
単身者用官舎ビルまでの七、八百メートルを何事もなく二人は歩いた。
「買い物はどうすんだ?」
帰りに官舎の地下にあるショッピングモールで食材の買い物をするのが主夫ハイファの日課なのだ。料理のことなど何も知らないシドは荷物持ちである。
「うーん、出掛ける前だからいいや」
余計なストライクを避ける意味もあり、二人は大人しくビルのエントランスに立った。オートドア脇のリモータチェッカにリモータを翳す。
マイクロ波でIDデータを受けた受動警戒システムが瞬時にX‐RAYサーチし本人確認をした上で、一人につき五秒間だけ防弾樹脂製のドアを開ける。銃は勿論登録済みだ。
住んでいるのは一介の平刑事だけではないのでセキュリティが厳しいのは仕方がない。
エレベーターで五十一階に上がる。廊下を歩いて突き当たり、右側のドアがシドで左側がハイファの自室だ。ここで一旦左右に分かれる。
自室に戻ったハイファはソフトスーツの上着を脱いで執銃を解くと、さっさと部屋をあとにする。貰っているキィロックコードでシドの部屋を開けた。
二人が今のような仲になって以来、着替えやバスルームでリフレッシャを浴びるとき以外の殆どのオフの時間を、ハイファもシドの部屋で過ごすようになっていた。
靴を脱いで上がると、キッチンの椅子に前後逆に座って背凭れを抱くように煙草を吸っているシドから煙草を取り上げ、そっと黒髪の頭を抱いてソフトキスをする。
「ただいま」
「ん、おかえり」
「すぐに食べられそう? メニューはパスタとサラダの予定」
「そんなに急ぐこともねぇが、いつ発つんだ?」
「早いに越したことはないけど、流されてたのはチケットじゃなくてクレジットだけ」
「じゃあ、明日の朝イチでどうだ?」
「構わないよ。なら早めに作っちゃうね」
ドレスシャツの上に愛用の黒いエプロンを着けたハイファは、シドにはとても理解できない手際の良さで二十分も経たないうちにカルボナーラと温野菜サラダ、残り物整理らしいソーセージとピーマンの炒め物を作り上げていた。
「貴方、飲むなら飲んでもいいよ。どうせ酔わない体質なんだし」
「遠慮なく、そうさせて貰う」
キッチンでのシドはコーヒーを淹れるか酒を注ぐくらいしかできない。自分の仕事であるカトラリーの準備だけすると、ジントニックを作って椅子に腰掛け直した。
食事中はなるべく仕事の話をしないのが二人の暗黙のルール、それでも話題は署の事に終始する。ヤマサキの嫁さんの腹の第二子は順調だの、マイヤー警部補とその彼氏を激写したポラが業務課の腐女子の間を駆け巡っているらしいだのといった雑談で過ごした。
食事を終えると後片付けをシドが請け負い、ハイファは一時帰宅だ。
食器を洗浄機に入れたシドはコーヒーメーカをセットしてからバスルームに向かう。服を脱ぐ片端からダートレス――オートクリーニングマシン――に放り込み、スイッチを入れてバスルームでリフレッシャを浴びる。洗浄液で全身を洗って熱い湯で泡を流した。
さっぱりして全身をバスルームのドライモードで乾かし、部屋着のグレイのスウェットを着て出て行くと、キッチンと続き間のリビングには、既に定位置である壁際の二人掛けソファにハイファが座っていた。
寝間着代わりの紺色の柔らかなドレスシャツと薄地の黒いズボンを身に着けている。解かれた長い後ろ髪が背に流れていた。
「コーヒー、お先に貰ってるよ」
シドは自分もマグカップにコーヒーを注ぎ、ロウテーブルを挟んだ向かいの独り掛けソファに腰を下ろす。コーヒーをひとくち飲むと煙草を咥えオイルライターで火を点けた。
「で、何がどうだって?」
ハイファはリモータアプリの十四インチホロスクリーンを立ち上げている。
「命令書にあった機密資料とサンプル、これは兵器だね」
身を乗り出してシドもホロスクリーンに映ったモノを眺めた。本当はそんなことを訊きたかった訳ではないのだが、取り敢えずは任務優先だ。
「俺たちにも完全な閲覧権はねぇみたいだな」
「削除部分が多いよね。でもほら、ミサイルみたいな感じだよ」
「感じっつーよりミサイルだろ、これは」
「だけど中身は炸薬が弾頭に少し、あとはナノマシンが無数に詰まってる」
「ナノマシンって人間ドックで血管掃除したり、脳手術で使ったりするアレか?」
「イメージはそんなもの。でもこれはEMP爆弾だよ。無数のナノマシン一個一個が電磁パルスを発して、通信回線や電子機器を使い物にならなくする。そんなものが高度文明圏でバラ撒かれたら、電子的ネットワークが破壊されて大混乱になっちゃう」
「ふうん」
シドは紫煙を吐いて続ける。
「だが、ンなモンとっくの昔に開発してるだろうが」
「うん、それはそうだね。遥か昔に軍が作ってただけじゃない、実際に紛争や戦争で他国に対し使用してる。でもこれは自己増殖するんだよ、バラ撒かれたナノマシン自身が」
「細胞分裂か単為生殖みたいに、か?」
「その表現はかなり的確だね。ナノマシン自身がそこらにある物質の分子を取り込んで、自分のクローンを作り出す。BELや宙艦の外殻金属が傷を入れられてもある程度だったら自己修復しちゃうみたいに、どんどん増える機能を持ってる」
聴いてシドは首を傾げた。
「分裂ナノマシンなんてのも昔からあっただろ」
「確かに植物の細胞質分裂に関与するナノマシンなんてのはAD世紀に解析されてるよ。でもこれは徹底して攻撃型ナノマシンとして開発された。どんな条件下でも安定して増殖し続けるのは脅威だよ。これが機密たる所以だね」
「その電磁虫を駆除する方法は……ねぇんだな?」
「今のところはそうみたい。駆除ウイルスは鋭意開発中で電磁虫自体もまだ試験段階に入ったばかり、その試作第一号のナノマシンを持ち出されたって書いてある」
「全く軍ってヤツは、ロクでもねぇことに税金使ってやがるな」
開発者の博士のポラ、それこそバグったような顔をシドは睨めつける。
「精確には開発したのは軍じゃないよ。このラザレス博士はテラ連邦軍の技研に招聘されたけど、元はスカディ星系第四惑星バルドルのヴァリ中央大学教授だった。大学付属の研究所で自己増殖ナノマシンは作られたんだって」
「スカディ星系か。あそこは優秀な遺伝子を優先的に残したみたいだしな。んで、鼻の利く軍がそいつを抱き込んだのはいいが、また鼻の利く別室員がナノマシンを奪ったと」
「ラザレス博士は大学のラボ時代に異星系人種と交流があって、何を洩らして何を隠しているのか分からない、つまりはスパイ嫌疑が掛かってた。それで別室員が研究助手の隠蔽で張り付いてたんだよ」
カヴァーとは隠蔽としての人物像である。平たく云えば『ふりをする』ことだ。
「その研究助手が別室員ダグラス=カーターだったのか?」
「と、そのバディであるティム=カーライル二尉だね」
資料を繰って二人は読み進める。
「ダグラス=カーターが消えたのは九日前なあ」
「同時にティム=カーライル二尉も消えて、一時は彼にもナノマシン隠匿容疑が掛かってるよ。死亡推定日は約十日前」
二人は今日見た腐乱死体を思い出し、少々げんなりした。
「『出勤』って聞いたぞ。今は退勤だろ」
署を出て右手に向けて歩く。二人が仰ぎ見ると超高層ビル同士を串刺しして繋ぐスカイチューブに、今まさに衝突防止の航空灯が灯った。夕暮れ近い空に色分けされて輝くそれは、周囲のビルの明かりと共にクリスマスイルミネーションのように騒々しい。
単身者用官舎ビルまでの七、八百メートルを何事もなく二人は歩いた。
「買い物はどうすんだ?」
帰りに官舎の地下にあるショッピングモールで食材の買い物をするのが主夫ハイファの日課なのだ。料理のことなど何も知らないシドは荷物持ちである。
「うーん、出掛ける前だからいいや」
余計なストライクを避ける意味もあり、二人は大人しくビルのエントランスに立った。オートドア脇のリモータチェッカにリモータを翳す。
マイクロ波でIDデータを受けた受動警戒システムが瞬時にX‐RAYサーチし本人確認をした上で、一人につき五秒間だけ防弾樹脂製のドアを開ける。銃は勿論登録済みだ。
住んでいるのは一介の平刑事だけではないのでセキュリティが厳しいのは仕方がない。
エレベーターで五十一階に上がる。廊下を歩いて突き当たり、右側のドアがシドで左側がハイファの自室だ。ここで一旦左右に分かれる。
自室に戻ったハイファはソフトスーツの上着を脱いで執銃を解くと、さっさと部屋をあとにする。貰っているキィロックコードでシドの部屋を開けた。
二人が今のような仲になって以来、着替えやバスルームでリフレッシャを浴びるとき以外の殆どのオフの時間を、ハイファもシドの部屋で過ごすようになっていた。
靴を脱いで上がると、キッチンの椅子に前後逆に座って背凭れを抱くように煙草を吸っているシドから煙草を取り上げ、そっと黒髪の頭を抱いてソフトキスをする。
「ただいま」
「ん、おかえり」
「すぐに食べられそう? メニューはパスタとサラダの予定」
「そんなに急ぐこともねぇが、いつ発つんだ?」
「早いに越したことはないけど、流されてたのはチケットじゃなくてクレジットだけ」
「じゃあ、明日の朝イチでどうだ?」
「構わないよ。なら早めに作っちゃうね」
ドレスシャツの上に愛用の黒いエプロンを着けたハイファは、シドにはとても理解できない手際の良さで二十分も経たないうちにカルボナーラと温野菜サラダ、残り物整理らしいソーセージとピーマンの炒め物を作り上げていた。
「貴方、飲むなら飲んでもいいよ。どうせ酔わない体質なんだし」
「遠慮なく、そうさせて貰う」
キッチンでのシドはコーヒーを淹れるか酒を注ぐくらいしかできない。自分の仕事であるカトラリーの準備だけすると、ジントニックを作って椅子に腰掛け直した。
食事中はなるべく仕事の話をしないのが二人の暗黙のルール、それでも話題は署の事に終始する。ヤマサキの嫁さんの腹の第二子は順調だの、マイヤー警部補とその彼氏を激写したポラが業務課の腐女子の間を駆け巡っているらしいだのといった雑談で過ごした。
食事を終えると後片付けをシドが請け負い、ハイファは一時帰宅だ。
食器を洗浄機に入れたシドはコーヒーメーカをセットしてからバスルームに向かう。服を脱ぐ片端からダートレス――オートクリーニングマシン――に放り込み、スイッチを入れてバスルームでリフレッシャを浴びる。洗浄液で全身を洗って熱い湯で泡を流した。
さっぱりして全身をバスルームのドライモードで乾かし、部屋着のグレイのスウェットを着て出て行くと、キッチンと続き間のリビングには、既に定位置である壁際の二人掛けソファにハイファが座っていた。
寝間着代わりの紺色の柔らかなドレスシャツと薄地の黒いズボンを身に着けている。解かれた長い後ろ髪が背に流れていた。
「コーヒー、お先に貰ってるよ」
シドは自分もマグカップにコーヒーを注ぎ、ロウテーブルを挟んだ向かいの独り掛けソファに腰を下ろす。コーヒーをひとくち飲むと煙草を咥えオイルライターで火を点けた。
「で、何がどうだって?」
ハイファはリモータアプリの十四インチホロスクリーンを立ち上げている。
「命令書にあった機密資料とサンプル、これは兵器だね」
身を乗り出してシドもホロスクリーンに映ったモノを眺めた。本当はそんなことを訊きたかった訳ではないのだが、取り敢えずは任務優先だ。
「俺たちにも完全な閲覧権はねぇみたいだな」
「削除部分が多いよね。でもほら、ミサイルみたいな感じだよ」
「感じっつーよりミサイルだろ、これは」
「だけど中身は炸薬が弾頭に少し、あとはナノマシンが無数に詰まってる」
「ナノマシンって人間ドックで血管掃除したり、脳手術で使ったりするアレか?」
「イメージはそんなもの。でもこれはEMP爆弾だよ。無数のナノマシン一個一個が電磁パルスを発して、通信回線や電子機器を使い物にならなくする。そんなものが高度文明圏でバラ撒かれたら、電子的ネットワークが破壊されて大混乱になっちゃう」
「ふうん」
シドは紫煙を吐いて続ける。
「だが、ンなモンとっくの昔に開発してるだろうが」
「うん、それはそうだね。遥か昔に軍が作ってただけじゃない、実際に紛争や戦争で他国に対し使用してる。でもこれは自己増殖するんだよ、バラ撒かれたナノマシン自身が」
「細胞分裂か単為生殖みたいに、か?」
「その表現はかなり的確だね。ナノマシン自身がそこらにある物質の分子を取り込んで、自分のクローンを作り出す。BELや宙艦の外殻金属が傷を入れられてもある程度だったら自己修復しちゃうみたいに、どんどん増える機能を持ってる」
聴いてシドは首を傾げた。
「分裂ナノマシンなんてのも昔からあっただろ」
「確かに植物の細胞質分裂に関与するナノマシンなんてのはAD世紀に解析されてるよ。でもこれは徹底して攻撃型ナノマシンとして開発された。どんな条件下でも安定して増殖し続けるのは脅威だよ。これが機密たる所以だね」
「その電磁虫を駆除する方法は……ねぇんだな?」
「今のところはそうみたい。駆除ウイルスは鋭意開発中で電磁虫自体もまだ試験段階に入ったばかり、その試作第一号のナノマシンを持ち出されたって書いてある」
「全く軍ってヤツは、ロクでもねぇことに税金使ってやがるな」
開発者の博士のポラ、それこそバグったような顔をシドは睨めつける。
「精確には開発したのは軍じゃないよ。このラザレス博士はテラ連邦軍の技研に招聘されたけど、元はスカディ星系第四惑星バルドルのヴァリ中央大学教授だった。大学付属の研究所で自己増殖ナノマシンは作られたんだって」
「スカディ星系か。あそこは優秀な遺伝子を優先的に残したみたいだしな。んで、鼻の利く軍がそいつを抱き込んだのはいいが、また鼻の利く別室員がナノマシンを奪ったと」
「ラザレス博士は大学のラボ時代に異星系人種と交流があって、何を洩らして何を隠しているのか分からない、つまりはスパイ嫌疑が掛かってた。それで別室員が研究助手の隠蔽で張り付いてたんだよ」
カヴァーとは隠蔽としての人物像である。平たく云えば『ふりをする』ことだ。
「その研究助手が別室員ダグラス=カーターだったのか?」
「と、そのバディであるティム=カーライル二尉だね」
資料を繰って二人は読み進める。
「ダグラス=カーターが消えたのは九日前なあ」
「同時にティム=カーライル二尉も消えて、一時は彼にもナノマシン隠匿容疑が掛かってるよ。死亡推定日は約十日前」
二人は今日見た腐乱死体を思い出し、少々げんなりした。
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