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第37話
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付き添いとして泊まり込み始めてから一週間目の夕方、抜糸が済んだ霧島に安堵し食事を摂らせたのちに窓のブラインドを畳んでみて、京哉は思わず声を上げていた。
暗くなった外は雪が降っていたのだ。慌てて曇りかけた窓を拭き霧島にも示す。
「ほら、すごい! 忍さん、見て見て、綿雪が綺麗ですよ!」
空気を含んだふわふわの綿雪がゆっくりと地上に舞い落ちていた。あまり返事がないのを知った上で霧島に話し掛け、はしゃいで雪に見入る。
ベッドに角度をつけて凭れた霧島はここ暫く言葉より多くを語る灰色の目で、そんな京哉を見守ってくれているようだった。
ひとしきり騒いで納得した京哉は霧島の顔を覗き込んで言った。
「じゃあ、大人しく寝てて下さいね」
「あんた、京哉、何処、行くんだ?」
「小田切さん、ええと、副隊長が修理の終わった車をここの駐車場に持ってきてくれましたから、一ノ瀬本部長に報告してから一旦帰ってシャワー浴びて着替えてくるんです」
「そう……か」
妙に切ない目をしてみせる年上の愛し人に、京哉はそっと屈み込んでソフトキスをする。すると背に霧島の腕が回され、思いがけない強さで抱き締められた。数秒黙って好きにさせてから京哉は身を起こす。だが霧島の指がまだ黒髪に絡まっていた。
それを無理に引き剥がすことはせず、柔らかな声で訊く。
「どうしたんですか、忍さん。淋しいですか?」
「あ、いや……」
前髪をかき分けて額にそっと口づけると、霧島は素直に指を離した。
「すぐに戻ってくるから、いい子にしてて下さい」
手を離したものの霧島は何度も指を握ったり開いたりを繰り返している。その動きが滑らかなのを見て京哉は安堵で微笑みを浮かべた。
ややレスポンスが鈍いものの、受け答えもしっかりしていて異常はない。脳障害の心配も要らなそうなことに安心し、京哉は霧島に毛布を被せると黒髪をそっと撫でてからダッフルコートを羽織って病室を出た。
ナースステーションに外出する旨を告げ、急いで一階に降りると外に出て小田切から聞いていた駐車場の片隅で白いセダンを見つけて乗り込む。何とか消灯までには戻ってくるつもりで気合いを入れて雪の中を公道に乗り出した。
一方の霧島は被せられた毛布の中で、指先に残る感触をリピートしていた。
忘れてしまった何かが胸を圧している。もどかしい思いで何度も指を握ってみた。いや、指の間を通るさらりとした感触は忘れていない。この手に刻み込まれている。
手だけではない。毎夜のように抱いた胸にも染み込んで……それはいつのことだ?
何かを掴み損ねた気がして、ふと目を上げると京哉がブラインドを畳んでいった窓から外の雪が見えた。先程より勢いを増している。この分ではきっと明日は積もって都市機能が麻痺するに違いない。だが京哉は喜ぶだろう。あんなに雪ではしゃいでいたのだ。
だが自分はそれをたしなめて……それもいったい?
記憶を辿ろうと目を瞑ると瞼の裏で幻惑斑が踊った。それが赤い花に見えてくる。温室の中で咲き誇る赤い薔薇。温室の奥には四阿があった。
床には血が擦りつけられて細く華奢な躰では死んでしまいそうなほど大量の血痕。自分は血塗れの毛布をこの手で剥がす。手足を縮めて倒れているのは全身青ざめた京哉――。
手で掴んだ毛布が記憶の欠片を補強して霧島は戦慄する。
今朝京哉から聞いた過去の特別任務だが、この映像記憶は霧島自身のものだ。
京哉は独りで出て行った。何故独りにしたのだろう。
あの時、己の命すら懸けて証拠を掴みに行った、究極のバーターを仕掛けた京哉を発見した時は間に合わなかったかと思った。
京哉をあんな風にさせないため、自分は二度と独りにしないと己に誓ったのに。
いや、やはりこれは今朝の京哉から聞いた過去の特別任務というだけなのか。聞いた話から想像した偽の記憶。勝手に脳が映像を捏造し記憶と同じく分類して……固い地面に広がり塗り込められた血の赤を想像しているだけか。
その温室に咲き誇っていた紅薔薇より赤かった京哉の血も想像なのか?
本部経由で自宅に戻ってくるだけと言っていた。すぐに戻ると。なのに何故か淋しくて嫌な感じがした。いや、これは淋しさではない、恐怖だ。
鼓動を速めていたものの正体を掴んだ途端、更に鼓動が跳ね上がる。腕を上げて額に滲んだ汗を拭った。自分が恐怖しているのは分かったが何故怖いのかが知れない。
怖くて耐えきれず身を起こした。
さっき華奢なコートの後ろ姿をあっさり見送ってしまった自分は、一度ならずあの温かな躰と柔らかな声に優しいまなざしを失いかけた……。
何処かに自分の心を半分置き去りにしてきたかのように、焦り狂ってベッドから滑り降りる。曇った窓ガラスを手で拭ったが、今は室内の蛍光灯を反射して向こうが見えない。もどかしさ、恐怖と共に切ないような想いが胸に溢れた。
再び幻覚が襲う。銃声がして吹っ飛ぶ細い躰。肩から止めどなく溢れる血の幻臭まで嗅いで荒い息を吐く。今にも切れてしまいそうな細すぎる糸を必死で手繰った。
同時に強く思う、あいつを独りにしてはならないと。己の心の声が頭蓋に響く。
そう、自分は覚えている。忘れていない。
一生、どんなものでも一緒に見てゆくと二人で誓った――。
更に『お前独りにトリガは引かせない』とも。
全てを共に背負う誓いを私は違えない。二人で二人分、背負ってゆく。何を叩き折ってでも二人なら生きる価値がある。……激しい頭痛が襲った。
その瞬間、霧島の中で夥しい過去がフラッシュバックした。
暗くなった外は雪が降っていたのだ。慌てて曇りかけた窓を拭き霧島にも示す。
「ほら、すごい! 忍さん、見て見て、綿雪が綺麗ですよ!」
空気を含んだふわふわの綿雪がゆっくりと地上に舞い落ちていた。あまり返事がないのを知った上で霧島に話し掛け、はしゃいで雪に見入る。
ベッドに角度をつけて凭れた霧島はここ暫く言葉より多くを語る灰色の目で、そんな京哉を見守ってくれているようだった。
ひとしきり騒いで納得した京哉は霧島の顔を覗き込んで言った。
「じゃあ、大人しく寝てて下さいね」
「あんた、京哉、何処、行くんだ?」
「小田切さん、ええと、副隊長が修理の終わった車をここの駐車場に持ってきてくれましたから、一ノ瀬本部長に報告してから一旦帰ってシャワー浴びて着替えてくるんです」
「そう……か」
妙に切ない目をしてみせる年上の愛し人に、京哉はそっと屈み込んでソフトキスをする。すると背に霧島の腕が回され、思いがけない強さで抱き締められた。数秒黙って好きにさせてから京哉は身を起こす。だが霧島の指がまだ黒髪に絡まっていた。
それを無理に引き剥がすことはせず、柔らかな声で訊く。
「どうしたんですか、忍さん。淋しいですか?」
「あ、いや……」
前髪をかき分けて額にそっと口づけると、霧島は素直に指を離した。
「すぐに戻ってくるから、いい子にしてて下さい」
手を離したものの霧島は何度も指を握ったり開いたりを繰り返している。その動きが滑らかなのを見て京哉は安堵で微笑みを浮かべた。
ややレスポンスが鈍いものの、受け答えもしっかりしていて異常はない。脳障害の心配も要らなそうなことに安心し、京哉は霧島に毛布を被せると黒髪をそっと撫でてからダッフルコートを羽織って病室を出た。
ナースステーションに外出する旨を告げ、急いで一階に降りると外に出て小田切から聞いていた駐車場の片隅で白いセダンを見つけて乗り込む。何とか消灯までには戻ってくるつもりで気合いを入れて雪の中を公道に乗り出した。
一方の霧島は被せられた毛布の中で、指先に残る感触をリピートしていた。
忘れてしまった何かが胸を圧している。もどかしい思いで何度も指を握ってみた。いや、指の間を通るさらりとした感触は忘れていない。この手に刻み込まれている。
手だけではない。毎夜のように抱いた胸にも染み込んで……それはいつのことだ?
何かを掴み損ねた気がして、ふと目を上げると京哉がブラインドを畳んでいった窓から外の雪が見えた。先程より勢いを増している。この分ではきっと明日は積もって都市機能が麻痺するに違いない。だが京哉は喜ぶだろう。あんなに雪ではしゃいでいたのだ。
だが自分はそれをたしなめて……それもいったい?
記憶を辿ろうと目を瞑ると瞼の裏で幻惑斑が踊った。それが赤い花に見えてくる。温室の中で咲き誇る赤い薔薇。温室の奥には四阿があった。
床には血が擦りつけられて細く華奢な躰では死んでしまいそうなほど大量の血痕。自分は血塗れの毛布をこの手で剥がす。手足を縮めて倒れているのは全身青ざめた京哉――。
手で掴んだ毛布が記憶の欠片を補強して霧島は戦慄する。
今朝京哉から聞いた過去の特別任務だが、この映像記憶は霧島自身のものだ。
京哉は独りで出て行った。何故独りにしたのだろう。
あの時、己の命すら懸けて証拠を掴みに行った、究極のバーターを仕掛けた京哉を発見した時は間に合わなかったかと思った。
京哉をあんな風にさせないため、自分は二度と独りにしないと己に誓ったのに。
いや、やはりこれは今朝の京哉から聞いた過去の特別任務というだけなのか。聞いた話から想像した偽の記憶。勝手に脳が映像を捏造し記憶と同じく分類して……固い地面に広がり塗り込められた血の赤を想像しているだけか。
その温室に咲き誇っていた紅薔薇より赤かった京哉の血も想像なのか?
本部経由で自宅に戻ってくるだけと言っていた。すぐに戻ると。なのに何故か淋しくて嫌な感じがした。いや、これは淋しさではない、恐怖だ。
鼓動を速めていたものの正体を掴んだ途端、更に鼓動が跳ね上がる。腕を上げて額に滲んだ汗を拭った。自分が恐怖しているのは分かったが何故怖いのかが知れない。
怖くて耐えきれず身を起こした。
さっき華奢なコートの後ろ姿をあっさり見送ってしまった自分は、一度ならずあの温かな躰と柔らかな声に優しいまなざしを失いかけた……。
何処かに自分の心を半分置き去りにしてきたかのように、焦り狂ってベッドから滑り降りる。曇った窓ガラスを手で拭ったが、今は室内の蛍光灯を反射して向こうが見えない。もどかしさ、恐怖と共に切ないような想いが胸に溢れた。
再び幻覚が襲う。銃声がして吹っ飛ぶ細い躰。肩から止めどなく溢れる血の幻臭まで嗅いで荒い息を吐く。今にも切れてしまいそうな細すぎる糸を必死で手繰った。
同時に強く思う、あいつを独りにしてはならないと。己の心の声が頭蓋に響く。
そう、自分は覚えている。忘れていない。
一生、どんなものでも一緒に見てゆくと二人で誓った――。
更に『お前独りにトリガは引かせない』とも。
全てを共に背負う誓いを私は違えない。二人で二人分、背負ってゆく。何を叩き折ってでも二人なら生きる価値がある。……激しい頭痛が襲った。
その瞬間、霧島の中で夥しい過去がフラッシュバックした。
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