見え透いた現実~Barter.6~

志賀雅基

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第63話

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「寝言は寝てから言って下さい。忍さんへの愛に決まっているじゃないですか」

 堂々と言い放たれてうろついていた霧島も耳聡くキッチンにやってくる。

「あれは俺の件として話した筈だぜ、霧島さんは関係ないじゃないか」
「関係大ありですし、このことに関してはもう忍さんと話は終わってますから」
「えーっ、なになに、俺には話してくれないの?」
「ったく。……僕は誰にも忍さんを取られたくないんです、結城友則さんにもね」

 軽い調子で馬鹿の相手をしている京哉は背を向けてひたすら玉ねぎをみじん切りしている。その薄い背に霧島が低い声を届かせた。

「前も言ったが、結城のことで私はお前を不安にさせた覚えは全くないのだがな」
「別に不安なんて言ってませんよ、僕も。貴方が結城さんと縒りを戻す心配だってしてませんし。過去まで掘り起こして責めるつもりもありません」
「ならば何故結城に取られるいう発想が出てくるんだ?」
「だって僕は、過去はどうあれ今現在の霧島忍は僕のものだと思っていますよ、違いますか? 逆を考えてみて下さいよ」
「確かに違わんな。お前が私のものであるように、私もお前のものだ」

 新たに一個玉ねぎを剥いて追加しながら京哉は背を向けたまま話を続ける。

「貴方の過去まで口出ししようって訳じゃないんです。でも今回の小田切さんの持ち込み案件で結城友則さんは貴方の意識に浮上した。過去でなく『今、現実に』浮上したんです。じゃあその案件が片付かない限り、結城友則さんの名がちらつくじゃないですか? そのたびに僕は結城さんの幻影に嫉妬しなきゃならない」
「お前が見たこともない結城の幻影と踊るハメになると?」
「ええ。どうせ踊りとも言えないくらいみっともない……でも絶対に負けられない独り踊りですよ。今、忍さんの心を結城さんの記憶が占めているんじゃないかって思うたびにじたばたとね」
「そうか、だからお前は率先して案件を片付けたがったと」
「貴方のことは誰にも欠片だって譲れないんです。僕には貴方だけ……多分重たいでしょうし色々と厄介なものも背負ってますけど、選んだご自分を責めて下さいね」
「……京哉、お前」

 これだけストレートに言われて霧島が嬉しくない訳がなく、背を向けている京哉と完全に二人の世界を構築していた。
 弾き出された小田切はいじけた挙げ句、勝手にウィスキーとグラスを出して飲み始めたが、それでも霧島は許してしまうくらい幸せだった。あとでツケておこうと思う。

 ただ、こんなに素直な愛を表現できる京哉が、他人を前に幾つかの条件が揃ってしまうと『プログラム通りに動く』ようにしか動けなくなるのがもどかしい。やはり暗殺で心の一部は壊れてしまい、それ以上の崩壊を防ぐための防御反応なのだろう。

 却ってその機能が働いている間は安全なのかも知れず、今回の花梨の死に対しても心を護る防御機能が働いたお蔭で助かったのではないかと思った。

 だが暫くは要注意だ。思い切った行動を取られる前に止めなければならない。京哉は決めたら必ず実行する。霧島はある意味自分と非常に似ている男への警戒を解かないつもりだった。そう長い間ではない。もし京哉が動くなら時間は掛けないだろう。

 京哉が作り始めたのは得意なミートソースのパスタだった。勿論ミートソースはお手製である。茹でたてのパスタにミートソースをたっぷりとかけ、ベーコンとレタスのサラダに熱々のコンソメスープを添えて、すっかり準備を整えてからリビングでニュースを見ていた二人を呼んだ。

 着席して食べ始めるとあっという間におかわりの声が掛かる。スープまで全てが綺麗に三人の胃袋に収まると後片付けは霧島が請け負ってくれた。京哉と小田切は煙草を二本吸い、京哉はバスルームでシャワーを浴びる。

 薄いヒゲも丁寧に剃って上がってみると、リビングの二人掛けソファでTVを点けたまま小田切はもう居眠りをし、霧島も眠そうに大欠伸ばかりしていた。

「ふあーあ。どうしてこんなに眠いんだろうな?」
「疲れが溜まってるんでしょう。まだ抜糸もしていないのに出勤したんですから」
「それにしても不思議なくらい眠気が……ふあーあ」
「忍さん、眠るならベッド!」
「『ハウス!』みたいに言ってくれるな、私は犬ではない」

 文句を垂れながらも霧島はわざわざ京哉の手を握って寝室に向かう。京哉は甲斐甲斐しく霧島がパジャマに着替えるのを手伝った。
 そのまま霧島がダブルベッドに横にあるのを待って毛布を被せる。眠気に抗えず霧島は幾らも経たずに眠りに落ちた。
 
 そんな年上の愛し人の寝顔を京哉は暫し見つめ、シャープなラインを描く頬にそっと唇を押しつけた。
「すみません、忍さん」
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