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第9話
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予定通り五枚のブラインドが白い柱に向かってスルスルと畳まれ出した。
京哉はすっと息を吸い込んで止めた。呼吸を止めてから心音の合間にトリガを引けるのは十秒が限界、それ以上は脳が酸素不足に陥って精確な照準がつけられなくなる。
「マル被が現れた、中央に立っている二名がマル被」
低い声より早く京哉は左側のマル被に銃弾を放っていた。叩き込んだのは二射ながらセミオートの強みで撃発音も一発に聞こえるほどの速射だ。小田切は右のマル被担当、日も暮れ訪れた夜に銃口が放つ燃焼炎、マズルフラッシュが盛大に吐かれた。
「二名共にダブルヒット。マル被二名は右肩及び右手首を撃ち抜かれ銃を手放した」
霧島の報告を聞きながら、だが京哉も小田切もまだ銃を降ろせない。表にも裏にも組まれたバリケードを崩して突入班がマル被を確保するまで何が起こるか分からないからだ。殺さない狙撃逮捕は気が楽だが、最後まで気を抜けないのも確かである。
「裏口から突入した、現時点を以て突入!」
無線で得た情報を寺岡が告げた。京哉もスコープ越しに突入班がフラッシュバンという音響閃光手榴弾を使用し、なだれ込んだのを確認する。
軍においてはスタングレネードと呼ぶそれは、強烈な音と光を発して一時的に聴覚と視覚を麻痺させるものだ。耳と目を塞がなければ敵も味方もない代物だが、それはともかく不発も考慮して二個投げ込むのが基本だった。
スコープの向こうで入り乱れていた突入班が流血するマル被二名を確保する。
ここまできたらSATとSITは人質の安否確認と大事を取っての医療機関搬送くらいで、あとは県警捜一と所轄署刑事課の仕事だ。
もう大丈夫だろうと気を緩めたそのとき、スコープの視界の隅で拳銃を持った何者かの手が伸びる。人質の中に潜んでいた三人目のマル被と思しき男の銃口、その延長線上には突入班と人質たちが入り乱れていた。
「拙い、京哉、撃て!」
鋭い霧島の声より先に反射的に京哉はトリガを引いていた。殆ど同時に小田切も撃っている。京哉はSSG3000の撃発音を耳に留め、大したものだと感心した。
「一射、ヒット。ヘッドショット。ターゲットKILL」
誰かが撃たれるのを止める方法はこれしかなかった。だが当たったのは一射、京哉と小田切のどちらの放った弾丸が三人目のマル被の頭部を砕いたのか分からない。
しかしとうとう霧島の前でヘッドショット狙いのスナイプを披露してしまい、京哉はがっかりする。実際そんな事態になったらもっと落ち込むと思っていたのに、ただがっかりした自分に半ば呆然とした。
ふいに朗らかな大声が耳に飛び込んできてビクリと身を震わせる。
「やー、俺様の腕はピカイチだぜ! 我ながら咄嗟の判断力に惚れ惚れするなあ!」
「貴様が当てたとは限らんぞ?」
「俺が当てたに決まってるさ。鑑識の結果で分かる。何なら賭けてもいいぜ?」
「その鑑識結果が当事者の我々に伝えられるとでも思っているのか?」
「まあ、残念ながら『お前が撃った』とは教えちゃくれないよな。残念、残念」
とことん明るい小田切と相手をする霧島の声を聞きながら京哉はようやく膝射姿勢を解いて立ち上がるのに成功していた。暗い中で霧島がメタルフレームの伊達眼鏡とシグ・ザウエルP230JPを渡してくれる。
この時点で京哉は自分自身の異変に気付いていた。数ヶ月ぶりに襲ってきた酷い寒気を懐かしくすら思う感覚は、やはりどうかしているのだろう。スナイプで人を殺したあとに必ずやってくる、PTSDによる酷い風邪のような症状の始まりだった。
突然にして極地に放り出されたような寒さで歯の根も合わない状態ながら、それを客観視しているので誰かに悟られないよう行動するのは簡単である。
黙って三発分の空薬莢を拾うとPSG1と一緒にソフトケースに入れて担ぎ上げた。撤収準備が整ったのを見て寺岡が無責任にも言い放つ。
「よし、撤収だ。人殺しども、帰りはヘリも飛ばん。各自で都合をつけて戻れ」
「はーい。今日は金曜だし、ここは寺岡隊長の奢りで一杯やるのが基本ですよねー」
かつて寺岡に対してここまで言った者がいただろうかと京哉と霧島は小田切を凝視した。しかし寺岡も己の責任において人間一人の命を奪った事実に思うところもあるのか、意外にも笑みのようなものを歪めた頬に浮かべて頷いたのだった。
「分かった。では人殺しども、さっさと帰って銃の整備を終えたら繰り出すぞ!」
寒気だけでなく眩暈まで始まっていた京哉にとっては迷惑千万な予定が組まれた訳である。けれど嫌な気分にはならず、四人揃って七原高校からワンボックスで中央郵便局まで戻った。
そこからはSATのマイクロバスに便乗させて貰い、三時間近く掛かって白藤市郊外の警察学校まで戻る。ここで霧島とは一旦別行動だ。
「僕は銃の分解清掃がありますから、霧島警視は本部に覆面を返してきて下さい」
「分かった。寺岡警視や小田切に妙な因縁でもつけられたら射殺していいからな」
京哉はすっと息を吸い込んで止めた。呼吸を止めてから心音の合間にトリガを引けるのは十秒が限界、それ以上は脳が酸素不足に陥って精確な照準がつけられなくなる。
「マル被が現れた、中央に立っている二名がマル被」
低い声より早く京哉は左側のマル被に銃弾を放っていた。叩き込んだのは二射ながらセミオートの強みで撃発音も一発に聞こえるほどの速射だ。小田切は右のマル被担当、日も暮れ訪れた夜に銃口が放つ燃焼炎、マズルフラッシュが盛大に吐かれた。
「二名共にダブルヒット。マル被二名は右肩及び右手首を撃ち抜かれ銃を手放した」
霧島の報告を聞きながら、だが京哉も小田切もまだ銃を降ろせない。表にも裏にも組まれたバリケードを崩して突入班がマル被を確保するまで何が起こるか分からないからだ。殺さない狙撃逮捕は気が楽だが、最後まで気を抜けないのも確かである。
「裏口から突入した、現時点を以て突入!」
無線で得た情報を寺岡が告げた。京哉もスコープ越しに突入班がフラッシュバンという音響閃光手榴弾を使用し、なだれ込んだのを確認する。
軍においてはスタングレネードと呼ぶそれは、強烈な音と光を発して一時的に聴覚と視覚を麻痺させるものだ。耳と目を塞がなければ敵も味方もない代物だが、それはともかく不発も考慮して二個投げ込むのが基本だった。
スコープの向こうで入り乱れていた突入班が流血するマル被二名を確保する。
ここまできたらSATとSITは人質の安否確認と大事を取っての医療機関搬送くらいで、あとは県警捜一と所轄署刑事課の仕事だ。
もう大丈夫だろうと気を緩めたそのとき、スコープの視界の隅で拳銃を持った何者かの手が伸びる。人質の中に潜んでいた三人目のマル被と思しき男の銃口、その延長線上には突入班と人質たちが入り乱れていた。
「拙い、京哉、撃て!」
鋭い霧島の声より先に反射的に京哉はトリガを引いていた。殆ど同時に小田切も撃っている。京哉はSSG3000の撃発音を耳に留め、大したものだと感心した。
「一射、ヒット。ヘッドショット。ターゲットKILL」
誰かが撃たれるのを止める方法はこれしかなかった。だが当たったのは一射、京哉と小田切のどちらの放った弾丸が三人目のマル被の頭部を砕いたのか分からない。
しかしとうとう霧島の前でヘッドショット狙いのスナイプを披露してしまい、京哉はがっかりする。実際そんな事態になったらもっと落ち込むと思っていたのに、ただがっかりした自分に半ば呆然とした。
ふいに朗らかな大声が耳に飛び込んできてビクリと身を震わせる。
「やー、俺様の腕はピカイチだぜ! 我ながら咄嗟の判断力に惚れ惚れするなあ!」
「貴様が当てたとは限らんぞ?」
「俺が当てたに決まってるさ。鑑識の結果で分かる。何なら賭けてもいいぜ?」
「その鑑識結果が当事者の我々に伝えられるとでも思っているのか?」
「まあ、残念ながら『お前が撃った』とは教えちゃくれないよな。残念、残念」
とことん明るい小田切と相手をする霧島の声を聞きながら京哉はようやく膝射姿勢を解いて立ち上がるのに成功していた。暗い中で霧島がメタルフレームの伊達眼鏡とシグ・ザウエルP230JPを渡してくれる。
この時点で京哉は自分自身の異変に気付いていた。数ヶ月ぶりに襲ってきた酷い寒気を懐かしくすら思う感覚は、やはりどうかしているのだろう。スナイプで人を殺したあとに必ずやってくる、PTSDによる酷い風邪のような症状の始まりだった。
突然にして極地に放り出されたような寒さで歯の根も合わない状態ながら、それを客観視しているので誰かに悟られないよう行動するのは簡単である。
黙って三発分の空薬莢を拾うとPSG1と一緒にソフトケースに入れて担ぎ上げた。撤収準備が整ったのを見て寺岡が無責任にも言い放つ。
「よし、撤収だ。人殺しども、帰りはヘリも飛ばん。各自で都合をつけて戻れ」
「はーい。今日は金曜だし、ここは寺岡隊長の奢りで一杯やるのが基本ですよねー」
かつて寺岡に対してここまで言った者がいただろうかと京哉と霧島は小田切を凝視した。しかし寺岡も己の責任において人間一人の命を奪った事実に思うところもあるのか、意外にも笑みのようなものを歪めた頬に浮かべて頷いたのだった。
「分かった。では人殺しども、さっさと帰って銃の整備を終えたら繰り出すぞ!」
寒気だけでなく眩暈まで始まっていた京哉にとっては迷惑千万な予定が組まれた訳である。けれど嫌な気分にはならず、四人揃って七原高校からワンボックスで中央郵便局まで戻った。
そこからはSATのマイクロバスに便乗させて貰い、三時間近く掛かって白藤市郊外の警察学校まで戻る。ここで霧島とは一旦別行動だ。
「僕は銃の分解清掃がありますから、霧島警視は本部に覆面を返してきて下さい」
「分かった。寺岡警視や小田切に妙な因縁でもつけられたら射殺していいからな」
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