見え透いた現実~Barter.6~

志賀雅基

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第11話

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 出発したタクシーの中で霧島は京哉を抱いた腕に力を込めた。

 おそらく京哉はスナイプすると同時に自分の放った銃弾がマル被の頭を砕いたと直感したのだろう。だがこの自分はそれに気付かなかっただけでなく、PTSDすら失念してしまっていた。
 パートナーとして何たる失態かと数時間前の己を蹴り飛ばしに行きたくなる。

 確かに京哉は見事なまでに不調を隠しおおせていた。いや、多分京哉は皆に対して積極的に自身の不調を隠している自覚もなかったに違いない。
 言っても仕方のないことだから何となく、それくらいの考えで久々にやってきた『慣れた不調』を独りで受け止めていたのだろう。それ故この自分も気付かずにいた。

 ほんの少しだが壊れてしまった京哉の心は、ときに常人には理解し難い残酷さを顕し、ときに離人症の一歩手前の如く自身を客観視しすぎる。

 お陰で心より躰の方が限界を訴えた時には自分で対処しきれなくなっていることが多い。それでも単独での暗殺スナイプを五年も続けていた間は自分だけで対処するしかなく、事実それでやり過ごしてきたのだ。

 壊れかけた心に刷り込まれた行動故に、『早めに言え』と言い聞かせても意味がない。

 京哉は『人殺しをしたから気分が悪い』などと他人に訴えるような男ではない。

 そんな京哉が唯一無二の執着を持ってくれているのがパートナーたるこの自分なのに、どうして気付かずつらい時間を過ごさせてしまったのかと霧島は今更ながら臍を噛む思いだ。普段は変えられもしない過去をいつまでも引きずる霧島ではないが、こと京哉に関しては別だった。

 高熱で完全に意識を失くした京哉は時折身を震わせていた。寒気がするなら更に熱が上がると予測できる。今ならまだ霧島カンパニーの保養所に向かう選択もあった。
 白藤市と接して海に面した貝崎かいざき市にある保養所は、会長の身内しか利用しない上に医師も常駐している。京哉も馴染みとなっていて抵抗もないだろう。

 だがそこまで考えて、やはりマンションに帰ると決めた。病院につれて行って注射しようが薬を飲ませようが何も変わらないのだ。
 この症状に効くのは時間のみ。時が経たなければ治らない。

 ならば保養所の医者に任せたりせず、何処よりも京哉が安心できる二人の住処で、この自分が看病してやるのが一番の筈である。

 時間的にも道は空いていて、四十分ほどでマンションに帰り着いた。

 部屋に戻ると寝室のベッドに京哉を寝かせ、衣服を脱がせてバスローブを着せつける。パジャマより汗を吸って脱がせやすいと考えたからだ。
 毛布を二枚重ねで被せてエアコンで室温も上げる。冷蔵庫のミネラルウォーターを持って戻ると京哉が鈍く目を開けていた。

 口移しで冷たい水を飲ませてやる。すると刺激で意識がはっきりしたようだった。

「あ……霧島警視? ここは?」
「安心しろ、うちに帰ってきた。更に言えばお前は四十度の熱発患者だ。すまん」
「何で謝るんですか? 貴方は何も悪くないじゃないですか。悪いって言うなら僕の方こそ貴方を、一緒にトリガを引いてくれる忍さんを……スコープで見た筈です」
「だからどうした。私はお前を誇りに思っているぞ」
「誇りなんて。どんな形であれ僕はまた人を殺して、貴方まで――」
「――いい、今はもう何も言うな」

 再び霧島は自分で水を口に含み、京哉に飲ませることで黙らせた。ボトル半分ほど飲んで京哉の喉は潤ったようだが、それより見上げてくる目の方が潤んでいる。
 高すぎる熱で目のふちを赤くし、今にも溢れそうな潤みを湛えて、しかし涙を零すまいと目を瞠っているのが痛々しい。

 時折自分自身に対してすら興味を失くす京哉が霧島を想い激情を堪えているのだ。

 けれど耐えきれなくなったのか、顔を背けて上体を起こすと宣言する。

「硝煙も浴びたし、シャワー浴びてきますね」
「躰は拭いてやるから無理するな」
「でも……」
「でもじゃない。私の方こそシャワーを浴びてくるからな、大人しく寝ていろ」

 抱き締めてこの胸で思い切り泣かせてやりたい霧島だったが、京哉にも男の意地があるだろう。一人にするため寝室から出た。
 だが心配なのに変わりなく急いでバスルームを使う。黒髪から水滴が垂れている状態でバスローブを羽織り、バスタオルを熱い湯で絞った。

 それを手にして寝室に戻ると目を赤くした京哉が見返してくる。
  
「ほら、拭いてやるから脱げ」

 素直に京哉はバスローブの紐を解いた。動きはいかにも緩慢で相当具合が悪いのが察せられる。そんな京哉を霧島は抱き支えバスローブの袖を抜いて脱がせてやった。
 きめ細かな肌に熱いバスタオルを滑らせる。顔から首筋を拭いていると京哉は身を震わせた。熱が高く寒いらしい。だが胸を拭き始めると熱い吐息に甘さが混じる。

「んっ……く、忍さん」
「どうした、京哉?」
「だって、あっ……や、っん!」
「もう少しだ、我慢しろ」

 そう言った霧島こそ我慢していた。平静を装って京哉の勃ち上がり切ったものを掴んで優しく拭く。恥じらう京哉は目を瞑って身を捩らせた。
 白く華奢な躰が悶え甘い声を洩らしているのだ。堪らなく色っぽい年下の恋人にのしかかりたい想いを堪え、霧島は再びバスタオルを絞ってくると今度は京哉をうつ伏せにして拭く。

 納得するまで拭いてしまうと新しいバスローブを引っ張り出して着せようとした。だが抱き支えて袖を通させようとするも、京哉は首を横に振って抱きついてくる。
 頬に押しつけられた熱い唇が滑り自分の唇と重なるに至って、何かコメントしなければならない気がしてきた。

「京哉。大人しく寝ていないと治るものも治らんぞ」
「初めて貴方が僕を抱いた時、僕は今と同じ熱を出していたじゃないですか」
「だから何だと言うんだ?」
「僕をもっともっと温めて、熱くして下さい。それで僕は治ったんですから」
「その代わりに丸一日、立てもしなかったのを覚えているのか?」

 微笑み頷いた京哉はハッとするほど綺麗で、霧島の中の『看病』という堤防はあっさり決壊する。バスローブを脱ぎ捨てベッドに上がり、ヘッドボードの棚に置いたトワレを胸に一吹きした。ペンハリガンのブレナムブーケだ。
 京哉も大好きな香りだが現場に匂いを残せないので普段はつけない。けれど行為の時だけは香らせている。

「ああ、いい匂い――」

 うっとりと呟いた京哉の上に霧島はのしかかり組み敷いた。心を決めてしまえば遠慮はしない。鍛えられた長身を熱い京哉の躰に擦りつけながら耳元で囁く。

「思い切り熱くしてやるからな、明日歩けなくても文句はナシだぞ」
「……はい」

 京哉は目を瞑って頷いた――。
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