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番外編
48? おまけ:jimiko
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映画を観たあと、ああ時間を無駄にした、と思うことがたまにある。
その日の映画はとくに利一をそんな気分にさせた。二時間は貴重だ。趣味といっても、できれば時間は有意義に使いたい。
シアタールームのスクリーンに流れるエンドロールを横目に、利一はスマホを手にして、何気なく見終わったばかりの映画のタイトルを情報収集用のSNSで検索した。ほかの人たちが自分と同じ感情を抱いていることを確認して、安心したかったのかもしれない。
イマイチ、予告編がクライマックス、俳優の無駄遣い、サスペンスなのに緊張感がない……容赦のない酷評が目立つなかで、画面をスクロールする利一の手をとめるくらいの破壊力が、その投稿にはあった。
『作中の役柄じゃなくて、本人役で出演してる有名俳優さんが全然笑えないシーンでクスッて笑ってて、普通ならNGになるはずなのに、そのままにしてるところに監督のこだわりを感じた! 強面で悪役の多い俳優さんだけど、きっとあの人の本当の姿ってああなんだろうな。なんだか可愛く見えました!』
(……は?)
花束のアイコンのくせに、アカウント名はjimiko
映画の内容についてのコメントのあとに続く感想は、着眼点が独特すぎて浮いている。
だが、気付けばjimikoの感想を確かめるように、問題のシーンを再生していた。見返してみれば、なるほど、彼女の指摘するとおりだ。本人役で出演している俳優は、演技をしているのではなく、偶然フィルムに映り込んでしまったような自然体だった。
そう思うと、日常に潜む小さな狂気を描いたこの作品も、なんだか悪くなかったような気がしてくる。こんなことは初めてだった。誰かの感想ひとつで、自分の気持ちが覆されるなど。
心に爽やかな風が吹いたような、ぽかぽかした春の光が射したような。
自分のなかにはない、jimikoの視点に、凍り付いていた心がジワリと熱を持ったようで、気付けば彼女の投稿をさかのぼっていた。
jimikoは決して映画を悪く語らない。
一年に一度、最低の映画を決める祭典で『映画史に残るゴミ』と酷評されたパロディコメディも、jimikoにかかれば『こんなにパロディを詰め込めるなんて、映画好きにしかできない! パロディ元をあてるクイズにできそうなくらい。何個パロってるのか正解が欲しい~!』なんて、実に楽しそうな内容に早変わりだ。
(変わった子だな)
悪役がダークサイドに堕ちなかった『もしも』を考えたり、恋愛映画のすれ違いに救済を提示してみたり。かと思うと、映画の小道具である本に、監督の別作品の登場人物の名前が出ているとマニアックな発見に騒いだり。
彼女の目をとおすだけで、これまで見えなかった部分が見えてくる。
jimikoの投稿を読みながら、ふと、笑っている自分に気付いた。
(……笑うなんて、何年ぶりだ?)
兄が家を出て以来じゃないか? そうすると、四年?
もともと、誰に対しても明るく振る舞えるタイプじゃない。だが、さすがに会社に入る前は、まだ笑っていた気がする。
三歳年上の兄優一は、利一が舘入商事に入社してから父と対立し、家と舘入商事から去った。利一と入れ替わるようにして優一が退職したせいで、利一はすっかり「兄を追いだした弟」に仕立て上げられ、同期入社の同僚たちは怯えきって目も合わせてくれなかった。
入社して四年経ったいまや、同期とは関わる機会もない。周囲から向けられる笑顔は愛想笑いや機嫌伺のそれであり、父が利一を後継ぎだと公言するようになると、それは一層顕著になる。
そのうち、笑わなくなった。
コメディ映画やアクション映画の軽快なやり取りでも表情筋は沈黙したままで、「おもしろい」や「楽しい」がなんだったのかも思い出せない。
四年間笑っていないなんて異常だ。メンタルクリニックにかかるべきか?
だが、弱っているところは見せられない。利一を引きずり下ろして我こそがと腹に一物抱えた叔父は、利一が弱ればここぞとばかりに牙をむくだろう。
社内での張り詰めた空気が、私生活にまで影響を及ぼしている。
そんな日々に射した、一筋の光のように思えた。
(──jimiko)
それ以来、彼女のアカウントをチェックするのが日課になった。
jimikoはとんでもないペースで映画を観る。彼女のあとを追うように、気になったものを観ていった。好きな内容もあれば、あまりハマりきれない内容のものもあった。だが、どれもjimikoフィルターをとおして楽しむポイントをおさえてみれば、時間の無駄だと感じることはなかった。
生活の癒し、それがjimikoの観察だった。
(どんな人なんだろうな、彼女は)
観察をはじめて一年も経過すると、利一の興味は、映画の感想を超えてjimiko本人に向くようになっていた。
jimikoは恋愛映画が好きだ。映画館には週に一度通っている。おそらく社会人で、半券を持つ手からして女性。しかし、ネイルの類はしていない。ありのままの、きれいな手だ。
利一のアカウントは情報収集以外に使用していない。気になった映画情報をリツイートすることはあっても、積極的に誰かをフォローしたり、声を掛けたりはしない。そういうアカウントから突然フォローされたら怖いだろうか、と、jimikoを観察しながらもフォローボタンを押すのを迷っていた。
迷ううちに、クリスマスイヴがやってきた。その日もjimikoは映画を観てきたらしく、観客の大多数がカップルで浮いてしまった、とこぼしていた。
(なんだ、彼氏と行って来たんじゃないのか……)
なぜか、ホッとしていた。人が寂しいクリスマスを過ごすことに喜ぶなど悪趣味だが、jimikoに交際相手がいないことがはっきりして安心したのだ。
スマホ画面のなかで、jimikoの新しい投稿が表示される。
『サンタさん、彼氏ください』
ペロッと舌を出した絵文字が文末に二つ並んでいた。
わけもわからず、気付けばフォローボタンを押していた。
なりたい。なれるものならなりたい。
映画のディスクでは特典映像を残らず視聴し、キャスト解説の副音声まですべて聞いてしまうjimikoの彼氏に。ヨーロッパの聖地巡礼はできないからと、インターネットの地図で旅行気分を味わうjimikoの彼氏に。
(いや、もう結婚したい。毎日家にいてほしい。ヨーロッパくらい連れて行ってやるから……)
顔見知りどころか話したこともない相手にそんな感情を抱くのは、アイドルに熱狂するファンの心理に近かったのかもしれない。危ない男になりかけている自覚があったが、日増しにjimikoへの想いは加速していく。だが、この関係は進展しない、未来のない関係のはずだった。
(jimikoは、SNSで知り合った男と会ったりしないだろう)
二十八歳の利一は、父の命じた見合いをこなしながら、相手の女性に惹かれないどころか、嫌悪を募らせていくばかりだった。
兄を蹴落とした弟として有名な利一と結婚してもいいと考える令嬢は、それなりにタイプが絞られてくる。自信家で、強欲で、気が強い。見合い相手はどれもこれも「利一」ではなく「舘入商事の御曹司」に興味があるだけで、彼女たちは利一が毛虫だったとしても喜んで結婚に応じるだろう。そんな彼女たちの誰かと結婚して、自分の望む家が手に入るとは到底思えなかった。
(せめて、家は安らげる場所にしたいなんて、贅沢なのか? あれと結婚するくらいなら、一生独身のほうがいい……)
家でも、会社でも笑顔を失くして生きていく自分の人生を思い描いて、うんざりした。
幼い頃、兄は体が弱かった。
入院することもあり、母は兄の付き添いで留守がちで、父は仕事でほとんど家にいない。使用人たちはいるが、彼らは家族ではない。何不自由のない生活だったが、求めた温もりは与えられなかった。
そんな利一の友達は、テレビだった。同じ映画を何度も再生して、寂しい時間をやり過ごしていた。映画は常に利一のそばにあり、心の安定剤でもあったのだ。
両親との関りの薄いまま、やがて、病弱な兄へ向けられるはずの期待は利一に圧し掛かり、そのすべてに応えてきた。
高校に入った兄が、徐々に臥せることがなくなると、父は当然のように長男の優一を後継者として育てはじめた。
重圧から解放された喜びと、ほんの少しの悔しさに折り合いをつけられないまま大学へ進学した。父と兄が対立したとき、利一は、自分のなかの暗い感情に気が付いた。
父に反発し、利一のマンションで暮らし、交際相手である頭の軽いモデルを連れ込む兄優一を、見下していた。自分なら、もっとうまくやったのに、と。
(俺は悪役だな……)
過去のことを思い出させるような映画を観ていたせいで、すっかり気分は暗くなっていた。
病弱な兄が奇跡的な回復を遂げて家督を相続するが、弟が反旗を翻して兄を亡き者にしようと画策するという内容で、最後はお約束の勧善懲悪で弟に罰が下る。
エンドロールをぼんやり眺めていると、テーブルの上に置いたスマホが小さく震えた。画面に、jimikoからのリフォローが通知されていた。
驚いてSNSのアプリを起動させると、確かにjimikoがフォロワーに加わっている。それと同時に、jimikoが新しい映画の感想を投稿していた。
いま、利一が観ていたものと同じだった。
『弟に感情移入して、泣いてしまった……。さすがこの監督にこの俳優陣。文句ないどころか、レンタルで済ませてごめんなさい、もっとお金払わせて! ってくらいいい映画だったんだけど、弟の気持ちもわかってしまって切なくて……! だってお兄さんがいない間、弟が父親の期待に応えて頑張ってたのに! お兄さんが健康で元気な弟を羨んでたみたいに、弟も、両親に心配してもらえるお兄さんのこと羨ましかったんだよね、きっと。だけど、婚約者が弟を見捨てなかったからまだ救いがあるのかな。悪者扱いされてる弟を見捨てなかった婚約者のローザ、かっこよかったよ~! いろんな愛の描かれた、深くていい映画でした!』
横隔膜の奥が熱を持ち、痺れていた。
自分自身の理解者が、はじめて現れたような気がした。
jimikoをもっと知りたい。彼女のフォロワーから、もう一歩近付いてみたい。
彼女との距離を縮めるためにさらに一年を要した。声をかけて警戒されるのを避けて、いいねを押したり、映画の感想をあげてみたり。
jimikoから声をかけられたときには、まるで婚姻届を渡されたような気になっていた。
何気ない会話が積み重なり、少しずつ彼女を知っていくたびに想いも募っていく。
二十代半ばの彼女は、実家暮らしでプリンとカップアイスが好物。庶民派で、夏の駅では空調から吹き出す冷たい風を浴びて涼んでいる。事務的な仕事をしているらしく、運動不足だと嘆いているが、仕事に対しては前向きだ。
(しかしその主任というのは、君にとっていったいどういう相手なんだ……?)
三日に一度は必ず話題にのぼる主任に、嫉妬を禁じ得ない。
(俺はjimikoに会ったこともないのに、君は毎日jimikoに会って、jimikoの淹れたお茶を飲んでいるわけか、主任)
焦げ付くような嫉妬を覚えながら、彼女とやり取りをするようになってから十ヶ月が経過した頃、利一はようやく、jimikoに「会いたい」と伝えた。
返事が返ってくるまで生きた心地がしなかった。けれど彼女は、実際に会うことを了承してくれた。
容姿に自信がないとチラと言っていた彼女は、利一にも「芸能人でいうと誰に似ている?」なんて質問もしてこない。見た目や外聞ではなく、中身が大事だと考える彼女らしい。約束の場所にどんな女性がやってきたとしても、きっと彼女を想う気持ちは変わらない。
もし本当に、jimikoが約束の場所に来てくれたら、思っていたとおりの内面だったら。そして彼女が同意してくれたら、相手の容姿や出自に関係なく、jimikoと──
約束当日に、母から急遽見合いに来いという連絡が入った。
宙ぶらりんになっていた話がまとまり、先方が約束の場所にやってくるという。正直それどころではないのだが、今日は都合が悪いと断って、別日に改めて、なんて調整されても困る。いつものように『下克上の弟』らしく接すれば、見合いもすぐに終わるだろう。
相手が帰ってくれていることを期待して、一時間ほど遅刻して行ってみた。これもいつもの手だった。
(帰ってない、か。そんなに舘入の家は魅力的か)
だが、その場にいた見合い相手は、いつもの令嬢とは毛色が違う。
(調子が狂うな……)
愛らしく、気立てのよさそうな彼女に、なにか感じるものがあった。だが、彼女もきっと舘入と結婚したいのだろう。利一ではなく、家に惹き付けられているだけだ。
(いつもと同じだ。それに、俺にはjimikoがいる)
仕事と同じように感情を切り離し、彼女と結婚する意志がないことを伝えると、結婚する気がないのは同じだと彼女は反撃してきた。
そんなふうに利一に言い返してきた女性は、これまで一人もいなかった。むくれて去っていったり、ヒステリックに父親の肩書を叫んだり、泣いて怯える女性はいたが、「温室育ち」とまで言われたのは生まれて初めてだ。
彼女には、阿りも媚びも怯えもない。どうしてこの場にいるのか、不思議でならなかった。贅沢な暮らしがしたくて、金持ちと結婚したくてここに居るんじゃないのか?
「女は与えられるばかりじゃないって、覚えておいた方がいいですよ」
そう言って、しっかり食事の礼まで述べて、彼女は颯爽と去っていく。その後姿が、どうしてだか、映画の悪役として描かれてていた弟に連れそう婚約者ローザに重なった。
母を問い詰めてみると、どうやら彼女は、利一と同じように半ば強制的に見合いにやって来ただけらしい。
そんな彼女に、なんてひどいことを言ってしまったんだ。悪いことをしてしまった。彼女が憤慨して当然だ。
(悪いことをしてしまった)
瀬村花純に内心で謝罪しながら、利一は少し重い気持ちでjimikoとの約束の場所に向かった。
これから念願のjimikoに会えるというのに、頭のなかには瀬村花純の顔がチラチラと浮かんでは消える。彼女はどうにも、ローザだけでなくjimikoにも重なってしまうのだ。
芯のある人。自分とは違う視点を持つ人。
(いや、たぶんこれは罪悪感だ。瀬村花純さんなら、きっとすぐにいい相手がみつかるだろう。俺のことは、嫌な過去として忘れてくれていればいい)
自分には、jimikoがいる。
SNSを起動させて到着のメッセージを送信する。
どんな会議よりも緊張していた。
腕時計を見れば、約束の時間まで、あと十分。
このときの利一は、まだ知らない。
自分が本気で「この人を逃がしてはいけない」と、瀬村花純に執着することを。
彼女を知るほどに、もっと想いが暴走していくことを。
そして花純が、思い描いていた以上のあたたかな家庭と、可愛い三人の子供を授けてくれることを、利一はまだなにも知らない──……
その日の映画はとくに利一をそんな気分にさせた。二時間は貴重だ。趣味といっても、できれば時間は有意義に使いたい。
シアタールームのスクリーンに流れるエンドロールを横目に、利一はスマホを手にして、何気なく見終わったばかりの映画のタイトルを情報収集用のSNSで検索した。ほかの人たちが自分と同じ感情を抱いていることを確認して、安心したかったのかもしれない。
イマイチ、予告編がクライマックス、俳優の無駄遣い、サスペンスなのに緊張感がない……容赦のない酷評が目立つなかで、画面をスクロールする利一の手をとめるくらいの破壊力が、その投稿にはあった。
『作中の役柄じゃなくて、本人役で出演してる有名俳優さんが全然笑えないシーンでクスッて笑ってて、普通ならNGになるはずなのに、そのままにしてるところに監督のこだわりを感じた! 強面で悪役の多い俳優さんだけど、きっとあの人の本当の姿ってああなんだろうな。なんだか可愛く見えました!』
(……は?)
花束のアイコンのくせに、アカウント名はjimiko
映画の内容についてのコメントのあとに続く感想は、着眼点が独特すぎて浮いている。
だが、気付けばjimikoの感想を確かめるように、問題のシーンを再生していた。見返してみれば、なるほど、彼女の指摘するとおりだ。本人役で出演している俳優は、演技をしているのではなく、偶然フィルムに映り込んでしまったような自然体だった。
そう思うと、日常に潜む小さな狂気を描いたこの作品も、なんだか悪くなかったような気がしてくる。こんなことは初めてだった。誰かの感想ひとつで、自分の気持ちが覆されるなど。
心に爽やかな風が吹いたような、ぽかぽかした春の光が射したような。
自分のなかにはない、jimikoの視点に、凍り付いていた心がジワリと熱を持ったようで、気付けば彼女の投稿をさかのぼっていた。
jimikoは決して映画を悪く語らない。
一年に一度、最低の映画を決める祭典で『映画史に残るゴミ』と酷評されたパロディコメディも、jimikoにかかれば『こんなにパロディを詰め込めるなんて、映画好きにしかできない! パロディ元をあてるクイズにできそうなくらい。何個パロってるのか正解が欲しい~!』なんて、実に楽しそうな内容に早変わりだ。
(変わった子だな)
悪役がダークサイドに堕ちなかった『もしも』を考えたり、恋愛映画のすれ違いに救済を提示してみたり。かと思うと、映画の小道具である本に、監督の別作品の登場人物の名前が出ているとマニアックな発見に騒いだり。
彼女の目をとおすだけで、これまで見えなかった部分が見えてくる。
jimikoの投稿を読みながら、ふと、笑っている自分に気付いた。
(……笑うなんて、何年ぶりだ?)
兄が家を出て以来じゃないか? そうすると、四年?
もともと、誰に対しても明るく振る舞えるタイプじゃない。だが、さすがに会社に入る前は、まだ笑っていた気がする。
三歳年上の兄優一は、利一が舘入商事に入社してから父と対立し、家と舘入商事から去った。利一と入れ替わるようにして優一が退職したせいで、利一はすっかり「兄を追いだした弟」に仕立て上げられ、同期入社の同僚たちは怯えきって目も合わせてくれなかった。
入社して四年経ったいまや、同期とは関わる機会もない。周囲から向けられる笑顔は愛想笑いや機嫌伺のそれであり、父が利一を後継ぎだと公言するようになると、それは一層顕著になる。
そのうち、笑わなくなった。
コメディ映画やアクション映画の軽快なやり取りでも表情筋は沈黙したままで、「おもしろい」や「楽しい」がなんだったのかも思い出せない。
四年間笑っていないなんて異常だ。メンタルクリニックにかかるべきか?
だが、弱っているところは見せられない。利一を引きずり下ろして我こそがと腹に一物抱えた叔父は、利一が弱ればここぞとばかりに牙をむくだろう。
社内での張り詰めた空気が、私生活にまで影響を及ぼしている。
そんな日々に射した、一筋の光のように思えた。
(──jimiko)
それ以来、彼女のアカウントをチェックするのが日課になった。
jimikoはとんでもないペースで映画を観る。彼女のあとを追うように、気になったものを観ていった。好きな内容もあれば、あまりハマりきれない内容のものもあった。だが、どれもjimikoフィルターをとおして楽しむポイントをおさえてみれば、時間の無駄だと感じることはなかった。
生活の癒し、それがjimikoの観察だった。
(どんな人なんだろうな、彼女は)
観察をはじめて一年も経過すると、利一の興味は、映画の感想を超えてjimiko本人に向くようになっていた。
jimikoは恋愛映画が好きだ。映画館には週に一度通っている。おそらく社会人で、半券を持つ手からして女性。しかし、ネイルの類はしていない。ありのままの、きれいな手だ。
利一のアカウントは情報収集以外に使用していない。気になった映画情報をリツイートすることはあっても、積極的に誰かをフォローしたり、声を掛けたりはしない。そういうアカウントから突然フォローされたら怖いだろうか、と、jimikoを観察しながらもフォローボタンを押すのを迷っていた。
迷ううちに、クリスマスイヴがやってきた。その日もjimikoは映画を観てきたらしく、観客の大多数がカップルで浮いてしまった、とこぼしていた。
(なんだ、彼氏と行って来たんじゃないのか……)
なぜか、ホッとしていた。人が寂しいクリスマスを過ごすことに喜ぶなど悪趣味だが、jimikoに交際相手がいないことがはっきりして安心したのだ。
スマホ画面のなかで、jimikoの新しい投稿が表示される。
『サンタさん、彼氏ください』
ペロッと舌を出した絵文字が文末に二つ並んでいた。
わけもわからず、気付けばフォローボタンを押していた。
なりたい。なれるものならなりたい。
映画のディスクでは特典映像を残らず視聴し、キャスト解説の副音声まですべて聞いてしまうjimikoの彼氏に。ヨーロッパの聖地巡礼はできないからと、インターネットの地図で旅行気分を味わうjimikoの彼氏に。
(いや、もう結婚したい。毎日家にいてほしい。ヨーロッパくらい連れて行ってやるから……)
顔見知りどころか話したこともない相手にそんな感情を抱くのは、アイドルに熱狂するファンの心理に近かったのかもしれない。危ない男になりかけている自覚があったが、日増しにjimikoへの想いは加速していく。だが、この関係は進展しない、未来のない関係のはずだった。
(jimikoは、SNSで知り合った男と会ったりしないだろう)
二十八歳の利一は、父の命じた見合いをこなしながら、相手の女性に惹かれないどころか、嫌悪を募らせていくばかりだった。
兄を蹴落とした弟として有名な利一と結婚してもいいと考える令嬢は、それなりにタイプが絞られてくる。自信家で、強欲で、気が強い。見合い相手はどれもこれも「利一」ではなく「舘入商事の御曹司」に興味があるだけで、彼女たちは利一が毛虫だったとしても喜んで結婚に応じるだろう。そんな彼女たちの誰かと結婚して、自分の望む家が手に入るとは到底思えなかった。
(せめて、家は安らげる場所にしたいなんて、贅沢なのか? あれと結婚するくらいなら、一生独身のほうがいい……)
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幼い頃、兄は体が弱かった。
入院することもあり、母は兄の付き添いで留守がちで、父は仕事でほとんど家にいない。使用人たちはいるが、彼らは家族ではない。何不自由のない生活だったが、求めた温もりは与えられなかった。
そんな利一の友達は、テレビだった。同じ映画を何度も再生して、寂しい時間をやり過ごしていた。映画は常に利一のそばにあり、心の安定剤でもあったのだ。
両親との関りの薄いまま、やがて、病弱な兄へ向けられるはずの期待は利一に圧し掛かり、そのすべてに応えてきた。
高校に入った兄が、徐々に臥せることがなくなると、父は当然のように長男の優一を後継者として育てはじめた。
重圧から解放された喜びと、ほんの少しの悔しさに折り合いをつけられないまま大学へ進学した。父と兄が対立したとき、利一は、自分のなかの暗い感情に気が付いた。
父に反発し、利一のマンションで暮らし、交際相手である頭の軽いモデルを連れ込む兄優一を、見下していた。自分なら、もっとうまくやったのに、と。
(俺は悪役だな……)
過去のことを思い出させるような映画を観ていたせいで、すっかり気分は暗くなっていた。
病弱な兄が奇跡的な回復を遂げて家督を相続するが、弟が反旗を翻して兄を亡き者にしようと画策するという内容で、最後はお約束の勧善懲悪で弟に罰が下る。
エンドロールをぼんやり眺めていると、テーブルの上に置いたスマホが小さく震えた。画面に、jimikoからのリフォローが通知されていた。
驚いてSNSのアプリを起動させると、確かにjimikoがフォロワーに加わっている。それと同時に、jimikoが新しい映画の感想を投稿していた。
いま、利一が観ていたものと同じだった。
『弟に感情移入して、泣いてしまった……。さすがこの監督にこの俳優陣。文句ないどころか、レンタルで済ませてごめんなさい、もっとお金払わせて! ってくらいいい映画だったんだけど、弟の気持ちもわかってしまって切なくて……! だってお兄さんがいない間、弟が父親の期待に応えて頑張ってたのに! お兄さんが健康で元気な弟を羨んでたみたいに、弟も、両親に心配してもらえるお兄さんのこと羨ましかったんだよね、きっと。だけど、婚約者が弟を見捨てなかったからまだ救いがあるのかな。悪者扱いされてる弟を見捨てなかった婚約者のローザ、かっこよかったよ~! いろんな愛の描かれた、深くていい映画でした!』
横隔膜の奥が熱を持ち、痺れていた。
自分自身の理解者が、はじめて現れたような気がした。
jimikoをもっと知りたい。彼女のフォロワーから、もう一歩近付いてみたい。
彼女との距離を縮めるためにさらに一年を要した。声をかけて警戒されるのを避けて、いいねを押したり、映画の感想をあげてみたり。
jimikoから声をかけられたときには、まるで婚姻届を渡されたような気になっていた。
何気ない会話が積み重なり、少しずつ彼女を知っていくたびに想いも募っていく。
二十代半ばの彼女は、実家暮らしでプリンとカップアイスが好物。庶民派で、夏の駅では空調から吹き出す冷たい風を浴びて涼んでいる。事務的な仕事をしているらしく、運動不足だと嘆いているが、仕事に対しては前向きだ。
(しかしその主任というのは、君にとっていったいどういう相手なんだ……?)
三日に一度は必ず話題にのぼる主任に、嫉妬を禁じ得ない。
(俺はjimikoに会ったこともないのに、君は毎日jimikoに会って、jimikoの淹れたお茶を飲んでいるわけか、主任)
焦げ付くような嫉妬を覚えながら、彼女とやり取りをするようになってから十ヶ月が経過した頃、利一はようやく、jimikoに「会いたい」と伝えた。
返事が返ってくるまで生きた心地がしなかった。けれど彼女は、実際に会うことを了承してくれた。
容姿に自信がないとチラと言っていた彼女は、利一にも「芸能人でいうと誰に似ている?」なんて質問もしてこない。見た目や外聞ではなく、中身が大事だと考える彼女らしい。約束の場所にどんな女性がやってきたとしても、きっと彼女を想う気持ちは変わらない。
もし本当に、jimikoが約束の場所に来てくれたら、思っていたとおりの内面だったら。そして彼女が同意してくれたら、相手の容姿や出自に関係なく、jimikoと──
約束当日に、母から急遽見合いに来いという連絡が入った。
宙ぶらりんになっていた話がまとまり、先方が約束の場所にやってくるという。正直それどころではないのだが、今日は都合が悪いと断って、別日に改めて、なんて調整されても困る。いつものように『下克上の弟』らしく接すれば、見合いもすぐに終わるだろう。
相手が帰ってくれていることを期待して、一時間ほど遅刻して行ってみた。これもいつもの手だった。
(帰ってない、か。そんなに舘入の家は魅力的か)
だが、その場にいた見合い相手は、いつもの令嬢とは毛色が違う。
(調子が狂うな……)
愛らしく、気立てのよさそうな彼女に、なにか感じるものがあった。だが、彼女もきっと舘入と結婚したいのだろう。利一ではなく、家に惹き付けられているだけだ。
(いつもと同じだ。それに、俺にはjimikoがいる)
仕事と同じように感情を切り離し、彼女と結婚する意志がないことを伝えると、結婚する気がないのは同じだと彼女は反撃してきた。
そんなふうに利一に言い返してきた女性は、これまで一人もいなかった。むくれて去っていったり、ヒステリックに父親の肩書を叫んだり、泣いて怯える女性はいたが、「温室育ち」とまで言われたのは生まれて初めてだ。
彼女には、阿りも媚びも怯えもない。どうしてこの場にいるのか、不思議でならなかった。贅沢な暮らしがしたくて、金持ちと結婚したくてここに居るんじゃないのか?
「女は与えられるばかりじゃないって、覚えておいた方がいいですよ」
そう言って、しっかり食事の礼まで述べて、彼女は颯爽と去っていく。その後姿が、どうしてだか、映画の悪役として描かれてていた弟に連れそう婚約者ローザに重なった。
母を問い詰めてみると、どうやら彼女は、利一と同じように半ば強制的に見合いにやって来ただけらしい。
そんな彼女に、なんてひどいことを言ってしまったんだ。悪いことをしてしまった。彼女が憤慨して当然だ。
(悪いことをしてしまった)
瀬村花純に内心で謝罪しながら、利一は少し重い気持ちでjimikoとの約束の場所に向かった。
これから念願のjimikoに会えるというのに、頭のなかには瀬村花純の顔がチラチラと浮かんでは消える。彼女はどうにも、ローザだけでなくjimikoにも重なってしまうのだ。
芯のある人。自分とは違う視点を持つ人。
(いや、たぶんこれは罪悪感だ。瀬村花純さんなら、きっとすぐにいい相手がみつかるだろう。俺のことは、嫌な過去として忘れてくれていればいい)
自分には、jimikoがいる。
SNSを起動させて到着のメッセージを送信する。
どんな会議よりも緊張していた。
腕時計を見れば、約束の時間まで、あと十分。
このときの利一は、まだ知らない。
自分が本気で「この人を逃がしてはいけない」と、瀬村花純に執着することを。
彼女を知るほどに、もっと想いが暴走していくことを。
そして花純が、思い描いていた以上のあたたかな家庭と、可愛い三人の子供を授けてくれることを、利一はまだなにも知らない──……
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