見え透いた現実~Barter.6~

志賀雅基

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第10話

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 真顔で言った霧島に微笑み射場の整備室に入った。
 精神的には他人事同然だが躰は何処まで保つのか分からない。早々に銃を分解した。あとから小田切もやってきて同じく分解清掃を始める。

 銃身バレルにニトロソルベントを浸した布を通し、部品にオイルを吹き付け硝煙やスラッグなる金属屑を拭う作業に没頭していると、小田切がポツリと呟いた。

「負けたよ」
「勝ったとは思いませんけど……そうですね」
「俺は誰にも負けない自信があった。まさかと思ったぜ。分かってるんだろう?」
「はい。はっきりと手応えを感じましたから」
「不思議なもんだよな。飛んでった弾丸はあんなに離れているのに、当たれば俺たちはちゃんと手応えを感じるんだ。あの、人を撃った感触には慣れられそうにない」
「小田切さんって、ここに来る前も撃ってたんですね」
「警視庁のSATにいたが、そこも放り出されたんだ」

 それきり黙って組み立て磨き上げた銃をそれぞれ棚の定位置に戻した。

 オイルの付いた手を洗って自前のスーツに着替える。やってきた寺岡が顎で二人に向かって「来い」と合図した。ぶらぶら歩いて警察学校の敷地から外に出ると、ゆっくりと歩を進めて裏通りに入り込む。入り組んで外灯も減った細い道で京哉と小田切は顔を見合わせた。

 やがて寺岡が入ったのは『スナック・ようちゃん』なる店だった。

 再び京哉は小田切と顔を見合わせてから寺岡に続いて店内に足を踏み入れる。スナックなのに何故か中華屋みたいな匂いがした。
 それもその筈で割と明るい店内にある幾つかのソファ席に陣取った数少ない客たちは、酒の肴にラーメンだの餃子だのを食っていた。店舗自体の造りも元々中華屋のようだ。

「あら、テラちゃん、いらっしゃい」
「まあ、色男を二人もつれてどうしたのよ?」

 おそらくママだと思われる中年女性と一人きりらしいホステスが口々に言って出迎え、三人はソファ席の一角を占める。そこで京哉は『スナック・ようちゃん』への経路を霧島にメールで送った。

 その間にテーブルには瓶ビールとグラスが並び、つきだし代わりにザーサイの小皿が置かれている。寺岡はママから、京哉と小田切はホステスにビールを注がれた。
 誰も景気のいい声など出さず、冷えたビールとザーサイを味わう。

 まもなく霧島がやってきて、ママとホステスは呆気にとられたような顔をした。

「ちょっとテラちゃん、あんたどれだけ懐の広い男だったのよ?」
「ママ、ラーメン四杯あたしの奢りで出してあげて!」

 十分後、男四人は有難くラーメンを啜っていた。ラーメンはシンプルな中華そば風で、意外な旨さに空腹だった皆は飲み物の如く食してしまう。
 寺岡がビールを追加で注文し、小田切が容赦なくウィスキーのボトルを寺岡の名前で入れた。盛大に餃子も頼む。霧島はアルコールに対して殆どザル、小田切も相当いける口らしい。

 寒気と戦うために京哉もウィスキーをストレートのままで僅かずつ減らす。

 飲んでいると何処からか現れたサバトラのオス猫が京哉の足元で「ニャー」と鳴いて膝に飛び乗り、くるりと丸くなって長い尻尾だけ揺らしながら居眠りを始めた。

「ようちゃん! だめよ、お客さんに。ようちゃん!」
「構いません。猫は嫌いじゃないですから」
「ならいいけど。普段は誰にも懐かない子なんだけど、珍しいこともあるもんだわ」

 おそらく体温が異常に高いのを察知して猫はやってきたのだろうと京哉は思う。膝の猫を揉みながら手酌でウィスキーをグラスに注いで飲んだ。霧島が心配げな目を向けてきたが、既に酔うどころではない京哉は微笑みを返して三杯目に口をつける。

 まさか三人がここまで飲むとは思っていなかったらしい寺岡はビールを飲みつつ仏頂面だ。リサーチもせず頷いた自分の負け、文句を言うほど小さくはないらしい。

 静かに食いながら飲み、日付が変わって一時間ほど経った頃にお開きにする。だが勘定を支払う時になって寺岡と霧島のバトルが再燃した。単純に自分が奢ると言い張る寺岡に対し、同じ階級である以上は自分も出すべきだと霧島が理詰め口撃を仕掛けたのだ。

 そんな上司たちを放置して部下二人は外に出る。細い路地を吹き抜ける、やや生暖かい秋風に身を浸した。京哉の足元をサバトラのようちゃんが駆け抜けてゆく。

「表通りに出てタクシーを拾っておくとするか」
「はい。小田切さんって何処に住んでるんですか?」
「郊外の官舎。寺岡隊長はあれで家族と分譲マンションって話だぜ」
「へえ、大したもの、です、ね――」
「おい、どうした。京哉くん……京哉くん!」

 急に京哉は激しい眩暈に襲われていた。回転性の眩暈に酔い、ふらつく。小田切は返事もできないでいる京哉が倒れそうになったのに気付き慌てて抱き留めた。すると細く華奢な躰からは酔いだけとは思えない高熱が感じられた。

 何事かと驚いて片腕で抱いたまま脈を看る。数えきれないほどの速さで、それも不規則だ。

 ただごとでない様子に焦って京哉を片腕で支えつつ携帯で119番通報する。通話を切って京哉を両腕で京哉をすくい上げた。想像していた以上にその身は軽かった。外灯の明かりを頼りに覗き込むと高熱のクセに顔色は真っ白である。

 何処かに寝かせようと思っているうちに店から出てきた霧島がこちらを見て血相を変えた。京哉を抱いた小田切に無言で詰め寄った霧島は長身から揺らめくような怒りのオーラを発散させ、冗談抜きで射殺される恐怖に小田切は身を竦ませて釈明する。

「違う、落ち着け、聞いてくれ! すごい熱で意識がないんだって!」
「何だと、どういうことだ?」
「俺が知るか。今、救急要請した」
「そうか、すまん」

 ここに至って霧島はスナイプで人を殺したあと京哉が発症するPTSDを思い出していた。更には高二の冬に女手ひとつで育ててくれた母が犯罪被害者として亡くなった際、遺体を救急車に乗せて貰えなかった過去から救急車に抵抗を示すことも。

「悪いが救急車はパスだ、要請を取り消してくれ。鳴海は救急車を嫌う」
「好き嫌いなど言っている場合か、倒れるほどの重症だぞ?」
「いいから鳴海をこちらに寄越せ。病院に行ってもこれは治らん。つれて帰る」
「あんたは医者じゃないだろう、つれて帰って何ができる?」
「貴様こそ何故そこまで言い募る? もういい、さっさと京哉を渡せ!」

 周囲の空気を震わせる霧島の低い大喝にビビって小田切は京哉を渡した。霧島は他人の目も憚らず横抱きにした京哉の額に唇を押しつけ熱を看ると、溜息をついてから表通りに向かって歩き始める。小田切は頭を振って携帯で救急要請を解除し霧島のあとを追った。

「寺岡隊長はどうしたって?」
「ボトルの酒が余っていたからな、一人で飲み直すらしい」
「そこまで嫌な顔をしなくてもいいだろ。酷いなあ」
「ビールをちびちび飲む奴は信用するに値しないとスペンサーも言っている」
「スペンサーって誰だよ?」
「無教養な人間と話すのは面倒だな」

 足早に表通りに出るとタクシーを探す。だが金曜の夜というのが拙いのか、空車のタクシーはなかなか捕まらない。高熱の京哉を夜風に晒しておけないと小田切が気を利かせて携帯でタクシー会社に迎車を依頼した。
 
 お蔭で十分ほど待っただけで京哉を抱いた霧島はタクシーに乗り込むことができた。後部座席から霧島が片手を挙げる。

「すまん。助かった」
「本当に京哉くんは大丈夫なんだろうな?」
「くどいぞ。今日は貴様もご苦労だったな。では、先に失礼する」
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