あなたがここにいてほしい~Barter.7~

志賀雅基

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第3話

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 階段を駆け下りながら京哉は雨だというのを思い出したが仕方なかった。

「でも、まさか隊長は書類仕事から逃げた訳じゃないでしょうね?」
「私がそんな卑怯な真似をするとでも思っているのか?」

 しかつめらしく言ったが霧島の灰色の目は泳いでいた。京哉は溜息をつく。

 そのまま二人は裏口からそぼ降る雨の中に飛び出した。専用駐車場に駐められたパトカーを縫いメタリックグリーンの覆面、殆ど隊長専用車となっている機捜一の運転席に霧島が、助手席に京哉が滑り込む。あとから小田切の大声が聞こえたような気もしたが、既に霧島は覆面を発車させていた。

 古めかしくも重々しいレンガ張り十六階建て庁舎を迂回し、全面が駐車場の前庭を縦断する。大通りに出ると京哉が無線で指令センターに許可を取った。
 許可はすぐに下りてパトライトと緊急音を出し、霧島はアクセルを踏み込む。

「第二片山ビル、ここからなら七、八分ですかね」
「そうだな。古川書店、コンビニと楽器店に挟まれた古本屋だったか」
「古本屋さんに強盗なんて、ちょっと珍しいマル被ですね」
「確かにな。ただセキュリティの面からすれば押し込みやすいだろう」
「なるほど、それは言えるかも」

 輻輳する緊急音が雨粒を震わせる中、二人の乗った覆面は第二片山ビルの根元に現着した。傘を差した野次馬の輪から少し離れた路肩に駐車し、二人は覆面を降りて人をかき分ける。
 雨に濡れながらやっとイエローテープの規制線を跨ぎ越すと、まだ救急車が停まっていた。京哉が腕時計を見て確認すると、いつも通りに声に出す。

「十六時七分、臨場と。あれ何ですかね?」

 京哉が指したのは古本屋の軒先で地面に座り込み、大声で喚いている老人だった。その老人を前にして救急隊員や所轄である白藤署の刑事課員らが頭を振っている。何やら揉めているようだが、事件でもない揉め事に積極関与する趣味は二人にはない。

 そこで京哉が辺りを見回すと機捜三班の隊員で第一報を告げた栗田くりた巡査部長と目が合った。相勤者の吉岡よしおか巡査長が一緒だ。向こうも京哉と霧島を見つけ走ってくる。

 相互に敬礼しつつ雨を避けて軒下に移動しながら栗田から話を聞いた。

「隊長直々にご苦労様っす。でもこの案件、隊長が出張るほどじゃないっすよ、元は古本一冊万引きした男が店主に見つかって逃走しただけっすから」
「ならば救急は何なんだ?」
「いやあ、あの爺さんが店主でマル害なんスが万引き男を自ら捕まえようとして振り払われた拍子に転んで足を捻ったと。せいぜい捻挫くらいらしいんすけど、被害届に必要だって説得しても相当な病院嫌いみたいで、あそこで頑張ってるんスよ」

 霧島と京哉は振り返ると同時に溜息を洩らす。万引きも許されない罪だが捻挫程度であっても相手に怪我をさせたら強盗致傷だ。微罪措置で調書取って釈放パイという訳にはいかず格段に重い罪になってしまう。この場合は厳密には事後強盗という。

「それでマル被の人着にんちゃく及び店内カメラは?」
「マル害に依るとマル被の男は以前も見かけた客で、人相・着衣共にバッチリっす。身長百六十八センチ、痩せ型、紺色のジャケットにジーンズ姿、黒いデイパックを背負っていて細面の色白、吊り気味の目です。結構な色男らしいっスよ。もう各局に流しました。店内カメラはありません」
「近辺の店舗へのカメラ映像供出要請は所轄がやるだろう。では警邏に戻ってくれ」
「了解です」

 栗田と吉岡は身を折る敬礼をして去る。入れ替わりに県警捜査一課まで臨場した。強盗タタキが大げさに伝わったらしい。
 機捜はあくまで覆面での機動力を求められるのみ、地取じどりと呼ばれる聞き込みや敷鑑しきかんという人間関係の捜査などは所轄や捜一が担当する。臨場したら必然的に最上級者となる霧島もよその捜査方針には口を挟まない。

 ということで二人は良く知る老練捜査員である捜一の三係長と所轄刑事課の強行犯係長に挨拶し、自分たちも警邏に出るべく覆面に戻った。
 本格的に濡れる前だったがスーツはしっとりしてしまっている。エアコンを強くしてからパトライトを下げた。無論、私服の隠密行動警邏なので緊急音も鳴らさない。

 ゆったりと霧島が走らせる覆面の助手席で京哉は窓外を注視する。

「でもこんな日は傘で顔が隠れちゃいますからね」
「着衣とデイパックで判断するしかないな」

 この辺りはオフィスと店舗が入り混じった界隈で雨の中ながら買い物客も割と多くスーツ姿で傘を差した勤め人はもっと多かった。お蔭でジーンズとデイパックも目立たない。そんな歩道に目を向けた京哉は雨を透かして人々を目で走査してゆく。

「うーん、こんなに人がいると却って職務質問バンカケ対象も見つかりませんね」
「そうだな。ところで京哉、もう五日だぞ」
「何が五日なんですか?」
「何って、ほら、ナニだ」

 思わず京哉が霧島の方を振り返ると霧島は婀娜っぽいような視線を寄越していた。

「忍さん、前見て、前!」
「分かっている。だが忙しくとも五日もお預けだ。お前は私が欲しくないのか?」
「そう言う霧島警視は誰のお蔭で残業続きになったのか、ご存じの筈ですが」
「確かに前の一件でお前が入院している間に書類が滞ったのは承知している」
「滞ったんじゃなくて滞らせたんでしょう。全く見張ってないとすぐサボって……」

 愚痴る京哉に涼しくも真面目な顔で頷きつつ裏通りに入り込んだ霧島は路肩に覆面を停める。そうしてシートベルトを外すと身を傾がせ、京哉を抱き締めてその口を己の口で塞いだ。肩を押さえられ後頭部を支えられ貪るようなキスを仕掛けられる。

「んんぅ……んっ、ん――」

 こんな所を誰かに見られてはならない。京哉は暴れたが霧島の長身は揺らがなかった。口内を舐め回され舌を絡め取られて唾液ごと吸い上げられる。眩暈がするくらい霧島の舌づかいは巧みで京哉は頭の芯が白熱し、流されそうな理性を必死で留めた。

「うんっ……はあっ! 忍さん、何てことをするんですかっ!」
「結局応えたクセに照れるな」
「けど、これをどうしてくれるんですか、もう!」
「私も同じ、健康な証拠だ。だから……なあ、今晩、いいだろう?」

 こちらを見る灰色の目には情欲が溢れそうに湛えられていた。年上の男の低い甘え声に弱い京哉はもう頷くしかない。霧島は非常に機嫌良く覆面を走らせ始めた。

 一時間ほども市内を巡ってみたが成果はなく、十七時半の定時前に本部へと戻る。
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