44 / 72
第44話
しおりを挟む
もう一歩近づくと若い女性が驚いたような表情で目を瞠りこちらを見返しているのが分かる。だが文庫本を手にした女性は出てこようとはしなかった。
読書を邪魔しては悪いので軽く会釈してから後戻りする。京哉が首を傾げた。
「こんな所で読書なんて洒落てますけど、誰なんでしょうね?」
「ヤクザにだって娘がいてもおかしくあるまい」
「娘ですか。あーあ、娘も御坂さんにタラされちゃうのかな」
「何なんだ、それは。聞き捨てならんな。私は誰もタラした覚えはないぞ」
「覚えがなくてもみんながタラされちゃうくらい、貴方には誘引力があるんですよ」
「それを言うなら京哉、お前の方こそ昨日からどれだけの人間をタラしてきた?」
厚川組でのことを思い出した霧島は本気で機嫌を損ねて唸った。けれど酔っ払っていた京哉も昨夜は本当に微笑んだだけなのを忘れていない。しっかり反論する。
「僕は誰もタラしてません! 僕を信じてないからそう見えるんじゃないですか?」
「そう言うお前こそ私を信じられないと言うのか!」
下らなくも馬鹿馬鹿しい言い争いだったが互いに退かない。頑固で言い出したら退かない似た者同士だけに、あっという間に犬も食わない喧嘩に発展してしまった。
「もう知りません! 御坂さんなんか、勝手にすればいいんです!」
「ああ、勝手にさせて貰う。だからお前も私に遠慮せず好きにすればいい」
そこまで言われて互いに謝れるなら喧嘩などしていない。思わず京哉は叫ぶ。
「分かりましたっ! 貴方を頼っていた僕が馬鹿でした、もう僕が何をしても文句は言わせませんからね! 僕は僕の流儀で勝手にやらせて貰います!」
霧島は自分自身も『勝手にする、好きにしろ』と言っておきながら、大声で叫ばれて顔色が変わったのを自覚した。日常ならこの程度の口喧嘩は問題にもならない。
だがこの危険な任務でお前など不要だと言われたのも同然なのだ。
京哉を睨みつけながら低く押し殺した声を歯の隙間から押し出す。
「……分かった。この案件はそれぞれの流儀でやろう。ではタラそうが誰と寝ようが文句は言わない。互いにそれでいいんだな?」
「えっ、貴方が誰かと寝る……?」
「今更何を驚いている、お前が言ったのはそういうことだ」
まさかバディとしての関係だけでなく、パートナーとしての関係にまでヒビを入れてしまったのかと思い京哉の顔から血の気が引いた。
サングラスの奥の切れ長の目は煌めいて、その全身からは怒りのオーラが揺らめくように立ち上っている。
急に不安が取り憑いて焦った京哉を置いて霧島は踵を返すと歩き始めてしまった。
京哉は縋るように霧島の手首を掴む。振り向いた霧島の目は温度をまるで感じさせず、今は何を言っても無駄と京哉は悟って手を離した。霧島はダメ押しに宣言する。
「私を頼るな、信じるな。勝手にやって構わん。以上」
そのとき霧島のダークスーツのポケットで携帯が震え始めた。
◇◇◇◇
屋敷の二階に戻った二人はガードたちの張り番する観音扉の前で十五分ほども待たされた。ようやく出てきた厚川に促されて入室する。
室内はまるで会社役員の執務室のような造りで、ここだけ見たらとてもヤクザと結びつかない。ベージュの壁紙に毛足の長い絨毯はモノトーンの織り模様といった非常に落ち着いた雰囲気なのだ。
存在感のあるものといえば大きく取られた窓とマホガニーらしい重厚な執務机、右側に本革張りのソファ数脚に大理石製ロウテーブルの応接セットと、上物の酒瓶とグラス類を収めたサイドボードくらいだろうか。あとは内扉がひとつ。
ヤクザのリビングには墨書の額縁と日本刀セットに虎の毛皮が三種の神器だろうと勝手に思い込んでいた霧島は、意外な趣味の良さに素直に感心する。
直参会合は終わったらしいが室内にはまだ十名近い人間がいた。明らかにガードと分かる四名に厚川と共に立つ幹部らしき二名の男。
それに執務机に就いた人物と傍に立つ若い女性だ。温室で読書をしていたのはこの女性だった。隣室を通り内扉を使って先回りしたのだろう。
白いブラウスに水色のタイトスカートを身に着けていた。
そして執務机に就いている人物こそ真王組組長の立川拓真だった。
読書を邪魔しては悪いので軽く会釈してから後戻りする。京哉が首を傾げた。
「こんな所で読書なんて洒落てますけど、誰なんでしょうね?」
「ヤクザにだって娘がいてもおかしくあるまい」
「娘ですか。あーあ、娘も御坂さんにタラされちゃうのかな」
「何なんだ、それは。聞き捨てならんな。私は誰もタラした覚えはないぞ」
「覚えがなくてもみんながタラされちゃうくらい、貴方には誘引力があるんですよ」
「それを言うなら京哉、お前の方こそ昨日からどれだけの人間をタラしてきた?」
厚川組でのことを思い出した霧島は本気で機嫌を損ねて唸った。けれど酔っ払っていた京哉も昨夜は本当に微笑んだだけなのを忘れていない。しっかり反論する。
「僕は誰もタラしてません! 僕を信じてないからそう見えるんじゃないですか?」
「そう言うお前こそ私を信じられないと言うのか!」
下らなくも馬鹿馬鹿しい言い争いだったが互いに退かない。頑固で言い出したら退かない似た者同士だけに、あっという間に犬も食わない喧嘩に発展してしまった。
「もう知りません! 御坂さんなんか、勝手にすればいいんです!」
「ああ、勝手にさせて貰う。だからお前も私に遠慮せず好きにすればいい」
そこまで言われて互いに謝れるなら喧嘩などしていない。思わず京哉は叫ぶ。
「分かりましたっ! 貴方を頼っていた僕が馬鹿でした、もう僕が何をしても文句は言わせませんからね! 僕は僕の流儀で勝手にやらせて貰います!」
霧島は自分自身も『勝手にする、好きにしろ』と言っておきながら、大声で叫ばれて顔色が変わったのを自覚した。日常ならこの程度の口喧嘩は問題にもならない。
だがこの危険な任務でお前など不要だと言われたのも同然なのだ。
京哉を睨みつけながら低く押し殺した声を歯の隙間から押し出す。
「……分かった。この案件はそれぞれの流儀でやろう。ではタラそうが誰と寝ようが文句は言わない。互いにそれでいいんだな?」
「えっ、貴方が誰かと寝る……?」
「今更何を驚いている、お前が言ったのはそういうことだ」
まさかバディとしての関係だけでなく、パートナーとしての関係にまでヒビを入れてしまったのかと思い京哉の顔から血の気が引いた。
サングラスの奥の切れ長の目は煌めいて、その全身からは怒りのオーラが揺らめくように立ち上っている。
急に不安が取り憑いて焦った京哉を置いて霧島は踵を返すと歩き始めてしまった。
京哉は縋るように霧島の手首を掴む。振り向いた霧島の目は温度をまるで感じさせず、今は何を言っても無駄と京哉は悟って手を離した。霧島はダメ押しに宣言する。
「私を頼るな、信じるな。勝手にやって構わん。以上」
そのとき霧島のダークスーツのポケットで携帯が震え始めた。
◇◇◇◇
屋敷の二階に戻った二人はガードたちの張り番する観音扉の前で十五分ほども待たされた。ようやく出てきた厚川に促されて入室する。
室内はまるで会社役員の執務室のような造りで、ここだけ見たらとてもヤクザと結びつかない。ベージュの壁紙に毛足の長い絨毯はモノトーンの織り模様といった非常に落ち着いた雰囲気なのだ。
存在感のあるものといえば大きく取られた窓とマホガニーらしい重厚な執務机、右側に本革張りのソファ数脚に大理石製ロウテーブルの応接セットと、上物の酒瓶とグラス類を収めたサイドボードくらいだろうか。あとは内扉がひとつ。
ヤクザのリビングには墨書の額縁と日本刀セットに虎の毛皮が三種の神器だろうと勝手に思い込んでいた霧島は、意外な趣味の良さに素直に感心する。
直参会合は終わったらしいが室内にはまだ十名近い人間がいた。明らかにガードと分かる四名に厚川と共に立つ幹部らしき二名の男。
それに執務机に就いた人物と傍に立つ若い女性だ。温室で読書をしていたのはこの女性だった。隣室を通り内扉を使って先回りしたのだろう。
白いブラウスに水色のタイトスカートを身に着けていた。
そして執務机に就いている人物こそ真王組組長の立川拓真だった。
0
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる