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第30話
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「いいから今日は休め。まともに歩けんのに出勤でもないだろう」
「でも、小田切さんをスパイする密命もあるのに……」
「そんなものは忘れろと何度言えば分かる。何なら本当に私が本部長に掛け合って撤回させてやる。不幸を背負った男に近づいてもロクなことにならん」
朝から言い争ったが京哉は食事もベッドに運んで貰わなければならない状態で、確かに出勤は叶いそうにない。
霧島謹製のバゲットのフレンチトーストに冷凍ほうれん草と好物の赤いウインナーのソテー、カップスープという朝食を「あーん」して貰いながら、溜まった代休で今日はしのぐと隊長に了承させられた。
横になったまま転がされて器用に下着とパジャマも着せつけられ、ブルーの毛布をキッチリ被せられる。
「だが本当に私も休まなくていいのか?」
「隊長は出勤して下さい。慣れない副隊長だけじゃ拙いでしょう」
「しかしお前は大丈夫なのか?」
「トイレくらい這ってでも行けますから心配しないで下さい」
「そうか。なら行ってくるが……」
余程心配なのだろう。後ろ髪を引かれるように霧島は何度も振り返っていたが結局は京哉の言葉に押し切られる形でしぶしぶ出勤して行った。唐突に静かになった中、大人しく目を瞑った京哉は昨夜霧島が使った枕を抱えて浅い眠りを貪る。
やがて夢の中でチャイムを聞いた。徐々に眠りの海から浮上する。
ふと目覚めると本当にチャイムが鳴っていたが、京哉は気軽に出られる状態ではない。そこで何となくデジタルの目覚まし時計を見ると十二時過ぎで驚いた。思っていたより躰は休息を求めていたらしい。
けれど時間が経過したので動けそうな気もしてパジャマのままベッドから降りてみる。家具などに縋りながらそっと足を運んだ。
まずはライティングチェストの引き出しから抜き身の銃を出して手にする。そして再び物に掴まり壁を伝い歩いて玄関まで辿り着くとインターフォンに呼びかけた。
「あのう、どちら様でしょうか?」
《いつもニコニコ、ネコさんマークのタマト宅配便です》
すらすらと答えたのは間違いなく小田切の声だった。だがここであっさりドアを開けるのもどうだろうと京哉は迷う。押し退けられない重みが蘇った。しかし怯んで追い返すのも悔しい。何かあったら撃ち殺せばいいやと決めてロックを解いた。
小田切は見事に頬を腫らし唇を切っていたが、京哉を見て笑みのような表情を浮かべる。まるで様になっていないが京哉は付け入る隙を与えないよう黙っていた。
「やっぱりいたのかい。けど霧島さんじゃなくて京哉くんがいたとはラッキィだぜ」
「小田切さんは副隊長を休んじゃったんですか?」
遠慮の欠片もなく小田切は上がり込んでくると腫れた頬の不名誉の負傷を指した。
「こんな顔を晒して仕事でもないからね」
「機捜では話題づくりに貢献するのも新入りの務めですよ」
「勘弁してくれよな。それより京哉くんはどうして休みなんだい?」
「ええと、僕は代休の消化と、ちょっと風邪気味でして」
だがリビングの二人掛けソファに陣取った小田切に冷蔵庫のアイスコーヒーを出そうとして大失敗、京哉は物に掴まれずグラスを落っことしてしまう。ガラスの割れる鋭い音で小田切は振り向いた。
京哉がしゃがみ込んだまま立ち上がれないのに気付いた小田切は、足音でも怒りを表し京哉の許にやってくると吐き捨てるように言った。
「何があったのか大方の想像はつくよ。霧島さんは意外なまでの最低野郎だな!」
「忍さんを悪く言わないで下さい」
「どうしてだい、本当のことだろ。下世話なことは言いたくないが、京哉くんを傷つけるほど攻め抜くとはどうかしている。俺ならそんな暴力は絶対に振るわない」
「僕と忍さんの問題です。貴方には関係ないでしょう」
「関係あるさ。俺は京哉くんを愛してるって言った筈だ。愛する者を傷つけられて怒るのは当然だろ?」
「でも貴方は当事者じゃない。だから関係ないと言っているんです」
「そうかい。関係ないと言い張るなら……」
と、小田切は京哉をすくい上げて言った。
「この俺の腕から自力で逃れてみろよ。それが無理なら俺は何が何でも『当事者』になってやるからな」
とっくに京哉はドアを開けたのを後悔していた。唯一縋れる銃はテーブルの上で届かない。身を捩らせて暴れても横抱きにした小田切の腕は揺るがなかった。
そのまま寝室までつれて行かれてベッドに横たえられる。緊張に身を硬くし息まで潜めていると、小田切は周囲を見回して救急箱を見つけて消毒薬だの絆創膏だのを取り出した。
「ガラスで足を切っている。消毒するから少し沁みるかも知れないな」
「あ、すみません」
絆創膏を貼って救急箱を片付けた小田切は京哉の枕元に腰掛ける。再び京哉は緊張させられた。小田切の茶色い目には明らかな情欲が湛えられていたからだ。だが自分でそんなことには気付いていないような口調で小田切はゆっくりと喋り始める。
「俺はどうも片想い体質みたいでね。京哉くんといい、結城さんといい。何れにせよ霧島さん絡みっていうのが悔しいけれど、これも何かの縁なんだろうな」
「結城さんって忍さんが一年半付き合ってた結城友則さんですよね?」
「ああ。前も言ったけど結城さんは俺と付き合っているようで、そうじゃなかった。傍から見れば確かに付き合っていたんだけど、結城さんは……仕方ないよなあ」
「忍さんの幻影と踊ってた?」
頷いて小田切はシーツのシワを指先でなぞった。
「霧島さんと綺麗に別れたのも確かなんだろうけどさ、別れてしまってから他人に触れてみて初めて元の相手の良さに気付くこともあるだろ。結城さんはその典型だったよ。俺も気付いちゃいたんだ。だから俺は単なる『繋ぎ』でも良かったんだけどな」
「でも忍さんは結城さんを振り向かなかった?」
「振り向くも振り向かないもないよ、結城さんもあれでプライドの高い人だったからね。別れた相手に『もう一度付き合ってくれ』なんて口が裂けても言えなかったんだろうな。素直になれなかったツケがあそこまで高くつくとは俺も想定外だったよ」
「忍さんによく似た女の人に騙された?」
肩を竦めて小田切は肯定する。その茶色い目は自嘲を含んで淋しげだった。
「でも、小田切さんをスパイする密命もあるのに……」
「そんなものは忘れろと何度言えば分かる。何なら本当に私が本部長に掛け合って撤回させてやる。不幸を背負った男に近づいてもロクなことにならん」
朝から言い争ったが京哉は食事もベッドに運んで貰わなければならない状態で、確かに出勤は叶いそうにない。
霧島謹製のバゲットのフレンチトーストに冷凍ほうれん草と好物の赤いウインナーのソテー、カップスープという朝食を「あーん」して貰いながら、溜まった代休で今日はしのぐと隊長に了承させられた。
横になったまま転がされて器用に下着とパジャマも着せつけられ、ブルーの毛布をキッチリ被せられる。
「だが本当に私も休まなくていいのか?」
「隊長は出勤して下さい。慣れない副隊長だけじゃ拙いでしょう」
「しかしお前は大丈夫なのか?」
「トイレくらい這ってでも行けますから心配しないで下さい」
「そうか。なら行ってくるが……」
余程心配なのだろう。後ろ髪を引かれるように霧島は何度も振り返っていたが結局は京哉の言葉に押し切られる形でしぶしぶ出勤して行った。唐突に静かになった中、大人しく目を瞑った京哉は昨夜霧島が使った枕を抱えて浅い眠りを貪る。
やがて夢の中でチャイムを聞いた。徐々に眠りの海から浮上する。
ふと目覚めると本当にチャイムが鳴っていたが、京哉は気軽に出られる状態ではない。そこで何となくデジタルの目覚まし時計を見ると十二時過ぎで驚いた。思っていたより躰は休息を求めていたらしい。
けれど時間が経過したので動けそうな気もしてパジャマのままベッドから降りてみる。家具などに縋りながらそっと足を運んだ。
まずはライティングチェストの引き出しから抜き身の銃を出して手にする。そして再び物に掴まり壁を伝い歩いて玄関まで辿り着くとインターフォンに呼びかけた。
「あのう、どちら様でしょうか?」
《いつもニコニコ、ネコさんマークのタマト宅配便です》
すらすらと答えたのは間違いなく小田切の声だった。だがここであっさりドアを開けるのもどうだろうと京哉は迷う。押し退けられない重みが蘇った。しかし怯んで追い返すのも悔しい。何かあったら撃ち殺せばいいやと決めてロックを解いた。
小田切は見事に頬を腫らし唇を切っていたが、京哉を見て笑みのような表情を浮かべる。まるで様になっていないが京哉は付け入る隙を与えないよう黙っていた。
「やっぱりいたのかい。けど霧島さんじゃなくて京哉くんがいたとはラッキィだぜ」
「小田切さんは副隊長を休んじゃったんですか?」
遠慮の欠片もなく小田切は上がり込んでくると腫れた頬の不名誉の負傷を指した。
「こんな顔を晒して仕事でもないからね」
「機捜では話題づくりに貢献するのも新入りの務めですよ」
「勘弁してくれよな。それより京哉くんはどうして休みなんだい?」
「ええと、僕は代休の消化と、ちょっと風邪気味でして」
だがリビングの二人掛けソファに陣取った小田切に冷蔵庫のアイスコーヒーを出そうとして大失敗、京哉は物に掴まれずグラスを落っことしてしまう。ガラスの割れる鋭い音で小田切は振り向いた。
京哉がしゃがみ込んだまま立ち上がれないのに気付いた小田切は、足音でも怒りを表し京哉の許にやってくると吐き捨てるように言った。
「何があったのか大方の想像はつくよ。霧島さんは意外なまでの最低野郎だな!」
「忍さんを悪く言わないで下さい」
「どうしてだい、本当のことだろ。下世話なことは言いたくないが、京哉くんを傷つけるほど攻め抜くとはどうかしている。俺ならそんな暴力は絶対に振るわない」
「僕と忍さんの問題です。貴方には関係ないでしょう」
「関係あるさ。俺は京哉くんを愛してるって言った筈だ。愛する者を傷つけられて怒るのは当然だろ?」
「でも貴方は当事者じゃない。だから関係ないと言っているんです」
「そうかい。関係ないと言い張るなら……」
と、小田切は京哉をすくい上げて言った。
「この俺の腕から自力で逃れてみろよ。それが無理なら俺は何が何でも『当事者』になってやるからな」
とっくに京哉はドアを開けたのを後悔していた。唯一縋れる銃はテーブルの上で届かない。身を捩らせて暴れても横抱きにした小田切の腕は揺るがなかった。
そのまま寝室までつれて行かれてベッドに横たえられる。緊張に身を硬くし息まで潜めていると、小田切は周囲を見回して救急箱を見つけて消毒薬だの絆創膏だのを取り出した。
「ガラスで足を切っている。消毒するから少し沁みるかも知れないな」
「あ、すみません」
絆創膏を貼って救急箱を片付けた小田切は京哉の枕元に腰掛ける。再び京哉は緊張させられた。小田切の茶色い目には明らかな情欲が湛えられていたからだ。だが自分でそんなことには気付いていないような口調で小田切はゆっくりと喋り始める。
「俺はどうも片想い体質みたいでね。京哉くんといい、結城さんといい。何れにせよ霧島さん絡みっていうのが悔しいけれど、これも何かの縁なんだろうな」
「結城さんって忍さんが一年半付き合ってた結城友則さんですよね?」
「ああ。前も言ったけど結城さんは俺と付き合っているようで、そうじゃなかった。傍から見れば確かに付き合っていたんだけど、結城さんは……仕方ないよなあ」
「忍さんの幻影と踊ってた?」
頷いて小田切はシーツのシワを指先でなぞった。
「霧島さんと綺麗に別れたのも確かなんだろうけどさ、別れてしまってから他人に触れてみて初めて元の相手の良さに気付くこともあるだろ。結城さんはその典型だったよ。俺も気付いちゃいたんだ。だから俺は単なる『繋ぎ』でも良かったんだけどな」
「でも忍さんは結城さんを振り向かなかった?」
「振り向くも振り向かないもないよ、結城さんもあれでプライドの高い人だったからね。別れた相手に『もう一度付き合ってくれ』なんて口が裂けても言えなかったんだろうな。素直になれなかったツケがあそこまで高くつくとは俺も想定外だったよ」
「忍さんによく似た女の人に騙された?」
肩を竦めて小田切は肯定する。その茶色い目は自嘲を含んで淋しげだった。
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