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第10話
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「けど、どうやって香坂は『高見浩介』になったんでしょうか?」
「さあな。知人の部屋を一時的にでも丸ごと借り受けてすり替わっただけかも知れんし、もっと大きな『知る必要のないこと』が潜んでいるのかも知れん。だがもうその件は手を離れた。考えるな、脳のリソースの無駄だ」
誰より考えているだろう霧島に言われ、京哉は仕方なく頷いた。
それから一時間ほど経った頃、霧島のデスクで警電が鳴った。音声オープンで霧島は取る。するとかけてきたのは忙しい筈の捜一の三係長で、警備部公安課に移された『高見浩介』が証拠不十分であっさり釈放になったという情報だった。
帳場もたびたび立つ捜一は内部での情報合戦も激しい。お蔭で外回りが殆どの機捜よりネタも早く入手可能なのだ。三係長に礼を言って霧島は警電を切る。
暗殺されそうになった京哉を霧島率いる機捜が助けた件で最初に全ての泥を被ったのは霧島カンパニーだった。残りのサッチョウ上層部の一部や与党重鎮らは手を引き知らぬ存ぜぬを決め込んで一応暗殺肯定派も瓦解した。
しかし霧島が単独で立てた綿密な計画によって警視庁も動き、知らぬ存ぜぬ組も一斉検挙と相成った。
現職警察官が暗殺スナイパーなる京哉の秘密がバレると拙いどころの騒ぎではなかったので検挙の罪状は汚職だった。
だがそれぞれ職や議員を辞す者、警察の聴取を受けたという事実から再選を逃す者、そして上手く逃れたが未だに禊を済ませず恐れている者、恐れもせずのうのうとしている者など様々である。
そのあと新・暗殺肯定派なるものも出現したが、そちらも今は存在しない。
それはともかく内部にいた京哉も、驚異的な超計算能力を発揮してシナリオを描き密かに全てを検挙に導いた霧島も、一連の流れを見て云えるのは警備部公安課が肯定派・反対派問わずサッチョウ上層部の手足だという事実だった。
実際に公安警察、通称ハムは各都道府県警に所属していながら、地方予算ではなく殆どの部分において国家予算で動いているのが実情だ。地方警察の幹部でも同じ本部内の公安が何をしているのか知らないなどという話も珍しくない。
近く起こり得る重大事件の情報を得ても、決して刑事部とネタを共有せず洩らさない鉄壁の保秘を誇るハムだからこそサッチョウの手足になり得るのだ。それもときに必要なのかも知れないが、まともに割を食わされると忌々しい事この上ない。
今回も反対派議員が一ノ瀬本部長だけでなくサッチョウ上層部にまで圧力を掛け、ハムを使いトンネルにして『高見』をパイさせたのに違いなかった。
けれど京哉が元暗殺スナイパーという事実すら知らない小田切は首を捻っている。
「幾ら何でもパイは早すぎだと思わないかい?」
「だが相手はハムだ。このあと情報が洩れてくる可能性は限りなくゼロに近い。敵に回そうにも挑発に乗る相手でもない。小田切、貴様もこの件は忘れることだな」
そのまま各人が黙って今日の割り当て分の書類作成に励んだ。京哉が関係各所にメールで書類を送り終えたのは十六時過ぎで、珍しく書類を一掃した爽快感に身を浸しつつ茶を飲みながら煙草を吸って雑談に興じる。
「京哉くん、今夜の鍋はすき焼きがいいな」
「分かりました、いいですよ。でも肉は割り勘ですからね」
「いい、いい。たっぷりの肉に味の染みた大根が旨いんだよ」
「えっ、大根?」
「あと玉ねぎの甘さが沁みるんだよな」
「……玉ねぎ」
「あ、それと竹輪も多めに宜しく」
何だか京哉の知るすき焼きとはかなり違うものを小田切は求めているらしい。家庭によってすき焼きも違いがあるんだなあと考え、京哉は以前に小田切が小学四年生で家族を亡くし施設に入ったという話を思い出した。
京哉も高二の冬に女手ひとつで育ててくれた母を犯罪被害者として亡くしたが、その母が作ってくれていたすき焼きも一般的ではないかも知れない。
少々不安になりながらも頭の中の買い物メモに書き込みながら過ごす。
だが定時の十七時半まで残り五分になって事は起きた。同報ではなく機捜本部に警邏からの一報が入ったのでもない。今に限って誰よりも事件を疎んじる小田切の携帯が鳴ったのだ。予感でもしたのか小田切は嫌な顔をしてポケットから携帯を出した。
ナンバー表示を一瞥して茶色い目を瞬かせる。首を傾げ心底不思議そうに呟いた。
「怜……香坂警視からのコールだ。高見といい何なんだ、いったい」
「高見浩介と双子かも知れないですよ?」
「いいからさっさと出ろ」
急かされて小田切は話し始めたが、その顔つきがみるみる引き締まってゆく。短い通話で切った小田切は色男に見えなくもない。しかし妙に顔色が悪かった。
「怜が怪我をしたらしい。俺にSOS発信だ」
「場所は何処だ?」
鋭く訊いた霧島に小田切は混乱したように頭を振りながら答えた。
「貝崎市、海岸通り近くのマンション地区。つまり高見浩介の自宅だそうだ」
「さあな。知人の部屋を一時的にでも丸ごと借り受けてすり替わっただけかも知れんし、もっと大きな『知る必要のないこと』が潜んでいるのかも知れん。だがもうその件は手を離れた。考えるな、脳のリソースの無駄だ」
誰より考えているだろう霧島に言われ、京哉は仕方なく頷いた。
それから一時間ほど経った頃、霧島のデスクで警電が鳴った。音声オープンで霧島は取る。するとかけてきたのは忙しい筈の捜一の三係長で、警備部公安課に移された『高見浩介』が証拠不十分であっさり釈放になったという情報だった。
帳場もたびたび立つ捜一は内部での情報合戦も激しい。お蔭で外回りが殆どの機捜よりネタも早く入手可能なのだ。三係長に礼を言って霧島は警電を切る。
暗殺されそうになった京哉を霧島率いる機捜が助けた件で最初に全ての泥を被ったのは霧島カンパニーだった。残りのサッチョウ上層部の一部や与党重鎮らは手を引き知らぬ存ぜぬを決め込んで一応暗殺肯定派も瓦解した。
しかし霧島が単独で立てた綿密な計画によって警視庁も動き、知らぬ存ぜぬ組も一斉検挙と相成った。
現職警察官が暗殺スナイパーなる京哉の秘密がバレると拙いどころの騒ぎではなかったので検挙の罪状は汚職だった。
だがそれぞれ職や議員を辞す者、警察の聴取を受けたという事実から再選を逃す者、そして上手く逃れたが未だに禊を済ませず恐れている者、恐れもせずのうのうとしている者など様々である。
そのあと新・暗殺肯定派なるものも出現したが、そちらも今は存在しない。
それはともかく内部にいた京哉も、驚異的な超計算能力を発揮してシナリオを描き密かに全てを検挙に導いた霧島も、一連の流れを見て云えるのは警備部公安課が肯定派・反対派問わずサッチョウ上層部の手足だという事実だった。
実際に公安警察、通称ハムは各都道府県警に所属していながら、地方予算ではなく殆どの部分において国家予算で動いているのが実情だ。地方警察の幹部でも同じ本部内の公安が何をしているのか知らないなどという話も珍しくない。
近く起こり得る重大事件の情報を得ても、決して刑事部とネタを共有せず洩らさない鉄壁の保秘を誇るハムだからこそサッチョウの手足になり得るのだ。それもときに必要なのかも知れないが、まともに割を食わされると忌々しい事この上ない。
今回も反対派議員が一ノ瀬本部長だけでなくサッチョウ上層部にまで圧力を掛け、ハムを使いトンネルにして『高見』をパイさせたのに違いなかった。
けれど京哉が元暗殺スナイパーという事実すら知らない小田切は首を捻っている。
「幾ら何でもパイは早すぎだと思わないかい?」
「だが相手はハムだ。このあと情報が洩れてくる可能性は限りなくゼロに近い。敵に回そうにも挑発に乗る相手でもない。小田切、貴様もこの件は忘れることだな」
そのまま各人が黙って今日の割り当て分の書類作成に励んだ。京哉が関係各所にメールで書類を送り終えたのは十六時過ぎで、珍しく書類を一掃した爽快感に身を浸しつつ茶を飲みながら煙草を吸って雑談に興じる。
「京哉くん、今夜の鍋はすき焼きがいいな」
「分かりました、いいですよ。でも肉は割り勘ですからね」
「いい、いい。たっぷりの肉に味の染みた大根が旨いんだよ」
「えっ、大根?」
「あと玉ねぎの甘さが沁みるんだよな」
「……玉ねぎ」
「あ、それと竹輪も多めに宜しく」
何だか京哉の知るすき焼きとはかなり違うものを小田切は求めているらしい。家庭によってすき焼きも違いがあるんだなあと考え、京哉は以前に小田切が小学四年生で家族を亡くし施設に入ったという話を思い出した。
京哉も高二の冬に女手ひとつで育ててくれた母を犯罪被害者として亡くしたが、その母が作ってくれていたすき焼きも一般的ではないかも知れない。
少々不安になりながらも頭の中の買い物メモに書き込みながら過ごす。
だが定時の十七時半まで残り五分になって事は起きた。同報ではなく機捜本部に警邏からの一報が入ったのでもない。今に限って誰よりも事件を疎んじる小田切の携帯が鳴ったのだ。予感でもしたのか小田切は嫌な顔をしてポケットから携帯を出した。
ナンバー表示を一瞥して茶色い目を瞬かせる。首を傾げ心底不思議そうに呟いた。
「怜……香坂警視からのコールだ。高見といい何なんだ、いったい」
「高見浩介と双子かも知れないですよ?」
「いいからさっさと出ろ」
急かされて小田切は話し始めたが、その顔つきがみるみる引き締まってゆく。短い通話で切った小田切は色男に見えなくもない。しかし妙に顔色が悪かった。
「怜が怪我をしたらしい。俺にSOS発信だ」
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