あなたがここにいてほしい~Barter.7~

志賀雅基

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第25話

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 チャイムが鳴り、やがて十三時二十五分になって野坂を筆頭に香坂と小田切は秘書室を出て行った。霧島はともかく京哉はバインダーの書類と共に残されたのでまたも社内巡りだ。
 抱えて出掛けようとしたところで霧島が腰を上げて低い声を発した。

「ヒマだからな。私も行こう」
「えっ、いいんですか? でも幸恵さんが一人になっちゃいますよ」
「わたしは慣れていますから。行ってらっしゃい」

 ペアリングを嵌めた二人を幸恵はにこやかに見送ってくれる。霧島にバインダーを半分持って貰い、京哉はツアーガイド宜しく案内し始めた。まずは同じ三十八階にある会計部からだ。
 午前中も会計部長に会い、挙動不審だったのは報告したので次こそは霧島と二人で追い詰めようと少々勢い込む。

「ここは元々総務の中の会計課だったのが去年会計部として独立したんですよ」
「ということは部長としても『若い』訳だな。そんな部長が黒い人脈に食い込んだとなると、それ相応の大きなネタがあってのことかも知れん」
「なるほど。さすがは忍さん、読みが深いですね」

 だが実際に会計部長と会うと、改めて昨日の礼を述べ合い書類にサインと捺印をして貰っただけで事は済んでしまった。人事部長の大釜氏も同じで、原材料研究部長に至っては研究室や部長室前まで京哉が案内しただけ、サインして貰うべき書類もなかった。
 
 せっかく霧島と二人なのに収穫がなく京哉は凹んでいる。
 そうして書類も残り二枚となった時、廊下を歩いていると霧島の携帯が震えた。

「誰からですか?」
「小田切だ。こちら霧島。どうした?」
《やられた……俺と怜が狙撃された! 車に跳弾したのが支社長にもヒット……》
「何だと? 通報はしたのか?」
《機捜本部に連絡はした……くっ、市内のサンコー第一ビル前だ!》

 小田切と話しながらも霧島はエレベーターへと駆け出す。京哉も追いついてエレベーターの三十八階のボタンを押した。
 秘書室に走り込むとバインダーをデスクに投げ出して、何事かと驚いて振り向いた幸恵に霧島が「車は?」とだけ訊く。
 意味も分からず目を瞬かせた幸恵だったが壁を示して言った。

「そこに掛かっているキィが地下一階の社用車の……」

 キィを掴んだ霧島と共に京哉は走った。
 エレベーターで降りた地下一階駐車場には同じタイプの社用車が並んでいたが、幸いキィにはナンバーの書かれたキィホルダーがついていた。
 探し当てた秘書室の社用車はスリードア・ハッチバックに香坂堂のロゴが入ったもの、ロックを解くと霧島がステアリングを握り、助手席に京哉が滑り込んで発車した。

「でも僕らって出張中なんですよね。知ってる捜査員に見られるのは拙いんじゃ?」
「仕方あるまい。ホシの確保が最優先だ」

 狙撃となるとスナイパーの京哉の知識と勘が要る。小田切もスナイパーだが負傷しているのならアテにできない。それに霧島は京哉の勘に絶対的信頼を置いていた。

 霧島は現場に急いだ。白藤市駅の東口側に出て捕まらないギリギリの速度でとばし始めると、社用車は意外にも足回りを強化しているのが分かった。サスも固い。
 お蔭で二十分と掛からずサンコー第一ビルの近くにまで辿り着いたが、社用車では大勢集まった野次馬の輪を割ることもできず、路肩に停めて降車を余儀なくされた。

 緊急音と赤色回転灯が空気を震わせる中、黒山の人だかりを押し分け霧島と京哉の二人はバリケードテープの規制線を跨ぐ。現場には既に救急車も見当たらず、ただ支社長車のドライバーだけが残されて捜査員から事情を聴かれていた。

 時間との戦いでもある機捜は怪しい人物探しの密行警邏に既に出たらしい。あとは捜一や所轄署の捜査員くらいか。
 お蔭で取り敢えず直接的に自分たちが謎な出張中という事実を知る者はいない。

 言い訳せずとも済んだことに僅かに安堵して霧島と京哉は臨場する。
 重要案件には内勤ながら機捜隊長が多々臨場するのを捜査員らは心得ていた。皆が警視殿に対し一斉に敬礼をし、ラフな挙手敬礼で答礼をした霧島は所轄の捜査員を捕まえて訊いた。

「撃たれた三名はどうなった?」
「はっ、命に別状はなく、白藤大学付属病院に運ばれ処置中であります!」
「何処から狙撃されたか分かったか?」
「いえ、そこまではまだ……」

 そこで霧島は黒塗りのサイドウィンドウと地面を染めている血痕に目を向ける。

「誰のものか分からんが、かなりの出血量だな。京哉?」
「ええ、分かっています」

 京哉は黒塗りと地面と辺りのビル群を見比べていた。血痕の位置から狙撃された人物の位置は分かる。そのターゲットポイントから最適な狙撃ポイントを割り出そうとしているのだ。本気の狙撃を数多くこなしてきた京哉でこそ可能な技だった。

 そうして見上げていた京哉は霧島に頷いてから通りを渡り始めた。霧島は黙ってついて行く。もう狙撃ポイントを割り出したらしい。歩きつつ上方を指差して見せる。

「今回もお手軽、このビルとビルの間から見えている、あそこの最上階でしょう」

 それは徳富とくとみビルヂングなるオフィスが多数入った雑居ビルだった。警備の人間もオートロックもない建物に二人は易々と侵入し、エレベーターホールを横目に階段へと向かう。

 自動ドアが開くなり撃たれては敵わない。しかし階段もエレベーターも複数系統あり、今更捜査員を呼んだとしても囲むことはまず無理だと察していた。

「十八階建ての最上階か」
「高層ビルでなかっただけ御の字ですね。十八階分なら上るのも何とかなりそう」
「お前に過剰な運動をされて痩せられたら抱き心地が悪くなるからな」
「またそんな、小田切さんみたいなことを」
「何だと、奴はそんなことまで口にしたのか? いつか日本海溝に沈めてやる!」
「宇宙船に詰め込んで太陽系の外に放り出すのもいいですね」

 喋りつつ十八階まで上がると壁に貼られた案内板を見る。三ヶ所のオフィス用フロアが並んでテナント募集中になっていた。使用中のオフィスに乱入して撃つ馬鹿はいないと思いたいので、通路を移動すると真ん中の空きフロアの前で耳を澄ます。

「何も聞こえませんね。おそらく逃げたあとでしょう」
「両サイドも空きで音も聞かれん最適物件だな。遺留品のひとつでもあればいいが」
「準備いいですよ。カウントは任せます」

 白手袋の持ち合わせがなく霧島がハンカチを出し自動でないドアのノブに被せて左手で掴んだ。軽く回したがロックは掛かっていない。二人とも右手には懐から引き抜いたシグ・ザウエルP226を持っている。霧島が唇の動きだけでカウントした。

「では、行くぞ。――三、二、一、警察だ!」

 ドアを引くなり躍り込んだ二人は背中合わせで全方位警戒態勢を取った。だが一瞥してがらんとした部屋には誰もいないのが分かった。デスクや椅子さえもない。そんな部屋だったが京哉は異常なまでに鋭い嗅覚で硝煙の匂いを嗅いでいる。

 一方で窓に近づいた霧島は、今は閉まっているが斜めに僅かしか開かない窓の金具が取り外され、大きく角度をつけて開くよう細工されているのを見取った。

「なるほど。またも京哉、お前のお手柄だな」

 更に二人は足元に空薬莢が三つ落ちているのに気付く。近寄って京哉が眺めると、7.62ミリNATO弾というのが分かった。そこで思い出したのが真城市の鈴吉山で遺棄されていたスパイの遺産である画像だ。呑み込み隠していたマイクロフィルムである。

「映ってたステアーSSG69かも」
「ボルトアクション、フルで六発とか言ったな」
「ええ。それが使用されたというのは可能性にすぎませんけど、何にしろ全弾叩き込まれなくて幸いでしたよ。殺すつもりがなかったってことなのかなあ?」
「出血量から見て『った』と思い込んだのかも知れん。脅しにしては物騒なやり口だからな。まあ、お前の意見も気に留めておこう」
「何れにせよこの距離ですから、本当に結構な怪我をしている筈ですけどね」

 何はともあれ霧島は携帯で狙撃ポイントを捜査員に伝え、駆けつけてきた捜査員たちに現場を引き継いでサンコー第一ビル前に戻った。
 そこから放置できない香坂堂の社用スリードアに乗り込んで病院に向かう。白藤大学付属病院までは十五分ほどだ。
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