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第11話
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全室フローリングでどんな生活スタイルを取っても自由だったが、シドは自室を土足厳禁にしていた。靴を脱いで上がると、まずは手を洗ってからタマの水替えをし、猫缶を取り出す。朝はカリカリ、夜は缶詰と決めていて、腹を空かせた三毛猫は足に絡まってエラい騒ぎだ。
「今日はカツオのタタキ風半生ブロック入りだぞ」
スプーンで皿にかき出してやると、タマはふんふんと匂いを嗅いだのち、かつかつと食べ始めた。それを眺めている訳にもいかない、シドは別室任務の準備に掛かる。リモータ発振していつものタマの預け先である隣家に了解を取った。快諾されて安堵する。
あとは寝室のクローゼットの引き出しから簡単な着替えを引っ張り出し、リビングの二人掛けソファに置いた。予備弾の小箱と煙草のパッケージを多めに重ねる。それだけで準備は終わり、もう手慣れたものだった。
ライターにオイルを足しているとハイファがロックを勝手に解いて帰ってくる。今のような仲になって以来、オフタイムの殆どをハイファもシドと共に過ごすので、こちらが帰る家といった具合になっているのだ。
担いでいたショルダーバッグにシドの荷物も詰め込むと、ハイファはリビングと続き間のキッチンで愛用の黒いエプロンを着ける。料理のことなど何も知らないシドを前にキッチンはハイファの牙城となっていた。主夫として食材を傷めるのは許されざることらしく、出掛ける前にパウチやフリーズドライに加工するのはもう儀式のようなものである。
「でもハイファ、マイヤー警部補をあんまり待たせるんじゃねぇぞ」
「分かってるよ、すぐ終わらせるから」
十五分後には全ての用を済ませた上にタイマーで炊けていたご飯でおにぎりまで出来上がっていた。一個一個をシールしてこれもショルダーバッグに詰め込む。
「さてと、あとは隣にタマを預けるだけだね」
「タマ、タマ、こっちにこい」
だが腹一杯になったタマは言うことを聞かない。手を出したシドはバリッとやられそうになり、慌てて引っ込める。可愛らしかったのは一瞬で、いつものえげつない野生に戻っていた。
「仕方ないよね、『幻の愛媛みかん』の箱で宅配されてきたんだから」
「段ボールに詰めて送るなんて別室も酷いことするぜ。お蔭でスレちまったんだよな」
そこでハイファがタマの大好物の竹輪を取り出し、釣って何とかキャリーバッグに誘い込むことに成功する。野生のケダモノを収めたキャリーバッグはシドが担ぎ、ハイファもショルダーバッグを担いで玄関に立つ。ショルダーバッグには九ミリパラの予備弾も入っているので見た目より重量物になっている筈だ。
それにいつもと変わらない刑事ルックだが、ハイファはベルトに二本のパウチを着け、中に十七発フルロードのスペアマガジンを二本入れていた。テミスコピー本体と合わせて五十二発という重装備である。使わなければそれに越したことはないが過去にそんな例はない。
靴を履いて二人は互いに腰に腕を回してソフトキス。
「じゃあ、行こっか」
「ああ。フライトプランまで出して屋上に着けてくれるんだ、待たせちゃ悪いからな」
玄関を出てロックすると、最初の目的地である隣室のパネルに向かってシドが声を掛けた。
「先生、マルチェロ先生!」
十秒もせずにドアが開き、男が顔を出した。自室なのに何故か白衣を羽織っている。
「おう、お前さんらはまた厄介事かい。懲りねぇなあ」
ボサボサの茶髪に剃り残しのヒゲが目立つこの中年男はマルチェロ=オルフィーノ、おやつの養殖イモムシとカタツムリ(生食)をこよなく愛する変人である。職業は何とテラ連邦軍中央情報局第二部別室の専属医務官で、階級は三等陸佐だ。
シドとハイファにとっては何かと頼りになる好人物で、遠出するときにはタマを預かってくれるので助かっているのだが、病的サドという一面も持ち、軍に於いては拷問専門官という噂で恐れられているらしい。事実、やりすぎによって様々な星系でペルソナ・ノン・グラータとされている御仁である。
「別に好きで首突っ込んでねぇよ」
「なあに、嫌い嫌いも好きのウチだ。ほい、お宅の息子を預かるぞ」
「その前にカールはいないのか?」
カール=ネスはハイファの隣人でこちらも別室員だが、野生のケダモノであるタマが唯一懐いている猫使いだ。
「あー、あいつも最近は見ませんねえ。他星系で原住生物に食われてなけりゃいいんですがね」
「縁起でもねぇこと言うなよな、カールの野郎は暢気なんだし有り得ねぇ訳じゃねぇんだしさ」
どちらが酷いのかはともかくとしてハイファが変人サド外科医に念を押す。
「先生、猫鍋も解剖も禁止だからね」
「分かってるさ。季節柄、冷しゃぶにしようかと思ってる」
「逆に野生に食われるぜ。とにかく頼む」
「ああ、気を付けて行ってこい」
マルチェロ医師は白衣の袖口からメスを滑り出させ、ボタンから飛び出した糸をプチリと切ると、また目にも止まらぬ早業で袖口にメスを仕舞い、シドから猫袋を受け取った。
医師宅には既に猫グッズ完備で身柄を預けるだけである。シドとハイファは交互にキャリーバッグに手を突っ込み、三色の毛皮を撫でてやってからマルチェロ医師に頭を下げた。
「あっ、もう十九時半になっちゃう」
「拙いな。先生、頼んだぜ!」
「お願いします!」
叫んでおいて二人はエレベーターホールへと駆け出す。エレベーター内でシドがマイヤー警部補に発振を入れた。すぐに『了解』の発振が返ってくる。
屋上は定期BELの停機場にもなっていて、丁度大型旅客BELが乗客を受け入れていた。これでも宙港には行けるが何せ低空・低速で各停機場を巡るので一時間半も掛かる。
その点、緊急機で直行すれば三十分だ。負担もかなり減る。
設置されているオートドリンカでハイファが飲料を買っているうちに風よけドームが開き始め、たっぷりと腹に蛋白質を詰め込んだ定期BELがテイクオフした。光害で星も見えない夜空に遠ざかっていくのと入れ違いに緊急機が降りてくる。
ちんまりと駐まった小型BELに二人は駆け寄り、スライドドアを開けて乗り込んだ。
「今日はカツオのタタキ風半生ブロック入りだぞ」
スプーンで皿にかき出してやると、タマはふんふんと匂いを嗅いだのち、かつかつと食べ始めた。それを眺めている訳にもいかない、シドは別室任務の準備に掛かる。リモータ発振していつものタマの預け先である隣家に了解を取った。快諾されて安堵する。
あとは寝室のクローゼットの引き出しから簡単な着替えを引っ張り出し、リビングの二人掛けソファに置いた。予備弾の小箱と煙草のパッケージを多めに重ねる。それだけで準備は終わり、もう手慣れたものだった。
ライターにオイルを足しているとハイファがロックを勝手に解いて帰ってくる。今のような仲になって以来、オフタイムの殆どをハイファもシドと共に過ごすので、こちらが帰る家といった具合になっているのだ。
担いでいたショルダーバッグにシドの荷物も詰め込むと、ハイファはリビングと続き間のキッチンで愛用の黒いエプロンを着ける。料理のことなど何も知らないシドを前にキッチンはハイファの牙城となっていた。主夫として食材を傷めるのは許されざることらしく、出掛ける前にパウチやフリーズドライに加工するのはもう儀式のようなものである。
「でもハイファ、マイヤー警部補をあんまり待たせるんじゃねぇぞ」
「分かってるよ、すぐ終わらせるから」
十五分後には全ての用を済ませた上にタイマーで炊けていたご飯でおにぎりまで出来上がっていた。一個一個をシールしてこれもショルダーバッグに詰め込む。
「さてと、あとは隣にタマを預けるだけだね」
「タマ、タマ、こっちにこい」
だが腹一杯になったタマは言うことを聞かない。手を出したシドはバリッとやられそうになり、慌てて引っ込める。可愛らしかったのは一瞬で、いつものえげつない野生に戻っていた。
「仕方ないよね、『幻の愛媛みかん』の箱で宅配されてきたんだから」
「段ボールに詰めて送るなんて別室も酷いことするぜ。お蔭でスレちまったんだよな」
そこでハイファがタマの大好物の竹輪を取り出し、釣って何とかキャリーバッグに誘い込むことに成功する。野生のケダモノを収めたキャリーバッグはシドが担ぎ、ハイファもショルダーバッグを担いで玄関に立つ。ショルダーバッグには九ミリパラの予備弾も入っているので見た目より重量物になっている筈だ。
それにいつもと変わらない刑事ルックだが、ハイファはベルトに二本のパウチを着け、中に十七発フルロードのスペアマガジンを二本入れていた。テミスコピー本体と合わせて五十二発という重装備である。使わなければそれに越したことはないが過去にそんな例はない。
靴を履いて二人は互いに腰に腕を回してソフトキス。
「じゃあ、行こっか」
「ああ。フライトプランまで出して屋上に着けてくれるんだ、待たせちゃ悪いからな」
玄関を出てロックすると、最初の目的地である隣室のパネルに向かってシドが声を掛けた。
「先生、マルチェロ先生!」
十秒もせずにドアが開き、男が顔を出した。自室なのに何故か白衣を羽織っている。
「おう、お前さんらはまた厄介事かい。懲りねぇなあ」
ボサボサの茶髪に剃り残しのヒゲが目立つこの中年男はマルチェロ=オルフィーノ、おやつの養殖イモムシとカタツムリ(生食)をこよなく愛する変人である。職業は何とテラ連邦軍中央情報局第二部別室の専属医務官で、階級は三等陸佐だ。
シドとハイファにとっては何かと頼りになる好人物で、遠出するときにはタマを預かってくれるので助かっているのだが、病的サドという一面も持ち、軍に於いては拷問専門官という噂で恐れられているらしい。事実、やりすぎによって様々な星系でペルソナ・ノン・グラータとされている御仁である。
「別に好きで首突っ込んでねぇよ」
「なあに、嫌い嫌いも好きのウチだ。ほい、お宅の息子を預かるぞ」
「その前にカールはいないのか?」
カール=ネスはハイファの隣人でこちらも別室員だが、野生のケダモノであるタマが唯一懐いている猫使いだ。
「あー、あいつも最近は見ませんねえ。他星系で原住生物に食われてなけりゃいいんですがね」
「縁起でもねぇこと言うなよな、カールの野郎は暢気なんだし有り得ねぇ訳じゃねぇんだしさ」
どちらが酷いのかはともかくとしてハイファが変人サド外科医に念を押す。
「先生、猫鍋も解剖も禁止だからね」
「分かってるさ。季節柄、冷しゃぶにしようかと思ってる」
「逆に野生に食われるぜ。とにかく頼む」
「ああ、気を付けて行ってこい」
マルチェロ医師は白衣の袖口からメスを滑り出させ、ボタンから飛び出した糸をプチリと切ると、また目にも止まらぬ早業で袖口にメスを仕舞い、シドから猫袋を受け取った。
医師宅には既に猫グッズ完備で身柄を預けるだけである。シドとハイファは交互にキャリーバッグに手を突っ込み、三色の毛皮を撫でてやってからマルチェロ医師に頭を下げた。
「あっ、もう十九時半になっちゃう」
「拙いな。先生、頼んだぜ!」
「お願いします!」
叫んでおいて二人はエレベーターホールへと駆け出す。エレベーター内でシドがマイヤー警部補に発振を入れた。すぐに『了解』の発振が返ってくる。
屋上は定期BELの停機場にもなっていて、丁度大型旅客BELが乗客を受け入れていた。これでも宙港には行けるが何せ低空・低速で各停機場を巡るので一時間半も掛かる。
その点、緊急機で直行すれば三十分だ。負担もかなり減る。
設置されているオートドリンカでハイファが飲料を買っているうちに風よけドームが開き始め、たっぷりと腹に蛋白質を詰め込んだ定期BELがテイクオフした。光害で星も見えない夜空に遠ざかっていくのと入れ違いに緊急機が降りてくる。
ちんまりと駐まった小型BELに二人は駆け寄り、スライドドアを開けて乗り込んだ。
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