あなたがここにいてほしい~Barter.7~

志賀雅基

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第42話

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 ヘロインを付着させた煙草に火を点け咥えて吸い込んだ途端、京哉の感じていた吐き気と眩暈は急速に治まった。早鐘のように鳴っていた胸の鼓動も一気に落ち着きを取り戻す。
 背中を伝うほどの冷や汗も引いた。急に普通に戻り却って変な感じだ。

「奴らが使ってたパイプもパイプ専用の加工品も持ち出せなくて。煙たいですよね」
「いや、この程度なら煙草と変わらん」
「そうですか、すみません」
「ところでバスルームも広かったぞ。一緒に入って私が洗ってやる」
「えっ、本当ですか?」 

 嬉しそうに微笑んだ京哉はヘロイン煙草を吸いつつ、殆ど一人でボトルのシャンパンを空けた。アルコールに強くないのを知っている霧島は、京哉が未だ酔うに酔えない精神状態でいるのだと察する。

 京哉が煙草を吸い終えると二人は手錠ホルダーや特殊警棒付き帯革にショルダーホルスタの銃も外した。バスルームの前で衣服を脱ぐと霧島は京哉とキスを交わす。にっこり笑った京哉だったが霧島の左腕に貼られた防水ガーゼを見て顔を曇らせた。

「怪我、耳だけじゃなかったんですね。大丈夫なんですか?」
「大丈夫だ、問題ない。処置済みで貫通もしていなかった」
「って、そのまま銃創ってことですか? 酷い、大怪我じゃないですか!」
「騒がなくていい。本当に痛くはない、大丈夫だ。問題ない」

 いつもの如く『大丈夫』と『問題ない』の大安売りを始めた男に眉をひそめたが、きちんと治療はしてあるようなので京哉も言い募るのを止めた。だが当たり前のように抱き上げられると心配で堪らなくなる。

 痛くない訳がなく、霧島が痛いくらいなら自分が痛い方がマシだと思っている京哉だった。しかしそれはきっと霧島も同じなのだと思う。せめて大人しくしていようと抱かれたままバスルームに入り、再び京哉は声を上げた。

「わあ、すごいすごい、広ーい!」
「だろう? これは二人で堪能しないと損失だぞ」

 そこはマンションの二人の寝室よりも広かった。大きなバスタブがあって既にオートで湯が湛えられている。床まで暖房が効いていて非常に暖かい。

 手早く自分を洗った霧島は京哉を床にぺたりと座らせたまま、約束通りに髪からつま先まで男たちの放ったものを残らず清めるように丁寧に洗ってやった。愛しげな灰色の目をした年上の男は優しく長い指で肌を撫で擦る。京哉は伝わる切なさに吐息を熱くした。

 二人で一緒にバスタブに浸かる。広々として自由に手足を伸ばすと溜息が洩れた。

「あったかい。こういうのも気持ちいいですね」
「ああ、こういうこともできるしな」

 頷いた霧島は薄い肩を引き寄せると京哉の背を胸に抱く。濡れて張り付いた髪をそっと避けてうなじに唇を押し当てた。それだけで華奢な躰はビクリとわななく。
 敏感すぎる反応に霧島は想いを注ぎ込むような首筋へのキスでしか応えられなかった。

 抱き運んでいる間も京哉の目が溢れ出しそうな情欲を湛えて、ずっと霧島を見上げていたのに気付いていた。苦しいほどに想いを溜めているのが察せられる。

 だが今ここで京哉を抱くことに霧島は抵抗を感じずにはいられない。
 しかし斜めに振り向いた京哉は縋る目を向けてくる。
 いや、怯えた目だった。

「抱いて……くれないんですか?」
「お前、傷ついてしまっているだろう?」

 身体中を汚されていたのだ、体内を責め抜かれていない筈はない。その証拠に駆けつけた時にまで挿入されていた責め具は抜いた際に血がついていた。きっと粘膜も酷い有様に違いない。ここで霧島が欲望をぶつけたらどうなるかは自明の理だ。

「僕のことが……嫌ですか?」
「嫌じゃない、お前だけを愛しているぞ。ほら、証拠だ。だが今はだめだ」
「そうですね。僕が治ったら……本当に?」

 何を指しての『本当に?』なのか敢えて追求せず霧島は頷いてやる。

「疲れている筈だ。湯あたりする前に上がろう」

 安堵させるように言ったが、その直前にも京哉は怯えた目をして霧島を見返してきた。本当に怖い思いをした京哉は更なる恐怖と今も戦っているのだ。

「こんな……こんな僕で、嫌いにならないで」
「嫌いになる訳ないだろう。治ったら壊れるくらいに抱いてやる……おい、京哉!」

 唐突に京哉の躰が傾いで倒れかかってきたのを危うく抱き留める。懸念した湯あたりか、それともヘロインの過剰摂取からくる症状かは分からない。
 とにかく細い躰から全ての力が抜け、ぐったりと霧島に凭れ掛かっていた。完全に気を失ってしまっていた。霧島は京哉を抱き上げるとバスルームから出る。

 籐の寝椅子に寝かせた京哉をバスタオルで拭き、少し長めの髪まで丁寧にドライヤーで乾かしてから、部屋に戻ってベッドに寝かせた。
 自分は一旦服を着てコンシェルジュにコールし救急箱を要求する。届けられた救急箱と交換にチップを払い、京哉の服をクリーニングサーヴィスに出した。

 救急箱に抗生物質入りの薬があったので傷ついた京哉の体内に塗り込んでやる。歩けないほど酷使した腰には湿布を貼った。ガウンを着せ毛布でその躰を包む。

 自分もガウンに着替えてじっと京哉を見つめていると鈍く目が開かれた。

「大丈夫か? 何か欲しいものがあったら遠慮なく言うんだぞ」
「ん、何も……」
「酷い声だな、ちょっと待っていろ」

 備え付けの冷蔵庫からミネラルウォーターのボトルを持ってくると、口移しで何度も飲ませた。ボトル三分の二を飲んで喘ぎ疲れて嗄れた喉も落ち着いたようだった。
 跳ねた前髪をかき分け、白く血の気の引いた額に唇を押し当てると訊いてみる。

「何か食うか?」
「いいえ、僕は。忍さんはルームサーヴィスかレストランにでも行きますか?」
「ではルームサーヴィスにするか。お前は寝ていろ、疲れきった顔をしているぞ」
「眠るまでここにいて下さい……っていうの、アリですか?」
「言われずとも傍にいる。何も心配するな」
「ありがとうございます」
「礼を言われるようなことではない。私がそうしたいんだ」

 そっと左手同士を繋いでやると京哉は素直に目を瞑った。本当に疲れきっていたのだろう、数分と経たずに京哉は規則正しい寝息を立てだした。

 緩んだ手を離してルームサーヴィスを頼んだ霧島はテーブル上の小さな箱を手に取る。中のヘロインの小袋パケを数えると二十四個だ。見ていると京哉はあまりインターバルを開けていないらしい。もし四時間毎に一回吸うなら四日間持つかどうかである。

 頭を振って箱に小袋を戻した。延々と吸わせて廃人にする訳にもいかない。

 そこで控えめなチャイムが鳴ってルームサーヴィスが届いた。ソファで味気ない食事を摂る。サツカンの早食いで五分とかけず胃に収めた。
 ワゴンを室外に出したらタイミング良く京哉の服がクリーニングサーヴィスから戻ってくる。チップと交換に受け取りオートロックのドアを閉めると衣服をクローゼットに掛けた。

 やれることをやり終えてしまうと、やはりヘロインに目が向く。

 ずっと京哉は上の空のような心ここにあらずといった感じが続いている。あれこれ訊くより、もう大丈夫だと躰に言い聞かせてやるのが一番だと分かっていて、本当は抱いてやりたかったがそれもできなかった。想いだけでも伝わっただろうか。

 だが却って言わせた『嫌いにならないで』という言葉が胸に刺さって抜けない。
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