あなたがここにいてほしい~Barter.7~

志賀雅基

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第44話

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 そして京哉は半ば強引に四階の自分の部屋のベッドに寝かされ、霧島は持て余した己の躰を隠すためソファに腰掛けたまま、保養所の常駐医師と向かい合うことになった。
 包み隠さず全てを語ったが、話を聞いた医師は厳しい顔をして溜息をつく。

「はっきり言いましょう。忍さま、これはこの場でどうこうできる問題ではありません。素人には手に余る。専門家に診せるべきです」
「やはり病院につれて行くべきだろうか?」
「わたしの知る精神科医院がありますので、そこに一刻も早く入院させましょう」
「待ってくれ。閉鎖病棟で京哉をベッドに縛り付けるのだけは勘弁してくれ」
「今は精神科を嫌っている場合じゃないんですよ?」
「私は精神科に偏見などない。ただ私は京哉に付いていてやりたい、それだけだ」

 暫し黙った医師は治療法としてヘロインの代わりに似て非なる薬物を投与する置き換え療法を提示した。だがそれも代わりの薬の依存症になるだけで根治には至らないという。結局は苦しみを伴わない断薬法などありはしないのだ。

「つまりは忍さま、貴方が腹を括るか否かです」

 家族のいない京哉にとって霧島はバディでありパートナーであり、保護者でもあった。しかし単純に家族代わりというだけはでない運命共同体とでも云える存在だ。

「ならば決まっている。私は京哉をマンションに連れて帰る」
「そうですか、仕方がないですね。では何かの足しになるかも知れませんので、睡眠薬と少々作用の強い鎮静剤を処方しておきましょう。しかし忍さま、本当にヘロイン依存症の離脱症状をご存じの上で決断なされたのですね?」
「ああ。ヘロインを止めて六時間から二十四時間で症状が始まるらしいな」

 医師は頷きつつ、全く表情を緩めずに京哉の近い将来を突き付けた。

「その通りです。まずは苛立ち始め、怒りやすくなり落ち着きがなくなります。次に全身の痛みや吐き気に倦怠感、発汗や下痢に発熱や不眠が起こります。僅かに触れただけでも飛び上がるほどの痛みといいますから、その苦しみを自宅療養で乗り切るのは難しいでしょう」
「だが一日から三日が症状のピークなのだろう?」
「ええ。鳴海さまは薬物に対して特異な症状を示されたことはなく、むしろ素直すぎるほどの効き目を示されますので、おそらくマニュアル通りに五日から一週間で急性症状は消えると思われます。忍さまの尽力があればこそでしょうが何れにせよ本人の意志次第、乗り切ることを祈っております」

 医師が去ると今枝執事とメイドがワゴンを押して昼食を運んできてくれる。無理に寝かされていた京哉は起き出して早速テーブルに着いた。強烈な多幸感は終わったので興味は昼食のメニューに向いている。ソファで霧島は深い溜息を洩らした。

 何とか自分を宥めて治まりがつくと霧島もテーブルに着いた。メニューはマカロニグラタンにサイコロステーキとエビフライの盛り合わせ、サラダとスープにデザートはベリーのタルトという盛りだくさんな内容だった。

 二人は今枝執事の思いやりに感謝を込めて有難く手を合わせてから頂く。京哉を抱いて数キロ歩いた霧島も京哉も食欲は旺盛だった。
 あっという間にプレート類を綺麗にしてしまい、紅茶を貰って京哉は普通に煙草を咥えるとオイルライターで火を点ける。
 そこで今枝執事に霧島が京哉と一緒にマンションに帰る旨を告げた。

「さようでございますか。淋しくなりますが次のお寄りをお待ちしております故」

 今枝執事とメイドが去ると霧島はスーツやドレスシャツを新しいものに着替える。そこで昨夜、手錠を本木の手首に忘れてきたのを思い出した。京哉の手錠もあの場に置きっ放しである。官品は失くすと始末書だの何だの非常に面倒なのだ。
 仕方なく健司に【手錠の保全を頼む】とだけ打ってメールを送った。返事は来なかったが何とかなるだろう。

「京哉、帰れるか?」
「はい。でも僕はまた忍さんに大迷惑を掛けてしまいそうで……すみません」
「お前は私を舐めているのか? それが迷惑だと本気で思っているのなら心外だぞ」

 窓からの陽射しに透けた薄い灰色の目が怒りに煌き、京哉は暫し見入ったのちに俯いた。そこでチャイムが鳴り看護師が入ってくる。霧島に薬を渡して説明し去った。

「では、私たちのうちに戻るとしよう」

 一階に降りて外に出ると車寄せには白いセダンが駐められている。最後にこれに乗ったのは昨朝なのに、まるで何年も離れていたような懐かしさまで京哉は感じた。
 運転席には当然ながら霧島が乗る。助手席に京哉という馴染んだ位置だ。ドアを閉めてウィンドウを下げると玄関で今枝執事とメイドたちが並んで見送ってくれる。

「では、お気を付けて行ってらっしゃいませ」
「ああ、行ってくる」

 いつもの言葉を交わして霧島は白いセダンを発車させた。公道に出てもゆっくり走らせる。違法物を所持している以上、間違っても交通違反で捕まる訳にいかないからだ。バイパスに乗ると却って目立たないよう流れに合わせて走らせる。

 四十分ほどで真城市内のマンション近くにあるスーパーカガミヤに辿り着いた。そこで霧島と京哉は自宅籠城戦に備えて大量の食料品を買い込む。二人とも両手に大きな袋を提げて車に戻った。そこから五分と走らせず月極駐車場に車を駐める。

 取っ手がちぎれそうな袋を持ってマンション五階の五〇一号室に戻った。

「ふうーっ、重かった!」
「私が片付けておくからお前は少し休んでいろ」
「僕も手伝いますよ。何も病人じゃないんですから」

 笑った京哉は率先して食材を冷蔵庫や冷凍庫に収める。綺麗に片付けると普段着に着替えた。京哉は長袖Tシャツにジーンズ、霧島は綿のシャツにコットンパンツだ。

 普段から事件の呼び出しに備えてドレスシャツにスラックス姿がデフォルトの霧島が、珍しくもそんな恰好をして極力京哉に休日だと思わせる努力をしている。行動の全てから愛情が伝わってきて京哉はここでも微笑んだ。霧島に応えたい想いが募る。

 それでもリビングの二人掛けソファに霧島と並んで座り、TVを眺めて幾らも経たないうちに京哉は立ち上がった。ヘロインの小箱を持ち出してアルミホイルに粉を空けると煙草に付着させてキッチンの換気扇の下で吸い始める。

 哀しませたくはない。
 だが京哉自身にも知識があるだけに、そう簡単に断薬成功とはいかないのも承知していた。激しい離脱症状に負けたら自分はおそらく――。

 早々に吸い終えるとソファに舞い戻ってきて霧島に話し掛けるでもなく呟いた。

「吸わされたのはパイプ用の加工品だったらしくて。だから本当の吸い方が分からなくて今の吸い方だとあまり効かないんです。でも鼻から吸うと効きすぎちゃうし」

 どうやらインターバルを開けられない理由を述べているらしいと霧島は察する。それで僅かに頷いてやったが他に何もしてやれないのが事実だった。
 何でもないことのように京哉自身が振る舞い続ける以上、何の解決策も持たない霧島も表面上はそのまま受け取るしかなかった。

 だが霧島も腹を括って戻ってきたのだ。ヘロインも無尽蔵ではない。あとは京哉本人が自ら戦う意志を固めてくれるのを待つのみだった。
 何だってしてやる。共に戦える部分が欠片でもあるのなら、残らず拾い集めてこの自分が全て背負ってもいいと思っている。

 プライドの高い京哉に弱音を吐けとは言わないが、せめて溜め込まず話し相手くらい務めさせて貰えないものかと歯痒い思いばかりが募った。

 ふいに静かになったと思うと京哉は霧島の腕に凭れて眠ってしまっていた。昨日の今日でまだ躰は疲れ切っている筈である。休養を求めているのだろうと思い、そっと抱き上げると寝室のベッドに寝かせてブルーの毛布を被せてやった。

 しかしそれからも京哉は昏々と眠り続け、ごく短時間だけ起きてヘロイン煙草を吸い、またパタリと眠る繰り返しを翌日の夜まで続けた。
 食事も摂らず一日半である。
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