9 / 49
第9話
しおりを挟む
翌朝から始めた栗田と吉岡による聴取も芳しくなかった。何を訊いても高見のダンマリは変わらず動くのは指先だけ、凍ったように身じろぎもしないのだ。
接見した国選弁護人に対しても全く同じ反応で、当番とはいえ嫌な客に当たった弁護士は肩を竦めて帰って行った。
それらを霧島と京哉は隣室からマジックミラー越しに眺めていたが、昼食休憩で栗田らと交代しようと思った矢先にデスク上の警電が鳴った。反射的に霧島が取る。
「こちら機捜の霧島」
《一ノ瀬だ。忙しいところをすまんが、わたしの部屋まで来てくれ》
それだけで切った相手は県警本部長だった。霧島はバディの京哉を伴って十六階建ての最上階にある県警本部長室に向かう。秘書室に顔を出して取り次いで貰った。
三分後には霧島と京哉は並んで本部長室のソファに腰掛けていた。向かいのソファには一ノ瀬警視監が座ってスティックシュガーを三本も入れた紅茶を啜っている。ロウテーブルには誰の土産か知らないがマカダミアナッツチョコの箱が開封してあり、それも既に半分が消えていた。
そんな一ノ瀬警視監は身長こそ京哉くらいだが、体重は霧島二人分で足りるかどうか。特注したのだろう制服の前ボタンは弾け飛ぶ寸前で、不自然なまでに黒々とした髪をぺったりと整髪料で撫でつけた様子は幕下力士のようである。
だがこれでなかなかの切れ者、あなどれないのだ。
「足労願ってすまない。まずは茶でも飲んで、これでも食べてくれたまえ」
朗らかに勧められて遠慮なく二人はコーヒーを飲み、チョコレートを摘んだ。
キャリアである霧島はともかく京哉にとって警視監とは、じつに六階級も上の雲上人である。しかしSAT狙撃班員になるよう命じられたのを皮切りに、ここには幾度も呼び出され特別任務を与えられてきたので緊張することもない。
要は緊張するのに飽きて霧島の態度を倣うことにしたのだった。
やがて歯に詰まったナッツに二人が難儀し始めた頃、本部長が口火を切った。
「機捜で勾留している香坂警視を公安に引き渡して貰いたい」
思わず京哉は霧島を見上げた。さすがの霧島も呆気にとられたような表情をしている。だが捜一は戸籍も調べて逮捕状を取ったのだ。ならば高見浩介とは何者なのか。
「……どういうことか、説明して頂けるのでしょうか?」
霧島の問いに暫し考え込んだ本部長はシュガーでじゃりじゃりのコーヒーをひとくち飲む。更にカップの底に残ったドロドロの半固体をスプーンでかき集めて舐めた。
糖分に納得したらしく本部長は二人に向き直り口を開く。
「全てを話す訳にはいかん。しかしこれだけは伝えておこう。香坂怜は一大化粧品メーカーの香坂堂コーポレーション、その本社社長の次男坊だ。そして香坂堂コーポレーションは元・警察庁長官で現在は現職衆議院議員である森本志朗氏の後押しをしているのだよ」
「なるほど。それで?」
「森本氏も香坂堂コーポレーションも暗殺反対派に属していた」
京哉を暗殺スナイパーに嵌めていたのが暗殺肯定派、その反対派がここで出てきて霧島は眉間にシワを寄せた。一ノ瀬本部長も暗殺反対派の急先鋒だったからである。
「つまり身内である霧島カンパニーまでをも自ら摘発した私を警戒していると。検察送致すれば経歴に瑕がつく。その瑕を付ける前にとにかく香坂警視の身柄を機捜から出すよう、警察内に発言の通る森本議員から圧力が掛けられたのですね?」
「わたしはそれに答えられん。正解か否か、更に裏に何があるのかは推し量ってくれとしか言えんのだ。これ以上の事項はきみたちにも『知る必要のないこと』になる。悪いが以上だ」
一方的に話を切り上げられても警視監相手にそれ以上食いつきようもなく、二人は立ち上がると身を折る敬礼をして本部長室を辞した。エレベーターに乗ると眉間に不機嫌を溜めた霧島を京哉は窺う。
「公安が代わりに香坂警視を叩いてくれる、なんて甘いですよね?」
「キャリアで香坂堂本社社長の次男? だから何だ、罪が消える訳でもあるまいに。何が暗殺反対派だ、人道を謳う傍らで議員や企業と策謀し法を枉げるとは笑わせる」
低い声は静かだったが灰色の目は本気の怒りで煌いていた。
機捜に戻ってみると聴取をしていた筈の栗田と吉岡が幕の内を食っていて、報告なんぞ聞かずとも既に香坂の身柄が公安に移されたのが分かった。
だが何も知らない栗田たちに不審に思われる訳にもいかない。議員センセイからの圧力や香坂堂のことなど語れないからだ。
ただ労いの言葉だけ二人にかけて霧島はデスクに就く。
京哉が茶を淹れて自分と霧島のデスクに置いた。茶と煙草を味わいつつ京哉は立ち上げたままだったノートパソコンに向かい出す。遊ぶ気分ではないのか霧島も真面目な顔つきで仕事に励んでいた。
片や小田切はまだボーッと呆けて宙を見つめている。脳が沸いた訳ではないと分かっただけに京哉は気の毒になり、霧島にアイコンタクトで了解を得ると声をかけた。
「副隊長、今日このまま何事もなければ、うちで一緒に鍋でもしませんか?」
「えっ、本当にいいのかい?」
途端に顔を輝かせた小田切に京哉は苦笑する。小田切の茶色い目に生気が戻っていた。鍋物でここまで喜ぶ男も珍しくいじましい。更に余計な心配までしている。
「でも春菊と白滝だけとか言うんじゃないのかい?」
「では出汁もつけてやる」
「霧島警視ってば! 大丈夫ですよ、今週の食事当番は僕ですから霧島警視にしみったれた文句なんか言わせません。帰りに買い物をするんで何の鍋がいいか考えておいて下さい。但し、定時で上がれたらの話ですからね」
「了解、了解」
機嫌が一気に上向いた副隊長と、まだ腹立ちが治まらないらしい隊長にも京哉は容赦なく本日の書類仕事を割り当てる。鍋で団らんが懸かっている小田切は京哉や霧島の書類にまで手を出す勢いで仕事を進め始めた。
それをチラ見して京哉は霧島に囁き声で訊く。
接見した国選弁護人に対しても全く同じ反応で、当番とはいえ嫌な客に当たった弁護士は肩を竦めて帰って行った。
それらを霧島と京哉は隣室からマジックミラー越しに眺めていたが、昼食休憩で栗田らと交代しようと思った矢先にデスク上の警電が鳴った。反射的に霧島が取る。
「こちら機捜の霧島」
《一ノ瀬だ。忙しいところをすまんが、わたしの部屋まで来てくれ》
それだけで切った相手は県警本部長だった。霧島はバディの京哉を伴って十六階建ての最上階にある県警本部長室に向かう。秘書室に顔を出して取り次いで貰った。
三分後には霧島と京哉は並んで本部長室のソファに腰掛けていた。向かいのソファには一ノ瀬警視監が座ってスティックシュガーを三本も入れた紅茶を啜っている。ロウテーブルには誰の土産か知らないがマカダミアナッツチョコの箱が開封してあり、それも既に半分が消えていた。
そんな一ノ瀬警視監は身長こそ京哉くらいだが、体重は霧島二人分で足りるかどうか。特注したのだろう制服の前ボタンは弾け飛ぶ寸前で、不自然なまでに黒々とした髪をぺったりと整髪料で撫でつけた様子は幕下力士のようである。
だがこれでなかなかの切れ者、あなどれないのだ。
「足労願ってすまない。まずは茶でも飲んで、これでも食べてくれたまえ」
朗らかに勧められて遠慮なく二人はコーヒーを飲み、チョコレートを摘んだ。
キャリアである霧島はともかく京哉にとって警視監とは、じつに六階級も上の雲上人である。しかしSAT狙撃班員になるよう命じられたのを皮切りに、ここには幾度も呼び出され特別任務を与えられてきたので緊張することもない。
要は緊張するのに飽きて霧島の態度を倣うことにしたのだった。
やがて歯に詰まったナッツに二人が難儀し始めた頃、本部長が口火を切った。
「機捜で勾留している香坂警視を公安に引き渡して貰いたい」
思わず京哉は霧島を見上げた。さすがの霧島も呆気にとられたような表情をしている。だが捜一は戸籍も調べて逮捕状を取ったのだ。ならば高見浩介とは何者なのか。
「……どういうことか、説明して頂けるのでしょうか?」
霧島の問いに暫し考え込んだ本部長はシュガーでじゃりじゃりのコーヒーをひとくち飲む。更にカップの底に残ったドロドロの半固体をスプーンでかき集めて舐めた。
糖分に納得したらしく本部長は二人に向き直り口を開く。
「全てを話す訳にはいかん。しかしこれだけは伝えておこう。香坂怜は一大化粧品メーカーの香坂堂コーポレーション、その本社社長の次男坊だ。そして香坂堂コーポレーションは元・警察庁長官で現在は現職衆議院議員である森本志朗氏の後押しをしているのだよ」
「なるほど。それで?」
「森本氏も香坂堂コーポレーションも暗殺反対派に属していた」
京哉を暗殺スナイパーに嵌めていたのが暗殺肯定派、その反対派がここで出てきて霧島は眉間にシワを寄せた。一ノ瀬本部長も暗殺反対派の急先鋒だったからである。
「つまり身内である霧島カンパニーまでをも自ら摘発した私を警戒していると。検察送致すれば経歴に瑕がつく。その瑕を付ける前にとにかく香坂警視の身柄を機捜から出すよう、警察内に発言の通る森本議員から圧力が掛けられたのですね?」
「わたしはそれに答えられん。正解か否か、更に裏に何があるのかは推し量ってくれとしか言えんのだ。これ以上の事項はきみたちにも『知る必要のないこと』になる。悪いが以上だ」
一方的に話を切り上げられても警視監相手にそれ以上食いつきようもなく、二人は立ち上がると身を折る敬礼をして本部長室を辞した。エレベーターに乗ると眉間に不機嫌を溜めた霧島を京哉は窺う。
「公安が代わりに香坂警視を叩いてくれる、なんて甘いですよね?」
「キャリアで香坂堂本社社長の次男? だから何だ、罪が消える訳でもあるまいに。何が暗殺反対派だ、人道を謳う傍らで議員や企業と策謀し法を枉げるとは笑わせる」
低い声は静かだったが灰色の目は本気の怒りで煌いていた。
機捜に戻ってみると聴取をしていた筈の栗田と吉岡が幕の内を食っていて、報告なんぞ聞かずとも既に香坂の身柄が公安に移されたのが分かった。
だが何も知らない栗田たちに不審に思われる訳にもいかない。議員センセイからの圧力や香坂堂のことなど語れないからだ。
ただ労いの言葉だけ二人にかけて霧島はデスクに就く。
京哉が茶を淹れて自分と霧島のデスクに置いた。茶と煙草を味わいつつ京哉は立ち上げたままだったノートパソコンに向かい出す。遊ぶ気分ではないのか霧島も真面目な顔つきで仕事に励んでいた。
片や小田切はまだボーッと呆けて宙を見つめている。脳が沸いた訳ではないと分かっただけに京哉は気の毒になり、霧島にアイコンタクトで了解を得ると声をかけた。
「副隊長、今日このまま何事もなければ、うちで一緒に鍋でもしませんか?」
「えっ、本当にいいのかい?」
途端に顔を輝かせた小田切に京哉は苦笑する。小田切の茶色い目に生気が戻っていた。鍋物でここまで喜ぶ男も珍しくいじましい。更に余計な心配までしている。
「でも春菊と白滝だけとか言うんじゃないのかい?」
「では出汁もつけてやる」
「霧島警視ってば! 大丈夫ですよ、今週の食事当番は僕ですから霧島警視にしみったれた文句なんか言わせません。帰りに買い物をするんで何の鍋がいいか考えておいて下さい。但し、定時で上がれたらの話ですからね」
「了解、了解」
機嫌が一気に上向いた副隊長と、まだ腹立ちが治まらないらしい隊長にも京哉は容赦なく本日の書類仕事を割り当てる。鍋で団らんが懸かっている小田切は京哉や霧島の書類にまで手を出す勢いで仕事を進め始めた。
それをチラ見して京哉は霧島に囁き声で訊く。
0
あなたにおすすめの小説
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる