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第39話

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「すごいすごい、シド、やるじゃない!」
「ん……戻ろうぜ」
「ここからは別室コンに任せるね。RTBする」

 RTB、リターン・トゥ・ベースだ。猛烈な風と砂塵に巻かれながらも、別室戦術コンにコントロールを渡すと姿勢が戻る。ハイファは元のテュール二分署を座標設定した。

 西風に乗った浮島を追いかけ、欠けたアンテナエリアから這い昇るようにして武装BELは安定した飛行に移る。そこからは二分と掛からず二分署の屋上駐機場に帰投した。

 ショルダーハーネスを外してハイファはドアを開け、外に飛び降りる。待ち受けていた軍警察の兵士たちが歓声を上げた。どうやら事態を全てモニタしていたらしい。

 だが笑顔に囲まれて待つもキャノピが割れた前席からシドがなかなか出てこない。ハイファは外からドアを開けた。そこで指先からすっと血の気が引くような感覚に襲われる。

「シド……シドっ!」

 座ったままシドは左のこめかみと首筋から大量出血をし、意識を飛ばしてコンソールに突っ伏していた。何も考えられないままハイファはシドのハーネスを外す。
 連射したフレシェット弾が暴れ回った前部ガナー席は目茶苦茶に破壊されていた。そのうち数弾がシド自身を傷つけたのだ。他にも怪我をしているかも知れない。

 動かさない方がいいのは分かっていたが、ハイファは襲った恐怖に打ち勝つことができず、縋る思いでシドの躰を揺さぶった。

「シド、シド……返事してよ、シドっ!」

 目を開けないシドがこちらに倒れてくる。受け止めきれずにシドを抱いたままハイファは後退して機外に尻餅をついた。腕の中のシドは真っ白な顔色をしている。端正な顔はよくできた人形のよう、何度呼んでも黒い瞳を見せてはくれなかった。

 怖くてバイタルサインも看られず、ハイファはただ抱き締めることしかできない。

 どす黒く染まったシドの衣服は滴るほどに血を吸っている。ハイファも愛し人の血に塗れながら呆然と座り込んでいた。冷や汗が流れて眩暈を感じる。貧血の初期症状だと自覚するも、どうしていいのか考えることすらできなくて――。

 そこを救ったのは兵士たちではなく、聞き覚えのある怒号だった。

「ハイファス、何してる! 早くこっちのBELに乗せろ!」
「ゴーダ主任……みんな、どうして……?」

 兵士たちをかき分けてやってきたのは七分署の面々だった。機捜課だけではない、警務課の婦警軍団もいた。一団に囲まれシドは同僚たちの手で速やかに緊急機に乗せられる。

「そこのキミ、わたしの部下を病院につれて行くんだ!」
「はっ、はい!」

 ヴィンティス課長の大声に兵士が最敬礼してパイロット席に就いた。同じ機にハイファとヴィンティス課長にゴーダ主任とナカムラ、マイヤー警部補とヤマサキに、ケヴィン警部とヘイワード警部補までが乗り込んで、満員御礼状態でテイクオフ。
 もう二機がヨシノ警部と婦警軍団に迫られ、これも大人数を乗せて舞い上がった。

 行政府ビルの隣にあるテュール第一総合病院までは五分と掛からなかった。

 屋上駐機場から救急救命室に搬送されたシドは、再生槽に放り込まれる寸前に意識を取り戻して目を開いた。そして最初に見えたのがハイファではなくゴーダ主任の鬼瓦のような顔だったので危うく再び気を失いそうになった。

 直後にハイファの悲愴な顔を見て安堵する。
 そうして始まったのが「再生槽に入れ」「嫌だ、入らねぇ」の舌戦だった。

「貴方、それだけ出血して貧血なの、重傷患者なの。素直に入ってよ!」
「やだね、俺は慰安旅行にきたんだ、再生液で泳ぎに来たんじゃねぇもん」
「そんな顔色して何言ってるのサ! ふざけないでよね!」
「ふざけてねぇよ、こんな貧血くらい大したことは……あ、あれ?」

 グルグルと部屋が回り出してシドは目を瞬かせる。呆れて眺めていた医師がハサミで金属の膿盆をカンカンカンと叩き、自分に注目を集めた。

「この患者どうするの? 再生槽に三日入るか、傷だけ処置するか」
「傷だけ処置だ」
「再生槽に放り込んで下さい」

 もうシドとハイファの争いは医者も聞いていない。全員を見回して意見を求める。

「傷だけ処置しても貧血は残りますよね?」

 落ち着いたマイヤー警部補の質問に医師は頷いた。

「これだけの失血です、当然ですな。ただ再生槽に入らない方法もあります」
「それ、そいつにしてくれ」

 やたらと元気な患者を一瞥し、医師は更に説明を続けた。

「再生液治療に頼る現代人はご存じないかも知れませんが輸血という方法です。血液型の適合する人から血を分けて貰う……これには勿論、血液の提供者が必要ですな」
「血液型が合うなら、私は提供者になっても構いませんが」

 涼しげなマイヤー警部補の言葉に、俺も俺もと全員が名乗りを上げた。
 その頃には警務課の婦警軍団やヨシノ警部も駆け付けており、救急救命室は人口密度も最高潮に達していた。
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