あなたがここにいてほしい~Barter.7~

志賀雅基

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第43話

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 大きな柱時計を見ると、とっくに日付が変わっていた。

 明かりを常夜灯にしてベッドに上がり京哉の隣に潜り込んだ。ヘッドボードに二丁の銃があるのを確認して、そっと京哉の頭を持ち上げ今日は右腕で腕枕をする。
 細い躰を抱き締めてやりながら堪らない愛しさとやるせなさが再び胸に湧き上がる。この上にまだつらい思いをさせるのかと悔しくてならなかった。

 本当は暢気にしている場合ではないと霧島も分かっている。京哉からヘロインを取り上げ病院に入れるのが最善なのだ。ヘロイン依存症は精神に作用するだけではなく肉体をも蝕む。急激に寿命を縮めるのだ。

 だが、なまじ知識があるだけに激しい離脱症状を考えると、そう簡単に割り切れない。司法警察職員・霧島警視として動かねばならない今この時に限って分かり切った近い将来を直視できず、竦んだ自分を人生で初めて発見して半ば呆然としていた。

 温かな京哉を胸に抱いた霧島は被弾した左腕の傷が痛み始めたのも他人事の如く無視をして、いつまでもさらりとした髪を指で梳き続けていた。

◇◇◇◇

 京哉が目覚めると霧島は起きて着替え、ソファでサーヴィスの新聞を読んでいた。

「起きたのか、京哉。何か飲むか?」
「我が儘を言いますが、あったかい紅茶が欲しいです」

 言って顔を洗いに行く。ドレスシャツとスラックスを身に着けてタイも締めた。

「ところで一ノ瀬本部長に報告はされたんでしょうか?」
「ああ。天根市の洋館での件は厚生局扱いだ。スナック・夕子での部長二名射殺事件の方は厚生局経由で坂下と本木が捜一に引っ張られた。白川幸恵は昨夜出頭、おまけに西尾組が狙撃犯を差し出す形で出頭させた。組長を引っ張られんよう予防線だな」
「へえ。それなら殆ど全てが解明されたんですね」
「そうなるな。霧島カンパニー会長だけは何事もなかった顔をしているようだが」
「そんな吐き捨てるように言わなくても」

 喋りながら霧島がサーヴィスのティーバッグの紅茶を淹れてテーブルに置いてくれる。霧島の向かいのチェアに腰掛けて紅茶を飲みながらアルミホイルにヘロインを空けた。
 昨夜と同じく煙草の先にヘロインを付着させて着火すると大きく吸い込んで煙を吐いた。途端に心臓が落ち着きを取り戻し、掌にかいた汗がすっと引いてゆく。

 ヘロインの吸引について何も口を出さない霧島を窺うと、切れ長の目のふちを赤くしていた。この分では深夜に起き出して吸ったのも完全に気付かれているだろう。

 じっと見つめる愛しい年上の男に微笑んでみせる。霧島はやや表情を緩めた。

 少し空腹を感じて腕時計を見ると九時半過ぎだった。銃を吊って手錠ホルダーや特殊警棒の付いた帯革を締めると、ジャケットを羽織ってチェックアウトの準備は完了である。
 
 そこでふと思い出した京哉は首を傾げて霧島を見た。

「あのう、昨日キレたお兄さんはどうしたんでしょうかね?」
「そういうのもいたな。一応連絡してみてくれ」

 携帯の活きている京哉が健司にメールを打つ。だが秘書室長に戻った健司は【退職金はホテル代で支払いました】という短い返事を寄越しただけだった。

 香坂堂本社は香坂怜の存在を頼りに本庁ハムに懸案を預けた筈だったのに、勝手に麻取がなだれ込み魚住元支社長の身柄を警視庁公安と取り合いしている状況である。

 いつ野坂健司が麻取の潜入捜査官に戻るのか知ったことではないが、潜入捜査官だからこそ案件が終わったからといって安易に一抜けできないのも理解していた。
 世間体を取り繕っておかなければタダの不審者で次の潜入に差し障る。今は秘書室長として忙殺されているに違いなかった。

「じゃあ香坂警視も大変なんでしょうか?」
「香坂堂として所詮は次男、本庁での地位も確立されている。忙しくもないだろう」
「そんなものですか? なら戻ってきてくれたら小田切さんが喜ぶのに」
「あれだけ脅しておいて良く言う。香坂は本気でビビっていたぞ。とはいえ私のためだったな。お前は他人の心配ばかりだが、そろそろ私の空の胃袋の心配もしてくれ」
「あっ、そうでした。僕もお腹がペコペコです。行きましょう」

 二人はそっと抱き合い、ソフトキスを交わしてから部屋を出る。

「最上階のレストランか、それともチェックアウトして何処か外で食うか」
「外に出たいですね。煙草を吸えるとこ探さなくちゃ」

 一階に降りてチェックアウトすると健司のメール通りに宿泊料は支払われていた。

 ゆっくり歩いて白藤市駅付近を探索する。ほどなく小綺麗な喫茶店を見つけた。
 全席喫煙可という今どき珍しい店のカウンター席に並んで腰掛け、メニュー表を眺めて霧島はホットドッグのセット、京哉はミックスサンドのセットを注文する。

 まもなく出された朝食に二人は手を合わせてから取りかかった。

「旨いな、これは。やはり二人で食う飯が一番旨い」
「そうですね。コーヒーも美味しい」

 雑談しながら食べ終えると二杯目のコーヒーを飲みながら京哉は煙草を二本吸う。無論ここで薬物は摂取しない。腹が満ちると支払いをして店を出て今度は近くのショッピングモールまで歩いた。

 そこで霧島の携帯を新しくするとショッピングモールを出てタクシーに乗り込む。霧島カンパニーの保養所のアドレスを告げて向かって貰った。

「あ、覆面が香坂堂白藤支社に、忍さんの車は県警に置きっ放しですよね?」
「心配は要らん。小田切に連絡したから覆面は隊員が回収した筈だ。私の自家用車も誘拐騒ぎで桜木が誰かに申し付けて保養所に戻してある。マンションに帰れるぞ」
「そうですか。でも小田切さんも副隊長を休まないと鎖骨骨折の重傷なのに」
「お前はそんな心配をしなくていい。本部長に話は通し済み、私たちは暫く休暇だ」
「はあ、ありがとうございます」

 だがタクシー故にあとは黙っていても運んで貰えるという安堵から睡眠不足の霧島がウトウトし始めた時だった。妙に冷たいものが手に触れて目を覚ますと、隣で京哉が異常に吐息を速くしている。このままだと過呼吸発作を起こすだろうと思われた。

「大丈夫か、顔が真っ白だぞ。ゆっくり息を吐いて吸え」
「……ん」

 血の気が引いた京哉は言葉少なに霧島の手を掴む。浅く速い呼吸を繰り返す京哉の手は異様に冷たく汗で濡れていた。霧島はきつく握り返しながら腕時計を見る。

「あと七、八分だが降りた方がいいだろう」
「すみません、忍さん」
「謝るようなことではない。携帯の更新で時間を食い過ぎたのが拙かったな」
「ううん、僕がタイミングを間違えたんです」

 とにかくタクシーを停めて料金を支払い降車した。そこは公園の前で京哉は危ない橋だと知りながらトイレに駆け込み、煙草を使わず鼻から吸引するスニフという方法で急場をしのぐ。
 出てきた京哉を見て霧島はもっと心配になった。まだ吸い方も良く分かっていないだろうヘロインを京哉はじかに摂取したのである。

 危なっかしくもダウナーが効きすぎて半分眠りかけ身をふらつかせていた。

 海岸通りの公園には平日でも親子連れや釣り客が何組かいて、目につく訳にいかないと思った霧島は京哉をすくい上げ横抱きにする。
 表でスーツ姿の男が同じくスーツ男のお姫さま抱っこだ。それで更に目につく羽目になったのだが、車で八分という距離を今の京哉が歩ける筈もなかった。
 
 そのまま公園を出て海岸通りを足早に歩く。

 一方で京哉は危機的状況から脱して過剰に安堵すると同時に、静脈注射された時にやってきた、いわゆるラッシュの強烈な多幸感に包まれていた。
 ふわふわと躰が軽くなり心地の良い眩暈がする。霧島に抱き上げられたのは分かったが、その逞しい躰のラインに触れたお蔭で、まるで霧島との行為の最中のような錯覚まで起こしていた。

「んっ、あ……はぁん、忍さん」
「京哉、ここでそんな鳴き方をするのは反則だぞ」
「あ、ふ……っん、ああん、だめ」

 悶えては喘ぎを洩らす京哉を抱いた自分がどうやって保養所に辿り着いたのか霧島は殆ど記憶がなかった。途中の砂浜で押し倒さなかっただけ僥倖である。
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