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第47話
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駐車場で停止したタクシーの料金精算を霧島がカードで済ませる。そこから病院に入りエレベーターで十二階に上がって一二〇三号室に着くまで一言も口を利かない。
一二〇三号室の前にはパイプ椅子が置かれ制服警官が座っていた。撃たれての負傷ということで地元警察につけて貰ったささやかな護衛だ。身分を明らかにした霧島は英語で労いの言葉を掛ける。制服警官は自ら立って病室のドアを開けてくれた。
病室内に入ると霧島は足音を忍ばせてベッドで眠る少年に近づく。沢井雅人は入院した当初と殆ど変わりがなかった。ただモニタ機器を接続されているのが痛々しく、その寝顔が僅かにやつれて見えるのは霧島自身の罪悪感からだろうか。
ふいにドアが開いて瞬時に身構えたが、入ってきたのは顔も見知った医師と看護師である。家族代わりとも云える霧島たちに医師が朗らかな笑みで説明した。
「若いからですかね、驚異的に治りが早いんですよ。これなら明後日には退院できると思います。運も良かったですしね、はっはっは」
患者が飛び起きそうな大声で笑う医師に霧島は念を押す。
「明後日に迎えにこればいいんだな? では、他に何かあったらメールしてくれ」
勝手にそう答えた霧島に京哉はチラリと目を上げたが何も言わなかった。
医師たちと共に退室しナースステーションに寄って挨拶をする。黄色い声を浴びて病院を出ると、外はもう夜が明けかけて薄明るかった。
群青色の空を仰いだ霧島は鳥の囀りを聞きながら病院前で客待ちをしているタクシーに乗る。後部座席で京哉と隙間を空けて座った霧島はドライバーに「マートルホテルまで」と告げた。京哉は文句も言わない。押し黙ったまま二十分ほどで到着する。
フロントで霧島が取った部屋は使い勝手が分かっているツインだった。シングル二部屋を取るまでもないと思っただけだが、ここでも京哉は黙ったきりである。
そうして取れた部屋はまたも九〇七号室で、この辺りから霧島はじわじわと、これはいつもと同じ喧嘩で済まないのではないかという不穏な思いに苛まれ始めていた。
エレベーターに乗っても京哉は完全に霧島を無視していて、何故あんな余計なことを言ってしまったのかと霧島は自分の舌を呪う。ノーブルな横顔ばかり見つめてしまうが、何もかもを跳ね返す鉄壁の無表情に今、足掻いても舌禍を重ねるだけだと思い溜息を押し殺した。せめて京哉には怒った表情でも浮かべていて欲しかったが叶わないようだ。
全てを自らの内に押し込め蓋をした無表情は、ただの一度も失敗したことがないという暗殺スナイプしている時にこんな顔をしていたんじゃないかと思わせられる。
もう霧島には京哉が、京哉には霧島が必要不可欠だと知り尽くしていても、一緒にいれば喧嘩くらいするものだ。それでも京哉の無表情は殻の下に激情を溜め込んでいるような気がして霧島は少々怖かった。今回の特別任務が厳しい結果だったからかも知れない。
それは霧島にとっても同じで、更に海外という状況でハメを外してしまったのだ。
九階九〇七号室に入ると京哉が欠伸を洩らす。とうに徹夜も同然の六時過ぎだ。その上にハードに動き、霧島と違って仮眠もしていないのである。眠くて当然だろう。
「先にシャワーを浴びて寝ろ」
「……」
やはり何の反応も見せず、京哉はまるで独りで部屋にいるかの如く大きな窓から外を眺めていたが、やがて意地が眠気に負けたのかバスルームにふらりと消えた。
バスルームから京哉が出てくると交代で霧島もシャワーを浴びる。ぬるい湯を頭から被りながら、上がったら京哉に謝ろうと素直に思った。頭が冷えて現在の状態がいかに馬鹿馬鹿しいか気付いたのである。
だがバスタオルで適当に拭い備え付けのガウンを着て部屋に出てみると、京哉は既にベッドに横になっていた。毛布が規則正しく上下している。
なだらかな細い躰のラインを眺めていると、毛布ごと抱き締めて白い額にキスをして……という自分のいつもの行動パターンが脳裏に浮かんだが、まだ謝ってもいないのに触れるのはルール違反だと思い直した。
妙なところで損な思考をする意地っ張り男は冷蔵庫のミネラルウォーターを飲みながら、ああ言ったくせに煙草を吸いつつ、起きたら謝ろうと自分に言い聞かせる。
二人分の銃は既にベッドのヘッドボードの棚に並べて置いてあった。そこで霧島は少々考えた末に、もうひとつのベッドを無視して京哉の被った毛布に潜り込む。起こさないよう、触れないよう、細心の注意を払って横になった。
長めの毛先なら本人に知られず触れるのではないか、などと思いながらたっぷり二時間も経ってやっと眠気を捕まえる。眠りに落ちてしまう寸前に呟いた。
「京哉……私の京哉」
「ん……忍さん」
微かな声に僅かに上昇した気分を抱いて、霧島は深い眠りに引き込まれていった。
◇◇◇◇
起きたら謝ろうという霧島の決意は五秒で破り捨てられた。
目覚めてみれば京哉は既に着替え独りで部屋から出て行こうとしていたのである。
「何処に行くんだ、京哉!」
まさかの単独行動だ。思わず尖った大声を出してしまったのは仕方ないだろう。ベッドから滑り降りるなり駆け寄って京哉の腕を掴んだ。京哉は霧島の顔ではなく掴まれた腕をじっと眺めたのち、鬱陶しそうに振り払った。
霧島は冷めた筈の頭が再び一気に沸騰するのを感じる。だが馬鹿馬鹿しい状態だという意識は辛うじて残っていた。自分を抑えに抑えて静かな声を出す。
「国外で単独行動だけはだめだ、それだけはやめてくれ」
以前京哉は特別任務で国外における単独狙撃任務を負い、狙撃は成功したもののマフィアに拉致監禁されて丸三日間も嬲り者にされたのだ。霧島が救出した時には自力で立てないほど弱っていた。その忌まわしい出来事を繰り返したくないという霧島の思いが伝わったのか、無言ではあったが京哉はソファに戻った。
煙草を咥えながら腕時計を見れば自分でも驚きの十七時だった。自分の腹が鳴って京哉も空腹だと気付く。食事に行こうとしたのだろう。待たせるのも可哀相でさっさと一本灰にすると着替えた。しっかり銃も吊る。京哉はショルダーバッグを担いだ。
一二〇三号室の前にはパイプ椅子が置かれ制服警官が座っていた。撃たれての負傷ということで地元警察につけて貰ったささやかな護衛だ。身分を明らかにした霧島は英語で労いの言葉を掛ける。制服警官は自ら立って病室のドアを開けてくれた。
病室内に入ると霧島は足音を忍ばせてベッドで眠る少年に近づく。沢井雅人は入院した当初と殆ど変わりがなかった。ただモニタ機器を接続されているのが痛々しく、その寝顔が僅かにやつれて見えるのは霧島自身の罪悪感からだろうか。
ふいにドアが開いて瞬時に身構えたが、入ってきたのは顔も見知った医師と看護師である。家族代わりとも云える霧島たちに医師が朗らかな笑みで説明した。
「若いからですかね、驚異的に治りが早いんですよ。これなら明後日には退院できると思います。運も良かったですしね、はっはっは」
患者が飛び起きそうな大声で笑う医師に霧島は念を押す。
「明後日に迎えにこればいいんだな? では、他に何かあったらメールしてくれ」
勝手にそう答えた霧島に京哉はチラリと目を上げたが何も言わなかった。
医師たちと共に退室しナースステーションに寄って挨拶をする。黄色い声を浴びて病院を出ると、外はもう夜が明けかけて薄明るかった。
群青色の空を仰いだ霧島は鳥の囀りを聞きながら病院前で客待ちをしているタクシーに乗る。後部座席で京哉と隙間を空けて座った霧島はドライバーに「マートルホテルまで」と告げた。京哉は文句も言わない。押し黙ったまま二十分ほどで到着する。
フロントで霧島が取った部屋は使い勝手が分かっているツインだった。シングル二部屋を取るまでもないと思っただけだが、ここでも京哉は黙ったきりである。
そうして取れた部屋はまたも九〇七号室で、この辺りから霧島はじわじわと、これはいつもと同じ喧嘩で済まないのではないかという不穏な思いに苛まれ始めていた。
エレベーターに乗っても京哉は完全に霧島を無視していて、何故あんな余計なことを言ってしまったのかと霧島は自分の舌を呪う。ノーブルな横顔ばかり見つめてしまうが、何もかもを跳ね返す鉄壁の無表情に今、足掻いても舌禍を重ねるだけだと思い溜息を押し殺した。せめて京哉には怒った表情でも浮かべていて欲しかったが叶わないようだ。
全てを自らの内に押し込め蓋をした無表情は、ただの一度も失敗したことがないという暗殺スナイプしている時にこんな顔をしていたんじゃないかと思わせられる。
もう霧島には京哉が、京哉には霧島が必要不可欠だと知り尽くしていても、一緒にいれば喧嘩くらいするものだ。それでも京哉の無表情は殻の下に激情を溜め込んでいるような気がして霧島は少々怖かった。今回の特別任務が厳しい結果だったからかも知れない。
それは霧島にとっても同じで、更に海外という状況でハメを外してしまったのだ。
九階九〇七号室に入ると京哉が欠伸を洩らす。とうに徹夜も同然の六時過ぎだ。その上にハードに動き、霧島と違って仮眠もしていないのである。眠くて当然だろう。
「先にシャワーを浴びて寝ろ」
「……」
やはり何の反応も見せず、京哉はまるで独りで部屋にいるかの如く大きな窓から外を眺めていたが、やがて意地が眠気に負けたのかバスルームにふらりと消えた。
バスルームから京哉が出てくると交代で霧島もシャワーを浴びる。ぬるい湯を頭から被りながら、上がったら京哉に謝ろうと素直に思った。頭が冷えて現在の状態がいかに馬鹿馬鹿しいか気付いたのである。
だがバスタオルで適当に拭い備え付けのガウンを着て部屋に出てみると、京哉は既にベッドに横になっていた。毛布が規則正しく上下している。
なだらかな細い躰のラインを眺めていると、毛布ごと抱き締めて白い額にキスをして……という自分のいつもの行動パターンが脳裏に浮かんだが、まだ謝ってもいないのに触れるのはルール違反だと思い直した。
妙なところで損な思考をする意地っ張り男は冷蔵庫のミネラルウォーターを飲みながら、ああ言ったくせに煙草を吸いつつ、起きたら謝ろうと自分に言い聞かせる。
二人分の銃は既にベッドのヘッドボードの棚に並べて置いてあった。そこで霧島は少々考えた末に、もうひとつのベッドを無視して京哉の被った毛布に潜り込む。起こさないよう、触れないよう、細心の注意を払って横になった。
長めの毛先なら本人に知られず触れるのではないか、などと思いながらたっぷり二時間も経ってやっと眠気を捕まえる。眠りに落ちてしまう寸前に呟いた。
「京哉……私の京哉」
「ん……忍さん」
微かな声に僅かに上昇した気分を抱いて、霧島は深い眠りに引き込まれていった。
◇◇◇◇
起きたら謝ろうという霧島の決意は五秒で破り捨てられた。
目覚めてみれば京哉は既に着替え独りで部屋から出て行こうとしていたのである。
「何処に行くんだ、京哉!」
まさかの単独行動だ。思わず尖った大声を出してしまったのは仕方ないだろう。ベッドから滑り降りるなり駆け寄って京哉の腕を掴んだ。京哉は霧島の顔ではなく掴まれた腕をじっと眺めたのち、鬱陶しそうに振り払った。
霧島は冷めた筈の頭が再び一気に沸騰するのを感じる。だが馬鹿馬鹿しい状態だという意識は辛うじて残っていた。自分を抑えに抑えて静かな声を出す。
「国外で単独行動だけはだめだ、それだけはやめてくれ」
以前京哉は特別任務で国外における単独狙撃任務を負い、狙撃は成功したもののマフィアに拉致監禁されて丸三日間も嬲り者にされたのだ。霧島が救出した時には自力で立てないほど弱っていた。その忌まわしい出来事を繰り返したくないという霧島の思いが伝わったのか、無言ではあったが京哉はソファに戻った。
煙草を咥えながら腕時計を見れば自分でも驚きの十七時だった。自分の腹が鳴って京哉も空腹だと気付く。食事に行こうとしたのだろう。待たせるのも可哀相でさっさと一本灰にすると着替えた。しっかり銃も吊る。京哉はショルダーバッグを担いだ。
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