セイレーン~楽園27~

志賀雅基

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第28話

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 ベッドから滑り降りるとタオル代わりの布をバスルームの湯で絞った。それでハイファの躰を拭いてやる。傷つけたかどうかは分からないが出血はないので一応の安堵をし、自分の躰も適当に拭いた。毛布を被せようとして畳んで置かれていた夜着に気付く。

 下着と夜着を細い躰に丁寧に着せかけ、自分も身に着けてハイファの隣に横になった。毛布を被せてハイファに左腕の腕枕をしてやると、寝返りを打ったハイファがシドに抱きつく。

 シャンデリアの明かりがそのままだったが二秒で諦めた。
 遠くで海鳴りがしている。
 仰臥したシドはまた赤い月アリエスの泡立ちを思い浮かべ……黒髪の頭を振った。

 なかなか眠れずに、シドは長いさらさらの金糸を指で梳き続けながら呟いた。

「ハイファ、お前どうしちまったんだよ――」

 積極的なのは嬉しいが、あんなに切なくも追い詰められたかのような目で声で、そして行為で、いったい何をシドに全身で訴えかけたかったのだろうか。
 
 このときのシドは本当にハイファの懸念が何なのか解らず戸惑っていた。

◇◇◇◇

「――シド、シド?」

 呼ばれて薄く目を開けるとハイファが覗き込んでいた。まだ夜着のままだがしっかり目の覚めた顔でリモータを突き付けられた。八時だった。起きなければ拙い。

「お前、大丈夫なのか?」
「ん、まあ、まずまずかな」

 明るく言ったその肌は透けるような美しさで照れたような微笑みを浮かべている。だが着替えもせずにベッドにペタリと座り込んでいるのは何故なのか。

「動けねぇのか?」
「あと三十分、何とかなるよ」
「……動けねぇんだな」

 仕方ない。シドはベッドから降りて使わなかった方のベッドのシーツを少しだけ乱し、クローゼットから服を出して着替える。勿論タキシードでなく自前の方だ。顔を洗って寝ぐせを水で撫でつけ、戻って執銃する。自分の用意ができてからハイファの準備に取り掛かった。

 ドレスシャツとスラックスを身に着けさせ、ショルダーバンドを装着して銃を吊らせる。そっと歩かせて顔を洗わせると長い後ろ髪を梳き、束ねて銀の金具で留めてやった。

「色々とお世話を掛けます」
「すっげぇ良かったからいい。でもお前、どうかしたのか?」

 気になっていたのでシドはさりげなく訊いてみたが、ハイファは透明感のある頬に薄く微笑みを浮かべただけだった。こういう時のハイファには重ねて訊いても無駄と心得ているのでシドは黙って引き下がる。

「それより貴方こそ、ちゃんと寝たの?」
「寝た寝た、充分だ」

 切れ長の黒い目のふちを赤くした男の嘘をハイファは見破っていたが、それ以上は何も追求せず、素直にソフトスーツのジャケットを着せて貰う。
 ともかく八時半前にノックの音がしたときにはハイファも涼しい姿を完成させていた。

「おはようございます、よくお休みになられたでしょうか」

 慇懃な執事殿への挨拶もハイファの役目、シドは会釈したのみである。

「おはようございます、ミクソンさん。お忙しいのに僕らの迎えまで、すみません」
「いいえ。では、こちらへ」

 従うように歩きつつ、シドは密かにハイファの細い腰を支えていた。階段も努めてゆっくりと降りる。三階分をクリアし廊下を歩いて案内されたのは昨日とは違う食堂だった。
 本来は家族だけで使うらしい食堂は落ち着ける広さ、但しそれでもテーブルはベッドほどもあった。そこでもう伯爵はコーヒーカップを前にニューズペーパーを広げている。アーサーも食卓に着いてフォークを動かしていた。

 二人に気付くと伯爵はニューズペーパーを畳み、朗らかな声を出す。

「やあ、おはよう。くつろいで貰えましたかな」
「おはようございます。ゆっくり休ませて頂きました」
「そうかね。では朝食の用意をさせよう」

 椅子を引いて貰って二人は並んで着席した。すぐに温められたクロワッサンやサラダにスープ、熱々の卵料理にハムソテーなどが供される。メイドにコーヒーをサーヴィスして貰い、シドとハイファは食事を始めた。

「ところでお二人はいつまでこの星に滞在されるのかな?」

 ハムソテーを切り分けながらハイファが無難に答える。

「特に予定は立てていませんが……」
「そうかね。いや、今日は街に出たり業者がきたりと少々忙しいものでしてな」
「業者って、人魚のですか?」
「まあ、そうだ。幾らでも滞在してくれて構わないのだが……」

 つまりは相手をしているヒマがないと言いたいらしかった。
 そこでオムレツを飲み込んだシドが口を開く。

「もし構わねぇなら、その業者と一緒にレヴィ島に行けるよう計らって貰えねぇか?」

 何の打ち合わせもなくバディが言い出したがハイファは驚かなかった。自分たちはリゾートに来たのではない、人魚の横流しを探らなければならないのだ。捜査上でレヴィ島を外す訳にはいかない。

 だが言い出したシドに対し伯爵だけでなくアーサーや執事殿までがギョッとしたようだった。それも尤もなことだと云える、生きたモノを肉に加工する現場を見たいと言い出したのと同義だからだ。幾ら感覚が麻痺していても、魚を捌くのとはレヴェルが違うことくらい、伯爵も承知している筈である。

 パンを咀嚼し呑み込むとシドはその場の全員を見渡して口を開いた。

「じつは他星に人魚が密輸されてる、俺たちはそれを追ってきたんだ」
「ちょ、そんな、シド!」
「ハイファ、協力者は必要だろうが」

 それこそ打ち合わせして欲しかった別室員は、だが頷くより他なかった。高度文明圏での任務と違い、カルチャーダウンしたここではハイファお得意のハッキングという手は使えない。端末でネットを探ることもできないのだ。

「それは……うーん、確かにここでは人に頼るしかないのかも知れないけど……」
「そこでだ。俺たちの使った宙港から、あれだけデカい水槽を運び出すだけのことを密輸グループがやってのけられると思うか?」
「幾らクレジットを役人に掴ませても、ちょっとアレは無理かもね」

「もう一ヶ所の宙港はどうだ?」
「前にきたとき見に行ったけど、僕らが使った宙港と似たり寄ったりだったよ。ってことは何処かに秘密の宙港がある?」
「ああ、そうじゃねぇかと思う。レヴィ島でなければ、その近辺にな」

 難しい顔をして話を聞いていた伯爵が大きく頷く。
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