見え透いた現実~Barter.6~

志賀雅基

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第44話

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 もう一歩近づくと若い女性が驚いたような表情で目を瞠りこちらを見返しているのが分かる。だが文庫本を手にした女性は出てこようとはしなかった。
 読書を邪魔しては悪いので軽く会釈してから後戻りする。京哉が首を傾げた。

「こんな所で読書なんて洒落てますけど、誰なんでしょうね?」
「ヤクザにだって娘がいてもおかしくあるまい」
「娘ですか。あーあ、娘も御坂さんにタラされちゃうのかな」
「何なんだ、それは。聞き捨てならんな。私は誰もタラした覚えはないぞ」
「覚えがなくてもみんながタラされちゃうくらい、貴方には誘引力があるんですよ」
「それを言うなら京哉、お前の方こそ昨日からどれだけの人間をタラしてきた?」

 厚川組でのことを思い出した霧島は本気で機嫌を損ねて唸った。けれど酔っ払っていた京哉も昨夜は本当に微笑んだだけなのを忘れていない。しっかり反論する。

「僕は誰もタラしてません! 僕を信じてないからそう見えるんじゃないですか?」
「そう言うお前こそ私を信じられないと言うのか!」

 下らなくも馬鹿馬鹿しい言い争いだったが互いに退かない。頑固で言い出したら退かない似た者同士だけに、あっという間に犬も食わない喧嘩に発展してしまった。

「もう知りません! 御坂さんなんか、勝手にすればいいんです!」
「ああ、勝手にさせて貰う。だからお前も私に遠慮せず好きにすればいい」

 そこまで言われて互いに謝れるなら喧嘩などしていない。思わず京哉は叫ぶ。

「分かりましたっ! 貴方を頼っていた僕が馬鹿でした、もう僕が何をしても文句は言わせませんからね! 僕は僕の流儀で勝手にやらせて貰います!」

 霧島は自分自身も『勝手にする、好きにしろ』と言っておきながら、大声で叫ばれて顔色が変わったのを自覚した。日常ならこの程度の口喧嘩は問題にもならない。

 だがこの危険な任務でお前など不要だと言われたのも同然なのだ。
 京哉を睨みつけながら低く押し殺した声を歯の隙間から押し出す。

「……分かった。この案件はそれぞれの流儀でやろう。ではタラそうが誰と寝ようが文句は言わない。互いにそれでいいんだな?」
「えっ、貴方が誰かと寝る……?」
「今更何を驚いている、お前が言ったのはそういうことだ」

 まさかバディとしての関係だけでなく、パートナーとしての関係にまでヒビを入れてしまったのかと思い京哉の顔から血の気が引いた。
 サングラスの奥の切れ長の目は煌めいて、その全身からは怒りのオーラが揺らめくように立ち上っている。

 急に不安が取り憑いて焦った京哉を置いて霧島は踵を返すと歩き始めてしまった。

 京哉は縋るように霧島の手首を掴む。振り向いた霧島の目は温度をまるで感じさせず、今は何を言っても無駄と京哉は悟って手を離した。霧島はダメ押しに宣言する。

「私を頼るな、信じるな。勝手にやって構わん。以上」

 そのとき霧島のダークスーツのポケットで携帯が震え始めた。

◇◇◇◇

 屋敷の二階に戻った二人はガードたちの張り番する観音扉の前で十五分ほども待たされた。ようやく出てきた厚川に促されて入室する。
 室内はまるで会社役員の執務室のような造りで、ここだけ見たらとてもヤクザと結びつかない。ベージュの壁紙に毛足の長い絨毯はモノトーンの織り模様といった非常に落ち着いた雰囲気なのだ。

 存在感のあるものといえば大きく取られた窓とマホガニーらしい重厚な執務机、右側に本革張りのソファ数脚に大理石製ロウテーブルの応接セットと、上物の酒瓶とグラス類を収めたサイドボードくらいだろうか。あとは内扉がひとつ。

 ヤクザのリビングには墨書の額縁と日本刀セットに虎の毛皮が三種の神器だろうと勝手に思い込んでいた霧島は、意外な趣味の良さに素直に感心する。

 直参会合は終わったらしいが室内にはまだ十名近い人間がいた。明らかにガードと分かる四名に厚川と共に立つ幹部らしき二名の男。
 それに執務机に就いた人物と傍に立つ若い女性だ。温室で読書をしていたのはこの女性だった。隣室を通り内扉を使って先回りしたのだろう。
 
 白いブラウスに水色のタイトスカートを身に着けていた。

 そして執務机に就いている人物こそ真王組組長の立川拓真だった。
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