裏稼業探偵

アルキメ

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case4 ターゲット・サイティング

1 災厄の知らせ

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 ナイツ夕桜支社は、巨大犯罪組織ナイツ配下にある支部の一つである。元々夕桜市内にあった二つの支部を統合し生まれた新しめの支部であり、現在の所属メンバー数は七十一人。規模としては中堅クラスだが、統合後僅か数年で他の大規模支部とほぼ同等のノルマを達成している。支社の名称は、特に功績が大きく、一定以上の権限を認められた支部にのみ与えられるものである。

 そのアジトは、夕桜市の北区と南区の境目――ゆざくら南通りから裏通りへ逸れた先にある、目立たないオフィスビル風の建物だ。その、地下三階。そこに、“彼女”の部屋はある。

 地下階への階段は通常時は閉鎖されており、エレベーターのボタンも地下二階までしか存在しないため、三階より下へは、特定のメンバーだけが知る隠しコマンドをエレベーターの操作パネルに入力しなければ立ち入ることはできない。アジトの中でも、特別に機密性の高いエリアといえる。

 その地下三階の廊下を、一人の少女が歩いていた。右手に紙袋を携えた、赤髪の少女――志野美夜子(しのみやこ)は、ある部屋の前で立ち止まり、扉をノックする。

「こんこん。あたしだよー。入っていーい?」
「どーぞー」

 返事を確かめてから、扉を開けて中に入る。広さ八畳ほどの部屋には、沢山の本が投げ散らかされていた。そのうちの大半は漫画本か小説の文庫本だったが、コンピューター関連、情報工学や認知科学系統の高度な専門書などもちらほらと見える。その全てがこの部屋の主である少女の蔵書だった。

 部屋の奥には広めのデスクがあり、部屋の主はそこに座ってパソコンと向かい合っている。

「よっと……ほっと……!」

 床に散らかった本の隙間を飛び石渡りのように移動して、美夜子は彼女の後ろから声をかける。

「アリスー……? ありゃ、忙しかった?」
「ううん」

 天然ブロンドの髪を振るようにして、アリスは後ろにいた美夜子を見上げた。十八歳の美夜子よりはやや年下、中学生くらいの少女だ。一点の曇りもなく澄みきったその蒼い瞳は、真っ直ぐすぎるほどの親愛の眼差しを美夜子へ向けている。

「だいじょーぶ! 今、終わったとこ」
「お仕事?」
「ついさっき、うちのコンピューターシステムへの不正アクセスがあったの。その対処をちょっとね」
「ふせーあくせす? 大丈夫だったの?」
「ふふん、私のセキュリティを出し抜けるやつなんて、世界中探してもそうはいないわよ」

 アリスは得意顔になって説明する。

「私から言わせれば、今回のなんて全然ぬるい攻撃よ。侵入を許す前にソッコーで逆探してやったわ。まぁ、回線自体は何らかのダミーを噛ませてると見るべきだけど。具体的なことは調査班の人たちに調べてもらうとして、今、そういうことがあったってのを上のほうに報告してたわけ」 
「へぇーさすが! アリスはすごいなぁ!」

 美夜子はアリスの頭をくしゃくしゃと撫でた。アリスは嬉しいような恥ずかしいような、複雑な表情で言う。

「もぉ、やめてよお姉ちゃん。子どもみたいで恥ずかしいじゃない」
「えーっ? かわいいかわいいアリスを撫でてあげられない人生なんて、あたし、耐えられないよー?」
「また適当なこと言って……じゃ、お姉ちゃんだけ特別よ。他の人には絶対こんなことさせないんだから」
「えへへー、ありがとっ」

 美夜子はアリスの頭を優しくぽんと叩いてから、もう一方の手に持っていた紙袋をデスクの上に置く。

「お昼、まだでしょ? アリスの好きなやつ、買ってきてあげたよん」
「あっ、ハンバーガー!」

 アリスが目を輝かせて言う。普段から大人びている彼女も、美夜子の前では年齢相応の反応を見せる。好物を目の前にしたときなどは特にそうだった。

 至って普通のハンバーガーとポテト、ドリンクのセット。アジトを出てから歩いて十分ほどのところにあるファストフード店で買ってきたものだ。アリスは“とある事情”から、自由を制限された生活を強いられている。特別な用事がない限りは、このビルから一歩たりとも外出することはできないようになっているのだ。

 アリスの抱える事情については、アジト内でもごく一部のメンバーにしか知らされていない特級の機密事項である。それを知る数少ない人物である美夜子は、日頃からこうして、様子を見に来るついでにアリスと食事を共にすることが多かった。

「――進展はナシよ」

 ハンバーガーを食べ終わったアリスがいう。その隣で椅子に座っていた美夜子は、ドリンクのストローに口をつけようとしたのをやめて、

「ん……なんの話だっけ?」
「例の話」
「あー……あはは。あたし、まだなんにも言ってないのに」
「でも言おうとしたでしょ?」
「……まぁ、ね」

 美夜子はドリンクの容器をデスクに置く。

「そっか……まだ、見つからないか……。ごめんねアリス、いつもこんなこと手伝わせちゃって」
「ううん、いいの。いつも言ってるでしょ? 私、お姉ちゃんの役に立てるならなんでもするよ」
「……うん」

 アリスの答えに、美夜子は少しばかり苦みを感じたようなぎこちない微笑みを浮かべて、小さく頷いた。

「あのねアリス……嫌になったらいつでも降りてくれていいんだよ? 無理に付き合う必要なんてない。これはあたしの、身勝手な……ただの、復讐なんだから。……そう、“殺されたあたし”のための復讐」
「…………」

 今から三年前に起こったとある事件。自身が巻き込まれたその事件の黒幕を、美夜子は今でも追い続けている。そのために、犯罪組織へ身を置くことを決めた。そのために、沢山のことを諦めた。その過酷な路を進んだ先に、幸福などありはしないということを理解しながらも、美夜子は自らその選択をしたのだ。

 アリスには、その手がかりを集めるために協力してもらっていた。ネットのアングラ掲示板から裏社会に精通する情報屋まで、ありとあらゆる情報網を頼ったが、現在まで、目的の人物についての情報は皆無に等しかった。

 アリスは思い詰めたような表情でしばらく黙っていたが、やがてかぶりを振って、

「……降りたりなんかしないわ。私はこれからもずっと、お姉ちゃんの味方よ?」
「……ホントに?」
「うん、ホント」
「……そっか!」美夜子はニカっと笑って、「んもー! 嬉しいこと言ってくれるなぁ! 愛してるよーアリスー!」

 美夜子はアリスを抱きしめて、頬にキスをする。

「ちょ、ちょっと、急に元気になりすぎ! お姉ちゃんってば! もぉ!」
「だって、アリスにそんなこと言われちゃったら元気になるに決まってるじゃーん!」
「わかった、わかったから!」

 アリスはなんとか美夜子を引き剥がして、呼吸を整えながら言う。

「そ、それよりお姉ちゃん。一つ訊きたいんだけど」
「ん? なぁに?」
「あのアホにはこのこと、まだ教えてないのよね?」

 美夜子は一瞬きょとんとしてから、

「アホって……もしかして、ノラのこと?」
「そ。アホでいいのよ。あんなやつ」
「んー……ねぇ、なんでそんなにノラのことを嫌うの? 初めて会ったときからそんな感じだよね? っていうか、むしろ悪化してる?」

 アリスはぷいとそっぽを向く。

「……べつに、気に入らないだけよ。そんなこと、どうでもいいでしょ。――で、どうなの? 教えてるの? 教えてないの?」
「教えてないよ。……これから先も、教えるつもりはない」

 淡々と答える美夜子に、アリスは納得したような顔で頷いた。

「ま、そうよね。一応、相棒ってことになってるからって、なんでも話さなきゃならないってわけじゃないもんね」
「うん……それに、こんなことにまでノラを巻き込むわけにはいかないから」
「巻き込む?」
「……そもそも彼は、こんな裏の世界なんかに入る必要のない人だった。それをあたしが……引き込んでしまったから。これ以上、余計なことに付き合わせるわけにはいかないよ」
「まだ、そのこと気にしてるわけ? あれはお姉ちゃんのせいじゃ……」

 美夜子はかぶりを振る。

「あたしがきっかけを作ってしまったのは、事実だもん。あの時あたしを助けたりなんかしなければ、彼の運命は全く違っていたはずだから」
「……それは、そうかもしれないけど。……えっと」アリスは言葉を探すように逡巡して、「まぁ、でもほら、素人のわりには頑張ってるわよね、あいつ。この前だって、プロの殺し屋相手に勝っちゃったんだもん。無駄に背がおっきいのと、あとは脳天気なくらい人がいいだけのやつだと思ってたけど…………案外、才能があるのかも」
「アリス……」

 美夜子は意外そうな表情でアリスを見る。

「えっ……なに?」

 アリスが尋ねると美夜子はクスリと笑って、

「褒めてるとこ、初めて見た」
「す、素直な感想を述べたまでよ。っていうか、仮にもお姉ちゃんの相棒なんだから、それくらい当然だけど! この前のだって、まぐれで勝っただけかもしんないし! っていうか、絶対そうだし!」

 アリスの反応に美夜子はまた笑う。気を遣って、話題を切り替えてくれたのだろう。言葉には表さないが、その配慮を美夜子は嬉しく思った。

「才能、か……」

 美夜子は静かにアリスの言葉を繰り返した。

「そうかもしれないね。彼は強い人だから……力とか技量じゃなくて、もっと精神的な部分でね。ああいう、生き残ることに必死になれる人間は、殺すことに執着するだけの人間より強いよ。それくらいは、あたしにもわかる。でも……彼の場合はそれだけじゃないっていうか……」
「それだけじゃないって……どういう意味?」
「んー……なんだろ? よくわかんないや!」
「なによそれ……」

 ガクっとなって言うアリスに、美夜子は笑う。

「まー、なんて言うのかな。あたしもまだノラのこと、全部は知らないってことなんだろうね」
「ふぅん……」

 そのとき、デスクの上のパソコンから電子音が鳴った。

「あっ、メール。何だろう?」

 アリスが届いた電子メールを確認する。

「私個人じゃなくて、支社のアドレス宛てに送られてきたものね。あれ? これって……」
「どうしたの?」

 美夜子が横からパソコンの画面を覗く。

「メールの件名。ほら見て、『警告』だって」

 ウイルス感染などを知らせる怪しげなスパムメールのようにも見えるが、それにしてはシンプルすぎる。

「えっ……? これって……」

 美夜子は、差出人の名前欄を見て絶句した。……そんな馬鹿な。あり得ない、こんなことは。

「……お姉ちゃん、この人ってもしかして?」

 アリスも同じことに気がついたようだ。

「ちょっと、開いてみてくれる?」
「わ、わかった」

 アリスがメールを開いて、その内容をディスプレイに表示させる。――表示された文面に、美夜子は更なる衝撃を受けた。

「……なにが、どうなってるの?」
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