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第9話
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「あーあ、わざわざこの船を選ぶなんて信じられない」
「だが他の船で騒ぎになるよりはマシだった……と思えんのは何故だろうな」
「それが普通ですよ、僕もですから。けど国賓に逃げられた警視庁の同輩も気の毒ですもんね」
「それより京哉、お前は携帯の電源を切っておけ。この上、案件が入ったら堪らん」
言われた通りにすると霧島が自分の携帯を出した。少なくとも県警本部長にだけは連絡しないと事態の収拾が図れない。連絡すると霧島も携帯の電源をオフにする。
やがて霧島は操舵室に立ち、オートパイロットを切って手動で操舵し始めた。沖堤防の影が黒く見えてくると今枝にも連絡し、迎えを寄越すよう要請する。
貝崎マリーナに辿り着き、エキドナ号をアプサラス号の隣に停泊させると二階から大欠伸をしながらオルファスが降りてきた。京哉と霧島は銃と置きっ放しだったダウンコートを身に着け、釣果の入ったクーラーボックスを手に護岸へと移る。
降りると傍に黒塗りのセダンが待機していた。飲んでしまったため霧島も京哉も運転できないのだ。
黒塗りでまずは保養所に向かい、今枝にクーラーボックスを渡すと県警本部に出ることを告げる。早く皇太子などという大物を県警本部長に押しつけてしまう手だ。
また戻ってくる予定なので、そのまま黒塗りを専属ドライバーごと借りる。オルファスが言う通りに命を狙われているなら、なおのこと防弾車両の方がいい。
流れ星のひとつも見ないうちに夜はすっかり明けて七時過ぎとなっていた。
そうしてドライバーが運転する黒塗りは海岸通りからバイパスと高速を乗り継ぎ、無事に隣の白藤市にある県警本部に着いた。
霧島と京哉はオルファスをつれて、古めかしくも重々しいレンガ張り十六階建ての本部庁舎に足を踏み入れ、エレベーターで最上階まで上がる。
顔を出した秘書室では当直明け寸前の庶務係に本部長へと取り次いで貰った。
「霧島警視以下三名、入ります」
県警本部長室に敷かれた紺色のカーペットに三人は踏み出す。連絡で出てきた本部長は三人掛けソファに座してロウテーブル上の大きな缶からクッキーを摘んでいた。
「やあ、休日にご苦労だね。まずは座ってくれたまえ」
言われなくても慣れた二人と図々しい一人は既に腰掛けていた。三人掛けソファに並んで座った霧島と京哉は特別任務と称してたびたびここに呼び出されているので、相手が警視監であっても今更、緊張などしない。もう一人は皇太子で他人の船で勝手に飲み食いする男である。こちらは独り掛けに収まっていた。
本部長の一ノ瀬警視監はスーツ姿ではない霧島と京哉を珍しそうに眺めている。そんな一ノ瀬本部長を京哉もじっと見つめた。
身長は京哉くらいだが体重は霧島二人分で足りるだろうか。特注したのだろう制服の前ボタンは弾け飛ぶ寸前で、それでも紅茶のソーサーにはスティックシュガーの空き袋が三本も載っている。黒髪をぺったりと撫でつけた様子は幕下力士のようだったが、これでもメディアを利用した世論操作を得意とする、なかなかの切れ者なのだ。
見つめていると内部ドアが開いて庶務係の男が茶器を持ってくる。三人の前にも紅茶が出された。庶務係が退室すると一ノ瀬本部長がクッキーの缶を押しやる。
「ほら、これも食べて茶でも飲んで。ほら、ほら」
やや強引に勧められて京哉はクッキーを一個摘んだ。霧島もクッキーを口に放り込む。オルファスはジャムの載ったクッキーが気に入ったようでソーサーに幾つも並べていた。
だが霧島と京哉はここに長居するとロクなことがないのを学習している。
一ノ瀬本部長は暗殺反対派の急先鋒だったため、京哉がスナイパーだったことも、霧島と京哉の二人が内情を全て承知した『知りすぎた男』というのも分かっていた。それ故に特別任務と称しては『上』から降ってくる厄介事を二人に押しつけてくるのである。
そんな特別任務は何故か弾丸が飛び交い、時には爆撃までされるのだ。どんどんエスカレートして最近の二人は落ち着くヒマもなかったのである。
そこでようやくまともに三連休が取れたかと思えば、どうしてだか他国の皇太子なんぞに関わっているのだ。霧島も京哉も非常に機嫌を損ね、また思い切り警戒もしていた。
自分もクッキーの摂取を休まず、一ノ瀬本部長が朗らかにテノールを響かせる。
「さて、甘い物で脳も活性化しただろう。ではこれからのことを相談しようか」
「本部長、私と鳴海は『これからのこと』に関係ありません。失礼します」
「待ちたまえ、霧島くんも鳴海くんも。きみたちはそこにおわす方の素性を聞いていないのかね?」
「何も聞いてはいませんし、聞く気もありません」
「そう無下にせずとも良かろう。きみたちはリンドル王国の皇太子を救った英雄だ」
救った覚えもない霧島と京哉は嫌な予感を胸に膨らませながら、逃げ出すタイミングを計っていた。熱い紅茶を飲み干し立ち上がる。二人してドアへとダッシュしようとした、その瞬間に京哉はセーターの裾をオルファスに掴まれ一ノ瀬本部長の言葉を聞いていた。
「きみたち二人は、たった今からオルファス=ライド四世のSPだ」
びよーんと伸びたセーターの裾を撫でながら京哉は仕方なく着席した。幾ら何でも六階級も上の警視監殿の言葉を無視できない。腰掛けた京哉を霧島はじっと見てから隣にドスンと腰を下ろす。その険しい顔の眉間には深くシワが刻まれていた。
「まさかたった二人でリンドル王国の皇太子を護れというのではないでしょう?」
「霧島くん、そのまさかだよ。これはオルファス殿の意向なのだ」
見ればオルファスはポケットから出した携帯を振っている。どうやら船の中から県警本部長と連絡を取ったのは霧島だけではなかったらしい。
「だが他の船で騒ぎになるよりはマシだった……と思えんのは何故だろうな」
「それが普通ですよ、僕もですから。けど国賓に逃げられた警視庁の同輩も気の毒ですもんね」
「それより京哉、お前は携帯の電源を切っておけ。この上、案件が入ったら堪らん」
言われた通りにすると霧島が自分の携帯を出した。少なくとも県警本部長にだけは連絡しないと事態の収拾が図れない。連絡すると霧島も携帯の電源をオフにする。
やがて霧島は操舵室に立ち、オートパイロットを切って手動で操舵し始めた。沖堤防の影が黒く見えてくると今枝にも連絡し、迎えを寄越すよう要請する。
貝崎マリーナに辿り着き、エキドナ号をアプサラス号の隣に停泊させると二階から大欠伸をしながらオルファスが降りてきた。京哉と霧島は銃と置きっ放しだったダウンコートを身に着け、釣果の入ったクーラーボックスを手に護岸へと移る。
降りると傍に黒塗りのセダンが待機していた。飲んでしまったため霧島も京哉も運転できないのだ。
黒塗りでまずは保養所に向かい、今枝にクーラーボックスを渡すと県警本部に出ることを告げる。早く皇太子などという大物を県警本部長に押しつけてしまう手だ。
また戻ってくる予定なので、そのまま黒塗りを専属ドライバーごと借りる。オルファスが言う通りに命を狙われているなら、なおのこと防弾車両の方がいい。
流れ星のひとつも見ないうちに夜はすっかり明けて七時過ぎとなっていた。
そうしてドライバーが運転する黒塗りは海岸通りからバイパスと高速を乗り継ぎ、無事に隣の白藤市にある県警本部に着いた。
霧島と京哉はオルファスをつれて、古めかしくも重々しいレンガ張り十六階建ての本部庁舎に足を踏み入れ、エレベーターで最上階まで上がる。
顔を出した秘書室では当直明け寸前の庶務係に本部長へと取り次いで貰った。
「霧島警視以下三名、入ります」
県警本部長室に敷かれた紺色のカーペットに三人は踏み出す。連絡で出てきた本部長は三人掛けソファに座してロウテーブル上の大きな缶からクッキーを摘んでいた。
「やあ、休日にご苦労だね。まずは座ってくれたまえ」
言われなくても慣れた二人と図々しい一人は既に腰掛けていた。三人掛けソファに並んで座った霧島と京哉は特別任務と称してたびたびここに呼び出されているので、相手が警視監であっても今更、緊張などしない。もう一人は皇太子で他人の船で勝手に飲み食いする男である。こちらは独り掛けに収まっていた。
本部長の一ノ瀬警視監はスーツ姿ではない霧島と京哉を珍しそうに眺めている。そんな一ノ瀬本部長を京哉もじっと見つめた。
身長は京哉くらいだが体重は霧島二人分で足りるだろうか。特注したのだろう制服の前ボタンは弾け飛ぶ寸前で、それでも紅茶のソーサーにはスティックシュガーの空き袋が三本も載っている。黒髪をぺったりと撫でつけた様子は幕下力士のようだったが、これでもメディアを利用した世論操作を得意とする、なかなかの切れ者なのだ。
見つめていると内部ドアが開いて庶務係の男が茶器を持ってくる。三人の前にも紅茶が出された。庶務係が退室すると一ノ瀬本部長がクッキーの缶を押しやる。
「ほら、これも食べて茶でも飲んで。ほら、ほら」
やや強引に勧められて京哉はクッキーを一個摘んだ。霧島もクッキーを口に放り込む。オルファスはジャムの載ったクッキーが気に入ったようでソーサーに幾つも並べていた。
だが霧島と京哉はここに長居するとロクなことがないのを学習している。
一ノ瀬本部長は暗殺反対派の急先鋒だったため、京哉がスナイパーだったことも、霧島と京哉の二人が内情を全て承知した『知りすぎた男』というのも分かっていた。それ故に特別任務と称しては『上』から降ってくる厄介事を二人に押しつけてくるのである。
そんな特別任務は何故か弾丸が飛び交い、時には爆撃までされるのだ。どんどんエスカレートして最近の二人は落ち着くヒマもなかったのである。
そこでようやくまともに三連休が取れたかと思えば、どうしてだか他国の皇太子なんぞに関わっているのだ。霧島も京哉も非常に機嫌を損ね、また思い切り警戒もしていた。
自分もクッキーの摂取を休まず、一ノ瀬本部長が朗らかにテノールを響かせる。
「さて、甘い物で脳も活性化しただろう。ではこれからのことを相談しようか」
「本部長、私と鳴海は『これからのこと』に関係ありません。失礼します」
「待ちたまえ、霧島くんも鳴海くんも。きみたちはそこにおわす方の素性を聞いていないのかね?」
「何も聞いてはいませんし、聞く気もありません」
「そう無下にせずとも良かろう。きみたちはリンドル王国の皇太子を救った英雄だ」
救った覚えもない霧島と京哉は嫌な予感を胸に膨らませながら、逃げ出すタイミングを計っていた。熱い紅茶を飲み干し立ち上がる。二人してドアへとダッシュしようとした、その瞬間に京哉はセーターの裾をオルファスに掴まれ一ノ瀬本部長の言葉を聞いていた。
「きみたち二人は、たった今からオルファス=ライド四世のSPだ」
びよーんと伸びたセーターの裾を撫でながら京哉は仕方なく着席した。幾ら何でも六階級も上の警視監殿の言葉を無視できない。腰掛けた京哉を霧島はじっと見てから隣にドスンと腰を下ろす。その険しい顔の眉間には深くシワが刻まれていた。
「まさかたった二人でリンドル王国の皇太子を護れというのではないでしょう?」
「霧島くん、そのまさかだよ。これはオルファス殿の意向なのだ」
見ればオルファスはポケットから出した携帯を振っている。どうやら船の中から県警本部長と連絡を取ったのは霧島だけではなかったらしい。
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