やんごとなき依頼人~Barter.20~

志賀雅基

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第35話

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 何事かと人々はざわめき、やがて事実が伝わって大ホールは静けさが支配した。壇上のオーケストラも演奏を止めている。そこで前に進み出たのは滝本首相だった。
 SPたちに留められたが振り払い、老年男に手を差し伸べる。

「どうしたんだね、宗田そうだ理研の会長ともあろう人が。それをこちらに渡しなさい」

 さすがは首相、胆も太かった。だが宗田会長は頑なに手投げ弾を握り離さない。

「だ、誰も動くな、動いたら全員道連れだ!」

 だが京哉は冷静に思う。既にSPから県警本部に連絡されている筈だ。膠着状態が続けば、それこそ宗田会長は窓外からSAT狙撃班に撃たれるだろう。今頃は小田切が寺岡に呼び出されているかも知れない。準備が整うまで約三十分か、四十分か。

 それまでこの状態を維持するのみだと思った途端、滝本首相が更に一歩前に出る。今度こそSPが留めて首相のタキシードの裾を引いた。仕方なく首相が後退する。SPも一緒だ。それと共に囲んでいた人々の輪が広がり割れる。

 すると一番近くにいたオルファスと霧島に京哉だけが取り残された。
 ピシッという音がして霧島とオルファスの間を何かが貫く。反射的に霧島はオルファスを引き倒し、背後のテーブルの下に蹴り込んだ。

 振り向いた京哉は広く取られた窓ガラスの一枚に穴が開き、大きく地割れのようなヒビが入っているのを見取る。次弾が霧島の腕を掠め損ねて向こうの壁に着弾。だが一歩も退かずに京哉を見た。京哉は頷く。

「狙撃ポイント特定、メイコウビルの屋上です!」
「敵を撃つんだ、我が国とリンドル王国に仇成す者を捕まえろ!」

 応えたのは霧島ではなく首相だった。首相命令とあらば遠慮など無用だ。京哉は素早くハードケースからDSR1を取り出した。その間に三射目が襲ったが怯まず立射姿勢を取る。狙撃銃を手にした京哉に怖いものはない。
 
 敵の位置はこちらより高かった。目測距離は約七百で仰角狙い、スコープのダイアル調整もせず誤差も勘で計算して偏差射撃三発。
 一射目でガラスを叩き割り、二射目と三射目を敵にヒットさせた。手応えあり。

 ガラスの砕け散る音と撃発音にご婦人方が短い悲鳴を上げ、男性諸氏は息を呑む。
 それを耳にしながら無駄な抵抗を封じるため、続けざまに二射を見舞った。

「京哉、やったか?」
「はい。スナイパーとスポッタの二名が失血で死なないうちに……拙い!」

 放置されていた宗田会長が手投げ弾のピンを抜きかけていた。そこで轟音がし京哉が振り返ると、首相のSP二名が構えた銃から硝煙が立ち上っている。

 再び振り返ると宗田会長が椅子に腰を落とすところだった。不幸中の幸いでSPの狙いはジャスティスショットだったため当たったのは両肩、だが力の抜けた手から手投げ弾が落下する。ダッシュした霧島が危うくそれを受け止めた。
 抜けかけたピンを慎重に戻す。しかし血を見て今度こそ盛大な悲鳴が湧いた。

 そんな中で宗田会長の夫人は泣きながら『孫の当て逃げの事実を質に脅された』と証言したが誰に脅されたのかは気を失った宗田会長しか知らないらしい。手投げ弾はホテルのボーイから渡されたという話だったが、そのボーイは既に姿を消していた。

 一方、京哉が撃った敵の許には連絡を受けたSAT突入班が急行したが、スポッタ役の柏仁会のチンピラが血塗れで座り込んでいただけで、同様に大怪我をした筈のスナイパーはヘリで連れ去られたあとだった。
 某新聞社から盗まれたヘリはのちほど郊外で放置されているのが見つかった。機内には血痕付きだ。柏仁会は相当人使いが荒いとみえる。

「あーあ。実行犯も逃がしちゃったし明日のニュースでの警察叩きが愉しみかも」
「だがスポッタはチンピラとはいえ柏仁会の構成員だ。これでガサが入れられる」
「それでオルファスの敵が分かればいいんですけどね」

 今は羽田空港に向かう黒塗りの中だった。いつもの配置で乗っているが黒塗りの前後左右は警視庁のSPの車両が固めている。お蔭で京哉と霧島はやや肩の力が抜けた気分で喋っているのだ。結局敵を炙り出せなかったオルファスは少々不機嫌らしい。

 やがて羽田空港に辿り着くとSPの車両で囲んだまま特別に滑走路にまで乗り入れて、二十三時過ぎにオルファス=ライド四世専用機であるボーイング・トリプルセブンの前で黒塗りを停めた。オルファスの意向で儀式めいたことは一切せず、ただSPの皆でタラップを上って機内に消えるオルファスを見送った。

「ふう。これでやっと僕らも釈放パイですね。つっかれたー」
「そうだな。では、帰ってのんびりしよう」

 途中のサービスエリアで交代し最終的に京哉の運転で保養所に戻る。だが明日の出勤も見越して白いセダンに乗り換え一旦マンションを見に行くことにした。全ての工事が終わったことは本部長から聞いている。いない間にキィも保養所に届いていた。

 四十分ほどでマンション近くの月極駐車場にセダンを入れ二人は馴染みのコンビニに寄ると加熱せずに食せるサンドウィッチなどを買い求める。出来たばかりの部屋ではまだ湯も沸かせないかも知れないからだ。

 そうしてマンションに着くとエントランスを開錠し、エレベーターで五階へ。

 キィロックを解いて、ドアを開ける前に京哉は深呼吸する。楽しみなようで少し怖かった。霧島と積み上げた思い出が欠片も残っていなかったら、と思ったのである。

「じゃあ、開けますよ。三、二、一……うわあ!」
「これはすごいかも知れんな」

 二人が驚いたのは見通せるダイニングキッチンからリビングに廊下までの全てが、以前とそっくりそのまま寸分も違わなかったからだ。上がってみるとエアコンやTVといった家電類はさすがに新しいタイプに代わっていたが見た目は殆ど変わらない。二人掛けソファも前と同じである。

 エアコンを入れ、これも以前と変わらない洗面所で手を洗いうがいをすると、兼業主夫二人は真っ先にキッチンを検分した。食器棚の中には食器も揃い、調理用具や鍋にフライパンもあった。京哉は新しい電気ポットを洗い、浄水器の水を入れて沸かし始める。

「すごいですよね、同じ銘柄のインスタントコーヒーまでありますよ」
「ウィスキーもだ。気が利いているな」
「コーヒー淹れますから座って下さい」

 熱いコーヒーで和みながら京哉は換気扇の下で数時間ぶりの煙草を吸った。

「で、だ。そろそろ現実に目を向けようと思うのだが、覚悟はいいか?」
「覚悟も何も強制的じゃないですか。あああ、もう、やだ!」
「気持ちは分かるが、仕方ない。見に行く……までもなかったようだな」
「俺もコーヒーを所望する!」

 言いつつ寝室から出てきたのはオルファスだった。二人は脱力する。

「どうして貴方がここにいるんですか!」
「敵を欺くにはまず味方からと言うではないか」
「理由になっていませんよ、もう!」
「目的を果たすまで俺は帰らん。帰れんのだ。命が惜しいからな」
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