あなたがここにいてほしい~Barter.7~

志賀雅基

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第41話

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 やってきた中の一人と健司は僅かに喋っただけで、車を一台借り受けると乗り込んでしまう。後部座席に京哉を抱いた霧島が滑り込んだ。前を向いたまま健司が声を投げてくる。

「ついてきても面白くないと思うぞ?」
「だが放り出されても私たちは困る。せめて白藤市内まで乗せてくれ」
「その白藤市内で女性との約束があるんだ。邪魔さえしなければ乗せてやる」

 喩え邪魔でもついて行くしかない。既に走り始めた車はメタリックブラウンのセダンだった。霧島はしっかりと京哉を抱いてセダンが高速に乗ってから健司に訊く。

「女性に会いに行くという顔ではないな。やはり仕事か?」
「まあな。サーヴィス残業と言ったところだ」

 意味不明だったがついて行けば分かるだろうと思い、それ以上詮索しなかった。

 二十分ほどで高速を降りる。一般道も空いていてスムーズに辿り着いたのは白藤市駅の東口側の駅前通りにあるウィンザーホテルだった。
 県内でも一、二を争う格の高いホテルで、入るだけでもドレスコードが課されるが、三人ともスーツでタイも締めている。京哉は霧島に抱かれていたが、抱かれて入ってはならないという決まりはない。

 おまけに文句を言われても、ここの支配人に霧島はひとつ貸しがあった。

「ここの最上階にあるカクテルラウンジだ」

 地下駐車場に車を入れてドアマンが呼んだエレベーターに乗ると、エレベーター内にも制服のホテルマンがいてボタンを押してくれる。
 途中で乗り降りする男女も半数がタキシードにイブニングドレスという世界だったが、霧島カンパニー絡みのパーティーで霧島も京哉も一度ならず出入りした過去があるので何ら気を張ることもなかった。

 やがて最上階に着いてカクテルラウンジに向かう。健司に続き足を踏み入れた霧島はラウンジ内を見渡した。やや暗い中にソファのボックス席が幾つかとカウンターにスツールが十ほども並んでいる。平日の夜だからか客は少なかった。

 真っ直ぐ健司がカウンター席に歩み寄り、霧島は唐突に現実の残酷さを知る。

「待たせてすまないな」

 健司の言葉に黙って首を横に振ったのは臙脂のスカートスーツの幸恵だった。

 幸恵の右隣に健司が腰掛け霧島は左隣に腰を下ろす。その更に左側に京哉を座らせた。健司はジントニックを、霧島はストレートのウィスキーをダブルで、京哉は珍しくもドライマティーニを頼んだ。幸恵はマルガリータらしきカクテルを飲んでいる。

 グラスを傾けながら健司は煙草を咥えてライターで火を点けた。

「かつて同じ総務部だった会計課から秘書室に移ったあんたには、二億なるカネを会計部の口座から自分の預金口座に振り込ませることは容易だった。間違いないか?」
「……ええ、そうね」
「ちょっと待って下さい、幸恵さんがそんな!」
「京哉、邪魔をしない約束だ」
「でも!」
「いいの、鳴海さん。事実だから。わたしの母はガンの宣告をされてから一年余り生きていたわ。その間に保険金も預金も底を尽きたの。どうしてもお金が必要だったのよ。ずっと苦労してわたしを育てて……最高の治療を受けさせてやりたかった」

 薄く笑いながらも幸恵は酷く疲れた顔をしてバーテンにおかわりを注文した。そんな幸恵から視線を逸らしたまま、健司は一気にジントニックを半分ほど減らした。

「しかしそれだけじゃない。俺の調査では部長たちに西尾組の組長を紹介したスナックのホステスは幸恵、あんただな。違うか?」
「家族を顧みずに部長だ、支社長だと持ち上げられて喜んでるのが許せなかったの」
「それだけの理由で部長たちを嵌めたのか?」
「いいえ。あの部長たちはお金に困ってホステスのバイトをしていたわたしを弄んだの。会社にバラすと脅されてわたしはホテルに行くしかなかった。ニュースで着服するヒントを得たわ。化粧品の原料と一緒にヘロインや銃の密輸を思いついて西尾の組長に持ち掛けたのもわたしよ」

 ロンググラスの氷を鳴らしながら再び煙草を咥えた健司が更に訊く。

「自分で出頭するか?」
「わたしは何の罪に問われるの?」
「俺は専門じゃないからな、分からんが」

 視線で話を振られて霧島がさほど考えずに答えた。

「おそらく業務上横領に電子計算機使用詐欺罪といったところか」
「そう、殺人にはならないのね。自分で出頭するわ」

 からりと言いながらも語尾を震わせ、幸恵はカウンターに落涙した。だが霧島はそれを複雑な思いで目に映す。間違いなく幸恵も被害者だ。しかしあの死んだ部長たちも顧みなかったとはいえ、死を悲しむ家族がいるのだ。
 それにヘロインや銃犯罪は拡大している。

 皆が静かにカクテルを味わう。まもなく幸恵が席を立った。

「最後に霧島さんと飲めて良かった」
「京哉でなく、私とか?」
「忍さん、幸恵さんは僕を通してずっと貴方を見ていたんですよ」
「なるほど。だが私ほど薄情な人間はいないのだがな」

 真面目に言った霧島に幸恵は泣き笑いになる。

「そうね。貴方の灰色の目には鳴海さんしか映っていなかったものね」
「すまんが、気の利いた科白も思いつかん」
「それがいいの。ありがとう、いい思い出になったわ。じゃあ、行くから」

 手を振ってあっさりと幸恵は消える。見送って健司は溜息をついた。

「最初からあんたらは幸恵と親しげだった。あんたらが来るまで幸恵はもっと地味で暗いタイプだったんだ」
「もしかして警察官と知っていながら、私たちも疑っていたのか?」
「いや、まあ、悪いことをしたと思っている」
「おまけに麻取とサツカンはある意味、犬猿の仲。金星も持って行かれたくないし、だから僕たちに冷たく当たっていたんですね」

 暫し黙って男三人はグラスの酒を飲む。霧島はパッと明るい顔で茶を淹れてくれた幸恵を思い浮かべ、京哉から煙草を一本貰った。京哉自身も咥えてオイルライターで二本分に火を点ける。紫煙を吐きながら酔えないと知りつつウィスキーのおかわりをした。

 霧島が三杯、健司と京哉が二杯飲んで腰を上げる。健司がまとめてチェックした。霧島は京哉を抱き上げる。可哀相な有様のまま引っ張り回すのもここまでと決めた。タクシーを頼むためホテルマンを目で探していると健司が携帯を片手に提案する。

「サーヴィス残業代が出ているから俺はここに泊まるつもりなんだが、坂下と本木を無傷でパクらせて貰った礼だ。あんたらもここに泊まらないか?」

 健司の言葉で霧島と京哉は目で相談したのち、有難く申し出を受けることにした。

 エレベーターで一階に降りると健司はフロントで喫煙可のシングルとダブルの部屋の空きを確認してチェックインし、ダブルのキィを京哉に握らせる。
 両方とも部屋は十五階にあった。健司が片手を挙げてシングルに入ってゆくのを見送ってから、霧島と京哉もダブルの部屋に入ってみた。すると京哉が声を上げる。

「うわあ、さすがはウィンザーですね。すんごい豪華かも!」
「確かにこれはカネが掛かっていそうだな」

 毛足の長い絨毯が敷かれて天井にはシャンデリアが下がり、ダブルベッドから本革張りソファセットまでの距離にシングルルームがひとつ取れそうなフリースペースがあった。
 窓には繊細なレースと刺繍を施された重厚なビロードのカーテンが掛かり、テーブル上にはウェルカムフルーツと保冷布を巻かれたシャンパンのカゴまで載っている。

 椅子に腰掛けさせると京哉はホッとしたのか、深々と溜息をついた。

 室内を一通り点検してきた霧島がシャンパンを取り上げて京哉に目で訊く。京哉が頷くと霧島はボトルの封を切り、コルク抜きで栓を開けた。華奢なグラスふたつにシャンパンを注ぐと、乾杯するでもなく二人は冷たい液体で喉を潤す。

 グラス半分のシャンパンを飲んだ京哉は再び溜息をついた。そこで霧島は自分が煙草を買ったのを思い出して京哉に渡してやる。
 京哉は笑ったが次には無表情となってポケットから煙草くらいの箱を取り出した。箱のふたを開けると折り畳まれたアルミホイルと白い粉の入った小袋がぎっしりと詰まっている。

 震える指先で京哉は小袋ひとつ分の僅かな粉をアルミホイルの上に空けた。
 そして少し考えてから煙草も出すとその先に粉を付着させてからオイルライターで火を点け、深々と吸い込んで紫煙を吐く。煙草に粉をつけて吸うことを繰り返した。

 勿論霧島は京哉が吸っている白い粉がヘロインであるのを認識していた。
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