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第8話
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帰路に就いてから全てにおいて呆然としたままだった小田切が口を開いた。
「なあ、高見じゃなくて香坂、香坂怜だろ?」
「……」
「あんたは俺と付き合ってた香坂怜じゃないのか?」
「……」
「俺と別れてから警視昇任して警視庁公安部で管理官を拝命したって聞いたぜ?」
さすがにこの科白には霧島も驚いてブレーキを踏んだ。覆面を路肩に停めて後部座席を振り向くと、高見と小田切を交互に見る。そうして見比べた挙げ句に窺うような目を自分の部下に向けて訊いた。
「貴様、脳は大丈夫か?」
「本当なんだって! 俺はたった三ヶ月だがこいつと付き合ってたんだって!」
「分かった。分かったから落ち着け。世の中には同じ顔の人間が三人いると言う説を知っているか?」
「それに捜一が戸籍まで調べた上での逮捕状ですからね」
二人から宥める口調で言われて小田切は黙り込んだ。だが納得した訳でなく、これ以上主張してもオツムの具合を疑われて可哀相な奴と思われると悟った、それだけだというのが霧島と京哉には空気で分かった。
そんな空気の充満する覆面を再び霧島は出したが、本部に着くまで小田切はともかく逮捕された高見も一言も喋らなかった。
機捜の詰め所に戻ると早速高見を取調室に入れて栗田と吉岡に相手をさせる。もし余罪が出たら大金星の可能性もあるために今回の功労者の二人に聴取させたのだ。
一方、残った幕の内弁当で遅い昼食にした京哉と霧島は、射殺事件マル害及びキス案件が尾を引いているとも思えないのに弁当に箸も付けず黙考し続けながらチェーンスモークする小田切をチラチラと窺っていた。
目を離す訳にはいかない。
何故なら本当におかしくなった男をここに置いておけないからだ。銃がある。
そこで小田切の科白を思い出し、京哉は霧島に訊いてみる。
「隊長は『香坂警視』をご存知ですか?」
「ああ。キャリアの世界は狭いからな。確かに小田切と同期だが総合職試験をギリギリでクリアした小田切と違い、真っ先に警視に昇任したと聞いている」
「ふうん。総合職試験をトップで突破した隊長並みに出来のいい人なんですね」
「鳴り物入りで警視庁に入庁、それも最初から花形の捜一に配属されたらしいな」
「そんな出来た人でも『人タラシ』に引っ掛かっちゃうなんて……」
「『付き合っていた』というのも幻覚かも知れんぞ?」
「わあ、そこからですか。病識がないのは怖いですよね」
こういった会話も聞こえている筈だが、いつものように食いついてこないのも不気味だった。だがいつまでも小田切だけに構っているヒマはない。さっさと弁当を食して、まだ昼食を摂っていない栗田・吉岡組と交代してやらなければならないからだ。
しかし取調室から出てきた栗田らは浮かない顔をしていた。
「奴さん、口を何処かに落っことしてきたんじゃないっすかね?」
「ここにきて罪状認否にも答えない完黙ですからね。参りましたよ、全く」
機捜のお笑い担当である栗田はさておきベテランの吉岡巡査長がそう言うのだ。逮捕時の素直さから簡単に落ちると思っていた京哉と霧島は顔を見合わせる。とにかくそのまま交代して二人は取調室に入った。
パイプ椅子に座った高見は非常に静かな呼吸を繰り返しながら目を瞑っていたが、指先がデスクを軽く叩いているので起きているのが分かる。
「私は機動捜査隊の霧島だ。そちらの記録係は鳴海。宜しく付き合いを頼む」
「……」
「逮捕時に告げた通り、きみは先週金曜に白藤市内の古川書店で万引きし、その際に店主の古川永次と揉み合い転倒させ、吉川永次の左足首に全治一週間の捻挫を負わせた事後強盗致傷の罪に問われている。その事実について言いたいことはあるか?」
「……」
「きみの部屋からは万引きしたと思しき文庫本一冊も押収されている。万引きした事実に関して認めるか、それとも否認するか?」
「……」
何をどう話しかけても反応がなかった。指先でデスクを叩くリズムすら変えない相手に弁護士を呼ぶかと訊いてみたが、これにも無反応である。取り敢えず一方的に国選弁護人を呼ぶとは通告したが、それにすら答えない。
意外な強敵だった。
夕方まで粘ってみたが完全にこちらを無視していて、まるで高見は独りで取調室に座っているかのようだった。
粘ってはみたが規則なので十七時には切り上げ高見を留置場に移し、明日には国選弁護人と接見可能だと告げて霧島と京哉は機捜の詰め所に戻る。これでは弁護士にも喋るかどうか怪しい。茶を飲み煙草を吸いながら京哉は霧島と共に溜息をついた。
「あそこまで固いとは思いませんでしたね」
「小田切の言い分ではないが、パチンコ店のバイトにしては固すぎるな」
「幾ら強盗致傷でも素直に吐けば執行猶予モノなのに」
「ヤクザか思想犯並みだな、あれは。何か理由でもあるのかも知れん」
「理由ってどんなですか?」
「まだ分からんが何処か引っ掛かる。何れにせよこのままだと勾留延長になるか、検察の聴取の状況によっては逆送で鑑定留置になるとも考えられる」
警察は逮捕後四十八時間以内に被疑者を検察に送致する。検察官は二十四時間以内に起訴するか勾留延長するか釈放するかのどれかを決めるのだ。
勾留延長請求し認められるとまた被疑者は警察の留置場に戻って十日間の取り調べである。必要なら更に十日間の延長で、つまり被疑者と警察は最長で二十二日間の付き合いになる訳だ。
検察送致の一日も含めたら最長二十三日間は被告でないまま拘束されることになるが、検察の取り調べの結果、精神的な問題から犯罪を犯した可能性があると判断した場合に鑑定留置といって警察に逆送致し、精神鑑定を行うのである。
鑑定留置、精神鑑定という言葉から連想して二人は小田切の方を眺めた。
小田切は何処でもない宙に視線を彷徨わせていて、京哉と霧島は通院させるため真剣に相談を始めた。
「なあ、高見じゃなくて香坂、香坂怜だろ?」
「……」
「あんたは俺と付き合ってた香坂怜じゃないのか?」
「……」
「俺と別れてから警視昇任して警視庁公安部で管理官を拝命したって聞いたぜ?」
さすがにこの科白には霧島も驚いてブレーキを踏んだ。覆面を路肩に停めて後部座席を振り向くと、高見と小田切を交互に見る。そうして見比べた挙げ句に窺うような目を自分の部下に向けて訊いた。
「貴様、脳は大丈夫か?」
「本当なんだって! 俺はたった三ヶ月だがこいつと付き合ってたんだって!」
「分かった。分かったから落ち着け。世の中には同じ顔の人間が三人いると言う説を知っているか?」
「それに捜一が戸籍まで調べた上での逮捕状ですからね」
二人から宥める口調で言われて小田切は黙り込んだ。だが納得した訳でなく、これ以上主張してもオツムの具合を疑われて可哀相な奴と思われると悟った、それだけだというのが霧島と京哉には空気で分かった。
そんな空気の充満する覆面を再び霧島は出したが、本部に着くまで小田切はともかく逮捕された高見も一言も喋らなかった。
機捜の詰め所に戻ると早速高見を取調室に入れて栗田と吉岡に相手をさせる。もし余罪が出たら大金星の可能性もあるために今回の功労者の二人に聴取させたのだ。
一方、残った幕の内弁当で遅い昼食にした京哉と霧島は、射殺事件マル害及びキス案件が尾を引いているとも思えないのに弁当に箸も付けず黙考し続けながらチェーンスモークする小田切をチラチラと窺っていた。
目を離す訳にはいかない。
何故なら本当におかしくなった男をここに置いておけないからだ。銃がある。
そこで小田切の科白を思い出し、京哉は霧島に訊いてみる。
「隊長は『香坂警視』をご存知ですか?」
「ああ。キャリアの世界は狭いからな。確かに小田切と同期だが総合職試験をギリギリでクリアした小田切と違い、真っ先に警視に昇任したと聞いている」
「ふうん。総合職試験をトップで突破した隊長並みに出来のいい人なんですね」
「鳴り物入りで警視庁に入庁、それも最初から花形の捜一に配属されたらしいな」
「そんな出来た人でも『人タラシ』に引っ掛かっちゃうなんて……」
「『付き合っていた』というのも幻覚かも知れんぞ?」
「わあ、そこからですか。病識がないのは怖いですよね」
こういった会話も聞こえている筈だが、いつものように食いついてこないのも不気味だった。だがいつまでも小田切だけに構っているヒマはない。さっさと弁当を食して、まだ昼食を摂っていない栗田・吉岡組と交代してやらなければならないからだ。
しかし取調室から出てきた栗田らは浮かない顔をしていた。
「奴さん、口を何処かに落っことしてきたんじゃないっすかね?」
「ここにきて罪状認否にも答えない完黙ですからね。参りましたよ、全く」
機捜のお笑い担当である栗田はさておきベテランの吉岡巡査長がそう言うのだ。逮捕時の素直さから簡単に落ちると思っていた京哉と霧島は顔を見合わせる。とにかくそのまま交代して二人は取調室に入った。
パイプ椅子に座った高見は非常に静かな呼吸を繰り返しながら目を瞑っていたが、指先がデスクを軽く叩いているので起きているのが分かる。
「私は機動捜査隊の霧島だ。そちらの記録係は鳴海。宜しく付き合いを頼む」
「……」
「逮捕時に告げた通り、きみは先週金曜に白藤市内の古川書店で万引きし、その際に店主の古川永次と揉み合い転倒させ、吉川永次の左足首に全治一週間の捻挫を負わせた事後強盗致傷の罪に問われている。その事実について言いたいことはあるか?」
「……」
「きみの部屋からは万引きしたと思しき文庫本一冊も押収されている。万引きした事実に関して認めるか、それとも否認するか?」
「……」
何をどう話しかけても反応がなかった。指先でデスクを叩くリズムすら変えない相手に弁護士を呼ぶかと訊いてみたが、これにも無反応である。取り敢えず一方的に国選弁護人を呼ぶとは通告したが、それにすら答えない。
意外な強敵だった。
夕方まで粘ってみたが完全にこちらを無視していて、まるで高見は独りで取調室に座っているかのようだった。
粘ってはみたが規則なので十七時には切り上げ高見を留置場に移し、明日には国選弁護人と接見可能だと告げて霧島と京哉は機捜の詰め所に戻る。これでは弁護士にも喋るかどうか怪しい。茶を飲み煙草を吸いながら京哉は霧島と共に溜息をついた。
「あそこまで固いとは思いませんでしたね」
「小田切の言い分ではないが、パチンコ店のバイトにしては固すぎるな」
「幾ら強盗致傷でも素直に吐けば執行猶予モノなのに」
「ヤクザか思想犯並みだな、あれは。何か理由でもあるのかも知れん」
「理由ってどんなですか?」
「まだ分からんが何処か引っ掛かる。何れにせよこのままだと勾留延長になるか、検察の聴取の状況によっては逆送で鑑定留置になるとも考えられる」
警察は逮捕後四十八時間以内に被疑者を検察に送致する。検察官は二十四時間以内に起訴するか勾留延長するか釈放するかのどれかを決めるのだ。
勾留延長請求し認められるとまた被疑者は警察の留置場に戻って十日間の取り調べである。必要なら更に十日間の延長で、つまり被疑者と警察は最長で二十二日間の付き合いになる訳だ。
検察送致の一日も含めたら最長二十三日間は被告でないまま拘束されることになるが、検察の取り調べの結果、精神的な問題から犯罪を犯した可能性があると判断した場合に鑑定留置といって警察に逆送致し、精神鑑定を行うのである。
鑑定留置、精神鑑定という言葉から連想して二人は小田切の方を眺めた。
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