C-PTSD~Barter.3~

志賀雅基

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第18話

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 精密検査で異常なしと診断された京哉は翌日退院した。

 午後には霧島と共に病院から直接機捜へと出勤して事務仕事に就く。普段通りの生活に戻ったようだが懸案は残っていた。
 
 京哉が暗殺スナイパーだった事実を誰が沙織に知らせたのかである。

「お前に恨みがあるとは限らん。私や霧島カンパニーへの怨恨の線もあるぞ」
「それは言えますね。沙織の僕への脅しはあくまで嫌がらせレヴェルでしたし」
「だがその人物が海棠組と繋がっているというのは見逃せんな」
「ヤクザを雇う財力があって、まともに渡り合える……例えば桜木さくらぎさんとか」

 周囲に聞かれないよう小声で話していた霧島は鋭く京哉を見た。

「暗殺実行本部責任者、霧島カンパニー情報セキュリティ部門主任の桜木英和ひでかずか」
「桜木さんがヤクザと組んだとは考えたくないけれど、可能性は否定できませんし」

 京哉を嵌めてスナイパーに仕立て上げた代表格であり、あまつさえ京哉を暗殺しようとした桜木だ。しかし五年間の暗殺スナイパー生活において京哉の一番近くで何かと世話を焼いてくれたのも桜木だったため、最終的に裏切られたという思いよりも親しみの方が先に立つ。

「あれから桜木さんは証拠不十分で検パイされたんでしたよね?」

 検パイとは検察送致された際に罪なしと認められ釈放パイされることだ。

「証拠不十分というより桜木の滑りのいい舌にサッチョウ上層部が恐れをなしてバーターを持ちかけたらしい。だからあのとき霧島カンパニーだけが泥を被ったんだ」
「なるほど、そうでしたか」
「それに桜木が霧島カンパニーを恨んでいるのは確かだろう。刑事訴追されかけても霧島カンパニーは我が身を護るのに必死で桜木を放置したんだ。うちのクソ親父が切り捨てたも同然、脅すならクソ親父を脅すべきだ」
「まあまあ。まだ桜木さんがやったとは限らないんですから。でも確かに忍さんが言う通り、僕をターゲットにしたのも僕に恨みがあったというより霧島カンパニー代表としての忍さんに復讐するためだとすると、しっくりくるんですよね」

「復讐するために海棠組に取り入ったか……どう思う?」
 分からないと京哉は首を横に振る。霧島と出会う前の京哉は隣で誰が何をしていようと一切の興味を抱かなかったのだ。お蔭で桜木の個人的な話を聞いたこともない。
「でも仮に沙織のバックにいるのが桜木さんだとしたら、桜木さんはバーターの協定を一方的に破ったことになります。それも命懸けですよね。追えるでしょうか?」
「難しいだろうな。霧島カンパニーから離れた人間一人、隠れる所は幾らでもある」

 真面目な顔つきでぼそぼそと喋る二人を夕方になって警邏から戻ってきた隊員たちが見守りながら「とうとう別れ話か?」などと暢気かつ無責任に囁き合っている。

 そんな彼らは知らない。上の空となった霧島がナチュラルに間違って夜食に幕の内弁当ではなく、タダのライスおかずなしを注文してしまったのを。

 注文した本人も知らないので定時の十七時半には京哉と共に立ち上がり、皆にラフな挙手敬礼をして機捜の詰め所をあとにしてしまう。黒塗りに乗り込んで発車させ、順調に真城市内に入るとスーパーカガミヤに寄って食材を買い込んだ。

「ここ暫くは気分的にも落ち着いて買い物するどころではなかったからな」
「その割に忍さん、毎晩僕に夜食を作っておいてくれましたよね」
「お前がある意味戦っている間、夫たる私にできることをやったまでだ」
「ものすごく嬉しかったし美味しかったですよ。で、今夜はカレーですか?」
「ああ。左手でも食いやすいだろう。例の如く私流のじゃがいも無しカレーだ」
「今では僕も入れない派ですよ。こう暑いと炭水化物は傷みやすいですしね」

 カレー談議に花を咲かせながらマンションに帰り着くと早速霧島はキッチンに立った。京哉は時間の節約で先に風呂を頂く。抜糸するまでは感染症予防で溜めた風呂には浸かれないためシャワーのみだ。上がるともう唾液を絞り出すようなカレーの匂いが部屋中に充満していた。

 普段着に着替えてキッチンに行くと鍋のカレーだけでなくテーブル上にはハム野菜サラダも鎮座し、あとはセットしてあったライスが炊けたら食べられる状態だった。

 京哉も随分と料理するのに慣れたが、霧島の手際の良さには敵わないなあと思う。

「殺人的な匂いですね」
「殺しやタタキは仕事だけで腹一杯だ。どちらで食うんだ、リビングかこっちか」
「おかわりするのも楽ですから食べるのはこっちで」

 ライスが炊けるまでの間、京哉はリビングでTVニュースを眺めた。ニュースでは昨夜の銃撃事件を報じていたが一夜明けて扱いは小さくなっていた。
 京哉が職務中でなかったのと、下手するとホシが身内である可能性を考えてかマル害が警察官という事実は伏せられていて『暴力団の抗争か?』などとコメンテーターが締める。

 やがて炊飯器から電子音が鳴った。キッチンに舞い戻ると着席して食すだけになった食卓に顔がほころび腹が鳴る。そこで玄関のチャイムまでが鳴った。
 それも通常の鳴らし方ではなく、余程せっかちな人間が訪問したようでボタンが連打されている。

 訪ねてくる人間など心当たりがない京哉と霧島は顔を見合わせた。

「嫌なタイプの新聞屋さんですね」
「新聞屋ならいいが……お礼参りというのもあり得るぞ」
「新聞屋さんのお礼参りって、まさか忍さん、契約せず洗剤だけ分捕ったんじゃ?」
「幾ら私でもそこまで悪辣ではない。というより新聞屋から離れろ」
「じゃあ、いったい誰から洗剤を分捕ったんですか? 正直に話して下さい」
「意外とお前はジョークを言わないたちだったな。それでも私はお前が大好きだ」

 とにかく出るしかない。だが実際に狙われて本部長から拳銃所持許可を下ろされている二人は急いで銃を持ってくると、それぞれベルトの腹に呑んで上着で隠した。

 京哉が頷くのを待って霧島がチェーンを掛けたままロックを解くと同時にドアは外から勢いよく開いた。ガツンとチェーンが切れそうな音を立てる。
 だがチェーン分の隙間から見えたのが予想外の人物だったため京哉と霧島は唖然とした。

「ちょっと、開けて貰えないかしら」
「こんな時間に何をしにきた? 開ける義理はない、帰れ」
「こんな時間に未成年を追い返して何かあったら立場上、問題じゃない?」
「では家まで送ってやる、タダでな、タダで。それでいいだろう?」
「良くないわ、用事があるから来たんだもの。上がらせて貰っても構わなくて?」

 両者一歩も退かないので仕方なく京哉が壊れる前にチェーンを外す。睨み合っていても事は先に進まないと思ったからだが、両方から睨まれて京哉は首を竦めた。

 挨拶もなく勝手に沙織は上がってきた。セーラー服ではなく黒いパンツスーツを着用し、薄化粧をし髪も結い上げているので大人びて見える。
 だがこの部屋に女性を入れない努力をすると言ったのを思い出して京哉は内心慌てた。慌てたが自分が話しかけても返事すらされないのを知っていて、眉をひそめている間に霧島が唸る。

「それで男二人の部屋に未成年の女性が一人で何をしに来た?」
「あら、追い返す代わりに現職警察官が二人してわたしに悪さするつもりかしら?」
「話をすり替えるな。何をしに来たのか訊いている」
「知りたいなら聞く態勢を整えて頂戴」
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