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第47話
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和服の袂から携帯を出し御前はメールを打つ。送信するのを眺めて京哉は言った。
「あ、それと御前は今回の件で僕とオルファスが忍さんを救出する前に日本政府から全てを聞かされていながら、事態を看過しようとしましたよね?」
「忍の奴はそう簡単に死なん。それにおぬしらを信じておった」
「だけど幾らリンドル王国から得るものが大きくても、忍さんをすり潰されかけてなお放置しようとした事実……僕は許しませんからね、御前」
至極朗らかに京哉は言ったが、口元の薄い笑いが御前の目を釘付けにする。
「……どうすれば許して貰えるかの?」
「そのうちバーターになり得る情報か何かをくれたら、それで構いませんよ」
「貸し借りはその場で清算する主義なんじゃが、おぬしが相手ならそれも良かろう。それにしてもおぬしと話すのは面白い。面白い話で腹が減ったぞよ。茶の時間にせぬか?」
夕食が少なめだった京哉は同意し、御前が携帯で今枝に茶の支度を申し付けた。まもなくチャイムが鳴って今枝がワゴンを押したメイドを伴いやってくる。すると茶菓子の匂いで霧島が目を覚まし、ベッドから降りると点滴台を押して真っ先に丸テーブルに着いた。
白いシルクサテンのパジャマ一枚の霧島は見るからに寒々しく、京哉はクローゼットからグレイのカーディガンを出し羽織らせてから着席する。御前も椅子に腰掛けた。
「お茶は本年度のディンブラブレンド、マーテル・シャンテルー入りでございます」
ブランデーもたっぷりの紅茶が配られ、小難しい話もせずに釣りなどを話題にして淡々と三人は茶を飲み、大皿二枚に盛られたカナッペにサンドウィッチ、シュークリームやタルトなどを味わう。あらかた食い終えると霧島は再びベッドに這い込んで横になった。
「忍さんが御前に対して喧嘩腰にならないなんて珍しいかも」
「まあ、あれだけの熱じゃ。寝ておるのが普通、食えるのが異常じゃからの」
「忍さんに関しては食欲がなくなったら本気の一大事と心得てますから」
まもなく茶も飲み尽くし、今枝とメイドが空になった茶器や皿の載ったワゴンと共に去る。御前が和服の裾を捌いて立ち、京哉にひらひらと手を振った。
「もう二十三時過ぎじゃ。おぬしも寝るがよい」
「おやすみなさい、御前」
「また明日、語ろうぞ」
姿勢のいい和服の背を見送って、京哉はまず食後の煙草をソファで吸う。一本で切り上げると霧島の様子を覗いた。毛布の蔭から灰色の目が見返している。
「もう今日はマンションには戻れませんよ、ブランデー入り紅茶を飲みましたから」
「分かっている。今枝も小賢しい真似をするようになったものだ」
「貴方のためを思いやってのことでしょう、小賢しいなんて失礼ですよ」
「お前は何処までも私ではなく他人の味方をするんだな」
そう言って霧島は深々と溜息をついて見せた。またも拗ねた男に京哉は提案する。
「じゃあ、ほら、躰を拭いてあげますから。前のお返しです」
アクセントが『前のお返し』に置かれていたのに目を輝かせた霧島に京哉は笑いかけ、洗面所に向かって熱い湯に何枚ものタオルを浸して絞り始めた。
◇◇◇◇
ひたすら霧島は食っては寝ることを繰り返し、京哉は御前を相手にヒマ潰しをして週が明けたが、霧島は治療薬が効かずに四十度の熱を出したままだった。
「忍さん、これ、このニュース。槙原省吾が出てますよ」
「ん、ああ、見ている。胆石で入院した西尾組組長の見舞いか」
「元はひとつの組で分裂したのに、お見舞いなんか行くんですね」
「あの業界は義理事も命懸けだからな」
相変わらずベッドの住人ながら、やや目覚めている時間が長くなった霧島と喋りつつ、京哉は午後の茶を飲んでからずっとTVを眺めていた。
映っている槙原省吾とは以前にパーティーで顔を合わせたことがあるが、その時の記憶と同じく組長としては三十代という若さで結構な色男ぶりである。
「それにしたって本当にパイされちゃったんですね。狙ってくるでしょうか?」
「目立つことは避けると思いたいが、面子で生きているのが奴らだ」
「仕掛けてくる可能性は大ありと。でもここは狙撃もされない天然の要塞ですから」
疑心暗鬼になっても仕方ないので話題を変え、せっかく『出張』終了宣言したのに休んでしまっている機捜について話し、隊員たちに関する無責任な噂で笑い合った。
「ああ見えて栗田さんは女子高生と清いお付き合いですからね」
「元社長でお嬢の彼女が高校卒業後は栗田も所帯持ちか。それより竹内一班長はもう二人目ができたらしいぞ。私たちの贈ったデジカメのメモリを買い足したらしい」
「ええっ、二人目なんてすごい早業。涼しい顔しててもさすがはデキ婚ですね」
ひとしきり盛り上がると京哉は高熱の霧島を心配して寝かせにかかる。TVを消し毛布を掛け直し手を握ってやると、まもなく規則正しい寝息が聞こえ始めた。そこで京哉は丸テーブルにノートパソコンをセットして起動した。
何をするのかといえば、何処かに橋渡しとしての槙原と顧客である議員先生やサッチョウ上層部の一部がやり取りしている『取引現場』が載っていないか探すのだ。そう簡単に他人が閲覧できるとは思えないが、ヒマ潰しには丁度いい。
ブラウザを立ち上げ、思いつく片端からワードを入れて検索していると、槙原省吾はネット界の一部で結構な有名人という事実を知る。ブログまで運営して閲覧者数は六桁に及んでいた。
無論違法なシノギに関する事項は載せていないが、行事などの記録や時事的ニュースに対して現役業界人としての切り口でコラムめいたものを書いてあったりした。
「ふうん。結構面白いけど、ちょっと狙い過ぎって気がするなあ」
呟いた京哉だったが、そのブログから『取引現場』にリンクが張られている筈もない。過去日記まで読んでから再び検索に熱中していると日も暮れて少し寒くなっていた。
エアコンの設定温度を上げ、フランス窓から外を眺める。自分で『天然の要塞』といったように、眼下の三十メートルもある切り立った崖の下は黒々とした海になっていた。
御前が『窓から釣りをしたい』などと言ってこの保養所を建てたらしいが、特殊部隊でもあるまいし、ここから登ってくる敵などまずいないだろう。
ふと掛け時計を見上げてみると、もう二十時近かった。熱中しすぎて時間感覚もなかったのだ。そろそろ夕食かなと思った途端にチャイムが鳴る。
ドアを開けるとワゴンを押したメイドと今枝だ。匂いで霧島も起き出してくる。
「あ、それと御前は今回の件で僕とオルファスが忍さんを救出する前に日本政府から全てを聞かされていながら、事態を看過しようとしましたよね?」
「忍の奴はそう簡単に死なん。それにおぬしらを信じておった」
「だけど幾らリンドル王国から得るものが大きくても、忍さんをすり潰されかけてなお放置しようとした事実……僕は許しませんからね、御前」
至極朗らかに京哉は言ったが、口元の薄い笑いが御前の目を釘付けにする。
「……どうすれば許して貰えるかの?」
「そのうちバーターになり得る情報か何かをくれたら、それで構いませんよ」
「貸し借りはその場で清算する主義なんじゃが、おぬしが相手ならそれも良かろう。それにしてもおぬしと話すのは面白い。面白い話で腹が減ったぞよ。茶の時間にせぬか?」
夕食が少なめだった京哉は同意し、御前が携帯で今枝に茶の支度を申し付けた。まもなくチャイムが鳴って今枝がワゴンを押したメイドを伴いやってくる。すると茶菓子の匂いで霧島が目を覚まし、ベッドから降りると点滴台を押して真っ先に丸テーブルに着いた。
白いシルクサテンのパジャマ一枚の霧島は見るからに寒々しく、京哉はクローゼットからグレイのカーディガンを出し羽織らせてから着席する。御前も椅子に腰掛けた。
「お茶は本年度のディンブラブレンド、マーテル・シャンテルー入りでございます」
ブランデーもたっぷりの紅茶が配られ、小難しい話もせずに釣りなどを話題にして淡々と三人は茶を飲み、大皿二枚に盛られたカナッペにサンドウィッチ、シュークリームやタルトなどを味わう。あらかた食い終えると霧島は再びベッドに這い込んで横になった。
「忍さんが御前に対して喧嘩腰にならないなんて珍しいかも」
「まあ、あれだけの熱じゃ。寝ておるのが普通、食えるのが異常じゃからの」
「忍さんに関しては食欲がなくなったら本気の一大事と心得てますから」
まもなく茶も飲み尽くし、今枝とメイドが空になった茶器や皿の載ったワゴンと共に去る。御前が和服の裾を捌いて立ち、京哉にひらひらと手を振った。
「もう二十三時過ぎじゃ。おぬしも寝るがよい」
「おやすみなさい、御前」
「また明日、語ろうぞ」
姿勢のいい和服の背を見送って、京哉はまず食後の煙草をソファで吸う。一本で切り上げると霧島の様子を覗いた。毛布の蔭から灰色の目が見返している。
「もう今日はマンションには戻れませんよ、ブランデー入り紅茶を飲みましたから」
「分かっている。今枝も小賢しい真似をするようになったものだ」
「貴方のためを思いやってのことでしょう、小賢しいなんて失礼ですよ」
「お前は何処までも私ではなく他人の味方をするんだな」
そう言って霧島は深々と溜息をついて見せた。またも拗ねた男に京哉は提案する。
「じゃあ、ほら、躰を拭いてあげますから。前のお返しです」
アクセントが『前のお返し』に置かれていたのに目を輝かせた霧島に京哉は笑いかけ、洗面所に向かって熱い湯に何枚ものタオルを浸して絞り始めた。
◇◇◇◇
ひたすら霧島は食っては寝ることを繰り返し、京哉は御前を相手にヒマ潰しをして週が明けたが、霧島は治療薬が効かずに四十度の熱を出したままだった。
「忍さん、これ、このニュース。槙原省吾が出てますよ」
「ん、ああ、見ている。胆石で入院した西尾組組長の見舞いか」
「元はひとつの組で分裂したのに、お見舞いなんか行くんですね」
「あの業界は義理事も命懸けだからな」
相変わらずベッドの住人ながら、やや目覚めている時間が長くなった霧島と喋りつつ、京哉は午後の茶を飲んでからずっとTVを眺めていた。
映っている槙原省吾とは以前にパーティーで顔を合わせたことがあるが、その時の記憶と同じく組長としては三十代という若さで結構な色男ぶりである。
「それにしたって本当にパイされちゃったんですね。狙ってくるでしょうか?」
「目立つことは避けると思いたいが、面子で生きているのが奴らだ」
「仕掛けてくる可能性は大ありと。でもここは狙撃もされない天然の要塞ですから」
疑心暗鬼になっても仕方ないので話題を変え、せっかく『出張』終了宣言したのに休んでしまっている機捜について話し、隊員たちに関する無責任な噂で笑い合った。
「ああ見えて栗田さんは女子高生と清いお付き合いですからね」
「元社長でお嬢の彼女が高校卒業後は栗田も所帯持ちか。それより竹内一班長はもう二人目ができたらしいぞ。私たちの贈ったデジカメのメモリを買い足したらしい」
「ええっ、二人目なんてすごい早業。涼しい顔しててもさすがはデキ婚ですね」
ひとしきり盛り上がると京哉は高熱の霧島を心配して寝かせにかかる。TVを消し毛布を掛け直し手を握ってやると、まもなく規則正しい寝息が聞こえ始めた。そこで京哉は丸テーブルにノートパソコンをセットして起動した。
何をするのかといえば、何処かに橋渡しとしての槙原と顧客である議員先生やサッチョウ上層部の一部がやり取りしている『取引現場』が載っていないか探すのだ。そう簡単に他人が閲覧できるとは思えないが、ヒマ潰しには丁度いい。
ブラウザを立ち上げ、思いつく片端からワードを入れて検索していると、槙原省吾はネット界の一部で結構な有名人という事実を知る。ブログまで運営して閲覧者数は六桁に及んでいた。
無論違法なシノギに関する事項は載せていないが、行事などの記録や時事的ニュースに対して現役業界人としての切り口でコラムめいたものを書いてあったりした。
「ふうん。結構面白いけど、ちょっと狙い過ぎって気がするなあ」
呟いた京哉だったが、そのブログから『取引現場』にリンクが張られている筈もない。過去日記まで読んでから再び検索に熱中していると日も暮れて少し寒くなっていた。
エアコンの設定温度を上げ、フランス窓から外を眺める。自分で『天然の要塞』といったように、眼下の三十メートルもある切り立った崖の下は黒々とした海になっていた。
御前が『窓から釣りをしたい』などと言ってこの保養所を建てたらしいが、特殊部隊でもあるまいし、ここから登ってくる敵などまずいないだろう。
ふと掛け時計を見上げてみると、もう二十時近かった。熱中しすぎて時間感覚もなかったのだ。そろそろ夕食かなと思った途端にチャイムが鳴る。
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