楯たる我を誇れり~Barter.15~

志賀雅基

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第14話

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 ゆったり運転して十五分、白藤署の裏にある関係者専用駐車場に覆面を置き、二人は降車して裏口から白藤署内に足を踏み入れた。

 県警本部より新しい署は廊下までエアコンが利いて快適である。コートを脱ぎながらエレベーターに乗った。初めて来た訳でもないので目的地は二人とも分かっている。五階で降りると廊下を辿り大会議室に入った。
 
 室内にはまだ片手の指で足りるほどの捜査員しかいなかった。皆、捜査中なのだ。連絡要員で電話番の制服婦警たちが四人、パイプ椅子に腰掛けて喋っているだけだ。

 少々安堵した霧島は窓際に置かれていたコーヒーメーカの中身を手ずから紙コップふたつに注ぎ、重ねてあったアルミの灰皿も一個確保すると、長机とパイプ椅子がウロコのように並んだ中で最後部席に陣取った。京哉も隣に腰掛けてコーヒーを頂く。

 そのコーヒーは薄いのに煮詰まっているという泥水並みの不味さだったが文句は言わない。元々所轄の刑事だったのだ、その頃を思い出して懐かしいくらいだった。

 二人はごく静かにしていたが、そのとき既に室内全ての人間の目を釘付けにしていた。基幹系を主としたザリザリいう無線の雑音に婦警たちの黄色い声が混ざり出す。

 どうしても人目を惹く霧島はともかく、県警本部で『鳴海巡査部長を護る会』まで組織されている京哉も婦警の「きゃあきゃあ」という黄色い声を浴びているのだが、そんなことより自意識に欠けた年上男がコーヒーを飲みながら欠伸をかましているのを目にして、京哉はポケットの中のハンカチを握り締めた。霧島のヨダレ対策である。

「ふあーあ、暖かすぎて欠伸が止まらんな」
「もう一杯コーヒー飲みますか? それとも瞼に目玉でも描いておきますか?」 
「何故、ここで私が躰を張ったギャグに走らなければならないんだ?」

 ぼそぼそと喋る間に順次、外回りの捜査員が戻ってきていた。その捜査員たちは同輩の帰着を確認するため会議室内を見回し、洩れなく霧島と京哉に視線を固定している。そうして判で押したように自分のバディと囁きを交わし始めるのは却って可笑しかった。

 可笑しかったが京哉は何食わぬ顔で捜査員たちを片端から伊達眼鏡越しに眺めていく。これから暫く付き合わなければならない同輩の顔を瞬時に記憶した。当然ながら知った顔が殆どだったが、中には異動して間もないらしい見たことのない顔もある。

 そのうち三係長とバディの木田巡査長、プラス捜一の面々四名がやってきて霧島と京哉を発見し、片手を挙げつつ最後部席に腰掛ける。全員一時帰宅したのかヒゲも綺麗に剃りオッサン臭も消えていた。嗅覚が異常に鋭い京哉には有難い。

 やがて最後に駆け込んできたのは機捜三班の隊員たちである。所詮外様で聞き込み範囲すら割り当てられない村八分扱いと分かっていて、のんびりやってきたらしい。
 彼らは霧島隊長と京哉を見てホッとした顔つきをし、霧島に従うように捜一の三係の隣に着席した。揃った八名の部下と霧島は相互にラフな挙手敬礼をする。

 更に部下に労いの言葉をかけようと霧島が口を開きかけた時だった。

「ここにメディアのスターがいるぜ、ホシを逃がした間抜けなスターがよ」
「おまけにキャリア様は美人秘書づれだぞ。お嬢ちゃん同伴とは暢気だよな」

 大会議室に響き渡る声を放ったのは、霧島たちのすぐ前の席に着いた所轄署員である。京哉は勿論、霧島も初見の中年コンビだ。舐めるように京哉を見てニヤニヤ笑っていた。

 霧島を嗤われて咄嗟に京哉はムッとしたが、こういう手合いは相手をするだけカロリーの無駄だと心得ていて無視することに決める。だが調子に乗った中年コンビの会話はどんどん下卑てくる。話題の主人公は上級者の霧島から完全にシフトし京哉となっていた。

 そしてとうとう中年の片割れが決定的な言葉を吐いてしまう。

「お嬢ちゃんにワッパは不要、脱いで咥え込んで逮捕するんだよなぁ」

 自分のことなら泰然と聞き流せる霧島がキレた。表情ひとつ変えない鉄面皮のまま立ち上がりざま長机越しに中年男の胸ぐらを掴み上げる。
 しかし中年男の頬に右ストレートを叩き込む寸前で、霧島は部下たちから羽交い絞めにされていた。幾ら武道の達人でも八名に押さえつけられては身動きも取れない。京哉本人からも宥められる。

「だめです、霧島隊長。落ち着いて下さい!」

 仕方なく霧島は所轄の中年男を突き放した。長机に背をぶつけた男は酷く咳き込んだ。男は何とか体勢を立て直すとバディと共にそそくさと霧島から距離を取る。
 当然ながら衆目を浴びたままだったが、京哉も文句を垂れずにいられない。

「ったく『挑発されても乗るな』と言った当人が一番手が早いんですから、もう!」
「私は『挑発されても鉛玉をぶち込むな』と言ったんだ」
「どっちも同じでしょう?」
「同じではない。弾薬は国民の血税だぞ、バカを相手に使うだけ勿体ないだろう」

 天井を仰いで京哉と三班の隊員らは溜息を洩らした。今の傲岸不遜な科白だけでも狭い社会で敵を作るに充分だったからだ。これ以上何か隊長が喋ったらどうするか、部下たちは目で相談する。だがそこで静まり返っていた大会議室のドアが開いた。

 いいタイミングでお偉方がどやどやと入ってきてくれた。これで幸い霧島も減らず口を閉じるだろう。最前の雛壇にしつらえられたデスクに白藤署長や県警本部からきた管理官が就く。
 更に剛田捜査一課長はともかく、何と県警本部長の一ノ瀬いちのせ警視監までが臨場して皆はざわめいた。マル害には悪いが、ただの殺し案件扱いではない。

 殆ど特別捜査本部の様相を呈した室内に、ここの刑事課長の警部が号令を掛ける。

「気を付け! 相互に敬礼!」

 そのあと皆が承知している捜査状況や鑑識の報告が延々と続いた。参加した全員からは気怠い雰囲気が立ち上っているようである。ただでさえ捜査で睡眠不足なのだ。

「砂宮仁朗は中肉中背、黒髪であり――」
「七発を発射後はSATのMP5サブマシンガンを奪い……」
「ライフルマークに過去の件で一致は見られず――」
「議員事務所爆破でも物証は今のところないとの鑑識からの報告が……」

 ここにきて京哉も睡眠不足が祟り、眠たくなってきた。

「電子的に情報共有できるのに、今どき何でこんな会議するんでしょうね?」
「さあな。昔からの惰性だろう。つまらんから私は寝る」

 そう宣言すると霧島は腕組みして本当に眠ってしまった。

 だらだらと会議は続き、たっぷり一時間半は経った頃、窓外に目を向けて針先のような鳥を数えていた京哉は、突然管理官に自分の名を呼ばれてビクリとする。

「機捜からは二名、機動捜査隊長・霧島警視及び鳴海巡査部長。白藤署刑事課から二名、山瀬やませ巡査長――」

 どうやら起立するべき場面だと察し、京哉は眠る霧島の襟首を掴んで腰を上げた。

「以上の六名は最上級者の霧島警視を責任者とした上で、明日から柾木将道衆議院議員の身辺警護に就くよう県警本部長名で命ずる。詳細は明朝〇八三〇マルハチサンマル時に柾木邸にてSP主任と打ち合わせの上、合同で四号警備に励んでくれ。先任である『』のSPに倣うことは勿論だが『』としてくれぐれも捜査本部の名を貶めぬように。わたしからは以上だ」

 寝惚け眼を擦りながら霧島は着席すると大欠伸をかます。

「外様の外様なのに、どうして私たちが四号なんだ?」
「ヒマそうに見られちゃってるんじゃないですか。でも隊長までが四号なんて実際、機捜をバカにしてます!」

 四号とは身辺警護のことを指していた。昔から護衛ガードは民間警備業法の区分に倣って通称四号警備と呼ばれる。
 ちなみに建物等の警備が一号、人や車両の誘導案内などが二号で、現金だの貴金属だの美術品だの、ときには核物質だのを移送する際に盗難等の事故を防止するのが三号だ。そして管理官の言った『備』は警備部で『事』は刑事部である。

 止まらない欠伸に涙を滲ませながら霧島は続けて呟く。

「そこまでとは舐められたものだが、面倒なことになったな。ふあーあ」

 周囲を憚らぬ霧島の大声にひやひやしながら京哉は小声で訊いた。

「面倒なんですか?」
「同じサツカンでも備と事の仲がいいとはお前も思わんだろう? 私がお前と一緒に備のSATに行くと目の仇にしてギャンギャン喚く隊長殿もいるくらいだ。それと同じで警備部所属のセキュリティポリスには彼らの流儀というものがある。余程のお人好しでなければ誰も自分の職掌を侵されたくはない筈だ。だがお人好しにSPは務まらん」

「なら『美味しい所取りする半端者』扱いのここの方がマシみたいな扱われ方を明日から覚悟しろってことですか? 僕は下っ端で文句は言えませんが隊長までとは酷い」
「私はお前と一緒でマシだったと思っているぞ。だがSP主任とやらの人柄にも依るが、期待はせん方が身のためだ。しかし一ノ瀬本部長も同席してこれは……」

「もしかしてまた特別任務絡みの何かだと思ってます?」
「まだ分からんが、自分で言うのも何だが機捜隊長を備に回すなどあり得んからな」

 小声で喋っているうちにまた掛け声がし、一斉に立ち上がると敬礼をして散会となる。何やら責任者にされたような気がする霧島だったが、メンバーを集めることもせずに自分もさっさと大会議室から出て白藤署をあとにした。

 一旦本部に戻り機捜の詰め所に帰ったが特に大きな案件も発生しておらず、明日のことを考えて皆に挨拶すると帰宅することにした。ここでもまた京哉がステアリングを握る。

「忍さんは手がそれだから僕が食事当番ですね。スーパーカガミヤに寄りますから」
「ゴム手袋をすれば、飯くらいは作れるぞ?」
「だめです、無理しちゃ。その代わり忍さんの当番は来週に繰り越させて貰います」

 マンションの近所にあるスーパーカガミヤに寄って買い物をして帰り着き、京哉が作ったのはカレーとサラダだった。食しながらTVニュースをラジオのように聞く。

「国会の会期でなかっただけ御の字だな」
「都内にまで通うのは大変ですもんね」
「まあな。だがその分、出先がランダムになるだろう。旨いな、おかわりあるか?」
「ええ。明日から時間もランダムになりそうだから、いっぱい作りました」

「夜は一号警備が張るだろうが、それも分からんしな」
「バディで動けるんでしょうか?」
「大丈夫だろう。奴らも殆どバディだ」

 それだけが気掛かりだった京哉はにっこり笑った。

 食べて男二人で後片付けをし、コーヒーを飲んで京哉が一服すると、シャワーを浴びて早々にベッドに横になる。京哉は霧島の左手の負傷を思い腕枕を遠慮した。

「爆破も砂宮仁朗の仕業だと思いますか?」
「分からん。しかし手際はプロでも招いた結果はド三流だったぞ」
「それを言ったら夫人殺しもそうでしょう?」
「鮮やかとは言い難いな。まあ、上手く逃げてはいるが」

「今まで殺し屋やってきたんだし、なりふり構わなくなったら危ないですね」
「警察サイドもそれを危惧してのSP増員だ」
「そっか。おやすみなさい、忍さん」
「ああ、おやすみ、京哉」

 前日が殆ど徹夜だった二人はすぐに寝息を立て始める。
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