C-PTSD~Barter.3~

志賀雅基

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第38話

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 メールの着信音で二人が目覚めると十一時半だった。

 京哉がナイトテーブルに置いていた携帯を左手で取り操作する。文面を一瞥して京哉の表情が変わったのを霧島は見逃さなかった。

「どうした、誰からだ?」
「一ノ瀬本部長ですけど、【貴重な人材のきみたちに対し、万が一のことがあってはならないが故に、西原沙織のSP任務を解除する。速やかに機動捜査隊に復帰するように】ですって。何なんですかね、これ?」
「分からんから訊く」

 その場で霧島は一ノ瀬警視監にコールした。硬い顔つきで暫し話してから通話を切る。溜息をついた霧島に京哉は首を傾げて目で訊いた。
 頷いて霧島は話し始める。

「サッチョウの上が動いている」
「えっ、本当ですか?」
「ああ。逮捕した城山がお前のスナイプ履歴を吐いたらしい。百二十億円に目が眩んだ元議員が城山に、城山が沙織に情報を流したのも吐いたそうだ」
「じゃあ情報を得てしまった沙織もサッチョウの上の抹殺対象?」

 訊きつつ京哉は驚いてはいなかった。予測し得た事態である。

「端的に言えばその通りだ。暗殺肯定派だけではなく反対派にとっても警察の威信を地に落とされる危機だからな。警察は総力で以て暗殺の事実隠蔽を図った。例の件は表立っては議員と企業と警察官僚の癒着という『ただの汚職』でなければならない」

 そんな着地点で霧島が本当に満足していないことくらい京哉は分かっていた。けれど全てを明るみにしてしまえば、まず間違いなく京哉は収監される。強要されたとはいえ三十二人殺しだ。

 精神状態を疑われ鑑定留置となり心神喪失という結果が出ても良くて措置入院、拙ければ医療刑務所だ。どちらもほぼ一生出られまい。

 勿論そのまま起訴されたら極刑相当だ。

 だからこそあの件を取り沙汰するためのシナリオを書いた霧島も『暗殺肯定派に与した者全ての検挙』を実行したが、警視庁まで大々的に動かしておきながら本来なら別件である汚職をクローズアップさせ暗殺については欠片も表沙汰にしなかった。

 警察官としての存在意義を懸けて動いたと自ら言い切った霧島だが、京哉のために大きく信念を枉げてくれていたのである。

 もう京哉を手放せなくなったという単純かつストレートな理由で。

「でも実際は『ただの汚職』じゃない。このままだと暗殺の事実まで広まる?」

 灰色の目で頷いた霧島は更に説明を加えた。

「議員や警察内なら脅しも効くから押さえられる。だが問題は沙織だ。アガサを麻生重工に売却するのをためらう沙織は、松永工業を通して海棠組に巨額の資金提供する危険分子とも目されているらしい」
「女子高生でも危険分子ですか」
「女子高生は関係ない」

 それは京哉も承知している。

「大企業社長で指定暴力団に百二十億円もの資金注入しようと目論む人物だ。この分では本当に沙織は暗殺されるぞ……我らが警察組織にな」
「まさか……直接手を下したりは――」
「――暗殺を知りつつ看過しても同罪だ」

 人一人が殆ど確実に殺されると知り、霧島の切れ長の目が煌めいていた。
 一方でその目をじっと見つめる京哉はここにきて落ち着きを取り戻していた。二人して熱くなっても良いことはない。霧島を宥めるように静かな声を出す。

「忍さん。県警は手を引いたんですし、貴方が信念を枉げてまで護ってくれた僕の秘密も、もう洩れることはないんですよ?」
「沙織が死んだら、だ。だが事実を知った、それが殺されるほど悪いことなのか?」
「僕は僕と忍さんの生活を護りたい、それだけです」
「私も同じだ。確かに沙織は私やお前にとっても目障りな存在でしかない。私もはっきり言ってうんざりしている。しかしそれとこれとは別だ」

 霧島がそう言うであろうことは京哉も分かっていた。だから京哉は霧島が予測している通りに応えてやる。

「僕は僕にとっての結果が大切なんです」
「別ではないという訳か。だが暗殺などという方法で法の秩序を護ろうとするのは間違っている。それが罷り通るなら我々警察官はいったい何処に身を置けばいいんだ? だからこそ暗殺反対派がいて肯定派を潰したんだろう?」
「それこそシナリオを書いて全てを動かしたのは貴方でしたが、まあ、正論ですね。けど実際問題として僕のこの腕でガードが務まるとも思えませんしね……」

 言い募りながらも、何処までも正道を往き正義を貫こうとする霧島が眩しくて俯いた。同じ道を歩いてその背を護りたかったが今の自分にそれは不可能である。
 サッチョウの上が動くなら実際に手を汚すのはプロだろう。雇うコネには困らない筈だ。そしてプロを相手にするなら余計に荷物になる訳にいかなかった。

「大丈夫だ、京哉。お前にまで沙織のガードは強制せん。安心しろ」

 ここでも予想通りの言葉に京哉は溜息を押し殺して俯けていた顔を上げる。

「忍さんは一人で沙織のガードに就く気なんですね?」
「一人で何ができるかは分からんが、私は私の信じる警察官でありたいからな」
「本部長命令に背くことになりますよ?」
「それがどうした? 処分を食らうのには慣れている」

 かつて暗殺されそうになった京哉を助けるため、機捜の部下たちと図って暗殺実行本部にまで踏み込んだ霧島だった。

 しかし殺人を未遂で食い止めた上にマル被を現行犯で押さえたにも関わらず、勝手に機捜を動かした霧島は暗殺肯定派だった当時の県警本部長の八つ当たりで減給三ヶ月と停職一ヶ月という異例のダブル懲戒処分を食らったのである。

「もしかしたら二度目のスタンドプレイは懲戒免職かも知れません」
「幸い再就職先は決まっている。お前との生活は護るから心配するな」
「そうなったら僕も雇って下さい。お茶汲みでもいいですから」
「ああ。私にはお前という秘書が必要だからな」
「ですよね。ところで変な臭いがしませんか?」
「何か焦げ臭いような……まさか沙織か?」

 慌てて二人は着替えると寝室を飛び出した。キッチンに走ると焦げ臭さが強烈になる。そこではエプロンをした沙織がヒータのフライパンと格闘していた。
 だがこの臭いは既に人の食べるものの臭いではない。二人がフライパンを覗き込むと真っ黒な炭が炎を上げて燃えていた。
 
 それはおそらく形状からして卵の残骸だと思われた。
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