あなたがここにいてほしい~Barter.7~

志賀雅基

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第2話

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「京哉くん、何をそんなに熱心に見てるのかな?」
「やっ、何するんですか、副隊長! 返して下さい!」

 眼鏡といっても伊達眼鏡で度は入っていない。暗殺スナイパー時代に自分を目立たなくするためのアイテムとして導入しただけで、なくても生活に支障はないのだ。
 けれど掛け慣れてしまい、今では顔のパーツの一部となっているのでフレームのない視界は落ち着かないのである。それに放っておくと増長するのは毎度のことなのだ。

「ちょっ、お願いですから返して下さい!」
「嫌だね。仕事中に霧島さんばかり眺めている悪い子にお仕置きだよ。それに俺にもその綺麗な顔を見せてくれなきゃ不公平だろ?」

 訳の分からない言動で京哉を翻弄する小田切基生もとおは二十六歳だ。

 馬鹿馬鹿しい言動を繰り返していてもキャリアで霧島の二期後輩である。京哉と同じく非常勤のSAT狙撃班員でもあった。男女問わない数々の恋愛遍歴を誇り、機捜に異動したその日に皆の前で霧島から京哉を奪う宣言をぶちかました男だ。

 そんなものは霧島と京哉にとって意味のない横恋慕でしかないのだが、ペアリングまで嵌めた二人に割って入ろうとするド根性からして迷惑極まりなくも結構本気らしい。霧島より少し低いくらいの長身で茶色い瞳が特徴の自称・他称『人タラシ』だ。

「何がどう不公平なのか、全然分からないんですけど?」

 立ち上がった京哉は小柄ながら小田切を見上げて睨みつけた。好きな女の子にちょっかいを出す男子小学生レヴェルの悪戯など無視しても構わないのだが、今に限っては書類が滞ってカリカリしていた。

 本気の不機嫌を目に溜めていると、ふざけすぎたと思ったのか小田切は諸手を挙げたのち、京哉にメタルフレームの眼鏡を掛けさせる。
 京哉は下らないことで自分がキレなかったのにホッとした。

 だがそこで京哉に一瞬の隙が生まれる。チャンスとばかりに小田切は屈んで京哉に唇を寄せた。昼食休憩で警邏から戻ってきていた本日上番の三班の隊員たちが「おお~っ!」と囃し立て、口笛を吹く。しかし京哉は咄嗟に手で自分の口を覆っていた。

 当然ながら唇はニアミス、そこにペンが飛んできて小田切の後頭部にヒットする。

「痛っ! 何するんだよ、霧島さん……ごふっ!」

 ペンを投げた霧島に文句を垂れようと振り向いたタイミングで、今度は分厚い日報の冊子が飛んできて腹を直撃したのだ。モロに角が入って小田切は涙目になる。隊員たちは大笑いだ。霧島は涼しい顔で手首を振っている。

「ああ、すまん。手が滑った」
「ふざけんなよ、内臓が破裂するだろっ! 殺人未遂レヴェルだぞ、これは!」

 喚いた小田切は電話帳並みに重量のある日報を拾い上げた。霧島と京哉は既にノートパソコンでの作業に戻っていて小田切には目もくれない。
 仕方なく小田切もデスクに戻って京哉から割り振られた仕事を確認し始めた。

 頃合いを見計らって京哉は再び立つと給湯室でトレイにずらりと並べた湯呑みに丁寧に茶を淹れる。お茶汲みも秘書たる京哉の大事な仕事だった。詰め所で弁当を頬張る隊員たちに茶を配ると弁当を三つ確保し、湯呑みと共に上司たちにも配給する。

「さてと。食べて英気を養って、午後こそはしっかりと働きましょう」

 ここでは隊員たちの夜食も含めて一日四食三百六十五日全てが近所の仕出し屋の幕の内弁当と決まっていた。迷うことを知らない霧島がそれしか注文しないからだ。
 けれど却っておかずに季節の彩りの変化が表れていたりするので誰も文句は言わない。
 今日は舞茸の天ぷらと煮物に松葉の刺さった銀杏が添えられていた。

 弁当を食しながら京哉は上司たちと明日からの連休中のメニューの話題で盛り上がる。霧島が『一週間の献立レシピ集』をダウンロードしていたのも京哉との共同生活において一週間交代で食事当番とゴミ当番が回ってくるからだ。

「茶碗蒸しもいいですけど、おかずにするにはインパクトが薄いですよね」
「俺は鍋がいいな。すき焼きか寄せ鍋。なあ、京哉くん。鍋作ってよ、鍋」

 甘え声を出した小田切に霧島が冷たい目を向けて吐き捨てた。

「小田切、また貴様はうちにたかりに来る気か?」
「霧島さんに頼んでないよ。俺は京哉くんにお願いしてるんだ」
「ふっ、残念だな。今週の食事当番は私だ」

 そう霧島が斬って捨てた一方で、京哉は鍋で団らんに魅力を感じ始めている。キノコ類や白菜も近所のスーパーで安くなっていた。そこで年上の男を宥めてみる。

「でも朝晩は寒いくらいですし、みんなで鍋を囲むのもいいんじゃないでしょうか」
「ほーら、賛成多数で鍋に決まりだ。やっぱり京哉くんは優しいなあ」

 年下の恋人が小田切の援護射撃をしたのが気に食わず霧島は目も上げずに言った。

「ならば貴様には春菊と白滝だけなら食わせてやろう」
「うっわ、ケチ臭っ!」
「カネも出さずにたかるのはケチではないのか。それに貴様は味の染みた白滝の価値を舐めているな? 食物繊維も豊富な名脇役でだな――」
「あんたは鍋奉行かよっ!」

 話を聞いて隊員たちも笑っていた。だが彼らはのんびりしていられない。食事を終えた者から再び警邏に出かけてゆく。
 京哉も弁当をさらえてしまうと湯呑みを回収して給湯室で洗い物をした。綺麗に片付くと詰め所のデスクに戻って煙草を咥え、オイルライターで火を点ける。同じく喫煙者の小田切も至福の一本を味わっていた。

 吸いながらも京哉は急ぎの書類の代書を再開する。視線を上司に向けると遅まきながら霧島も本格的に書類に手を付けたらしかった。小田切も咥え煙草で割と真面目な顔つきだ。これが普通なのだが安堵してしまう京哉はやはり麻痺している。

 何せ『書類は腐らん』と公言して憚らない霧島だ。そんな隊長をその気にさせるまでが難儀なのだが、始めてしまえば音に聞こえたキャリアが二人である。仕事は超速で進んだ。この分なら連休前に督促メールが来ている書類だけでも終わらせることができそうだった。

 などと思った矢先に機捜本部の指令台に就いていた三班長の佐々木ささき警部補が振り向き合図した。同時にスピーカーの音声を出す。警邏中の隊員からの声が流れ始めた。

《――こちら機捜五。白藤しらふじ市内の第二片山かたやまビル一階、古川ふるかわ書店にて『泥棒だ!』と叫んでいた店主の男性を保護。男性は足を引きずり怪我をしている模様。至急各局の応援願う》

 残っていた隊員たちが飛び出してゆく。佐々木三班長が近辺の覆面に専務系無線で指令を出して現場に急行させ、県警指令部にも連絡して関係各局への同時通報を依頼した。ここは白藤市、現場はごく近い。京哉が振り返ると霧島が立ち上がっていた。

「隊長も出るんですか?」
「ああ、強盗事案の可能性がある。鳴海、行くぞ!」
「ちょっと待った!」

 副隊長の小田切までが出るつもりらしく、武器庫に駆け込んでゆく。普通の刑事は通常なら銃など携帯していない。だが機捜隊員はその職務の性質から凶悪犯とばったり出くわすことも考慮され、職務中は銃の携帯が義務付けられていた。

 更に霧島と京哉は様々な事件に関わった挙げ句、県内でも有数の指定暴力団から恨みを買っているため、県警本部長から特別に職務中以外でも常時銃を携帯するよう下命されていた。故に武器庫にいちいち銃を取りに行かなくても携帯している。

 機捜隊員に所持が許可され、二人がスーツの左懐にショルダーホルスタで吊っているのはシグ・ザウエルP230JPなる薬室チャンバ一発マガジン八発の合計九発を発射可能なセミ・オートマチック・ピストルだが、通常弾薬の三十二ACP弾は五発しか貸与されない。

 そして他都道府県警の機捜は銃をショルダーホルスタで吊らず、セカンドバッグやウェストポーチなどに入れて携帯することが多いが、置き忘れ事案も多々発生するため、ここでは霧島隊長の方針で皆がショルダーで携帯するよう徹底されていた。

 その銃を慌てて取りに走った小田切に構わず霧島は詰め所から駆け出した。勿論バディの京哉も一緒だ。内勤の機捜隊長と秘書がバディというのも珍しいが霧島にとってバディは京哉以外にあり得ない。

 バディは背中を預け、ときに命を預け合う。互いにこれ以上なく信頼できる腕と判断力を持ち、持たない部分は補い合える相手だった。

 そもそも機捜隊長が直々に出張ることでもなく、霧島自身も己の職務は責任を取ることだと心得てはいるが、犯罪者がのうのうと街を闊歩するのを許せないのも霧島である。
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