見え透いた現実~Barter.6~

志賀雅基

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第7話

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 ぐるりと周囲を見渡したのち、マップと照らし合わせて京哉が提案した。

「あの雑居ビルの五階か六階はどうでしょうか?」
「できれば公共の施設がいいんだが。その向こうの七原高校は遠すぎるか?」
「有効射程ギリギリか、少しオーバーしそうですね。僕は構いませんけど……」

 話はちゃんと聞いていたようで、小田切は三本目を吸いながら欠伸をしつつ頷く。

「俺も構わないさ、ふあーあ。七原高校の屋上に一票入れておくよ」
「そうですか。ならあとは本部長を通して施設使用許可を取って貰わないと」

 そこで寺岡が三人を見回して無線機を振った。

「ブラインドが開いた瞬間を狙う方向で進んでいる。人殺しが増えたのと人質に高齢者が多い点も加味して本部長も早期解決の意向だ。では狙撃ポイントの選定を――」
「もうしてあります。あそこに見える七原高校の屋上で構わないですよね?」
「ああ? 下手すると八百オーバー、自信満々なのはいいが博打じゃないんだぞ」
「分かってます。でも俯角を狙う訳ですから距離は伸ばせます」
「ふ……ん。ならばそれで伺いを立ててやる」

 まもなく七原高校の使用許可が下り、四人は所轄署の巡査長が乗ったまま固まっていたワンボックスで移動した。七、八分で到着し再び巡査長を置き去りに降車する。

 連絡が入る前から事件を受け全校生徒を下校させていた七原高校はまるで人の気配がなかった。教員たちは職員室にいるらしいが、既に四階建て校舎の屋上のロックは解いて貰ってある。誰にも会わず階段で屋上面に出る。
 出て見て小田切が唸った。

「うーん、そうきたか……」

 小田切が唸ったのは屋上のふちが五十センチほどの高さの壁になっていただけでなく、その壁の上にフェンスが載っかっていたからだ。
 それでもフェンスの脚がやや長く、壁との間に二十五センチくらいの高さの隙間がある。京哉は近づいて片膝をつき膝射姿勢を取ってみた。

 延長線上に郵便局が捉えられるか眺めてみる。

「僕はこの隙間から銃口を出せば撃てます。このふちに銃口を依託すれば却って丁度いい高さだし、角度的にもカウンターの奥まで狙えそうだし。でも小田切さんは?」
「膝射も座射も苦しいな。これはやられたか」
「ですよね。それだけ座高が高いと難しいでしょう」
「さらりと言ってくれるね、京哉くんは。どうせ俺は足が短いですよ」

 失言だったと首を竦めて小田切を窺ったが、茶色の瞳は笑っていて安堵した。

「いわゆる腰の低い男ってヤツですね?」
「上塗りするかい。……仕方ない、立射でやるか」

 スナイパー二人の位置が決まったのを見計らって、霧島が気象計で計測した条件を低く通る声で読み上げ始めた。それを受けて小田切はスコープのダイアルを微調整した。京哉は射場で八百メートルに調整したまま敢えて動かさない。

 天与の才を持つ上に場数を踏んできた京哉にとって、この条件と目測距離なら勘で修正した方がいい範囲だった。

 レーザー反射で距離を測る双眼鏡型スコープのアイピースに霧島が目を当てる。

「距離、対象施設のガラス面で八百十五メートル」
「八百十五メートル、コピー」
「十五メートルオーバーだ、本当にいけるのか?」
「ええ。それよりちゃんとブラインドが開くかどうかの方が心配ですよ」
「相手は毎日作動するプログラムだ、そう心配することもあるまい」
「ならいいんですけどね。それとマル被は一射でも撃っているんですか?」

 これには同じくレーザースコープを手にした寺岡が首を横に振った。

「モデルガンやエアガンの可能性もある。監視カメラ映像を科捜研が分析中だ」

 それこそ京哉にとって何よりも知りたい最重要ポイントだった。命令なら一撃でマル被の脳幹を破壊し生命活動を停止させなければならないのは分かっている。何がどうあろうと人質の安全が優先されるのは重々承知だ。

 だが一緒にトリガを引くのだとまで言ってくれた霧島を、どんな意味であっても殺人者にしたくない。

 暗殺スナイパー時代に二桁もの人間を狙撃し、ただの一度も外さなかった京哉は自らの心の一部が壊れた原因を知っている。撃ち砕いた人々の墓標が心の中に林立しているからだ。通常あり得ないものが心に割り込んで、壊れた。

 それでも彼らの墓標は消えることはない。一生背負ってゆく覚悟はとっくにできている。

 それに霧島もパートナーとして共に背負うとまで言ってくれていた。

 だからこそ霧島にそんな重荷を背負わせたくない。喩え命令違反でも自己判断で可能な限り、マル被の命の炎を吹き消さず人質を助ける選択をする気の京哉だった。
 幸い自分のスナイプは判断するための一瞬を生み出せるレヴェルにある。

 それこそ神の視点でマル被の生殺与奪を握った、傲慢極まりない驕りかも知れなかったが、そんなものの全てを飛び越えて京哉の中で一番は霧島忍なのだった。
 過去にそれで寺岡にぶん殴られているが、今度も殴られて済むならそれでいい。

「――おい、京哉くん?」
「えっ、あっ、はい?」
「まだ十五時五十八分、ブラインドが開くまで一時間半もあるぞ」

 言われて気付けばこれまでのスナイプ同様に狙撃銃を構えたままじっとターゲットポイントを見つめて膝射姿勢を取り続けていた。
 片や小田切は笑いながら吸い殻パックを片手に煙草を吸っている。銃もバイポッドなる二脚で地面に立ててあった。

「そっちの銃は約八キロ、銃口を依託していたって細腕が痺れてこないかい?」
「慣れてますから。このまま明日の朝まででも構えていられますよ」
「そいつは大した根性だが、せっかく時間も決まってる楽勝なスナイプなんだしさ。眺めていても何も出てこないぜ? もっとリラックス、リラックス!」

 そこまで言われて銃にかじりついているのも変かと思い膝射姿勢を解く。何れにせよ本部長見解が出て命令が下らなければ撃てないのだ。銃を置き霧島の足元近くに腰を下ろす。

 霧島もオーダーメイドスーツが汚れるのも構わず隣にあぐらをかいた。

「小田切基生もとお警部、国家公務員総合職試験をボーダーライン上でギリギリ突破。これまでキャリアは上位からしか採用しなかったサッチョウに新風を吹き込むだろうと上層部に期待させた。ところが半年と経たずに『我が庁に名を連ねさせるんじゃなかった』とまで言わしめたらしいな」

 急に何を言い出したのかと京哉は霧島と小田切を交互に見上げる。小田切はチェーンスモークしながらのんびりした口調で霧島に応えた。

「まあ、そういう伝説めいた噂は俺自身の耳にも届いているさ」
「何故なら貴様は人間関係においてトラブルが絶えない。それも相手は皆キャリアばかりだ。先輩、後輩、男女問わずタラし込んでは手を付けてきた。違ったか?」
「タラし込んだかどうかは他人と意見の一致を見ないけど、確かに人生経験が豊かになるようなお付き合いはさせて貰ったよ。ただ不思議なのは何故だか皆が皆、俺のいる場所まで堕ちてくれようとするんだよな。それでも俺は矛盾も感じずこうしているのに、誰もが自己崩壊するんだ」

 小田切は煙草を指先で揉み消してパラパラと吸い殻パックに落とす。

「幾らこの業界が『キャリア様様』ったって、元々俺はキャリアの中でも最下層にいた。それを承知で寄ってくる人間がいるんだから分からないもんだよな。でも挙げ句の一言が『貴方が分からない』だ。もっと分からないよ」
「だからといって刃傷沙汰にまで発展させるほどの馬鹿がキャリアにいるとは、私も思ってもみなかった。聞いて呆れたが……貴様は結城ゆうき友則とものりを知っているな?」

 不穏な話である筈なのに、訊かれて茶色い瞳が笑みを湛えるのを京哉は目にする。

「ああ、霧島警視が大学時代に付き合っていた結城さんなら知ってるさ」

 思わず息を呑んだのを悟られないよう京哉は俯くと霧島のペアリングを見つめた。
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