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1巻
1-2
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きっと、落ち着きのない、ちょっとおかしな女だと思われる。間違いない。絶対そうなる。
あんな失礼な御曹司のせいで、reach731に悪印象を持たれるなんて悔しすぎる!
(なんでわたしがアイツから逃げ回らないといけないの! 知らない。そう、こっちが避ける必要なんてない。あんな傲慢な御曹司、無視しとけばいいだけ)
さっきあれだけやりあったのだから、向こうだってわざわざ声なんてかけてこないだろう。
花純はできるだけ顔をあげないようにしながら、祈るような思いでスマホ画面を見つめた。
早く、reach731と合流してこの場を離れたい。
『今、銅像の裏手にいます』
はっとして、花純は素早く視線を周囲に走らせる。
reach731の特徴は、黒のジャケット。
軽装の若者が多く、ジャケットを着ているのは一人だった。
舘入利一だ。
目が合った。
「っ……!」
首がもげそうな勢いで目を逸らす。
(なんで被っちゃうかな……!)
待ち合わせ場所、そして黒のジャケットまで被るなんて。
御曹司なら御曹司らしく、こんなカジュアルな場所ではなくて、高級ホテルあたりで待ち合わせてほしいものだ。
それに、舘入利一を一目で見つけてしまう自分にも腹が立つ。
彼が目立つからいけないのだ。背が高く、すらりとしていて、顔もいい。奇抜な服装でもないのに存在感がある。認めざるをえない、彼はとびきり見た目がいい。
それがまた、どうしようもなく悔しいけれど。
スマホに、reach731からのメッセージが表示される。
『ベージュのバッグ以外に、なにか特徴はありませんか?』
彼も花純を探してくれているようだ。さっき確認した範囲に黒のジャケットは舘入利一しかいなかったけれど、きっと近くにいるのだろう。一刻も早く、見つけだしてもらわなければ。
『白地に、小さな花柄のワンピースです。すぐにわかると思います』
はじめから服装を伝えておけばよかった。
ざっと見たなかでは、同じような白のワンピースを着ている女の人はいない。
返信すると、すぐにこちらへ向かってくる靴音を感じた。
(来たぁ……!)
俯いた視界に映る靴はまだ新しく、品がいい。
すらっとした足を包む、黒のパンツ。
画面越しにしか感じられなかったreach731の存在が、いよいよ現実になっていく。
どんな人だろう? 顔は? 歳は? オジサンだったら、見た目がダメなタイプだったら――いいや、人間は見た目じゃない。長く続いたSNSのやり取りで、彼が大人で優しい人なのはよくわかっている。外見やステータスなんて関係ない。きっと今日は楽しい日になる――
花純は、じりじりと顔をあげた。
「…………っ!!」
そこにいるのは、険しい顔をした舘入利一。
傲慢な御曹司が、花純の目の前に立っている。
いったいなぜ? まさか、さっきのリベンジに来た?
「……jimikoさん?」
「…………!?」
少し低い声が、戸惑いを滲ませながら花純のハンドルネームを口にする。
嘘、まさか。どうしよう。
頭のなかが真っ白になる。口の端がピクピク痙攣していた。
そんな馬鹿な。だって彼は。
「…………舘入、としかず、さん、ですよね……?」
「いや、利一です」
りいち……?
目の前の御曹司は、手に持っていたスマホの画面を花純に見せる。
表示されているのは、さっきまで花純とやりとりしていたSNSのメッセージ画面。
アカウント名は、reach731……
「…………reach……なな、さん、いち、さん……?」
「……はい。舘入利一、七月三十一日生まれ」
「っ……!?」
名前、としかずじゃなかった……!
◆ ◇ ◆
(あ、この人また〝いいね〟押してくれてる。reach731さん……)
頻繁に映画の感想を投稿する『jimiko』のフォロワー数は三百程度だ。
飛びぬけて多いわけでも、泣けるほど少ないわけでもない。
映画の感想に、毎回反応をくれるアクティブなフォロワーもいれば、『その映画ちょっと気になる』の付箋がわりに〝いいね〟を押してくれる人もいる。
インターネット上には、花純より映画好きの人間がごまんといる。
共通の趣味を持つ人々は、会話せずとも自然と繋がりあうもので、そのなかにreach731がいた。
彼は公式情報を中心にチェックしていて、基本的に発言はしない。面白おかしく作品を辛口で評価するレビュワーとは関わらない姿勢は、繊細な人柄を窺わせた。
(この人、どんな人なんだろう?)
reach731の存在を認識して半年ほどたった頃、彼がめずらしく映画の感想を投稿した。
『フォロワーさんの感想で気になって観に行った。すごくよかった』
一緒にアップされた写真は、恋愛映画のチケットの半券。
数日前に、花純が『好きな映画ナンバーワンかも!』と絶賛した映画だった。
日に二度しか上映されないような、マイナーかつ暗くて切ない大人のラブムービー。万人受けする内容ではないので感想を投稿している人も多くない。
もしかして……
(そのフォロワーって、わたし?)
いやいや、考えすぎ。
そう思いつつも、彼を意識するようになった。
彼の好きな映画のジャンルは、マフィアものやハードなミリタリー系を除くアクションか、サスペンス。SNSのアイコンは空か海かわからない青い写真なので年齢も性別も顔も知らないけれど、reach731からの〝いいね〟が増えるたびに、少しずつ距離が縮まっていくような気がした。
『フォロワーさんが絶賛してたから観てみた。すごくよかった』
(あっ! これ、絶対わたしだ!)
自意識過剰。そんな言葉が頭を過ぎったけれど、気付けば花純から声をかけていた。
いつしか、彼との毎日のやり取りが楽しみになっていた。
短文からはじまったものが、どんどん長文になっていき、毎日おはようとおやすみを言い合うようになった頃には、たぶん、花純は彼を好きになっていたのだと思う。
ときどき同じ映画館を利用していることが判明し、彼から『今度、一緒に観に行きませんか』と誘われた。『jimikoさんに会いたい』の一文に本気でドキドキして、枕に顔を埋めて、年甲斐もなくキャーキャー叫んでしまった。
返事を出すには勇気がいった。ネットで知り合った人と実際に会うなんて。同性ならまだしも、たぶん異性だ。なにかあったらどうしよう。変な人だったら?
そんなふうに警戒もした。会って、今の関係が壊れてしまうのも怖かった。
だけど、会いたかった。
会いたいと言ってくれた彼に、会ってみたかった。
一目惚れや憧れではなく、もっと、ピュアな恋だった。
そう、恋だったのに。
(それなのに……)
目の前に現れたのは、繊細で大人なreach731のイメージとは対極にいるような、失礼極まりない御曹司。
「君が……jimikoさん……」
険しい顔の舘入利一。
モヤモヤする。自分のなかで、reach731と性悪な御曹司が重ならない。重なってほしくない。
「着替えたのか……」
「っ――!」
お見合いの場での彼の言葉を気にしていることを指摘されたみたいで、悔しくて顔が熱くなった。
これ以上ここにいたくない。この人と、これ以上関わりたくない。
「し、失礼します……っ!」
「待ってくれ」
彼の隣をすり抜けようとして、大きな手に捕まった。剥き出しの素肌に、彼の手が触れる。
「やだっ、触らないでよ!」
「君が逃げようとするからだ」
「ちょっと、放してっ!」
「放さない。どうして逃げるんだ。やっと会えたのに――」
「はぁ!? やっと会えた!?」
よくもそんなことが言える!
「自分がどんな態度で、なにを言ったか忘れたの!? さんざん馬鹿にしておいて! どうせわたしは、あなたにとって話を聞く価値もないような地味な女なんだから、もういいでしょ!」
言ってから後悔した。
なんて卑屈な言葉なんだろう。『どうせわたしは』『あなたにとっては話を聞く価値もない』『地味な女』――それはブーメランのごとく花純の心に突き刺さる。
だけど、彼に、自分はその程度の人間だと痛感させられるような扱いを受けた。
傲慢で性悪な御曹司に気に入ってもらいたいなんて、これっぽっちも思っていない。
でも、reach731に対しては違う。
(なんで、この人なの……)
お見合い相手に偏見を押し付けて、冷たくあしらう御曹司が、彼だったなんて。
花純を『地味』と評した舘入利一がreach731なら、自分は、ほのかな想いを寄せていた相手に気に入ってもらえなかったことになる。
(ほんと、馬鹿だ……わたし、なに期待してたんだろう……)
reach731からの返事に一喜一憂していた日々が、粉々に砕けて崩れていく。
胸の中の大切な部分に、ぽっかりと穴が空いたようだった。
「……さっきは、悪かった」
カッとなって顔をあげたけれど、後悔を浮かべた彼の切実な瞳に、喉の奥で声がつかえた。
遠巻きに、クスクスと笑い声が聞こえてきた。周囲からの冷ややかな眼差しを感じると、自然と視線はアスファルトに向いてしまう。
混雑した待ち合わせスポットで口論になっている男女は、どれほど滑稽だろう。
彼がしおらしく引き留めてくるせいで、周囲の人たちには花純がへそを曲げて彼を振り回しているように見えているのかもしれない。
恥ずかしくて、顔もあげられない。
(みっともない……二十五にもなって、こんなふうに騒いじゃって……)
ここから立ち去りたい。けれど、体は鉛のように重く、足はピクリとも動かない。
この気持ちは、どう片付けたらいいのだろう?
信じられないくらい長文の映画話に付き合ってくれた。オススメの映画を教え合うときだって、彼はjimikoの好みを的確に捉えてくれて。いつまでも敬語のメッセージは、なんだか紳士的な印象で。深夜の返信からは彼の多忙な日常が窺えたのに、仕事の愚痴ひとつこぼさない。そういうところも、真面目な気質の表れだと思っていた。
穏やかで、優しい人だと信じて疑わなかったのに。
(わたし、reachさんのこと、なにもわかってなかったのかな……)
会いたい人とようやく会えたのに、腕を掴む彼をどこまでも遠く感じた。
「……店に入ろう。話したい。君と」
話なんてない。
そう思うのに、冷静に『話したくない』と主張できるほど心の整理もつかなければ、これ以上周囲の視線に晒され続けるのも限界だった。
花純を馬鹿にした御曹司とは思えない彼の態度にも、どんどん気持ちが追い込まれていく。
(ここにいたくない……)
花純の心を見透かしたように、大きな手が軽く腕を引いた。
「話を聞いてくれ」
腕を掴む彼の手は、いつの間にか雛鳥を包むような緩やかな拘束に変わっている。
振り切って逃げることもできるのに、それができないのはどうしてだろう。
「……頼む」
話を聞かない御曹司の願いなど、聞き届けてやる必要はない。
けれど、彼の声があまりにも優しくて、逆らうことなどできなかった。
花純は今はじめて、reach731の声を聞いた気がした。
◆ ◇ ◆
歩道を渡って、チェーン店のカフェに入った。
注文も支払いもしてくれたのは彼だけれど、ボソボソとお礼の言葉を返すのがやっとだ。コミュニケーションを図ろうとしている彼の気持ちに応えられるほどの余裕はまだない。
カップに入ったカフェオレを受け取って、八割ほどが埋まった店内の、隅の小さなテーブル席につく。
通路側に座った彼が、荷物入れのカゴを花純のほうに滑らせた。
「……どうも」
花純はバッグをカゴに置き、話すことを避けるように俯いたままカップに口をつける。
付いてきてしまったけれど、これからどうしたらいいのだろう。
混乱した頭のなかを整理するように、ちびちびとカフェオレを飲んでみる。
二人のどんよりした雰囲気のせいか、それとも彼の見た目がいいせいか、チラチラと視線を感じた。
「……jimikoさん」
「…………はい」
自分でつけたハンドルネームだが、声に出して呼ばれると、なんだか貶されている気分になってくる。
「さっきは、悪かった」
「…………」
「ホテルでのことは、忘れてくれないか。俺が悪かった」
テーブルの上に置かれた彼のコーヒーのカップをじっと見つめたまま、顔を上げられない。目を見なくても、彼の声から後悔の念は伝わってくる。
それはわかるけれど、返事のしようがない。
お見合いの場でのことは、強烈すぎて、忘れることなどできそうにない。
「もう一度、やり直させてくれないか」
「…………」
隣の席の女子二人がコソコソと話している。洋風のBGMに紛れて「彼氏の浮気かな?」「えー、私ならイケメンだし許しちゃうー」なんて声が聞こえてくる。隣の女子たちには、『浮気された彼女と、復縁を迫るイケメン彼氏』に見えるのだろう。全然違うのに。
「jimikoさん、頼む」
自分のなかで踏ん切りがつかない。だから、返事もできない。
こんな状態なら、帰ればいいのだ。お見合いの席では負けじと言い返して彼を残して帰ったのだから、この場でもそうしてしまえばいいのだろう。
けれども、そうするにも気持ちが割りきれない。
高慢な御曹司への憤りより、もっと大切な想いをreach731に抱いているから。
「許してほしい。頼む」
謝罪を繰り返す彼に、誠意を感じないわけではない。けれど……
――『あまりにも地味だ』
その一言が消えてくれない。
お見合いの席での彼の態度になにか理由があったとしても、その一言は、間違いなく花純自身に向けられたものだったから。
好きな人に、少しでもよく思ってもらいたくて張り切った自分が情けない。
言われたことを引きずって、謝罪も受け入れられずに、ウジウジと黙ったままの自分も、情けない。
ぎゅっと眉根を寄せた花純の向かいで、彼が対応に困り果てたような息を吐いた。顔もあげない花純を面倒に思って、いらだっているのだろうか。
「……すぐ戻る。だから、絶対にここで待っててくれ」
唐突に彼が立ち上がり、出口へ向かっていく。周囲の視線が彼を追う。
どこへ行くのかと花純も視線で追っていたが、彼は飲みかけのコーヒーも、もちろん地味なjimikoも置いて、店を出て行ってしまった。
(……行っちゃった……)
絶対に待っていろなんて言っていたけれど、きっと、もう戻ってこないだろう。
彼は、jimikoに愛想を尽かしたのだ。
(言い訳もせずに行っちゃったってことは、本当にわたしが気に入らなかったのかな)
「逃がした魚デカすぎー」
どん底を這うようなマイナスに振りきった思考回路から花純を現実に引き戻したのは、またしても隣の席の女子二人組のひそめた声だった。
彼がいる間じゅうずっとチラチラこちらを盗み見ていた彼女たちは、今は花純の態度を笑い合っている。
(まぁ、そうかもね……御曹司はともかく、reachさん……はぁぁぁ……)
カフェオレを飲み終わったら、何事もなかったかのように店を出よう。
(一人で、映画観て帰るかな)
今日は、reach731と映画を観にいく予定だった。
アメコミが原作のアクション映画。
シリアスなサスペンスや激甘のラブロマンスの選択肢もあったけれど、ラブシーンがあったら反応に困ってしまいそうだったから、前評判のいい健全なアクション映画を花純から提案した。
楽しみだと言ってくれて、座席の予約も彼が買って出てくれた。ポップコーンは大きいサイズを買って分け合おうなんて話していたあのやり取りは、いったいなんだったのだろう。
願望? 妄想?
――花純は大学二年のときに派手に失恋して以来、彼氏いない歴を更新し続けている。その結果、いよいよインターネットで知り合った相手に、自分に都合のいい夢を見ていたのだろうか?
(素敵な人だと思ってたのに……ほんと、なに期待してたんだろう)
頭を空っぽにして店内に流れるBGMを二曲ほど聞き、花純がバッグに手を伸ばそうとしたとき、店に客が飛び込んできた。慌てて飛び込んできた人物は――
「えっ――」
舘入利一。息を乱した御曹司が、戻ってきた。
彼はズンズンと花純のテーブルに接近し、当然のように向かいに座る。
(どうして戻ってきたの……?)
困惑する花純をよそに、彼はジャケットの内ポケットに手をやり、映画のチケットをテーブルに置いた。
そして、カフェを出ていくときには持っていなかったピンクのショッパーを、チケットの隣に並べる。
「……はじめまして、舘入利一です」
「…………え?」
「今日、jimikoさんと会えるのを楽しみにしていました。映画のチケットは発券済みです。席は、中央寄りの左側」
「え、あの……?」
「前寄りの席は首が疲れると前に言ってただろう。もし、もっと中央の席がよければ、一駅先の映画館で十六時三十五分からの上映がある。そっちへ観に行ってもいい。今ならまだ、座席の予約も間に合う」
「いや、あのっ」
「それとこれ。受け取ってください」
戸惑う花純に、彼はテーブルの上のショッパーをぐいと差し出した。
彼はなにをしているのだろう。
改めて名乗って、映画の座席の話をして。
まるで、今、初めて会ったみたいに。
――もしかして、彼は、二人の出逢いを一からやり直しているつもりなのか?
銅像の前で合流したばかりの、はじめましてのjimikoとreach731を演じている?
(でも、なんで……?)
「似合うと思う」
また、彼が花純のほうへショッパーを押した。
「君に、受け取ってほしい」
疑問だらけだったが、あまりにも彼が真剣な目をしているから、突っぱねることができなかった。気圧されて、黙ってショッパーを開く。
(服……?)
ショッパーの中から出てきたのは、ベビーブルーのカーディガン。
丸っこい、花型のビジューボタンが目を惹く可愛いデザインだ。
「さっきはカーディガンを持ってたのに、今は持ってないだろう。映画館は冷える。使ってほしい」
確かに、お見合い会場で会ったときは映画館の冷房や帰宅時の気温を考えて、カーディガンを羽織っていた。しかし、このワンピースには合わないから、脱いだ服と一緒にコインロッカーに放り込んできたのだ。
(それに気付いて、わざわざ買いに行ったの……?)
だけど、どうして――?
「許してもらえないか、jimikoさん」
突然のプレゼントに、初対面を装ったやり取り。
許しを求めての行動だと理解はできるけれど、どうしてそこまでするのかわからない。
「……あの、どうして、わざわざこんなことを……? ここまでしなくても……」
「どうして……? 君が好きだからだ」
「っ――――!?」
きゃっ、と隣の席の女子二人が小さな歓声をあげていたが、言われた花純はそれどころではない。顔に熱が集まり、心臓がバクバク跳ねる。
「君が好きだから、必死になる。それ以外に理由なんてないだろう」
「なっ、なに言ってるんですか!?」
「気付いてなかったのか? 本気で?」
心底不思議そうに訊ねられて、さらに顔が熱くなっていく。
「好きでもない相手に、毎日連絡するわけがない。君への気持ちは伝わってると思ったが、足りなかったんだな……わかった」
なにが『わかった』のかわからないが、御曹司は一人納得している。
「jimikoさん、君が好きだから、会いたかった。せっかく君に会えたのに、ここで終わりにしたくない。君に誠意を伝えられるなら、なんだってやる」
「っ――……!」
「君を失いたくない。本気で君が好きなんだ」
信じられない。信じられない!
堂々と人前でそんなことを言うなんて、隣の女子二人が聞き耳を立てているのに!
(も、もう、お願いだから好きとか言わないでっ!! 恥ずかしい!!)
「jimikoさん、頼む。もう一度、君と知り合うチャンスをくれないか」
彼の真剣な表情と、嘘のないまっすぐな目。
誠実で、繊細な別の男性が、突然目の前に現れたみたいだった。
それはまさしく、花純がイメージしていたreach731の人柄そのものだけれど……
「で、でも、さっきはわたしをお金目当ての女扱いしてっ、それに地味だって……」
「あれは……弁明させてくれ。あのときは、見合い相手に嫌われるために、わざとあんな態度をとった」
「わざと? わざとわたしにひどいこと言ったの?」
「本当に悪かった。理解できないかもしれないが、父から『三十までに結婚しろ』と言われてる。見合いは強制だ。周囲も俺の結婚を――いや、舘入家の息子が身を固めることを望んで、必死で相手を探して連れてくる。家名への執着や、財産のことしか頭にないような相手ばかりを」
「……それ、偏見入ってません?」
「偏見じゃない。本当に、そういう人間は多いんだ。映画でもいるだろう。地位や名声、金や家名にしか興味のない傲慢な人間が。ああいう人間は実在する。話なんて通じない。こちらから丁重に断りを入れても、自分の家名や父親の役職を叫んで意見を通そうとしたり、理由を書面にしろと言われたりしたこともある。付き合っていられない」
強制のお見合いも、お金目当ての結婚も、確かに花純には理解できない世界だ。
けれど、そういう世界はそれこそ映画でいくらでも見てきた。
庶民には想像もつかない苦労が、御曹司の彼にはあるのかもしれない。
「だから嫌われるように、わざとひどい態度をとるようにしてたんだ。見合いにうんざりして、適当になっていたところもある。だから、君を見て、いつもの見合い相手とは違うと思ったのに、そういう人だと決めつけて――悪かった」
あんな失礼な御曹司のせいで、reach731に悪印象を持たれるなんて悔しすぎる!
(なんでわたしがアイツから逃げ回らないといけないの! 知らない。そう、こっちが避ける必要なんてない。あんな傲慢な御曹司、無視しとけばいいだけ)
さっきあれだけやりあったのだから、向こうだってわざわざ声なんてかけてこないだろう。
花純はできるだけ顔をあげないようにしながら、祈るような思いでスマホ画面を見つめた。
早く、reach731と合流してこの場を離れたい。
『今、銅像の裏手にいます』
はっとして、花純は素早く視線を周囲に走らせる。
reach731の特徴は、黒のジャケット。
軽装の若者が多く、ジャケットを着ているのは一人だった。
舘入利一だ。
目が合った。
「っ……!」
首がもげそうな勢いで目を逸らす。
(なんで被っちゃうかな……!)
待ち合わせ場所、そして黒のジャケットまで被るなんて。
御曹司なら御曹司らしく、こんなカジュアルな場所ではなくて、高級ホテルあたりで待ち合わせてほしいものだ。
それに、舘入利一を一目で見つけてしまう自分にも腹が立つ。
彼が目立つからいけないのだ。背が高く、すらりとしていて、顔もいい。奇抜な服装でもないのに存在感がある。認めざるをえない、彼はとびきり見た目がいい。
それがまた、どうしようもなく悔しいけれど。
スマホに、reach731からのメッセージが表示される。
『ベージュのバッグ以外に、なにか特徴はありませんか?』
彼も花純を探してくれているようだ。さっき確認した範囲に黒のジャケットは舘入利一しかいなかったけれど、きっと近くにいるのだろう。一刻も早く、見つけだしてもらわなければ。
『白地に、小さな花柄のワンピースです。すぐにわかると思います』
はじめから服装を伝えておけばよかった。
ざっと見たなかでは、同じような白のワンピースを着ている女の人はいない。
返信すると、すぐにこちらへ向かってくる靴音を感じた。
(来たぁ……!)
俯いた視界に映る靴はまだ新しく、品がいい。
すらっとした足を包む、黒のパンツ。
画面越しにしか感じられなかったreach731の存在が、いよいよ現実になっていく。
どんな人だろう? 顔は? 歳は? オジサンだったら、見た目がダメなタイプだったら――いいや、人間は見た目じゃない。長く続いたSNSのやり取りで、彼が大人で優しい人なのはよくわかっている。外見やステータスなんて関係ない。きっと今日は楽しい日になる――
花純は、じりじりと顔をあげた。
「…………っ!!」
そこにいるのは、険しい顔をした舘入利一。
傲慢な御曹司が、花純の目の前に立っている。
いったいなぜ? まさか、さっきのリベンジに来た?
「……jimikoさん?」
「…………!?」
少し低い声が、戸惑いを滲ませながら花純のハンドルネームを口にする。
嘘、まさか。どうしよう。
頭のなかが真っ白になる。口の端がピクピク痙攣していた。
そんな馬鹿な。だって彼は。
「…………舘入、としかず、さん、ですよね……?」
「いや、利一です」
りいち……?
目の前の御曹司は、手に持っていたスマホの画面を花純に見せる。
表示されているのは、さっきまで花純とやりとりしていたSNSのメッセージ画面。
アカウント名は、reach731……
「…………reach……なな、さん、いち、さん……?」
「……はい。舘入利一、七月三十一日生まれ」
「っ……!?」
名前、としかずじゃなかった……!
◆ ◇ ◆
(あ、この人また〝いいね〟押してくれてる。reach731さん……)
頻繁に映画の感想を投稿する『jimiko』のフォロワー数は三百程度だ。
飛びぬけて多いわけでも、泣けるほど少ないわけでもない。
映画の感想に、毎回反応をくれるアクティブなフォロワーもいれば、『その映画ちょっと気になる』の付箋がわりに〝いいね〟を押してくれる人もいる。
インターネット上には、花純より映画好きの人間がごまんといる。
共通の趣味を持つ人々は、会話せずとも自然と繋がりあうもので、そのなかにreach731がいた。
彼は公式情報を中心にチェックしていて、基本的に発言はしない。面白おかしく作品を辛口で評価するレビュワーとは関わらない姿勢は、繊細な人柄を窺わせた。
(この人、どんな人なんだろう?)
reach731の存在を認識して半年ほどたった頃、彼がめずらしく映画の感想を投稿した。
『フォロワーさんの感想で気になって観に行った。すごくよかった』
一緒にアップされた写真は、恋愛映画のチケットの半券。
数日前に、花純が『好きな映画ナンバーワンかも!』と絶賛した映画だった。
日に二度しか上映されないような、マイナーかつ暗くて切ない大人のラブムービー。万人受けする内容ではないので感想を投稿している人も多くない。
もしかして……
(そのフォロワーって、わたし?)
いやいや、考えすぎ。
そう思いつつも、彼を意識するようになった。
彼の好きな映画のジャンルは、マフィアものやハードなミリタリー系を除くアクションか、サスペンス。SNSのアイコンは空か海かわからない青い写真なので年齢も性別も顔も知らないけれど、reach731からの〝いいね〟が増えるたびに、少しずつ距離が縮まっていくような気がした。
『フォロワーさんが絶賛してたから観てみた。すごくよかった』
(あっ! これ、絶対わたしだ!)
自意識過剰。そんな言葉が頭を過ぎったけれど、気付けば花純から声をかけていた。
いつしか、彼との毎日のやり取りが楽しみになっていた。
短文からはじまったものが、どんどん長文になっていき、毎日おはようとおやすみを言い合うようになった頃には、たぶん、花純は彼を好きになっていたのだと思う。
ときどき同じ映画館を利用していることが判明し、彼から『今度、一緒に観に行きませんか』と誘われた。『jimikoさんに会いたい』の一文に本気でドキドキして、枕に顔を埋めて、年甲斐もなくキャーキャー叫んでしまった。
返事を出すには勇気がいった。ネットで知り合った人と実際に会うなんて。同性ならまだしも、たぶん異性だ。なにかあったらどうしよう。変な人だったら?
そんなふうに警戒もした。会って、今の関係が壊れてしまうのも怖かった。
だけど、会いたかった。
会いたいと言ってくれた彼に、会ってみたかった。
一目惚れや憧れではなく、もっと、ピュアな恋だった。
そう、恋だったのに。
(それなのに……)
目の前に現れたのは、繊細で大人なreach731のイメージとは対極にいるような、失礼極まりない御曹司。
「君が……jimikoさん……」
険しい顔の舘入利一。
モヤモヤする。自分のなかで、reach731と性悪な御曹司が重ならない。重なってほしくない。
「着替えたのか……」
「っ――!」
お見合いの場での彼の言葉を気にしていることを指摘されたみたいで、悔しくて顔が熱くなった。
これ以上ここにいたくない。この人と、これ以上関わりたくない。
「し、失礼します……っ!」
「待ってくれ」
彼の隣をすり抜けようとして、大きな手に捕まった。剥き出しの素肌に、彼の手が触れる。
「やだっ、触らないでよ!」
「君が逃げようとするからだ」
「ちょっと、放してっ!」
「放さない。どうして逃げるんだ。やっと会えたのに――」
「はぁ!? やっと会えた!?」
よくもそんなことが言える!
「自分がどんな態度で、なにを言ったか忘れたの!? さんざん馬鹿にしておいて! どうせわたしは、あなたにとって話を聞く価値もないような地味な女なんだから、もういいでしょ!」
言ってから後悔した。
なんて卑屈な言葉なんだろう。『どうせわたしは』『あなたにとっては話を聞く価値もない』『地味な女』――それはブーメランのごとく花純の心に突き刺さる。
だけど、彼に、自分はその程度の人間だと痛感させられるような扱いを受けた。
傲慢で性悪な御曹司に気に入ってもらいたいなんて、これっぽっちも思っていない。
でも、reach731に対しては違う。
(なんで、この人なの……)
お見合い相手に偏見を押し付けて、冷たくあしらう御曹司が、彼だったなんて。
花純を『地味』と評した舘入利一がreach731なら、自分は、ほのかな想いを寄せていた相手に気に入ってもらえなかったことになる。
(ほんと、馬鹿だ……わたし、なに期待してたんだろう……)
reach731からの返事に一喜一憂していた日々が、粉々に砕けて崩れていく。
胸の中の大切な部分に、ぽっかりと穴が空いたようだった。
「……さっきは、悪かった」
カッとなって顔をあげたけれど、後悔を浮かべた彼の切実な瞳に、喉の奥で声がつかえた。
遠巻きに、クスクスと笑い声が聞こえてきた。周囲からの冷ややかな眼差しを感じると、自然と視線はアスファルトに向いてしまう。
混雑した待ち合わせスポットで口論になっている男女は、どれほど滑稽だろう。
彼がしおらしく引き留めてくるせいで、周囲の人たちには花純がへそを曲げて彼を振り回しているように見えているのかもしれない。
恥ずかしくて、顔もあげられない。
(みっともない……二十五にもなって、こんなふうに騒いじゃって……)
ここから立ち去りたい。けれど、体は鉛のように重く、足はピクリとも動かない。
この気持ちは、どう片付けたらいいのだろう?
信じられないくらい長文の映画話に付き合ってくれた。オススメの映画を教え合うときだって、彼はjimikoの好みを的確に捉えてくれて。いつまでも敬語のメッセージは、なんだか紳士的な印象で。深夜の返信からは彼の多忙な日常が窺えたのに、仕事の愚痴ひとつこぼさない。そういうところも、真面目な気質の表れだと思っていた。
穏やかで、優しい人だと信じて疑わなかったのに。
(わたし、reachさんのこと、なにもわかってなかったのかな……)
会いたい人とようやく会えたのに、腕を掴む彼をどこまでも遠く感じた。
「……店に入ろう。話したい。君と」
話なんてない。
そう思うのに、冷静に『話したくない』と主張できるほど心の整理もつかなければ、これ以上周囲の視線に晒され続けるのも限界だった。
花純を馬鹿にした御曹司とは思えない彼の態度にも、どんどん気持ちが追い込まれていく。
(ここにいたくない……)
花純の心を見透かしたように、大きな手が軽く腕を引いた。
「話を聞いてくれ」
腕を掴む彼の手は、いつの間にか雛鳥を包むような緩やかな拘束に変わっている。
振り切って逃げることもできるのに、それができないのはどうしてだろう。
「……頼む」
話を聞かない御曹司の願いなど、聞き届けてやる必要はない。
けれど、彼の声があまりにも優しくて、逆らうことなどできなかった。
花純は今はじめて、reach731の声を聞いた気がした。
◆ ◇ ◆
歩道を渡って、チェーン店のカフェに入った。
注文も支払いもしてくれたのは彼だけれど、ボソボソとお礼の言葉を返すのがやっとだ。コミュニケーションを図ろうとしている彼の気持ちに応えられるほどの余裕はまだない。
カップに入ったカフェオレを受け取って、八割ほどが埋まった店内の、隅の小さなテーブル席につく。
通路側に座った彼が、荷物入れのカゴを花純のほうに滑らせた。
「……どうも」
花純はバッグをカゴに置き、話すことを避けるように俯いたままカップに口をつける。
付いてきてしまったけれど、これからどうしたらいいのだろう。
混乱した頭のなかを整理するように、ちびちびとカフェオレを飲んでみる。
二人のどんよりした雰囲気のせいか、それとも彼の見た目がいいせいか、チラチラと視線を感じた。
「……jimikoさん」
「…………はい」
自分でつけたハンドルネームだが、声に出して呼ばれると、なんだか貶されている気分になってくる。
「さっきは、悪かった」
「…………」
「ホテルでのことは、忘れてくれないか。俺が悪かった」
テーブルの上に置かれた彼のコーヒーのカップをじっと見つめたまま、顔を上げられない。目を見なくても、彼の声から後悔の念は伝わってくる。
それはわかるけれど、返事のしようがない。
お見合いの場でのことは、強烈すぎて、忘れることなどできそうにない。
「もう一度、やり直させてくれないか」
「…………」
隣の席の女子二人がコソコソと話している。洋風のBGMに紛れて「彼氏の浮気かな?」「えー、私ならイケメンだし許しちゃうー」なんて声が聞こえてくる。隣の女子たちには、『浮気された彼女と、復縁を迫るイケメン彼氏』に見えるのだろう。全然違うのに。
「jimikoさん、頼む」
自分のなかで踏ん切りがつかない。だから、返事もできない。
こんな状態なら、帰ればいいのだ。お見合いの席では負けじと言い返して彼を残して帰ったのだから、この場でもそうしてしまえばいいのだろう。
けれども、そうするにも気持ちが割りきれない。
高慢な御曹司への憤りより、もっと大切な想いをreach731に抱いているから。
「許してほしい。頼む」
謝罪を繰り返す彼に、誠意を感じないわけではない。けれど……
――『あまりにも地味だ』
その一言が消えてくれない。
お見合いの席での彼の態度になにか理由があったとしても、その一言は、間違いなく花純自身に向けられたものだったから。
好きな人に、少しでもよく思ってもらいたくて張り切った自分が情けない。
言われたことを引きずって、謝罪も受け入れられずに、ウジウジと黙ったままの自分も、情けない。
ぎゅっと眉根を寄せた花純の向かいで、彼が対応に困り果てたような息を吐いた。顔もあげない花純を面倒に思って、いらだっているのだろうか。
「……すぐ戻る。だから、絶対にここで待っててくれ」
唐突に彼が立ち上がり、出口へ向かっていく。周囲の視線が彼を追う。
どこへ行くのかと花純も視線で追っていたが、彼は飲みかけのコーヒーも、もちろん地味なjimikoも置いて、店を出て行ってしまった。
(……行っちゃった……)
絶対に待っていろなんて言っていたけれど、きっと、もう戻ってこないだろう。
彼は、jimikoに愛想を尽かしたのだ。
(言い訳もせずに行っちゃったってことは、本当にわたしが気に入らなかったのかな)
「逃がした魚デカすぎー」
どん底を這うようなマイナスに振りきった思考回路から花純を現実に引き戻したのは、またしても隣の席の女子二人組のひそめた声だった。
彼がいる間じゅうずっとチラチラこちらを盗み見ていた彼女たちは、今は花純の態度を笑い合っている。
(まぁ、そうかもね……御曹司はともかく、reachさん……はぁぁぁ……)
カフェオレを飲み終わったら、何事もなかったかのように店を出よう。
(一人で、映画観て帰るかな)
今日は、reach731と映画を観にいく予定だった。
アメコミが原作のアクション映画。
シリアスなサスペンスや激甘のラブロマンスの選択肢もあったけれど、ラブシーンがあったら反応に困ってしまいそうだったから、前評判のいい健全なアクション映画を花純から提案した。
楽しみだと言ってくれて、座席の予約も彼が買って出てくれた。ポップコーンは大きいサイズを買って分け合おうなんて話していたあのやり取りは、いったいなんだったのだろう。
願望? 妄想?
――花純は大学二年のときに派手に失恋して以来、彼氏いない歴を更新し続けている。その結果、いよいよインターネットで知り合った相手に、自分に都合のいい夢を見ていたのだろうか?
(素敵な人だと思ってたのに……ほんと、なに期待してたんだろう)
頭を空っぽにして店内に流れるBGMを二曲ほど聞き、花純がバッグに手を伸ばそうとしたとき、店に客が飛び込んできた。慌てて飛び込んできた人物は――
「えっ――」
舘入利一。息を乱した御曹司が、戻ってきた。
彼はズンズンと花純のテーブルに接近し、当然のように向かいに座る。
(どうして戻ってきたの……?)
困惑する花純をよそに、彼はジャケットの内ポケットに手をやり、映画のチケットをテーブルに置いた。
そして、カフェを出ていくときには持っていなかったピンクのショッパーを、チケットの隣に並べる。
「……はじめまして、舘入利一です」
「…………え?」
「今日、jimikoさんと会えるのを楽しみにしていました。映画のチケットは発券済みです。席は、中央寄りの左側」
「え、あの……?」
「前寄りの席は首が疲れると前に言ってただろう。もし、もっと中央の席がよければ、一駅先の映画館で十六時三十五分からの上映がある。そっちへ観に行ってもいい。今ならまだ、座席の予約も間に合う」
「いや、あのっ」
「それとこれ。受け取ってください」
戸惑う花純に、彼はテーブルの上のショッパーをぐいと差し出した。
彼はなにをしているのだろう。
改めて名乗って、映画の座席の話をして。
まるで、今、初めて会ったみたいに。
――もしかして、彼は、二人の出逢いを一からやり直しているつもりなのか?
銅像の前で合流したばかりの、はじめましてのjimikoとreach731を演じている?
(でも、なんで……?)
「似合うと思う」
また、彼が花純のほうへショッパーを押した。
「君に、受け取ってほしい」
疑問だらけだったが、あまりにも彼が真剣な目をしているから、突っぱねることができなかった。気圧されて、黙ってショッパーを開く。
(服……?)
ショッパーの中から出てきたのは、ベビーブルーのカーディガン。
丸っこい、花型のビジューボタンが目を惹く可愛いデザインだ。
「さっきはカーディガンを持ってたのに、今は持ってないだろう。映画館は冷える。使ってほしい」
確かに、お見合い会場で会ったときは映画館の冷房や帰宅時の気温を考えて、カーディガンを羽織っていた。しかし、このワンピースには合わないから、脱いだ服と一緒にコインロッカーに放り込んできたのだ。
(それに気付いて、わざわざ買いに行ったの……?)
だけど、どうして――?
「許してもらえないか、jimikoさん」
突然のプレゼントに、初対面を装ったやり取り。
許しを求めての行動だと理解はできるけれど、どうしてそこまでするのかわからない。
「……あの、どうして、わざわざこんなことを……? ここまでしなくても……」
「どうして……? 君が好きだからだ」
「っ――――!?」
きゃっ、と隣の席の女子二人が小さな歓声をあげていたが、言われた花純はそれどころではない。顔に熱が集まり、心臓がバクバク跳ねる。
「君が好きだから、必死になる。それ以外に理由なんてないだろう」
「なっ、なに言ってるんですか!?」
「気付いてなかったのか? 本気で?」
心底不思議そうに訊ねられて、さらに顔が熱くなっていく。
「好きでもない相手に、毎日連絡するわけがない。君への気持ちは伝わってると思ったが、足りなかったんだな……わかった」
なにが『わかった』のかわからないが、御曹司は一人納得している。
「jimikoさん、君が好きだから、会いたかった。せっかく君に会えたのに、ここで終わりにしたくない。君に誠意を伝えられるなら、なんだってやる」
「っ――……!」
「君を失いたくない。本気で君が好きなんだ」
信じられない。信じられない!
堂々と人前でそんなことを言うなんて、隣の女子二人が聞き耳を立てているのに!
(も、もう、お願いだから好きとか言わないでっ!! 恥ずかしい!!)
「jimikoさん、頼む。もう一度、君と知り合うチャンスをくれないか」
彼の真剣な表情と、嘘のないまっすぐな目。
誠実で、繊細な別の男性が、突然目の前に現れたみたいだった。
それはまさしく、花純がイメージしていたreach731の人柄そのものだけれど……
「で、でも、さっきはわたしをお金目当ての女扱いしてっ、それに地味だって……」
「あれは……弁明させてくれ。あのときは、見合い相手に嫌われるために、わざとあんな態度をとった」
「わざと? わざとわたしにひどいこと言ったの?」
「本当に悪かった。理解できないかもしれないが、父から『三十までに結婚しろ』と言われてる。見合いは強制だ。周囲も俺の結婚を――いや、舘入家の息子が身を固めることを望んで、必死で相手を探して連れてくる。家名への執着や、財産のことしか頭にないような相手ばかりを」
「……それ、偏見入ってません?」
「偏見じゃない。本当に、そういう人間は多いんだ。映画でもいるだろう。地位や名声、金や家名にしか興味のない傲慢な人間が。ああいう人間は実在する。話なんて通じない。こちらから丁重に断りを入れても、自分の家名や父親の役職を叫んで意見を通そうとしたり、理由を書面にしろと言われたりしたこともある。付き合っていられない」
強制のお見合いも、お金目当ての結婚も、確かに花純には理解できない世界だ。
けれど、そういう世界はそれこそ映画でいくらでも見てきた。
庶民には想像もつかない苦労が、御曹司の彼にはあるのかもしれない。
「だから嫌われるように、わざとひどい態度をとるようにしてたんだ。見合いにうんざりして、適当になっていたところもある。だから、君を見て、いつもの見合い相手とは違うと思ったのに、そういう人だと決めつけて――悪かった」
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