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第3話

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「この、左遷されたスパイ野郎が!」
「それを大きな声で言わないで、軍機なんだから!」
「何が軍事機密だ、それなら俺にまで任務を降らせるな!」

 ハイファが現役軍人で別室エージェントだというのは軍機、軍事機密だった。この機捜課で知るのはバディのシドとヴィンティス課長のみである。

 けれどここで落とし穴があった。別室はハイファを出向させ刑事に仕立てておいて放っておくようなスイートな機関ではなかったのだ。未だに任務を振ってくる。
 勿論以前のようなタラす任務ではないが、今度は手を替えてイヴェントストライカ、イコール『何にでもぶち当たる奇跡のチカラ』を当て込みシドと二人で挑む任務を降らせてくるようになったのだ。

 何もかもが軍機のため任務が降ってくるたびに『出張』だの『研修』だのと惑星警察サイドを誤魔化して出掛けなければならない。
 そうして行った先では大概ドえらい目に遭わされる。マフィアとの銃撃戦などは可愛い方で、ガチの戦場に放り込まれ、砂漠で干物になりかけ、テラ連邦宙軍の宙艦で宇宙戦など。激しくも危険な任務は拒否権もないタダ働き、強制ボランティアだ。

 思い出して怒りがこみ上げシドはギリギリとハイファの首筋に銃口をねじ込んだ。
 背後のフロア内ではケヴィン警部が胴元で今日はどちらが勝つかの賭けが始まっている。そこに何処からか帰ってきたシドの後輩ヤマサキが左隣のデスクに着いた。

「やあ、シド先輩にハイファスさん、相変わらず仲がいいっスね」
「うるせぇ、ヤマサキ。俺とこいつは単なる仕事上のバディなんだからな!」

 その科白で一気にハイファの目つきが険悪となる。
 今のような仲になって一年と数ヶ月が経ち、周囲もとっくに二人をカップル認定しているというのにシドは未だにハイファとの仲を公に認めようとしないのだ。

 よそと比べて不思議なほど女性率の低い機捜課に一年と数ヶ月前ハイファが現れて、元々完全ストレート属性のシドは皆から『男の彼女をつれてきた』などと冷やかされ、からかわれて非常に難儀したのである。

 躍起になって否定するも、のちにそれは事実となってしまったのだが、それでもシドは主張を翻さず今に至っているのだ。
 同性どころか異星人とですら結婚し遺伝子操作で子供まで望める時代に、からかう方もムキになって否定する方も中学生男子以下だった。

 シド本人も自分が滑稽だとは思っているのだ。ペアリングまでして矛盾しているのも重々承知している。だが照れ屋で意地っ張りな性格は自分自身どうしようもなく、しかし真顔で嘘をつくのも最近は非常に苦しくなってきて、すっかりドツボにハマっているのだった。

「ところでお二人は昨日の午後にもタタキにストライクしたそうっスね。これで週間狙撃逮捕は三ヶ月連続二桁で、イヴェントストライカとそのバディの始末書も連続二桁、同じく二桁の事件遭遇数と合わせてグランドスラム達成……あわわ!」

 ヤマサキは二人から銃口を向けられて青くなりデスクの下に潜り込む。

「ま、まさか本気で撃つんじゃないっスよね?」
「ふん、下らねぇモンは撃たねぇよ」

 するりと二人は銃を仕舞った。ケヴィン警部以下、賭けをやっていた者たちはガッカリして溜息を洩らす。下請けに行かない僅かな在署番はやはりヒマなのである。

 ヤマサキの登場で毒気を抜かれたシドは着席した。電子回覧板をチェックしハイファのデスクに積み上げてしまうと、ようやくペンを取って報告書類に取り掛かる。咥え煙草のまま、慣れた書式を酷い右下がりの文字で埋めていく。

 書類は今どき何と本人の手書きが原則なのだ。容易な改竄や情報漏洩を防止するために先人が試行錯誤した挙げ句に辿り着いたローテクで筆跡は内容とともに捜査戦術コンに査定されるため、幾らヒマそうでも他人に押し付けることはできない。

 始めてしまうと熱中するたちなので、あっという間に五枚を書き上げ残り一枚に取り掛かろうとしたときハイファが大声を上げた。

「ああっ、第十回警務課・機捜課合コンの出席欄に貴方、チェック入れてる!」
「騒ぐなよ、お前の分もチェックしておいたからな」
「僕という者がありながら酷い!」
「全然マッタク何にも酷くねぇよ。妻帯者だって幾らでも参加、このヤマサキだってヴィンティス課長だって参加だぞ」

 指されたヤマサキは本日の下請け仕事にあぶれたらしくデスク上の3Dポラをデレデレと眺めている。映っているのは二人の愛娘、これでも所帯持ちで二児の父だ。

「大体、今まで一度も参加できずにもう第十回だぜ?」
「十回目だから何だって言うのサ?」
「出席しようとするたびに別室任務は降ってくるわ、お前は騒ぐわ――」
「しーっ、だからそれを大声で言わないで!」
「お前の声の方がデカいって。大体、とっくに俺たちの秘密はバレバレだぞ?」

 毎度毎度二人だけに『出張』や『研修』の特別勤務が降って湧くのである。皆は二人に何か秘密があると悟っていて、その上で黙ってくれているだけなのだ。素で額面通りに受け取っているのは七分署一空気の読めない男ヤマサキくらいのものだろう。

「だからって建前は建前で通す方針なんです」
「へいへい、そうですか。それより今度の合コンは何があっても出席だからな」
「……むぅ」
「まあ、そう仰らずに気軽にご参加下さい……ゲホッ」

 ハンカチで口を押さえつつ現れたのはヤマサキのバディであり、シドのポリアカでの先輩でもあるマイヤー警部補だった。常と変わらぬ涼しい微笑みだが顔色が悪い。

「それに読んでいただければ分かりますが第十回記念として、慰安旅行も兼ねて実施しようと思っております……ゴホッ」

 電子回覧板を手にしたままハイファが首を傾げてオウム返しに訊く。

「慰安旅行、ですか?」
「ええ。勿論デカ部屋を空にはできませんので全員とは参りませんが。でも貴方がたの参加表明で警務課の制服婦警が色めき立ちましてね。早速定員オーバーになる勢いなんです」
「警務課ですか。僕らは色物ってことですね」

 警務課の制服婦警は腐女子と評判で、シドとハイファは彼女らの話題の格好の餌食なのだ。

「色物でもいいさ。お前、付き合い悪いって」
「だからって未だに女の子大好きを言い張るだけじゃなくて半ば本気な貴方を女性陣と一緒にお泊まりさせるなんて、やっぱりユルセナイっ!」

「そういうお前はこそ少しは婦警連中にサーヴィスしといた方がいいんじゃねぇか? 貴腐人の間じゃあお前、相当ネタにされてるぜ」
「そんなサーヴィスしたら余計に――」

 と、言いかけてハイファは考えた。単なる合コンではない、慰安旅行なのだ。長丁場ならば却ってこの際、自分とシドとの仲を内外にアピールするいい機会ではないだろうか。きっとシドにも隙ができて皆の前で腕組みくらいは見せつけられる……。

 そんな考えを読んだか、幹事を務めるマイヤー警部補がニヤリと笑う。

「では、お二人も参加で宜しいですね……ゲホッ、ゴホッ」
「ええ、是非。宜しくお願いします。ところで行き先は何処なんですか?」
「あらかた人数が判明しないと決められませんので、まだ……ゲホゲホッ」

 咳き込むマイヤー警部補をハイファはじっと見つめた。

「風邪ですか? 酷そうですね」
「季節外れの流行りモノを貰ってしまいまして……ゴホッ」

 話しているうちにも見た目、マイヤー警部補は相当具合が悪くなっているようだった。シドが案じて口を挟む。

「有休、取った方がいいんじゃないですかね」
「そうなんですが、慰安旅行の方も詰めないといけませんので……ゲホゲホッ」
「無理しない方がいいと思いますけど、熱もありそうだし」
「残りは、このドヒマなヤマサキにでも任せたらどうですかね?」
「えっ、俺っスか?」

 唐突に話を振られてヤマサキはビクリと肩を揺らし、3Dポラをデスクに取り落とす。自分を注視する三人をこわばった顔で見返した。そんな後輩の肩をシドが叩く。

「バディのピンチくらい救えるよな、ヤマサキ幹事代理殿」
「ちょ、俺が幹事代理だなんて……」
「あとは行き先を決めて旅行代理店で手配するだけですから……ゴホッ」

「え、あ、う……そんな大それたことを俺が決めていいんスかね?」
「みんなの意見を聞いてまとめたらいいんじゃないかな」
「そ、そうっスね、みんなの意見を聞けばいいだけっスよね」

 三人が頷くとヤマサキはやや緊張した顔つきながら、深く頷き返してみせた。

「男ヤマサキ、マイヤー警部補の後を立派に引き継いでみせるっスよ」

 本当に大丈夫か? と三人は同時に思ったがヤマサキも所帯まで持つ大人である。

「良かった、これで私も心置きなく有休を取らせて貰えます……ゲホッ」
「もう帰られた方が……」
「ええ。ご心配をお掛けしました。では私はこれで……ゴホゴホッ」

 咳き込みながらマイヤー警部補はその場でリモータ操作し、業務管理コンにリモータリンクで有休届を出した。
 すぐに受理されて慰安旅行の概要をヤマサキのリモータに送ると、デジタルボードの自分の欄を『在署』から『有休』に入力し直し、スーツの背を見せ帰って行った。
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